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「清五郎石」①

斎藤ワールド
08 /31 2024
埼玉の力石研究者・斎藤氏から、嬉しさいっぱいのメールが届きました。

「今月
(2024年8月)、お盆のお送りのあとにたまたま合社に寄ったら、
ナント、清五郎石が掘り出してあったじゃありませんか!」

「合社」とは、斎藤家の菩提寺・仲蔵院の隣りにある
「八坂香取稲荷合社」
(埼玉県春日部市八丁目1)のこと。

斎藤さんは2005年、この神社で2個の力石を調査。


一つ目はこれ。丸ごと地上に出ていたからすぐわかった。

「奉納 力石□十メ目 延享三年丙寅年三月吉日」

※延享三年は1746年。
石祠の横にあるのが「延享石」
定位置
66×36×25㎝

もう一つは、半分地中に埋まったままの石。
ただの石かと思ったものの、
石が「おーい、気づいてくれよー」とでも言いたげな”電波”を送ってきた。
その電波を、斎藤さんの”体内特殊受信機”がキャッチ。

IMG_6469.jpg

そこで迷うことなく土を掻き出すと、案の定、刻字が現れた。

かろうじて「鈴木清五郎」の名が読み取れた。

IMG_6691.png

しかし、このままでは埋没してしまう。

そこで氏子さんでもある仲蔵院の「護寺会」仲間数人に、
石の掘り出しをお願いしたが、あっさり拒否。


斎藤さん、がっかりして帰ってきたことは言うまでもありません。

それから19年後の今年3月、
春の彼岸に菩提寺へ出かけた斎藤さん、若きご住職と久しぶりに歓談。
そのときご住職がこんなことを言った。

「以前、隣の神社の力石を担ぎたいという人が来たが、
管轄外だから、社殿近くの氏子総代を紹介した。
その後どうなったのか見届けていない」


それを聞いた斎藤さん、
「そういえば、この話以前に神社を訪れた際、
延享石が定位置から動いていたのを見て、
いたずらをされたかと気になっていたが、石担ぎの申し出があったと聞いて、
問題解決。たぶん”さかもっちゃん”だろうと」


さかもっちゃん 越谷市在住の坂本さん。近在の力石に挑戦を続けている。

塀の向こうに屋根だけ見えているのが、斎藤さんの菩提寺「仲蔵院」。
こちら側が「八坂香取稲荷合社」。「延享石」が置かれています。

おおーっ、確かに延享石が石祠の横から転がり出てます。
使ったら元に戻しておくのも力持ちの礼儀ですよ~!

仲蔵院1

さて、
斎藤さんから来た「嬉しさいっぱい」の「清五郎石」にまつわる話、
続きは次回に。


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グルグル日記

できごと➁
08 /28 2024
回転性めまいで開店休業です。

40年振りのめまいです。
耳石が三半規管に入り込んで平衡感覚を失わせるという、あれです。

40年前のは一回であっさり終わったのに、今度のはしつこい。
おまけに吐き気と便意を伴う三重苦。
凄い勢いで部屋中グルグル回る中、目をつぶり四つん這いでトイレへ急行。

ううう、苦しい。ここまで生きたんだ、もう思い残すことはない。
スイスへ行って安楽死を頼もう。


収まったかと思うとまた。
ちょっと首をひねっただけでグルグルと吐き気と便意。
あとからネットでこの病気のことを調べたら、「便意」など書いてなかった。
私のは特殊なのか?


CIMG4683.jpg

明け方から始まってようやく収まったのは昼近くです。
翌日は大丈夫だろうと思っていたら、来ました!
今度は午前零時から始まった。再び、トイレまで匍匐前進。

この病いは命に別状ないとはいうものの、フラフラのヨタヨタ。
さすがに脳のどこかがイカレタんではないかと。

胸のムカムカが収まらないので、
やけくそで大正漢方胃腸薬を飲んだら瓢箪から駒ですっきり。
筋弛緩薬の芍薬甘草湯が入っているせいかも。

すっきりしたら、安楽死は吹っ飛んで何かおいしいものが食べたくなった。

でも明日はどうなるかわからない。


この病気は骨粗しょう症の人や閉経のご婦人、運動不足、
それと老人がなりやすいのだそうで、骨粗しょう症にはなっていないけれど、
以前、肩の関節にナントカカルシウムが付いて
整形外科で痛み止めやらヒアルロンサンの注射を受けた。

でも今回のグルグルは、
私に「あなたはれっきとした老人ですよ」を突き付けた。

CIMG4630.jpg

原因はわかっているんです。
今、10数年前に一人でコツコツ調査して歩いた
地区の石造物を一冊にまとめようと、当時の資料や写真とにらめっこ。

グルグルの前日は午後5時ごろからパソコンに向かい、
一村分仕上げ、気が付いたらすでに日付が変わっていた。
おまけに度が合わなくなったメガネで、目も首も腰もコチコチだった。

ネットで見たグルグル解消法の「エプリー法」をやってみたら、
せっかく収まっていたのに途端にムカムカ。
耳石が三半規管に入らないようにするには、枕を高くして寝るとあるのに、
このエプリー法は仰向けに寝て背中に枕を当てて首を左右に動かす。

でもおかしくない? 背中に枕を当てたら顔がさかさまになるから、
耳石が三半規管に逆流するんじゃないの?

