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豊島屋本店で酒を呑む

斎藤ワールド2
12 /26 2024
「酒を呑む」と言っても私ではありません。

ブログ「とりけらのアウトドア&ミュージック日記」のtorikeraさんの、
「満を持して訪問」した「豊島屋本店で酒を呑む」のお話です。


torikeraさんの記事、3本ご紹介しますが、
まずは最後の「その3」からお読みくださるのもいいかも。

さて、「豊島屋本店」といえば、力石ファンなら言わずと知れた
江戸一番の力持ち、あの「鬼熊」が働いていたお店です。

創業はなんと慶長元年
(1596)というんですから、
428年も続いている奇跡のお店です。


お店は、神田スクエア1Fに2020年オープンしたスタンディングタイプの
「角内ち」店。自主製造の日本酒を提供とのこと。


提灯に屋号のカネジューが付いています。いいですねぇ。
豊島屋本店

まずは下記の記事をご覧あれ。

「豊島屋本店で酒を呑むの巻 その1」

torikeraさんはご自身のブログで、身近な自然の中で生きる
「たぬき家族」の定点観測の動画を公開しています。


この「たぬき愛」と地道な観察動機はどこからきたのかというと、
若い頃から活動してきた動物の保護活動からなんですね。

私がそのことを知ったのは、拙ブログへのコメントからでした。

今年7月、私は44年前の鳳凰三山の子連れ登山を書いた。
それを見たtirikeraさんから、こんなコメントが届いた。

「ちから姫様の記事で鳳凰三山が出てくるとは思ってもいなかったので、
びっくりしました」


今から44年前の1980年8月、当時13歳と8歳の息子二人を連れて、
子連れ登山をしたときの写真です。
img20240721_17282785_20241221163333e05.jpg

この記事で「鳳凰小屋」の小屋主さんのことを書いたら、
当時torikeraさんは動物の保護活動をしていて、
数年、小屋の手伝いをしながら大学の後輩たちを連れて、
高山の動物たちの観察をしていたとのこと。

奇遇ですね。人間、どこで袖すり合っているかわかりません。
こんなことがあるから人生、楽しくなります。

さて、torikeraさん、
「たぬき徳利」のおたぬきさんが乗り移ったわけでもないでしょうが、
念願の「豊島屋酒造が醸すお酒」をいただきました。

「この日は本濁りがサービス価格で提供されていました!!」

酒を呑む

実はtorikeraさん、以前から鬼熊の足跡を丹念に調査していたんです。

そんな中で貴重な発見をします。


足立区の西新井大師の境内には「加持水」の井戸がある。
井戸のそばに「井筒」があって、そこに「豊島屋」の名を見つけます。


そのとき井戸を囲う玉垣の石柱に、なんと「鬼熊」の名前が…。

これ、たぶん、今まで知られていなかったものではないか、と。


鬼熊の玉垣

実は私、このときの発見をすっかり忘れていて、今度の記事を拝見して、
こりゃあ、「新発見だ!」と思い込み、斎藤さんに知らせると、

「2023年3月21日の雨宮さんのブログに載せていただいてありますよ」
(^-^)

