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国会ボン唄

ときどきポエム
08 /04 2024
ハァー 国会名物 アー ドーシタドシタ
かずかずコラあれどヨー アー ソレカラドシタ
議員ナー 議員センセのコーリャ
ヤレサナー 利権裏金ヨー
ハー エンヤーコラヤ ハー ドッコイジャンジャン コーラヤ


ハァー 議員商売 アー ドーシタドシタ
当選コラすればヨー アー ソレカラドシタ
おらがナー おらが税金 コーリャ
ヤレサナー ねこばばヨー
ハー エンヤーコラヤ ハー ドッコイジャンジャン コーラヤ


CIMG0608_202408021242351b6.jpg

ハァー 新人・小物は アー ドーシタドシタ
数さえコラあればヨー アー ソレカラドシタ
大物ナー 大物センセの コーリャ
ヤレサナー しょせんシッポでヨー
ハー エンヤーコラヤ ハー ドッコイジャンジャン コーラヤ


なになに、参議院は今や芸能プロダクション?
  (チーッと、鮮度が落ちるけど)
かの角栄さんは常に六法全書を離さず、丸暗記してたってヨ
なに? 性事と蓄財と公金旅行と親分スリスリに忙しくてそんなヒマはない?

ハー ひでぇ国になっちまったな、コリャ。


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戯れうた

ときどきポエム
08 /01 2024
♪  お風呂はぬるめのお湯がいい
  シャボンは昔のものでいい
  男は無口なほうがいい
  明かりはぼんやりともりゃいい
  しみじみ浸かればしみじみと
  想い出だけが行き過ぎる
  涙がポロリとこぼれたら
  歌いだすのさ 山の歌

先頭を歩いているのが私メであります。
奥穂高2

  部屋には飾りがないがいい
  窓から山が見えりゃいい
  流行り歌などなくていい
  ときどき鳥が鳴けばいい
  つらつら思えばつらつらと
  心があの日に戻ってく
  あの雪あの空浮かんだら
  歌い出すのさ 山の歌

  シャワー浴びればシャーシャーと
  未練が胸から流れ出す
  きれいさっぱり流れたら
  もう歌うまい 山の歌

  ルルル ルルル


無事下山。雪焼けでメガネザル状態。
奥穂高1

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崩れ

ときどきポエム
03 /16 2020
崩れを歩いたころ
私はまだ若かった
荒涼とした岩肌を踏みしめつつ、ひたすら「無」になって歩いた

あれから長い年月が流れて
世の中がざわつき出した今、
この国の至るところで崩れが始まった

富める者たちは崩れのテッペンへ駆け登ろうとし
貧しき者たちは崩れの下に縮こまるしかなく

尾根伝いに冷気が這いのぼり、天空で風がうなる

そのうなりの中から岩たちが
ちっぽけな存在を忘れて大きく強く見せたがる権力者たちを
冷ややかに見下ろしている

ザワザワ カラカラ

足元でガレキたちが 
狂い始めた人の”英知”を、こざかしさを嘲笑っている

崩れを引き起こすのは
「無」になれない驕れる人間の愚かさなのに、とでも言いたげに

    
       ーーーーー◇ーーーーー


日本三大崩れの一つ、「大谷崩れ」を歩く昔の私です。
img20200315_07551547 (2)
NHK「おかあさんの勉強室」11月号グラビア 日本放送協会 昭和60年

この時、私はこんなことを話していました。

「私たちは空気とか水とか当たり前のように使っているけれど、
山があって、川があって、それをいただいているんだということを

みんな忘れていると思うんですね。
川下に立って川上のことを考える教育がすごく欠けていると思います」

ずいぶん偉そうなことを言っていたんだと、
今になって恥ずかしい。

でも再び川下に立った時、私はこんな思いにかられました。

この国をとりまく経済不安、独走する政治、
若者が未来を描けない社会構造、価値観をお金に換算する営み、

そういうものを見、聞き、感じるにつけ、

清浄なはずの川上はすでに汚れ切ってしまったのではないか、
人々の「崩れる音」や「軋む声」がなお激しくなるのではないか、

突然の新型コロナで大揺れの中、
さらなる不安や疑心暗鬼から、人自身が崩れ始めて、
お互いを汚い言葉で罵り合う、

荒涼とした世界が広がるのではないか、と。


    ーーーーー◇ーーーーー

久しぶりに週刊誌を買った。「週刊文春」

公文書改ざんを強要され悩み苦しみ、心身を病み、
自ら命を絶った近畿財務局の職員の手記を読みました。
これに関わった方々はなぜ、平然としていられるのだろうか。

まっとうに生きることは愚かなことでしょうか。

この週刊誌は捨てずに手元に置こうと思います。


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痕跡

ときどきポエム
03 /13 2020
まんじゅう屋の跡
酒屋、米屋の跡
一家でやっていたスーパーマーケットの跡
床屋の跡

交差点の角のちいさなおうちの跡
おばあさんが一人、いつも花と暮らしていた
今はたった3台半の駐車場

本屋の跡にコンビニができ、
コンビニが潰れて、今は外国人の中華屋さん

古い街道沿いにあったガソリンスタンドの跡
小川のそばの廃屋は何代も続いた農家さん

プレハブの弁当屋はいつも締め切りで、
その隣にはレンタルビデオ屋の跡
家庭菜園になった駐車場に大根やジャガイモが育つ

集合住宅の1階の老夫婦
いつも寄り添って幸せそうだった
ある日、おじいさんが消え、少ししておばあさんも消えた
でも
二人がいなくなったその跡に
腰を曲げて毎朝通路を掃いていたおじいさんの後ろ姿が
時々現れる


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場違いですが、ポエムです

ときどきポエム
08 /16 2017
終戦の日に…。


身の上ばなし


荒々しい足音が近づいてきたと思ったら いきなり拳が振り下ろされた
一撃を食らった私のほおに ピリッと電気が走った
痛みなど感じはしなかったけれど 
不意打ちの恐怖と畳に落ちた鼻血にはうろたえた
その畳につんのめったまま見上げると
そこに仁王立ちした母がいた
母のパーマネントの髪は総毛立ち 天井いっぱいに広がっていた

そのとき私はまだ六歳で 殴られる理由など何もなかった
ただ暗い部屋のタンスの前で
紙の着せ替え人形で遊んでいただけだった
息を殺して固まっている私を母はよく光る目で一べつすると
「ああ、スッキリした」とでもいうように軽やかに立ち去っていった

本当はいらない子だったんだと母はいった
終戦間際のドサクサに妊娠してしまった五番目の娘
以来 父への嫌悪とセットにして聞かされ続けたセリフ
「あんただけが”あの”お父さんに似てるからヤなんだよ」
だからいつも五番目の娘にしか当たらなかったピンポイント爆弾

戦争が終わってもなお戦争を引きずる母がいて
その母に殴られても無視されてもヘラヘラ笑う私がいた
狂気の時代が終わってもなお狂気を増幅させる母がいて
そういう母に
「お父さんなんか死ねばいいのにね」
と媚びる私がいた

これが私の身の上ばなし
六十年たっても引き戻される色のない原風景

              (「詩人会議」掲載作品)

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