と自己判断しまして、片足立ちやら肩回しやらやりながら、
ひたすら家の中を歩き回っております。

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フワフワ感はあるものの、食欲だけは衰えず。
いちじく、梨に生落花生、実りの秋ですもんね。

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チチロと…

世間ばなし③
08 /25 2024
毎日暑くて、たまりませんね。(これ書いたのは一週間ほど前のなので)
私は24時間、エアコン生活です。

でも早朝散歩は続けています。
出がけに塩をなめてコップに2杯水を飲み、
保冷剤を入れたタオルをクビに巻き、防犯ブザーを握りしめて…。

なにしろ物騒だから。


昔、晩秋の早朝、鳥の写真を撮りに出かけた時、
田んぼのはるか向こうから猛烈な勢いで突進してくる中年男がいて、
とっさに息子のいる方角に逃げた。


男はその先のススキの陰に、
複数の自転車と息子の姿を見て、舌打ちして去っていったが、
あのぬかるんだ田んぼを走る姿に、ああいう犯罪者は獲物を見つけると、
「火事場の馬鹿力」みたいなものが出るんだ、性犯罪の被害者に裁判官が、
「なぜ逃げなかったのか」などと咎めるが、こりゃ無理だと思った。


ぬかるんだ田んぼをサンダル履きで全速力で走ってきたんですよ。
土手を犬の散歩の人が通るのに、こういう輩はへっちゃらなんですね。
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こんな平和そうな田舎でも過去に性暴力事件で死亡事故が起きた。

私たちが転居してきたころは純農村で街灯もなかった。
田舎道にポツンポツンと建つ農家の明かりが頼りで、
そこからはずれると夏の午後8時ごろでも真っ暗。
なにしろ農家は大きくて庭も広い。明かりは奥の方にぼんやりだし。


ある晩一家で散歩に出かけた時、犬が暗闇目指して突進したので、
そこへ懐中電灯を向けたら、なんと、パンツ一枚の裸の男が立っていた。

バブル期で新興住宅が増えたため、町から来た女性たちが住むようになった。
バスから降りる仕事帰りの女性を狙っていたのだろう。
性暴力での死亡事故はそうした中で起きた。


パンツ男は犬に股間を嗅ぎまわされ、私たち家族4人に見られて
逃げるに逃げられず、ブロック塀を背に突っ立ったまま。
おまけに小学生の二男が「この人、何してるの?」と。
私たちは笑いをかみ殺してその場を離れたが、
今までこの男は、こうして何人もの女性を餌食にしてきたんだと思ったら、
笑ってはいられなくなった。

ねじ曲がった異常なやつが多すぎる。(怒)
DSC03815.jpg

先日、小学校低学年の女児にひどい性暴力をした男に、
懲役6年余の判決が出て、「たったの6年?」とあきれた。
懲役はいいから、あそこをちょん切る刑にしろと言いたくなった。

なになに? 
生育歴が可哀そう? 依存症かも? 心神喪失で無罪かもだって?
ええーい、まどろっこしいわい。

大ドロボーには腕へし折りの刑、放火で人を殺したら火あぶりの刑、
名誉棄損で相手に重大な損害を与えたら市中引き回しの刑、
殺人犯には犯した罪と同じ方法で処刑、
詐欺罪には騙した金額分を死ぬまで返させる刑、
隣人へ迷惑行為を繰り返す輩は島流し…、なぁんてね。

面と向かっては言えないくせに、書き言葉では威勢のいいことを言う、
なんとも面目ない私メでありますが、
暴走老人にならないよう、うっぷんは徐々に出すよう努めます。

それはさておき、お盆の初日、いつものように散歩に出たら、
足元の草むらからチチロ、チチロと虫の音がしたんです。

思わずうわーっと声を挙げそうになりました。
秋がそこまで来ているんだ、虫は忘れてはいないんだって。


そういえばあれほど喧しかった蝉の声も聞こえなくなったし、
地面にひっくり返っている虫も多くなった。

去年の田んぼではこんなものを見かけたが、今年はチラホラだった。
一時期、カモを放している田んぼがあったが、これも見かけなくなった。
ジャンボタニシ

田んぼの稲は元気がいい。
その緑のじゅうたんの中から、
ガガガ、ゲゲゲ、ガゲガゲ、ゲロゲロと蛙の大合唱。
昔はウシガエルもヴォーヴォーと鳴いていたが、こちらは姿を消した。


新興住宅地の住人が蛙の大合唱がうるさくて生活に支障を来たす、
なんて苦情をしかるところに申し立てたという嘘みたいな話もあった。

イエコウモリが飛来し庭を青大将が歩くのは、
ここがかつては自然豊かな山だった証拠。先住権は彼らにこそある。
「人類は万物の霊長である」なんて言われるけれど、
いまだにドンパチやって、何が霊長かって、ね。