慌てて見たらありました。
torikeraさんはこの発見を2023年2月25日、ご自分のブログに書いて、
それを見た私が私のブログで紹介していたんです。

で当時、これを読んだ斎藤さん、どれどれと早速、西新井大師へ。

「西新井大師は何度も訪れましたが、力石以外は観察力もゆるくなって、
まったく気づきませんでした。とりけらさんは真面目で着実で凄い!」と。

そして当時送ってくれたのがこちらの写真です。


それにしても斎藤さんの記憶力は凄い。

斎藤さん撮影の西新井大師

このときtorikeraさん、
浅草寺の「熊遊碑」の玉垣にも「豊島屋」の名を見つけます。

豊島屋訪問のこの日、たまたま居合わせた社長さんにこの話をしたら、
「あれはうちが奉納しました」と静かにおっしゃったそうです。

この「静かにおっしゃった」というのがいいですね。


「熊遊」碑です。玉垣に「豊島屋本店」の名が…。
玉垣

つづきは、
「豊島屋本店で酒を呑むの巻 その2」
でどうぞ。

下戸の私だけれど、一度はここで呑んでみたい!!
だって、ほろ酔いの中で「鬼熊さん」に会えるかもしれないじゃないですか。


さてさて、呑兵衛さん必見の「豊島屋本店」全部見せます編
「豊島屋本店で酒を呑むの巻 その3」

「豊島屋酒造」の銘酒がずらり。

IMG_0400_202412100000594c1.jpg

自家製おつまみも数々あれど、
まずは、名物「豆腐田楽」に「チーズと焼きのり」を…。


豆腐田楽

元は半導体の技術者だった社長さんも登場します。

お酒もおつまみも材料にこだわり、
培った技術と粋を集め、心を込めて丁寧に造る。

これぞ、ニッポン!


通販「事件」

できごと➁
12 /23 2024
のっけからお見苦しい写真ですみません。

通販で届いた敷マットレスを開けた途端、異様な汚れが…。


コロコロで取ったときのもの。飛び散らないようラップをかけた。
後になって保管したものだから、ゴミは少なくなっているが、それでもまだ。
ニトリ2

それにたくさんの毛髪。
男性を思わせる散髪したてのような1、2㎝ほどの硬そうな毛髪や、
女性のもののような長い髪の毛。太さもいろいろ。
布地が白なので余計目立った。

ニトリ3のAニトリ7

そういえばこの品物は最初から変だった。
包装のビニール袋は2枚。
一枚目の商品名を印刷した袋には裂け目に透明のテープがベタベタ。
剥がすことも出来ず、袋を開けるのに四苦八苦した。

ニトリ9

ようやく取り出すと中の袋は圧縮されていて、
口を開けた途端、マットレスが勢いよく飛び出して広がった。
そこでこの大量の毛髪と得体のしれないゴミに気が付いた。

しまった! 私は目の硝子体注射を受けたばかりで、
万が一、細菌感染して眼内炎を起こしたら失明は免れない。

悪さをするのは瞼やまつ毛、目の表面に付着した
大腸菌、黄色ブドウ球菌、レンサ球菌、カビ、ウイルス、原虫。
どこにでもいる細菌類だから、本当に怖い。まして海外からとなれば…。


布地が綿でなくサラサラした材質だったから、
マットレスが勢いよく飛び出したとき部屋にも散らばった。

とにかく汚い。小物なら当然、袋に入れて突っ返す。
だが一度膨らんだマットレスは大きすぎて入れる袋すらない。
かといってこの状態では、部屋には置いておけない。
とにかくなんとかしなければと、コロコロを掛け、布を剥ぎ、
夜までかかって周囲にあるもの、隣室のものや自分が着ている服など
すべて掃除、消毒、洗濯した。

その日の夜遅く、発送元に連絡すると翌日メールで「写真を送れ」という。

ゴミを見つけた当初はとにかく除去しなければと、コロコロで懸命に取った。
あまりの多さと汚さで二つ折りにして捨てたが、
最後のころになって証拠として残さなければと気が付いて、
かろうじて4枚確保し、周囲に散らばらないよう上からラップを貼って保管した。

それを写真に撮って送信したが、
証拠を残すことを最初に気が付いていれば、
あの異常な光景を相手に突き付けられたのにと悔やんだ。


この通販会社の名前は知っていたが、
「写真を送れ」のメールで、本社が北海道にあることを初めて知った。

写真を送信した後、改めて見たら、うわっ!となった。
なんだこれは! 毛髪に気を取られていて気が付かなかったが、
体毛のような動物の毛のような、もう気味が悪過ぎる。


ニトリ拡大1

拡大したら、
血液みたいな、何かの幼虫がつぶれたみたいな赤い色の染み?
昆虫?みたいなもの、糞?みたいなものまである。それも大量に。
南京虫だったらやっかいだから、敷物をめくり虫よけシートを敷き詰めた。

