神社のLandscape 339
葛飾区奥戸八丁目、八剱神社が鎮座している。旧奥戸新田の総鎮守である。
社殿の手前に壊れた石灯籠と力石が並んでいる。石灯籠は、文政元年(1818)に氏子が建てたものだが、安政大地震により被災し、再建されたが、大正12年の関東大震災により倒壊してしまった。その後、修復されたが、平成23年の東日本大震災で一部損壊し、平成30年に台風による倒木で転倒してしまい、ついに修復不能となったという。天災を受け続けた灯籠であった。
石灯籠の前に6個の力石並んでいる。右から「三拾」、「三拾八貫」、「六十五貫目」。「五十八貫目」、「五十五貫目」、「正目六十五貫余」と重量が刻されている。「正目」は、実質的な重量という意味だと思うが、どのようにして量ったのだろう。奉納者や持ち上げた人の名は不明瞭であった。
八剱神社の隣にはかつての別当寺である宝蔵院が境内を構えている。
本堂の手前、左側に大振りの石灯籠がある。
竿に「東叡山 浚明院殿 尊前」とある。浚明院は、10代将軍家治の諡号である。
諡号の左には「上野國館林城主 松平久五郎源武厚」と刻されている。上野の寛永寺にある家治の墓前に館林城主が天明6年(1786)に奉献した灯籠であった。
境内の東側にある鐘楼の手前にもほぼ同形の石灯篭がある。
こちらにも「浚明院殿」とあり、家治の墓前に和泉守が奉献した石灯籠であった。どのような経緯でこの寺に移されたのだろう。
本堂の手前右側に秋には彼岸花が咲く一画があり、その奥に柳原白蓮の 「衆生あり祈願成就のよろこびを 代々に伝えし御仏ぞこれ」 の歌碑が建っている。その手前、草の間にいくつも石が見える。
草をむしる訳にもいかず、通路沿いにある石の上の松葉を除いて写真を撮ってみた。
中央の一番大きな石には「五十貫目」と刻されていた。敷石かと思った石は力石であった。周りの4つの石には刻字は見当たらなかったが、力石を守るために置かれているのだろうか。草に埋もれた石はまだあるので、力石もあるかもしれない。寺が除草をする頃にまた来てみたい。
力石の新たな発見があると良いな、と思いつつ地蔵尊に見送られて帰途に就いた。
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謹賀新年
謹んで新春のお慶びを申し上げます
墨田区千歳一丁目、江島杉山神社が鎮座している。
江島杉山神社は、盲目の鍼灸師杉山検校が元禄6年(1693)当地に屋敷地を拝領し、高齢になっても月参りを欠かさなかった江ノ島弁財天を屋敷内に勧請して創建された。
境内には検校が江ノ島で修行した岩窟を模した岩屋が作られている。
寛政5年(1793)に一部補修された岩屋の突当りには杉山検校像が祀られている。
検校像の前を左に進むと人頭蛇尾の姿をした宇賀神像が祀られている。
宇賀神の前には弁才天の使いとされる白蛇が置かれている。
肉眼では見えない暗い中に安置されている宇賀神だが、カメラの感度を上げてみるとその姿がぼんやり見えてきた。
神橋の近くに力石がある。93貫と刻されているが、墨田区内にある力石で最も重いものという。
路傍学会では、これまで蛇にまつわる事物を報告してきた。
これは荒川区西日暮里一丁目にある蛇塚である。昨年2月12日に報告した塚だが、「蛇塚」という字名を後世に残すために設けられた石碑で、干支との直接的な関係はなさそうだ。
2020年10月に報告した、港区の芝公園内にあるもみじ谷の上流部である。右の擁壁の上の階段の先に石仏が並んでいる。
割った楔跡が並ぶ石の間に建つ地蔵菩薩の後ろに何かありそうである。
覗き込んでみると、蛇が祀られていた。ここは蛇塚とよばれる都内屈しの金運パワースポットであった。
巳年を迎えるに当たり、日本三大白蛇聖地の一つを訪ねた。
浅草線の中延駅で下車した。
歩くこと数分、品川区二葉四丁目の路傍に神社が鎮座している。
鳥居に扁額が架かっている。その名は蛇窪神社である。
蛇窪神社の拝殿である。説明板によると、かつてこの界隈は蛇窪村と呼ばれていて、鎌倉時代、この地に生息していた白蛇が地元の人の夢枕に現れ、お告げにより弁天社を建立したとのこと。立身出世の御神徳があるという。
蛇窪神社の社殿の右奥に蛇窪弁財天がある。その社殿の前では一対の白蛇が迎えてくれる。