ああ、今はホタルも消え、なにもかもいなくなってしまいました。
結局、消えてなくならないのは性犯罪者だけってことか。

さて、散歩から帰るとシャワーを浴びて、これをいただきます。
冷凍したいちごです。


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今年もたくさんお世話になっております。

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板碑哀し

民俗行事
08 /22 2024
板碑(いたび)とは、
鎌倉時代から室町時代ごろまで盛んに造られた墓碑だそうです。


目的は主に二つ。
死者の供養と、生前、現世で功徳を積んで極楽往生を願う逆修。

造立者は主に御家人。
関東の武士を中心に造られ、全国に分布しているそうですが、
ここ静岡県は板碑の空白地帯だとか。

でも当地にあるんです。


ここです。
10数年前に訪れたときの様子はこんなでした。
かたわらには説明板も。


CIMG1098.jpg

板碑はこの稲荷神社の境内にありました。

といっても、このときすでに神社はなく、
石の小祠の台座に瀬戸物の小さなキツネが座っているだけ。

でもこのころはまだ、
二月の初午にお祭りをしていると聞きしました。

拡大したのがこちら。


阿弥陀三尊の
キリーク
(阿弥陀如来)、サ(観音菩薩)、サク(勢至菩薩)
を薬研堀(やげんぼり)で彫った梵字三文字のみ。

材質は地元産出の自然石、硬砂岩で全長112㎝。
造立は推定・南北朝時代。


10数年前の板碑img20240818_18322468.jpg

しかしこの写真から10数年後の今年再訪したら、
こんな無残な姿になっていた。

境内は荒れ果て、板碑はひっくり返り、
赤い鳥居もキツネの置物も説明板もなくなっていました。

板碑

この土地は近くの旧家のものとか。
もう後継者はいなくなったのでしょうか。それとも無関心なのか。

恐らく静岡市で唯一の板碑です。
しかしこのような貴重な文化財でも所有者がいれば、
市が手を出すことはできません。

なんとも無念です。


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セルフレジ

世間ばなし③
08 /19 2024
古いやつだと思われましょうが、私はセルフレジが大嫌い。
最近はダイソーや無印良品までこれになった。
コンビニのファミマは人対応だが、セブンイレブンはセルフレジに。
だからセブンには行かなくなった。


腹が立つんだよね。
売ってやる、自分で清算しろ、袋が必要なら袋代払って勝手に入れろ。

わたしゃ客だよ! 客に店員の代わりをさせるんじゃないよ! しかもタダで。
人件費節約ってんなら、セルフレジ使った客には割引ぐらいしたらどうよ。

それになんだい。店員が後ろで見張っててさ。
ありがとう一つ言わない。

と、思っていたら案の定、
最近、セルフレジで万引きに間違えられる事例が多くなったとか。
セルフレジで万引きが増えたんじゃなくて、セルフレジのミスが増えたんだと。

カゴを置くと瞬時に計算するセルフレジで、機械が一点、読み取らなかった。
それで「画面で購入点数を確認しなかった客が悪い」と言われて、
謝ったという。

アホらしい! 客を客とは思わないこんな商法、絶対おかしいよ。


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考えてみたら、電車やバスに乗るのもセルフが当たり前になったし、
銀行も様変わりした。
昔は預金するとなにやらお礼の品をくれた。
ティッシュや洗剤なんていうたわいないものだったけど、
あれが妙にうれしかった。

今では何でもかんでもセルフ≪サービス≫させられるから、
人との繋がりがうまくいかなくて、セルフネグレクトなんて若者まで出てきた。

人間関係が希薄になったから、ちょっとした言葉もハラスメントになる。
余計なことを言っちゃダメだから無言のまま、より陰湿になる。

人を介してという世の中がどんどん遠ざかっていく。
無機質になっていく。
なんだかいやな世の中になっちゃったな。

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外国じゃあ、万引きやめんどくさがる人が増えて売り上げが減ったから、
人によるレジに戻りつつあるらしいじゃないの。やっぱりね。
人種が違っても思うことは同じなんだよね。

あれこれ迷って品定めして、ようやく気に入ったものを見つけてレジへ行く。
そこでお姉さんがにっこりして、パッパッとレジ打ちして、
素敵な袋に詰めてくれて、「ありがとうございます」とお辞儀をする。

それが「商人道」ってもんじゃないの。
それが買い物ってもんじゃないの。
第一、機械を増やせばそれだけ地球のゴミが増えるんじゃない。


なぁんてことを「おひとりさま」のご近所さんにぶちまけたら、
「私は自分の墓、買ったわよ。共同だけど」と、明るく言った。
「市営のが抽選で当たってね。納骨から十年後は出されちゃうらしいけど」

燃える月

そっかぁ、自分の墓の用意もセルフかぁ。
自分の後始末も「セルフレジ」しなくちゃいけないんだ、と思い知らされた。

老人は増えるし介護施設への入居費は年々上がるから入居は難しくなる。
手に負えない老人は預からないそうだから、勢い自宅介護が増える。

自宅介護の悲惨なニュースを見るたびに、
自治会役員時代に目撃した老母と息子の壮絶な暮らしが鮮明に蘇る。
その日敬老のお祝いを持って訪れた私に、憔悴し切った顔で息子が言った。
「めでたいもなにも。見てください、これですから」

そこには、片手にご飯茶碗を持ち裸同然の老女が立っていた。

そうなりたくてなったわけじゃないのに、歳をとることのなんと残酷なことか。

この前、秋の敬老・長寿の祝いの会への招待状が来たけれど、
みんなが本当に望んでいるのは、「最期まで持続した安心」。
宴会場で来賓のそらぞらしいお話を聞くことでも、
お弁当食べながら素人演芸を見るってことでもないんだよね。

