芝・高輪大木戸
三ノ宮卯之助
木更津市・観蔵寺にある力石を本郷久蔵と担いだ翌・天保2年(1831)、
卯之助は地元の有力者・会田一族の一人と思われる
會田権四郎の支援を受けます。
それが久伊豆神社の五十貫目の石です。
卯之助このとき、24歳。
ただし、「會田権四郎」の名のある石はこれのみ。
埼玉県越谷市越ケ谷・久伊豆神社
この会田一族、
元・武士で北条方系とか上杉方系とか、
静岡会田家なんてのもあって複雑ですが、
とにかくこの地に落ち延びて商人になったとか。
ちなみに、千葉・関宿の会田氏は、佐倉から葛西、栗橋間の
船の通航権限を持つ河岸問屋として栄えたそうです。
さて、この同じ天保2年、
久蔵に代わって「芝・大木戸仙太郎」が登場します。
仙太郎の石6個のうち、5個が卯之介との連名です。
で、その奉納場所がすべて神奈川県なんです。
下のURLは、「狛犬見聞録」というブログです。
ブログ主さんは、「日本中の神社を参拝して歩こうと思い立ち」、
狛犬に会うために、ご夫婦で全国を歩かれたそうです。
素敵ですね。
そうして歩いているうちに、
「今、記録しておかなければという危機感と使命感も生まれてきた」
と、語っています。
冒頭の写真の右端に、卯之助と仙太郎の力石が写っています。
力石が置かれた場所や雰囲気がよく出ていて、
「いいなあ」と思い、掲載させていただきました。
「諏訪神社(綱島東」
さて、この仙太郎、「芝 大木戸」と名乗っていることから、
「高輪大木戸」の木戸番か、その周辺の人だったのではないか、
と私は思うのです。
こちらは「江戸名所図会」の「高輪大木戸」です。
木戸とは、
治安維持のため、時刻を決めて門を開閉し通行を制限した番所で、
そこで働いていたのが木戸番です。
ここ高輪大木戸は、東海道から御内府へ入る重要な入り口。
一番にぎわったところだそうです。
木戸番は火消しも兼ねていたそうですから、
仙太郎のような力持ちがいたとしても不思議ではありません。
大名行列も通りますし。
「東海道名所之内 高輪大木戸」 二代広重
国会図書館デジタルデータより
余談ですが、
夜の大名行列を見た人の話を読みました。
沿道には誰もいないのに、足並みを揃え一糸乱れぬ隊列で
音もたてず、影絵のように夜のしじまにスーッと溶け込んでいったそうな。
背中がゾクッとしたそうですが、私もゾクゾクッ。
こちらは初代広重が描いた「高輪之夕景」です。
天保3ー4年ごろの風景だそうですから、
仙太郎と卯之助が横浜や川崎で盛んに石を担いでいたころですね。
同上
この大木戸の跡には、今も高札を掲げた石垣が残っているそうです。
さて、その大木戸仙太郎、
この人もまた、本郷久蔵同様、
天保4年6月の「御上覧」番付と引札に名を残して、消えていきました。
ーーーーー◇ーーーーー
高島先生ブログ(7月29・30日)
「岐阜市世保・八幡神社」
「広島県玖珂郡和木町瀬田・瀬田八幡宮」
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卯之助は地元の有力者・会田一族の一人と思われる
會田権四郎の支援を受けます。
それが久伊豆神社の五十貫目の石です。
卯之助このとき、24歳。
ただし、「會田権四郎」の名のある石はこれのみ。
埼玉県越谷市越ケ谷・久伊豆神社
この会田一族、
元・武士で北条方系とか上杉方系とか、
静岡会田家なんてのもあって複雑ですが、
とにかくこの地に落ち延びて商人になったとか。
ちなみに、千葉・関宿の会田氏は、佐倉から葛西、栗橋間の
船の通航権限を持つ河岸問屋として栄えたそうです。
さて、この同じ天保2年、
久蔵に代わって「芝・大木戸仙太郎」が登場します。
仙太郎の石6個のうち、5個が卯之介との連名です。
で、その奉納場所がすべて神奈川県なんです。
下のURLは、「狛犬見聞録」というブログです。
ブログ主さんは、「日本中の神社を参拝して歩こうと思い立ち」、
狛犬に会うために、ご夫婦で全国を歩かれたそうです。
素敵ですね。
そうして歩いているうちに、
「今、記録しておかなければという危機感と使命感も生まれてきた」
と、語っています。
冒頭の写真の右端に、卯之助と仙太郎の力石が写っています。
力石が置かれた場所や雰囲気がよく出ていて、
「いいなあ」と思い、掲載させていただきました。
「諏訪神社(綱島東」
さて、この仙太郎、「芝 大木戸」と名乗っていることから、
「高輪大木戸」の木戸番か、その周辺の人だったのではないか、
と私は思うのです。
こちらは「江戸名所図会」の「高輪大木戸」です。
木戸とは、
治安維持のため、時刻を決めて門を開閉し通行を制限した番所で、
そこで働いていたのが木戸番です。
ここ高輪大木戸は、東海道から御内府へ入る重要な入り口。
一番にぎわったところだそうです。
木戸番は火消しも兼ねていたそうですから、
仙太郎のような力持ちがいたとしても不思議ではありません。
大名行列も通りますし。
「東海道名所之内 高輪大木戸」 二代広重
国会図書館デジタルデータより
余談ですが、
夜の大名行列を見た人の話を読みました。
沿道には誰もいないのに、足並みを揃え一糸乱れぬ隊列で
音もたてず、影絵のように夜のしじまにスーッと溶け込んでいったそうな。
背中がゾクッとしたそうですが、私もゾクゾクッ。
こちらは初代広重が描いた「高輪之夕景」です。
天保3ー4年ごろの風景だそうですから、
仙太郎と卯之助が横浜や川崎で盛んに石を担いでいたころですね。
同上
この大木戸の跡には、今も高札を掲げた石垣が残っているそうです。
さて、その大木戸仙太郎、
この人もまた、本郷久蔵同様、
天保4年6月の「御上覧」番付と引札に名を残して、消えていきました。
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