これは撫で白蛇である。脱皮する蛇のように再生・気力の復活、開運を願って撫でさせてもらった。この後、白蛇の置物をいただき帰途に就いた。
この新しい年がさらに良い年でありますように
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界隈のLandscape 213
雨引観音からバスに乗り、桜川市真壁へ向かった。真壁には古い街並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
上宿バス停で下車し、街歩きを始めた。上宿通りの家並である。
上宿通りの路傍に薬医門がある。明治初期に建てられたもので、真壁で最も大きな薬医門という。
上宿通りから見芽通りを北へ向かうと、通りから少し奥に入ったところに琺瑯看板が見えた。ブルドックソースの木製の看板もある。明治後期から味噌、醤油の醸造、酒販に使われたという。
塩の小売りもやっていたようだ。
見芽通りから仲町通りへ曲がると、薬局の裏手に石蔵がポツンと建っている。
仲町通りを振り返ると、加波山から南へ連なる山々が見える。
仲町通りを南に折れると御陣屋前通りである。古い商家が並んでいる。
御陣屋前通りの路傍に建つ書店である。生薬商の店舗として建てられた見世蔵である。
書店の先、旅籠の看板を掲げた建物があるが、旅籠として営業しているのだろうか。
旅籠の南にある交差点角に旧真壁郵便局がある。昭和61年まで郵便局として使われていた。真壁のランドマーク的な近代建築である。
郵便局前の交差点を東に進むと、進行方向に鳥居が見える。神武社だが、江戸時代に笠間藩が置いた陣屋のほぼ中央に当たるという。
神武社の前を南へ歩くと真壁伝承館がある。真壁伝承館は公民館、図書館、資料館の機能を持つ施設で、歴史資料館では、出土品、絵図などで真鍋の歴史を学ぶことができる。
真壁伝承館の向いにある酒店である。ここでは地酒の試飲ができる。
酒店から南へ下ると下宿十字路があり、その角に酒蔵がある。延宝年間創業と伝わる酒蔵である。
酒蔵の先、山口川の手前に八坂神社が鎮座している。石段の手前に建つ石柱は幟建だろうか。
石段の下には庚申塔もあった。
八坂神社から橘橋を渡ると、路傍に大きな馬頭尊がある。大正9年に建立されたものである。大正時代はまだ馬が荷役の主役だったのだろう。
馬頭尊から県道7号に出て西へ歩くと、真壁町田の路傍に、古い足踏み式ミシンをたくさん集めた店があった。再生させるために集めているのだろうか。うーむ、路傍学会の興味は尽きない。
真壁を歩く旅はまだ続く。
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門のLandscape 63
これは、2023年9月3日号で報告した、小美玉市小岩戸の石船神社で見た観音菩薩である。雨引山の文字が見える。安産を願って造立されたものだと思うが、他の場所でも同様の石仏を見たこともあり、安産子育ての信仰を集める雨引山楽法寺が気になっていた。そこで出かけてみた。
水戸線岩瀬駅で下車し、バスで雨引山楽法寺へ向かった。楽法寺は広く「雨引観音」と呼ばれている。
参道入口に建つ門は、真壁城の城門として造られたものを、廃城に伴い雨引観音の表門として移転したもので、黒門と呼ばれている。
黒門の上に続く145段の石段は、「厄除けの石段」といい、 一段登るごとに「南無観世音菩薩」と唱えて登れば、厄が落ちるとされている。
石段を上ると左手に城郭を思わせる石垣が聳えている。この石段の上に雨引観音の諸堂が建っている。
石垣の手前に立つ仁王門である。現在の建物は、天和2年(1628)十四世堯長が再建したものであり、茨城県指定文化財となっている。
石垣の上に建つ本堂である。仁王門と同じく 現在の本堂は天和2年に建立されたものである。本尊は平安前期の作といわれる延命観世音菩薩立像である。
本堂には観音堂の扁額が掛けられている。
本堂には4枚の地獄極楽図の彫刻がある。これは正面右側胴羽目の閻魔の裁きである。脱衣婆は亡者の服をはぎ取り、その服を木の枝にかけて、垂れ具合で生前の罪の軽重を測る。閻魔は死者を生前のあらゆる悪行が映し出される鏡の前に立たせ、嘘をつくと舌を抜く。
この日は、お宮参りの家族を幾組も見た。良い日なのだろう。