呪文を唱えたらドロンパッと消える装置もないしなぁ。
どうすりゃいいんだ、「我が身のセルフレジ」

ああ、人生の終い方がかくも難しいものだったとは。

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力石二題

そばつぶ
08 /16 2024
今年4月、埼玉の研究者・斎藤氏からこんなメールが届いた。
「平岩弓枝さんの本に、魚吹八幡神社の力石が出ていますよ」

平岩さんは時代小説作家で、「御宿かわせみ」などの名作を残した人。

で、今回、私は大きなミスをしてしまいました。
最初アップした記事で、

「ご実家は東京の代々木八幡神社なんだけど、
残念ながらそこには力石がないんですよ」と、斎藤氏。

と書きましたが、
記事を見た斎藤氏から以下の指摘をされて大慌て。

「代々木八幡神社に力石はないのではなく、
”平岩氏は実家の神社に力石があるのに気づかなかったのかな”
とメールに書いたはずですが…。ここには3個あります。
これを見つけた友人同伴で、2011年1月に、確認、判読、採寸して来ました」

改めて当時のメールを探したら、ありました。

「代々木八幡神社で力石を発見したので、
もしかしたら平岩氏の本に力石のことが出ていないか探したが見つからず。
たぶん生家の力石には関心もなく気づかなかったのでしょう」と。

斎藤さん、ごめんなさい。ご指摘の通りでした。
それにしてもなんでこんな早とちりをしてしまったんだろう。ああ…。
気を引き締めます。

さて、そこで早速、教えられた本を読んだ。
これです。
71歳のときに書いたエッセイです。


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講談社 2003

播州網干の祭

網干には本田商店という素晴らしい名酒を造る蔵元がある。
そこの若旦那の本田眞一郎さんとは十年来の友人である。

その本田さんに勧められて、お祭り大好き人間ばかりが七人、播州入りした。
宵宮の夕方に大きな石を持ち上げる力くらべをまず見物した。
こういう力業というのは、相撲取りのようなでっぷりした人が挑戦するもの
と思っていたら、次々と名乗り出るのはみるからに細っこい体つきの
若者ばかりである」


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そうか、平岩さんもここへ。
私は2度。
そのころはもう力石一色の生活で、姫路の蛭子・神明神社の力石神事から
岡山の総社市、笠岡市まで足を延ばした。


岡山県笠岡市の笠岡市立郷土館にて。
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総社市、笠岡市訪問からすでに12年。
70歳目前のときだったが、疲れを感じたことはなかった。
京都・醍醐寺の餅上げや東京深川の力持睦会の演技も見に出かけた。
炎天下も雪の日も駆けずり回っていた。今はただただ懐かしい。


魚吹八幡神社の三ノ宮卯之助像と力石。
CIMG0405.jpg
兵庫県姫路市網干区宮内

さて、ここからが本題です。

金沢市在住で現代の力石力持ちのそばつぶさんから、
「力石の重量の真実」について問い合わせをいただきました。


「高島先生の本を見て疑問に思ったのは、力石はその重さが売りなのに
なぜ三辺の合計しか測らないのか?
そっちも大事だけれど重さはもっと大事なのではと当初から思っていました。
盤持ち
(力石)もウエイト種目なので、重量を更新する喜びを味わうためにも、
実測は必須だなと思い、私は秤を購入して計測しています」

言われて見ればもっともなことで、
今までの研究者がスルーしてきた分野です。

確かに力石の世界では「切り付け八掛け」などといって、
ほとんどの力石は実際の重量より多く盛って石に刻んでいます。

こちらはそばつぶさんが最高記録を更新した「殿村重次郎石」です。

そばつぶ最高記録
富山県下新川郡朝日町・熊野神社

この石には「六十三メ(貫)五十目(匁)」と刻まれています。
㎏に換算すると約236㎏。しかしそばつぶさんの実測では139㎏だった。


約100㎏の盛り。あまりにも盛り過ぎですよね。

「私の経験上、地方より都会の方が多く盛られてると思いました。
150㎏以下は2割増し、
そして呼称で150㎏を超える石は3~4割盛られている事も多々あります。
ちなみに北陸では150㎏以下は呼称より1割増し、
150㎏以上は2割増しのイメージです。呼称が重くなればなるほど盛り率も
増える傾向にあります。もちろん例外もありますが」と、そばつぶさん。


「それと正目と刻んである力石も、
実測とは大きくかけ離れている事を確認済みです。
重次郎石がある朝日町の他の刻字石もかなり盛ってあります。

私の経験上、正目と刻まれた石は3割減が2割減になるくらいの感覚です。
正目と刻まれていない石より、
1割くらいは実測に近いのかなという意味です」

このことを知った斎藤氏、
「”正”を冠する力石、正直に量って刻銘する気風が感じられますが、
重次郎石の事実を思う時、
”正”のある石も”正”のない他の力石の重量にも疑問が湧いてきました」

そばつぶさんが投じた
「力石はその重さが売りなのに、なぜ量らないのか」
という視点は、力石の研究への大きな一石になる。
なによりも力石を持ち上げる実践者だから、今までの研究者とは違います。