拡大Aニトリ拡大4

一週間後、ネットショップの担当者から電話が来た。自動録音した。

「ご迷惑をお掛けして」と謝る。でもなんだか自動音声みたいな感じ。
メールの送信者も全く同じ言葉を繰り返していたから、
マニュアルの棒読みだろうと思った。

まず相手の言葉を待っていたら、
「商品を見てから今後のことを決める」と言う。返送方法を聞くと、
「もよりの店舗から取りに行く」と。いつ行くとは言わない。

ネットのクレームを見ると、なかなか引き取らないとある。
ネットショップと店舗の齟齬だって生じかねない。
この会社の規定の中には、返送の折の送料は客負担というのもあった。

で、それ以上何も言わないので、こちらから質問した。

「どこのお国で作ってますか?」の質問に、言いよどんだ後、「中、中国」
「毛髪やゴミが付着した原因は何だとお考えですか?」に、
「現物を見てからでないとわからない」と言うので、
「すでに消毒、洗濯をしたものを見て何がわかりますか?」と聞いたら、
ひたすら「現物を見てから」を繰り返す。

その先の手順や負担、日数、自社の瑕疵を認める基準などを
明確に答えるのが、商道徳・客商売ってもんじゃないの?


「タグがついていませんね。検査済の検印もありませんが」の問いに、
「タグ?」
「品質表示とか販売元とかメイド・インなんとかという…」
「あっ、あのう、ついているものもないものもありますから。
でも現地で検査はしています」


何を聞いても「現物を見てからでないと」を繰り返す。
不思議なことに、要求されて送ったゴミや毛髪の写真に話を向けても、
話を逸らして「現物を見てから」と言う。
メールでも、
「私は白髪なのでこの黒髪は私のではない」と伝えたが、反応なし。

孫はハーフなので髪は栗色。父親の仕事の都合でここ一年会っていない。
るかちゃんクッキング

通販歴の長い私、
日本製と確かな企業を選んでいたせいか、今まで一度も事故はなかった。

ところが最近、クレカ払いが多くなって、
クレカ嫌いでコンビニ払いばかりの私には買える物が少なくなった。
そこでコンビニ払い可能なこの会社のネットショップに依頼したが、

このザマです。


よく名前を聞く大会社だから安心、誠実というわけではないことを
身をもって知った。


ここの商品は確かに安い。
安いけど手数料も送料も客が払うから決して安くはない。
3点ほど購入したがどれもちょっとで、バスタオルは町で買い直すことにした。

高価なものも売っているだろうが、不幸中の幸いといっては変だけど、
マットレスは年に1、2回しか使わない客用に買った低価格のもの。
だから損失は少なくて助かった。

安かろう悪かろうは承知の上だが、
「不潔なゴミ」付きまでは想定していなかった。


この先、不潔感と病原菌や害虫の不安は残る。

最初の苦情の折「一番知りたいのは毛髪やゴミが付着した原因だ」と伝え、
「一度返品されたものを私に送りましたか?」と聞いたら、
「圧縮は現地でやるからそれはない」と、メールで回答してきた。

ならば原因の場所は中国の生産工場しかないではないか。
しかも付着が集中していたのは、三つ折りの真ん中の内側だったから、
工場内部でしか考えられないだろう。
そこで男女の頭髪や体毛?動物?の毛や正体不明のゴミが付いたとしか。

そういう杜撰な場所なら、たとえ交換しても今度は目に見えない汚染に
怯えなければならない。結局、さらなる徒労が重なるだけ。

ニトリ4のその2

これ以上、ここに関わったらメンタルまでやられる。
そう思いつつ相手からの電話を取ったが、
案の定、解決する気はないと早々に悟った。

相変わらず「現物を見てから」を繰り返す相手を遮って、
「残念ですが、
次回からはもうお宅はやめておきます。以上です」と電話を切った。


「電話をするからご都合のよいお日にちを」と言ってきて、
すぐまた請求書を送ると伝えてきたので、
「まだ電話で話もしていないし問題は解決していないから延期を」と伝えたら、
「そのような処置を致しました」と。
しかしなんのことはない、翌日送られてきた。