「お休み処・おみやげ処」となっている建物はかつての絵馬堂で、今も絵馬が飾られている。中央の絵馬に描かれているのは産湯の情景だろう。
御供所近くから筑波山が望める。12月22日号では筑波山の南側にある筑波神社を参拝したが、これは北側から見た筑波山となる。
山の上にもかかわらず池があり、錦鯉が泳いでいた。
横の石段を下りるとこんな看板があった。
斜面でヤギが草を食んでいた。ヤギに除草させているのだ。
ヤギを眺めた先、仁王門の手前に子安地蔵堂がある。説明板には、八代将軍吉宗の台命により堂宇を造建したとある。
欄間には遊ぶ子供の姿が彫刻されている。
この後、バスに乗り次の訪問先へ向かった。
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青面金剛のLandscape 482
松之木公園の東に宝憧寺墓地がある。奥に見える建物は松之木公民館である。
邪鬼は猫っぽいポーズである。宝暦8年(1758)に造立されたものである。
宝幢寺墓地の南に境内を構える立正寺である。
本堂の手前で高さ1mを超える「子仏さん」が出迎えてくれる。
山門の右手に青面金剛が祀られている。延享2年(1745)に造立された六臂の合掌像だが、線香台があり、その後ろの邪鬼や三猿を見ることはできない。左に建つ道標に刻されている中島弁天とは、どこの弁天様だろう。
立正寺から青葉通りを越えて緑一丁目に入ると長安寺がある。
境内に入ると右手に地蔵尊と並んで青面金剛が祀られている。
剣を左手、ショケラを右手で持つ六臂の青面金剛である。
このショケラは如何にも儚げである。享保14年(1729)の造立。
長安寺から東へ歩くと「二丁目」がある。「二丁目」という大字名は、条里遺構地名に因むものという。
二丁目の潮止通りの路傍に普門院の参道がある。参道入口の右手には土手供養塔が建っている。
大師堂の左手に3体の石仏が祀られている。
中央が青面金剛である。逆光で見づらいのだが、六臂の合掌像で、ソフトな印象の像である。宝暦4年(1754)の造立。
普門院から潮止通りを歩いて八潮へ向かう。
八潮七丁目、山王塚観音堂が見える。門柱の手前に青面金剛が祀られている。
表面が大分荒れているが、六臂の合掌像である。右ひざには亀裂が入っている。地元の方々に大切にされているのだろう、花が手向けられていた。
優し気な佇まいの青面金剛である。享保元年(1716)の造立。いつも思うことだが、同じような時代に造られた石仏でも、その来歴によって随分状態が異なるものだ。
この後、つくばエクスプレスの八潮駅まで歩き、帰途に就いた。
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街道のLandscape 77
12月15日号の続きである。ゴールを目指す。
つくば市神郡、普門院門の先から見た筑波山である。霞んでいるが、中腹に建物群が見える。その奥に筑波山神社が鎮座している。
神郡上町の家並である。重厚な構えの屋敷が並んでいる。
牛乳受け箱があった。明治と森永が縦に2つ並んでいる。異なる牛乳メーカーのものが並んでいるのは珍しいシーンだろう。
神郡十字路の手前に石蔵がある。米蔵として造られたものだが、今ではオープンカフェやライブハウスとして利用されているという。
臼井では筑波山に向かってまっすぐに街道が延びている。
水田を抜けると街道は坂道となり、徐々に標高が上がってくると共に、足がだんだん重くなる。路傍に置かれたプランターの前に”Welcome to TSUKUBA”とあり、その下に「神社まで1.4km」とある。もうすぐだ。
坂道をとぼとぼ歩いていくと、前方に一の鳥居が見えてきた。
宝暦9年(1759)に建てられた一の鳥居である。この先はさらに急な坂道が続く。
鳥居の傍らに転がっていた石仏である。下に三猿のようなものが見える。庚申塔だろうか。
振り返ると標高が上がってきたことが分かる。息が切れて、疲れるはずだ。
急な坂道の先に石段が現れる。
石段を上ると旧筑波山郵便局がある。白い壁と赤い窓枠、扉のコントラストが綺麗だ。昭和14年に建てられ、昭和50年まで郵便局として使われていた。
郵便局の先も石段が続き、喘ぎながら上り、県道42号を越え、ホテル、土産物屋が並ぶ道を通って筑波山神社にやっと辿り着いた。二の鳥居があり、神橋の先の石段の上に随神門が見える。