なんだか無性に嬉しいです。新しい研究者の誕生を実感しました。


そばつぶさんが重量更新した「重次郎石」の動画をぜひご覧ください。


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家族

書籍
08 /13 2024
たまにはこんな本もと思い、読んだ2冊。

なにしろもっぱら図書館から借りてくるので、本はいずれも古い。
古いからページのあちこちにこれまで借りた人の痕跡が残っている。

押し花ならぬ押し蚊。髪の毛。鼻くそ。コーヒーをこぼした跡。
鉛筆で傍線。「ここは間違い」なんていうおせっかいな書き込みも。


書き込みで難儀したことがある。
古い歴史書を借りたら至るところに青と赤の万年筆の書き込みがあって、
返却した時、天下り図書館長が「こんなに汚して」と私に難癖をつけた。

「私は万年筆は持っていないし、インクも変色していますから昔のですよ」
と言っても聞く耳を持たない。
埒が明かないので役所に直訴したら、「ああ、あの人ね」と笑いつつ、
構わずそのまま帰っていいと言うので帰ってきた。

その後、苦情が絶えないということで、この人は次年度で去っていった。

さて、一冊目です。

「東大教授、若年性アルツハイマーになる」
若井克子 講談社 2022。

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発症から永眠するまでの20年余を支えつつ、共に歩んだ妻のエッセイです。
夫の専門は「脳神経外科」

妻は冒頭にこう書く。
「医師は、自分の専門領域の病気にかかることを極度に恐れる。
昔、ある医師からそのように聞いたことがあります」
「脳に精通した晋
(夫)が罹患するとは、なんという運命でしょう」

病気は、秀才凡才の区別なく罹患すれば同じ経過をたどる。
この方も漢字が書けなくなり、道に迷い、言葉が出なくなり、
あれほど好きだった車の運転が出来なくなっていった。

時には癇癪を起し、デイサービスをいやがり、誤嚥性肺炎にもなった。


「死にたい」という夫に、妻は一緒に歩む難しさを感じつつも笑顔を絶やさず、
「夫の役割はまだあるはず」と模索。
講演を頼まれれば常につきそい、アシスタントに徹した。

ご夫妻には子どもが4人。
キリスト教の信仰を持つご一家で、その強く温かい絆が印象に残りました。

二冊目は作家・井上光晴とその妻と光晴の愛人だった作家の瀬戸内寂聴、
その三人のトライアングルを井上の娘・井上荒野氏が書いた

「あちらにいる鬼」朝日新聞社 2019。

あちらに

言い方は悪いが女とみればすぐ「オス」になり切る井上と、
多情奔放な「メス」を生きた瀬戸内はるみ時代の寂聴、
そんな二人に冷静さを装いつつ良き妻、良き母を「演じる」光晴の妻。

だが、夫を寝取られた妻は、
いつしか瀬戸内と心を通い合わせる仲になった。
そして今三人は同じ墓に眠っているという。

男女の愛憎とくると、
私は無意識に自分の結婚生活とオーバーラップさせてしまうのだが、
同じ「女狂い」でも、なぜ私の家庭は崩壊し、この家庭は健全だったのか、
井上の妻がなぜそういう心境になったのか、改めて考えた。

井上光晴は決して破滅型人間ではなかった。
大きな家を建て祖母を引き取り、妻のためにお手伝いさんを雇い、子煩悩で、
家族を路頭に迷わせることなく守り切り、
愛人の瀬戸内には臆面もなく「妻は美人で料理がうまい」とのろけた。

片や私の元・夫は自称した「破滅型人間」通りの人だった。
生活費を渡さず家に帰らず、女に妻の悪口を言い、妻の私には女を自慢した。
上京した小学生の息子を東京のアパートへ置き去りにして女の所へ行く。
成人した息子が父に会いたくて尋ねていけば、
「アポイントを取ってからこい」と追い返した。


外の人からは「あんなにいい人はいない」と言われたが、
家族には偏執的で常に自分中心。
「親って食べるものがなければ、自分が飢えてでも子供には与えるものでは
ないのか」という長男の呻きが、この男の本性をよく表していた。

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夫は交通事故を装って妻の命を狙うために、愛人と奈良へ下見に行った。
妻の私は一年に3度も狙われて、すんでのところで難を逃れた。

最初は病院で。
ガンの手術で全身麻酔が覚めぬまま、痰が絡み呼吸困難になっていたとき、
看護師さんの悲鳴と怒声と、いるはずのない夫に気付き何かが起きたと。
二度目は奈良の石舞台古墳で。雨の車道を貸し自転車で走らされて…。
3度目は木枯らし一号が吹き荒れる夜の山中にバイクで連れ出されて。
バイクの距離が開いた時、闇の中を必死で逃げ帰った。

まだ手術の傷が癒えない一年の間に3度も。
最初は偶然かと。二度目はおかしいけどまさかと。三度目ははっきりと。

一番安全だと思っていた人が一番危険だったと知ったときのショック。

何十年たとうが、このときの衝撃と恐怖は、ふとしたときに甦り、
いつまでも私を苦しめる。恐らくこの世を去るまで。
こうして時々吐き出すことで、恐怖が満杯になる次までひと息つくのだが…。