電話を切ったあと、支払いを済ませ、即退会。
すっきりしました。
すっきりしたが、個人情報の不安は残る。
最近頻繁に来る中国からの危険な電話が頭をよぎった。


喉が痛い。あの日、慌てていてマスクをしなかった。
心配は尽きないけれど、腹をくくるしかない。


ふと、対応したのは若者だったのだろうかと…。
本心は違うだろう、そう思ったら気の毒にもなった。


土肥神社に私の句碑が…。

できごと➁
12 /20 2024
埼玉の力持ち、坂本さんから思いがけない報せが飛び込んできました。

「私の知人が静岡へ行って、
その時力石を見つけたと言って写真を送ってくれました。
雨宮様の名前が書いてありました。
(^o^)

そう言って送ってくれたのがこの写真です。

土肥神社の力石
静岡県伊豆市土肥7291 土肥神社

私、これ、初めて見たんです。
こんなふうになっているのを今の今まで知らなかったんです。

私の拙い句まで使ってくださって、
こんな立派なものに名前も彫ってくださって、
もうびっくりするやら、なにがなんだか。

使ってくださったのはこの俳句です。


  肌ざわり美男の力石(いし)の心地よさ  雨宮清子

これを建立してくださった方々は、
きっと「静岡の力石」
高島愼助 雨宮清子 岩田書院 2011の中の
私の「力石つれづれ日記」吟詠句をお読みくださったんですね。
ありがたくて胸がいっぱい。


「静岡の力石」より。
伊豆市土肥神社頁
ちょっと長くなりますが、「力石つれづれ日記」に書いたものを掲載します。

「力石から力を
力石には若者たちの力や熱気がしみ込んでいるのだから、これを活用しない
のはもったいない。全国には社殿や寺の境内に力石を置いて「力石を撫でて
力石から力をいただいてください」と看板を立てているところがある。
楕円形の石の表面はツルツルしていて実に気持ちがいい。
昔の人から今生きる人への力石を介しての、これが本当の幸せの手渡し」

これが碑の「力をいただいて」になったようです。

私がここへ調査に入ったのは13年前の2011年です。
そのとき力石は、こんなふうに置かれていたんです。


土肥神社力石

改めて「土肥神社」で検索したら、「伊豆市 観光情報」が出て来て、
見たら、坂本さんから送られてきた写真と同じものがありました。

こんな立派な神社に、しかも市の観光情報にまで載せていただいて…。
身も心もふわふわ宙に舞ってしまって、不覚にも泣けて来て…。

句碑なんて生まれて初めて。それも私の知らない方々が建ててくださった。
こんなことがあるなんて、信じられなくて何度も写真を見てしまいました。

長生きはするもんだななんて言葉が浮かんできて、
自分で照れ笑いしてしまいましたが、
なんだか大きな大きなプレゼントをいただいたように思えて、
ああ、力石をやってきてよかった!と、しみじみ。

「土肥神社」の写真に、力石と私の句が出ています。
写真を拡大すると、くっきりきれいに見えます。
「伊豆市 観光情報」

それもこれも高島先生や斎藤さんをはじめとする先輩方、
力持ちの兵庫県の「浪速の長州力」さんや岐阜県の「大江誉志」さん、
石川県の「そばつぶ」さん、埼玉県の「さかもっちゃん」
そして多くの協力者の方々や全国市区町村役所の担当者さん、
ブログを応援してくださっているみなさまのおかげです。