随神門にはもう謹賀新年の文字が掲げられている。境内では正月準備が進められていた。
拝殿には巨大な鈴が吊り下げられている。
筑波山は江戸城からみると北東の方角にあり、鬼門にあたる。徳川家康は「鬼門の護り」として筑波山をあがめ、中禅寺(現在の筑波山神社)を祈願所に定めたという。お参りを済ませ、筑波街道歩き終えた。
バス停に向かう途中に大鳥居があった。
バス停近くの展望台から見た関東平野である。生憎の曇り空であったが、遠くに富士山を望むことができた。
筑波山神社入口からバスでつくばセンターに行き、つくばエクスプレスに乗って帰途に就いた。
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街道のLandscape 76
12月18日号の続きである。
印西市鹿黒のビジネスパークを抜けると、印西市泉で木下街道は県道4号から右方向へ分かれていく。
分かれた街道の突当りに道標が建っている。かろうじて「北 大森 六軒 木下 布佐 道」と読み取れた。大正11年に建てられたものである。
この道標の前を右へ進むと、公孫樹の黄葉が見える。
公孫樹の横には泉王寺がある。山門奥の本堂は傾いているように見えた。
泉王寺の隣には八幡神社が鎮座しているが、鳥居の背後に社殿は見えない。帰宅して調べてみたのだが、集会所の後ろに小振りな社殿があったようだ。
泉王寺、八幡神社から西へ歩く。古い街道らしい落ち着いた佇まいである。
西へ歩くと、コンクリート擁壁の上に並んでいる石塔がある。
庚申塔が多いが、十五夜供養塔や廿三夜供養塔もある。
その中に青面金剛も祀られていた。
剣持ちの六臂像だが、左手には数珠を持っている。珍しいものではないか。
頭を踏まれた邪鬼はどのような体勢なのだ。紀年銘は分からなかった。
庚申塔群の先で木下街道は千葉ニュータウンのエリアに入る。
街道は跡形も無く造成されて姿を消してしまっているので、ニュータウン内の県道189号を歩く。
印西市和泉の路傍にタワー状の構造物が見える。東京ガスの施設のようだが、一体どのような施設なのだろう。
これは北総線の千葉ニュータウン中央駅へ至る道である。今日はいくらも歩いていないが、切りが良いのでここで街道歩きを切り上げた。
千葉ニュータウン中央駅から北総線の電車に乗り、帰途に就いた。
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街道のLandscape 75
木下河岸から上町観音堂までは、2022年1月に歩いているので、木下駅から南へ歩き始めた。
印西市大森、印西バイパスを渡り、木下街道は緩やか坂を上っていく。
坂を上り終えると今年7月に訪れた亀成川沿いの田園風景が広がっている。
緩やかに坂を下ると、鹿黒橋が見えてくる。
鹿黒橋の先の路傍には、7月20日号で報告した庚申塔がたたずんでいる。
大森と鹿黒の境界部で木下街道は県道から右方向へ分かれる。
街道沿いでは山茶花が花びらを散らしていた。
右手の消防団の建物の奥に石仏が見える。
十九夜塔、庚申塔や墓石が並んでいる。
この中に青面金剛も2体あった。うーむ、右の合掌像は電柱の影がかかり、うまく撮影できない。
左の青面金剛が左手に持っているのは生首である。目鼻口が細かく表現されている。
邪鬼と三猿である。生首持ち型の青面金剛の邪鬼は頭を踏まれていることが多い。
消防団の建物の向いの角には道標が建っている。右面には「小倉道」の文字が読み取れるが、他の文字は薄く、よく分からない。この道標の前で街道は南へ向を変える。
前方では、巨大な建物の建設が行われている。
街道は建設中の建物の敷地前で行き止まりとなり、迂回を余儀なくされる。
迂回する曲がり角の近くでは山羊がわずかばかりの草を食んでいた。
県道4号に出て、建設中の建物を回り込むと、データセンターの看板が見えた。シンガポールの企業のデータセンターが2027年初旬の稼働を目指して整備されているのだ。
この界隈ではいくつもの大規模な施設の建設が進められている。木下街道は、木下から市川市の行徳へ至る道で、銚子からの物資輸送や、香取、鹿島、成田詣での参詣道として大いに利用されていたが、現代の鹿黒では巨大なビジネスパークが整備されつつあった。