私のこんな体験に比すれば、
「あちらにいる鬼」たちは、無害でこっけいで人のいい鬼ばかり。
だから「異様な人間関係」などとは少しも思わなかった。


荒野氏の流れるような無駄のない文章が、それをより際立たせていた。

井上光晴の妻は夫のゴーストライターを何度かしたという話がある。
しかし小説を書けばと勧められても、決してウンと言わなかったという。

私は夫に頼まれて本を一冊書いた。
経営する編集プロダクションの資金繰りが苦しいから、
というのが理由だったから、当然、印税は夫の懐に入った。
だがある日、こんなことを言われた。

「みんなが奥さん、文章上手いねって言うから、
実はあれは俺が書いたんだって言ってるんだよ。へへへ」
「本屋に行ったら君の本が平積みになっていたから、
わざと別の本を乗せて隠してやった。フフ」

彼は週刊誌の、それも取材経験のない一介のアンカーマンに過ぎず、
会社経営などしていなかった。
そんな虚勢を取り繕うようにいろんな言葉を吐いた。
背伸びしすぎて自滅へ向かう男の負のかけらを…。

「ウソをつき過ぎてどれが本当の自分かわからなくなった」
「自分で稼いだ金を自分で使って何が悪い」
「お前が優しすぎたから俺がダメになったんだ」
「俺が文学賞を取れなかったのはお前のせいだ。謝れ!」

たとえ妻が小説を書いても、井上光晴は嫉妬などしなかっただろう。
すでに作家として揺るぎない地位を築いていたし、
瀬戸内の原稿にも目を通して応援していたというのだから。

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彼の妻はこのやんちゃな男の中に、
正直で成熟した本当の夫の姿を見つけ、
それは妻にしか見ることができないものと確信していたのではないだろうか。

たとえそれが思い込みや自己満足であろうとも幸せなことだ。
何よりも我が子を可愛がる夫には、
感謝こそすれ憎しみなど湧かないものだから。

この本を読み終えたとき思った。

家族ってなんだろう。我が子を捨てる親ってなんなんだろう。

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先入観と同調圧力

書籍
08 /10 2024
遅ればせながら「ロッキード」真山 仁 文藝春秋 2021を読んだ。
本の厚さ5㎝に、思わずウッとなったが読み始めたらやめられなくなった。


著者は巻末にこう書いていた。

(調査を進めるうちに)我々がいかに先入観に毒されて、
真実を探ろうとする目を曇らせていたかを思い知らされた」と。

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ロッキード事件とは今から48 年まえの1976年、
田中角栄・元総理大臣がアメリカのロッキード社から
賄賂を受け取ったとして逮捕された事件で、日本中が大騒ぎになった。


「先入観」ー。
そう言われれば確かに私の記憶も、
「金権総理が大罪を犯した戦後最大の疑獄事件」、
その巨悪を暴いた特捜は世間から素晴らしいと拍手喝采され、
それを指揮したY特捜検事は「ミスター特捜」として崇められて、
この事件が成功例としてその後の特捜検事たちの指標になった、

ということしか残っていない。


しかし読み進むうちに、
「先入観に毒されていた」ことに気付いて、ゾッとなった。

この事件には角栄氏が受け取ったとされる5億円と児玉誉志夫氏に渡った
とされる21億円の二つの流れがあると著者は書く。

5億円は民間航空機購入、21億円は軍用機購入の賄賂とされているが、
21億円のほうは佐藤栄作内閣の運輸大臣や防衛庁長官を務めた
中曽根康弘・元総理の名がチラつくものの、
どこへ消えたのかうやむやのままだという。

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当時の角栄氏にとって5億円などは「はした金」で、
何よりも日本国総理としての誇りを堅持していた角栄氏が、
そんな金にシッポをふるようなことは考えられないと側近たちは言う。

第一、秘書に「トライスターってなんだ」と聞いたくらい知らなかったし、
航空機購入の話は、角栄就任前の佐藤栄作政権の時に起きていた、とも。

検察は「角栄がロッキード社から賄賂を受け取り、全日空に行政指導して
トライスターを買わせた」というストーリーを描き、
全日空社長の若狭得治氏をも逮捕、裁判所は有罪判決を下した。

しかし不可解なのは、なによりも事故発生を懸念する航空会社が、
総理の「天の声」一つで、航空機を決めるなどということはあり得ないこと。
実際、全日空では事件以前から航空機の選定には現地へ技術者を派遣し、
何度も会議を開き慎重に検討していたと著者は書く。

全日空社長の若狭氏は、
青年時代に罹患した2度の大病の後遺症できちんと椅子に座れなかった。
それを裁判官が「態度が悪い」と叱責。氏は言い訳せず、
裁判中は苦痛に耐えながらキチンとした姿勢を保っていたという。

メディアもまた独自調査もせず、若狭氏を一斉にバッシングした。


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メディアと司法との癒着はしばしば問題になるが、
検察庁でのこんな出来事を元・司法記者が書いていた。

「検事からリークされた通りのことを書かなければ記者クラブへの
出入りを禁止される。リークと反対のことを書いた記者が、
見せしめとして壁を背にずっと立たされていたこともあった」


角栄氏は法務政務次官を務めた1949年、
拷問してでも自白を強要した戦前のものを廃止し、法廷での証言を重視し、
密室での検面調書は証拠としないという新たな刑訴法を制定した。
だが、この事件で検察も裁判官もそれを適用しなかった。