この嬉しさ、一人では抱えきれなくて斎藤さんに知らせたら、
こんなメールが…。

「うわっ! 本当だ! 凄い! 素晴らしい!
こんなに立派な素敵な温かみのある句碑は初めて!」

それでまたまた泣けて来て…。


嬉しくて、今夜は眠れそうにありません。

またまた発見!②

どすこい坂本
12 /17 2024
私からの問い合わせで、
坂本さんが大急ぎで送ってくれた一つがこれ。


坂本さんの小祠の石3
埼玉県越谷市越ケ谷2‐2‐16  八幡神社

一足早く斎藤さんから送られてきたのが下の写真。

お日さまの差し具合で暗く写っていますが、実際に見るとこんな感じでしょう。
さすがに斎藤さんです。判読もしっかり、寸法もきちんと測って。

「奉納 四拾貫余 市助」 50×42×22㎝

「下部欠損。こんな無骨な形の力石は珍しい」と斉藤さん。

「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007には、
越谷市役所市史編さん室が1976年に発行した「越谷ふるさと散歩」から
として、「會田石」と無刻字石のみ紹介して、「三拾□目」石と、
「四拾貫余」石を外している。


形が悪いからはずしてしまったのか、気になります。

斎藤さんの八幡神社2

小祠にあった気になるもう一つの石も、斎藤さんが送ってくださった。
これです。


斎藤さんの八幡神社3

「無刻だが坂本さん発見の石(三拾□目石)に似た形だから、
力石かもしれないが、沓石かもしれない。
坂本さんが裏返したような跡がある」と斉藤さん。


こちらが坂本さん撮影の「無刻字石」

白く粉が吹いたように見えるのは、私が刻字を判読する方法として、
水を掛けるほかに、墓石研究の東北の大学教授が実践していた
片栗粉や小麦粉を掛ける方法をお伝えしたため、それを実践したのかも。

この方法、うまくいかなかったのかな。


坂本さんの小祠の石1

ここで問題勃発

斎藤さんから送られてきた「四拾貫余」石。

「坂本さん、この石、見ませんでしたか?」との私の問いに、
「見ました! でも雨宮さんへの送信がうまくいかなくて送れなかったんです」
そう言って、大慌てて送ってきたことは前回の記事で書いた。


さて、ここで私は迷いました。新発見者をどちらにしたらいいのか、と。
力石の調査者にとって「新発見」は特別なものですから。

というより「新発見」というのは、「新大陸発見」で大騒ぎした昔から
人の心を沸き立たせるもの。考古学者は歴史を覆す新発見に歓喜し、
物理・化学ではノーベル賞のチャンスもある。

しがない「力石」だって、その喜びと興奮は同じ。

それでお二人同時というのが一番いいかなと思っていたら、斎藤さんから、
「坂本さんの新発見にしてください」との温かいメールです。


右が坂本さん発見の「三拾□目」石、
左が斎藤さん、坂本さん発見の「四拾貫余 市助」石です。
越ケ谷さいとうさんP

斎藤さん、さらにこの若き力持ちにこんなエールも送ってくれました。

「持ち上げる、担ぐだけでは飽き足らず、見つけること、判読することの
重要性に気付いたのでしょう。当初とはずいぶん違ってきました。
彼の強味は石をひっくりかえす膂力を所有していることで、
今後もこれを多様していただきたい。
これからも力石と思しき石をひっくりかえして刻字を明かにし、
無刻と思われた石を「力石」に変えてくれることを期待しています」


ありがとうございます、斎藤さん。
この力強い大きな心遣い、きっと坂本さんに届きます。


最後に、
越ケ谷・八幡神社の新発見の数日前に坂本さんが発見した
茨城県守谷市の八坂神社の力石をご紹介します。


八坂神社です。
守谷市本町八坂神社1
茨城県守谷市本町629  八坂神社

こちらが既存の力石です。

「奉石 二十八メ目 施主 松屋」 44×37×27㎝

守谷市本町八坂神社3

下の写真が坂本さん、新発見の2個の力石です。
宮司さんの話では、最近発掘したとのこと。


送られてきた写真から私メが判読。間違っているかも。

左、「三十七メ目 下村氏□□」
右、「奉納□□ 市兵衛 七十八メ目 當町 久□□村」

同じ写真から斎藤さんにも読んでいただきました。

左、「三十七メ目 上 下村氏 弥□」
右、「奉納 七十八メ目 重兵ヱ 當町 久□ノ村□」

守谷市1 守谷市2

「78貫目はさすがに重かったです!!」と坂本さん。

現代の力持ちはみなさん、孤独な挑戦者です。
坂本さんはご家族の熱い後押しと協力があって活動しています。

みなさん、どうか応援してあげてください。


ーーブログを見た坂本さんからーー

「”粂吉持”と刻字があるように見えました」

とのメールと新たな写真が届きました。どれどれと拝見したら、確かに!