木下街道を歩く旅はまだ続く。
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街道のLandscape 74
土浦駅から関東鉄道バスに乗り11月27日号でたどり着いた小田にやってきた。
小田の家並である。画面左の塀は蕎麦店の塀である。
しばらく歩くと、左の路傍に石塔が建っている。石塔の中程をくりぬいて、小さな石の車が取り付けられている。これは後生車と呼ばれるもので、車を回して死者への供養や来世を平穏に過ごすための祈りを行うという。 後生車の後ろには庚申塔が並んでいる。
後生車の先、筑波山の姿が前方に見えてきた。
民家の庭先に大きな石碑がある。近づいてみると、出羽三山供養塔であった。何故、このような所にあるのだろう。
北条の路傍に火の見櫓が建っている。火の見櫓としての役目を終えて半鐘が取り外された櫓が多くなっているが、この櫓にはしっかり半鐘が吊り下げられていた。
北条新田交差点で国道125号を渡る。
国道を越え、平沢官衙入口バス停で右に入ると、北条大池と名付けられたため池がある。その畔に馬頭尊と刻された大きな石碑があった。
ため池から街道に戻り、しばらく歩くと枡形があり、クランク状に街道が曲がっている。
枡形の手前に二十三夜塔が祀られている。
枡形の先に、トタン葺の大きな旧家があった。藁葺き屋根にトタン板を被せたのかもしれない。
2つ目の枡形の右手、高台の上に八坂神社が鎮座している。
社殿の左手に五輪塔がある。説明板によると、納経塔として造られた石造五輪塔は珍しいという。
八坂神社の境内からは街道を見渡すことが出来る。
沿道には古い建物ばかりではなく、八坂神社の先にはお洒落なカフェもある。
カフェの先に、立派な店蔵がある。元々、醤油の醸造、販売を行っていた老舗である。国の登録有形文化財となっている。
軒下には琺瑯の電話番号票があった。
北条仲町の交差点角につくば道道標が建っている。筑波山神社まで1里の起点である。ここからゴールとなる筑波山神社を目指す。
街道をたどって神郡に入ると、郵便局の前で筑波山が大きく迫ってきた。
筑波街道を歩く旅はまだ続く。
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青面金剛のLandscape 481
朝霞市内間木にある青面金剛を訪ねた。10月13日号で報告した新河岸川の北側のエリアである。新河岸川の堤防を歩いて、気になっていたエリアである。
北朝霞駅から運行本数が限られているコミュニティバスに乗り、下内間木で降りた。
朝霞市下内間木の路傍に氷川神社が鎮座している。12月だと言うのに、公孫樹がまだ葉を付けている。
鳥居をくぐった左手に青面金剛が祀られている。
剣、ショケラを持つ六臂像である。彫りが細かく、ショケラは合掌している。明和6年(1769)の造立である。
浅間神社を祀る富士塚の麓に力石がごろりと置かれていた。
境内の南のはずれから10月13日号で報告した朝霞水門が見える。
氷川神社から朝霞調節池の堤防に沿って西へ歩くと西福寺がある。氷川神社はこの西福寺の境内社として創建されたという。
一段高くなった境内の手前に観音地蔵堂がある。
地蔵堂内には優しいお顔の地蔵尊が祀られている。正徳6年(1716)に造立された大きな地蔵尊である。
地蔵尊の奥に西福寺の本堂がある。観世音菩薩が本尊となっている。
本堂の左、不動堂の横に石仏が祀られている。
右は青面金剛、中央は馬頭観音、左も馬頭観音だろう。
青面金剛は六臂の合掌像で、端正な立ち姿である。享保20年(1735)に造立されたものである。
西福寺から内間木通りを歩いて上打間木交差点に来ると、交差点の角近くに小屋根に守られた石仏と石塔が見えた。
光線が悪く、見づらいが、石塔は剣、ショケラを持つ六臂の青面金剛であった。宝暦10年(1761)の作。
小屋根の下の坐像は釈迦如来ではないか。首の補修跡がマフラーのように見える。
朝霞台駅へ向かう途中、新河岸川に架かる新盛橋から薄っすら富士山が見えた。
この後、朝霞台駅までのんびり歩き、帰途に就いた。
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