政治家で2022年に逝去した石井一氏は自著「冤罪」にこう書いている。

「ロッキード事件と村木冤罪事件は酷似している」
「冤罪事件の底流には何者かによる政治的意図が働いている」
「キッシンジャーの関与をほのめかす多くの証言がある」
「現金を運んだとされる4人がそんな事実はないと訴えても有罪にされ、
その中の一人は耐え切れず自殺した」
「彼ら(検事)を指して正義の番人と呼ぶことはできません。
”犯罪者製造機”とでも呼ぶ方が当たっているかもしれません」

「冤罪」石井一 産経新聞出版 平成28年
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「ロッキード」の著者は、「我々がいかに先入観に毒されて…」
の言葉と共に、もう一つの権力として「同調圧力」を挙げていた。

角栄氏は法廷でこう訴えた。
「何の関わりもない私は逮捕をきっかけに、激しい世の指弾を受け…略…
それこそ完膚なきまでに痛めつけられ弁解も成り立たず…略…その執拗な
非難攻撃に耐え抜くということは、死よりもつらい思いがしたのであります」

直近でも同じことがあった。
オリンピックで負けて号泣した選手に対して、だれかが「恥さらし」と
書き込めば世間は同調圧力と化して一斉に「恥さらしだ」と叩いた。

角栄氏が作った「刑訴法321条」では、
検事が想定したストーリー通りに作った供述調書は証拠として認めない
とされているのに、なぜか今なお、それが証拠としてまかり通っている。

おかしな話だ。

真山氏は冒頭で、ロッキード事件の判決に参加した当時の最高裁判事の
40年後のこんなつぶやきを載せていた。

「あれはなんだったのかと思う事件です。
フワフワと現れて、フワフワと消えて言った事件でした」

今さら「フワフワ」もないだろう。
密室で尊厳を傷つけられながら、取り調べを受けた方々が痛ましすぎる。

丸紅の専務だった伊藤宏氏は法廷でこう証言した。
「椅子を蹴飛ばされてひっくりかえったことがありました。
国賊、人非人、ゴキブリ、売国奴と言われたり、一回に30分か1時間くらい
立たせておじぎをさせたり、壁の方を向いて立っておれと言われたり」

かつて検事から暴行されて重傷を負った被疑者や、耳元で大音声されたり、
瞬きせず目を開けていろと言われた会社社長もいた。

被疑者は「裁判官こそ公平に見てくれる」と思い、懸命に無実を訴えても、
裁判官は検事調書を鵜吞みにしてしまう。

こんな非人道的で理不尽なことがこれからも続くのだろうか。


さて、実は私、以前読んだ孫崎亨氏の
「アメリカに潰された政治家たち」
小学館 2012に出ていた
「岸信介、佐藤栄作は対米追随派ではなく、自主路線派」というくだりが、
ずっとひっかかっていたんです。


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で、「知ってはいけない2」矢部宏治 講談社 2018を読んだら、
こんなことが書かれていた。


「岸と佐藤という二人の兄弟の手によって誕生・発展した
自民党という政党は、結党時からCIAやアメリカ政府の間にあまりにも
異常な、絶対オモテに出せない関係をつくりあげてしまった」

なんだ、バリバリの対米追随派じゃないですか。

「ニューヨークタイムズの記事によると、
田中角栄以前の、岸以降の首相はみな、CIAから資金提供を受けていた。
その金を配る人物の中には、ロッキード社の役員もいたという報道もあって、
何が何だか、もうさっぱり訳が分からなくなってしまいました。
じゃあ、あのロッキード事件って一体何だったんだ」と、著者の矢部氏。

何が真実かは私ごときには知りようがない。
けれど、同調圧力に引きずられて無知な加害者にはなりたくない。
それにはできるだけいろんな著者の本を読む、それしかないと思った。


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アーティストさんからの手紙㊳ 御宿 至

私が出会ったアーティストたち3
08 /07 2024
御宿 至(みしく いたる) 彫刻家

静岡県富士宮市生まれ

非常に誠実で丁寧な方。
芸術・美術の世界の方々はどなたもそうでしたが、
特に御宿氏は際立っていました。

取材から10年ほどたってのちも、賀状を欠かさず頂戴して、
世界的に著名な彫刻家さんなのにと、私は恐縮しておりました。

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「イタリアに渡って25年(取材した1999年時点で)になります。
4年前、父の看病もあって富士宮市にもアトリエを持ち、
ローマと行ったり来たり…。
少しずつ日本での発表の機会を増やしていって、
将来は日本から海外に発信できたらと思っています」


「中学生のとき、教科書でグレコの作品を見て
彫刻っていいなあって思ったんです。
その後、浪人中、東京・新宿のデパートでグレコの彫刻展を見て、
イタリアへ渡ろう、と」


いただいた賀状から、中央は「Rondo acciaaio inox」2006
AIbornoz Palace HoteI 
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「当時、ローマの国立美術アカデミーの彫刻科には、グレコ先生を始め
クロチェッティー、マストリィアニ、ファティーニといった世界的な彫刻家が
4人それぞれ教室を持っていて…。
彫刻科に関してはこの学校の黄金時代でしたね」


