「清五郎石」①
斎藤ワールド
埼玉の力石研究者・斎藤氏から、嬉しさいっぱいのメールが届きました。
「今月(2024年8月)、お盆のお送りのあとにたまたま合社に寄ったら、
ナント、清五郎石が掘り出してあったじゃありませんか!」
「合社」とは、斎藤家の菩提寺・仲蔵院の隣りにある
「八坂香取稲荷合社」(埼玉県春日部市八丁目1)のこと。
斎藤さんは2005年、この神社で2個の力石を調査。
一つ目はこれ。丸ごと地上に出ていたからすぐわかった。
「奉納 力石□十メ目 延享三年丙寅年三月吉日」
※延享三年は1746年。
石祠の横にあるのが「延享石」
66×36×25㎝
もう一つは、半分地中に埋まったままの石。
ただの石かと思ったものの、
石が「おーい、気づいてくれよー」とでも言いたげな”電波”を送ってきた。
その電波を、斎藤さんの”体内特殊受信機”がキャッチ。
そこで迷うことなく土を掻き出すと、案の定、刻字が現れた。
かろうじて「鈴木清五郎」の名が読み取れた。
しかし、このままでは埋没してしまう。
そこで氏子さんでもある仲蔵院の「護寺会」仲間数人に、
石の掘り出しをお願いしたが、あっさり拒否。
斎藤さん、がっかりして帰ってきたことは言うまでもありません。
それから19年後の今年3月、
春の彼岸に菩提寺へ出かけた斎藤さん、若きご住職と久しぶりに歓談。
そのときご住職がこんなことを言った。
「以前、隣の神社の力石を担ぎたいという人が来たが、
管轄外だから、社殿近くの氏子総代を紹介した。
その後どうなったのか見届けていない」
それを聞いた斎藤さん、
「そういえば、この話以前に神社を訪れた際、
延享石が定位置から動いていたのを見て、
いたずらをされたかと気になっていたが、石担ぎの申し出があったと聞いて、
問題解決。たぶん”さかもっちゃん”だろうと」
※さかもっちゃん 越谷市在住の坂本さん。近在の力石に挑戦を続けている。
塀の向こうに屋根だけ見えているのが、斎藤さんの菩提寺「仲蔵院」。
こちら側が「八坂香取稲荷合社」。「延享石」が置かれています。
おおーっ、確かに延享石が石祠の横から転がり出てます。
使ったら元に戻しておくのも力持ちの礼儀ですよ~!
さて、
斎藤さんから来た「嬉しさいっぱい」の「清五郎石」にまつわる話、
続きは次回に。
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「今月(2024年8月)、お盆のお送りのあとにたまたま合社に寄ったら、
ナント、清五郎石が掘り出してあったじゃありませんか!」
「合社」とは、斎藤家の菩提寺・仲蔵院の隣りにある
「八坂香取稲荷合社」(埼玉県春日部市八丁目1)のこと。
斎藤さんは2005年、この神社で2個の力石を調査。
一つ目はこれ。丸ごと地上に出ていたからすぐわかった。
「奉納 力石□十メ目 延享三年丙寅年三月吉日」
※延享三年は1746年。
石祠の横にあるのが「延享石」
66×36×25㎝
もう一つは、半分地中に埋まったままの石。
ただの石かと思ったものの、
石が「おーい、気づいてくれよー」とでも言いたげな”電波”を送ってきた。
その電波を、斎藤さんの”体内特殊受信機”がキャッチ。
そこで迷うことなく土を掻き出すと、案の定、刻字が現れた。
かろうじて「鈴木清五郎」の名が読み取れた。
しかし、このままでは埋没してしまう。
そこで氏子さんでもある仲蔵院の「護寺会」仲間数人に、
石の掘り出しをお願いしたが、あっさり拒否。
斎藤さん、がっかりして帰ってきたことは言うまでもありません。
それから19年後の今年3月、
春の彼岸に菩提寺へ出かけた斎藤さん、若きご住職と久しぶりに歓談。
そのときご住職がこんなことを言った。
「以前、隣の神社の力石を担ぎたいという人が来たが、
管轄外だから、社殿近くの氏子総代を紹介した。
その後どうなったのか見届けていない」
それを聞いた斎藤さん、
「そういえば、この話以前に神社を訪れた際、
延享石が定位置から動いていたのを見て、
いたずらをされたかと気になっていたが、石担ぎの申し出があったと聞いて、
問題解決。たぶん”さかもっちゃん”だろうと」
※さかもっちゃん 越谷市在住の坂本さん。近在の力石に挑戦を続けている。
塀の向こうに屋根だけ見えているのが、斎藤さんの菩提寺「仲蔵院」。
こちら側が「八坂香取稲荷合社」。「延享石」が置かれています。
おおーっ、確かに延享石が石祠の横から転がり出てます。
使ったら元に戻しておくのも力持ちの礼儀ですよ~!
さて、
斎藤さんから来た「嬉しさいっぱい」の「清五郎石」にまつわる話、
続きは次回に。
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