粂吉2

「重兵ヱ
奉納 七十八メ目 當町
 粂吉持」

坂本さん、お見事!

さらにメールが…。

初めにお伝えした越谷市・八幡神社の「市助石」
(四拾貫余)、
この石、坂本さん、昨年12月に新発見していたそうです。
そのときの写真、改めて載せますのでご覧ください。

八幡神社四十貫余

またまた発見!①

どすこい坂本
12 /14 2024
日曜日に、さかもっちゃんこと坂本さんからメールが来ました。
「昨日、またまた力石を発見しました」

実は坂本さん、茨城県で2個、新発見しているのですが、
ブログで紹介しようとしていた矢先、またの新発見。
先にこちらを取り上げることにしました。

この場所には、
「龜(亀)吉さんが持上げた力石で有名な、“會田石”があります」とのこと。
すぐに斎藤さんに連絡すると、なんとその日のうちに再調査に。


ハヤッ!

帰宅した斎藤さんから、
「雨宮さんがこちらに来られた時、會田石を見ている私を雨宮さんに
撮られた記憶が蘇ってきました」と言われて、写真を探しました。

ありました。これです。


会田石2
埼玉県越谷市越ケ谷2‐2‐16  八幡神社

「會田石」と聞いて、私はなぜか久伊豆神社の會田石と思い込んでしまって。
斎藤さんとメールでやり取りしていて、どうも辻褄が合わないと思い、
坂本さんからのメールを再度見て、「あ! 八幡神社だったか」と。

富山県南砺市から町の花や植物、生き物などを発信している
ブログ「嘘だまり」の素姓乱雑さんからついこの間、
「誤字のない整った文。さすが」と、褒められたばかりなのに。嗚呼…。


そうなんです。確かにこの八幡神社へは10年前、
斎藤さんとまだお元気だった酒井正さんに案内されて行きました。

写真左の石が「會田石」、右の防火水そうの看板の下の石が無刻字石です。

「奉納 會田石 嘉永五壬子九月 會田□兵衛 會田庄右衛門
世ハ人 藤田庄右衛門 田中与一郎 神奈川龜吉持之
石工 卯之助」
 79×43×42㎝

このときからすでに10年。あっという間でした。
越ケ谷八幡神社

帰宅した斎藤さんから改めて、
「坂本さんは一つあったと言ってましたか?」と聞かれて、
「はい。写真が一枚送られてきて、
"私が発見したのは、三拾貫目と刻字してあるように見えました"と」

これが坂本さんから送られてきた新発見の力石です。
さかもっちゃん

でも、斎藤さんから送られてきた写真を見たら、あれれ?
なんだかゴミ置き場みたいな場所だけど、他にも力石らしき石が写っている。


kosigaya八幡神社小祠

「小祠の右側の杉の根元に放置してあるのが、
坂本さんの新発見力石です」と斎藤さん。


「奉納力石 三拾□目 越ケ谷甼」
51×36×28余㎝

斎藤さんp坂本さん新発見石

この小祠の写真を見て、
これなら他の石も見逃すはずはないと思い、坂本さんに連絡すると、
「斎藤さんは行動力が早いですね!」と驚きつつ、
「実は僕も他のを見つけていましたが、写真の送信ができなかったんです」


そう言って、即座にあとの2個の写真を送ってくれた。

それにしてもこの短期間に二人も調査にきて、
石に水掛けたり撫でまわしたり持ち上げたりされて、力石もびっくりですね。

でも長い間放置されていたんです。
久しぶりに人の手のぬくもりに触れて、力石もきっと喜んでいると思います。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