御宿氏は25歳のとき、同彫刻科の「エミリオ・グレコ」教室に入り、
卒業後はローマにアトリエを構え、創作活動に入った。

「記憶のカタチ(波)」 1994 鉄 400×140×150㎝
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同上

「今手掛けているのは、
正方形と管(筒)からの展開による二つのシリーズです。
ぼくはもともと具象だったんですが、具象、半具象から抽象に移るあたりで、
世界的なデザイナーのムナーリが書いた本と出合ったんです。

正方形は世界共通にモノを作るときの基本として、
どのように使われてきたかという正方形について書かれたもので、
それに影響を受けました」

「最近の『記憶の風景-Giro Giro Tondo(か~ごめかごめ)』
という作品、これは20の正方形からできている鉄の作品12個を
直径4mの輪に並べたものですが、これ、形はそれぞれ違うけれど、
表面積はみんな一緒なんですよ。

工業用に生産されている無機質の代表選手みたいな鉄を、
20の正方形に構成して有機的な空間にしたものですが、
それに子どもたちが輪になって遊ぶという世界各国にある遊戯を
重ね合わせました」

「記憶の風景‐Giro Giro Tonde(か~ごめかごめ)」
1990 鉄 各約70×35×25㎝ 直径4m
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「御宿至彫刻展」 ㈶川村文化振興財団より

「素材としては鉄が好きなんです。
鉄は錆びて朽ちてゆき、やがて土に戻る。
錆は鉄の呼吸だと思うんです。


鉄には素材の中に埋もれている太古からの記憶がある。
正方形には、例えば子どものころの折り紙の記憶がある。
そういう記憶を重ね合わせてカタチにして空間に置きます。
その空間に関わった人の内面にその人自身の周りにあった当時の風や光、
懐かしい風景や暮らしなどが喚起される。
私の作品がそうした呼び水となればいいなあと思っています」

二コラ・カリーノ、テオドシオ・マンニューニと共にバルザシーニ宮にて。
「秘密の場所」より 上下が御宿氏の作品 ローマ 撮影 Corinto
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富士市文化会館による「風の記憶・御宿至彫刻展」より

このことについて、文化人類学者の山口昌男氏は、こう評した。
「御宿さんは鉄を正反対の折り紙のごとき軽やかなものに変えてしまった」

左は「記憶の風景」1995 鉄 90×90×340㎝ アクトシティ浜松 
撮影 Yasuo Ogawa
右は「風の扉」1997 196×110×310㎝ サウスポットビル(静岡市)
撮影 Takashi Matsuno
もう一つの「風の扉」は1995年、徳間書店本社(東新橋)に設置されたが、
その後、本社移転で資生堂へ売却されたため、
元の所有者の徳間書店へ問い合わせたところ、
「現在は保有しておらず、所在も不明」と。今も元の場所にあるんだろうか。
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「御宿至彫刻展」㈶川村文化振興財団より

「9年前、マリーノ市で市主催の『石彫シンポジウム』があって、
選ばれた六か国の作家、日本からは私一人でしたが、
15日間、広場で公開制作をしたんです。

最終日のパーティーのとき、正面の席に各国からの来賓が座ったのですが、
日本の席には誰もいなくて…」

「対話」1990 ペペリーノ石 高さ250㎝ マリーノ市立公園
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同上 撮影 Sinji Sakurai

「文化は二の次という日本の姿を見せられて、
こんなにも美術を取り巻く環境が違うものかと思い知らされました。

日本は先進国の中で文化省・芸術省のない唯一の国なんですね。
心にゆとりの持てる街(社会)づくりの第一歩として、
今、社会の仕組みをもう一度見直す時期ではないでしょうか」

しかし日本の芸術文化の世界は、さらに遠のいたのではないでしょうか。

鉄という硬い素材を使ってスケールの大きな作品を制作されていますが、
不思議と、どの作品にも優しさ、柔らかさ、あたたかさが感じられます。

下記は御宿氏のサイトです。どうぞご覧ください。

「御宿至オフィシャルサイト」

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国会ボン唄

ときどきポエム
08 /04 2024
ハァー 国会名物 アー ドーシタドシタ
かずかずコラあれどヨー アー ソレカラドシタ
議員ナー 議員センセのコーリャ
ヤレサナー 利権裏金ヨー
ハー エンヤーコラヤ ハー ドッコイジャンジャン コーラヤ


ハァー 議員商売 アー ドーシタドシタ
当選コラすればヨー アー ソレカラドシタ
おらがナー おらが税金 コーリャ
ヤレサナー ねこばばヨー
ハー エンヤーコラヤ ハー ドッコイジャンジャン コーラヤ


CIMG0608_202408021242351b6.jpg

ハァー 新人・小物は アー ドーシタドシタ
数さえコラあればヨー アー ソレカラドシタ
大物ナー 大物センセの コーリャ
ヤレサナー しょせんシッポでヨー
ハー エンヤーコラヤ ハー ドッコイジャンジャン コーラヤ


なになに、参議院は今や芸能プロダクション?
  (チーッと、鮮度が落ちるけど)
かの角栄さんは常に六法全書を離さず、丸暗記してたってヨ
なに? 性事と蓄財と公金旅行と親分スリスリに忙しくてそんなヒマはない?

ハー ひでぇ国になっちまったな、コリャ。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