韓国の伝統舞踊と通信使と
古典芸能
「韓国の伝統舞踊と音楽」を観ました。
魅了されました!
大昔、正倉院の御物を再現した古楽器を、
日本と中国の雅楽の奏者たちが演奏するというコンサートへ行きました。
雅楽の知識もないのになぜか自然に涙が出てきて…。
体の中のDNAが目を覚ましたみたいな、不思議な感覚だったんです。
今回もまた、どこか懐かしいような、そんな感覚になりました。
国は違っても古代人に共通した音やリズムがあって、
それが呼び覚まされたのかも、と思いました。
この日の最後は「月光遊戯」(moon light)という演奏で、
朝鮮半島に伝わる楽器を4人の奏者が即興的に演奏したものですが、
これがまた躍動感があって思わずウワッ、凄い!と。
写真は杖鼓(チャング・チャンゴ)と牙筝(アジェン)。
ほかに伽耶琴(カヤグム) 笛(ピリ)
伽耶琴は日本の歴史書にも出てくる「伽耶国」で作られた琴だそうです。
パンフより
4つの音色が「静」から「動」、「動」から「静」へと行き交かい、
最後に、北斎描くところの大波が突如、盛り上がるが如くドドドドォーと…。
で、この韓国の衣装がまた素晴らしかったんです。
優雅で美しく、三保の松原に天女が舞い降りたような…。
こちらは本公演のパンフですが、ちょっと地味なのが悔やまれます。
なにはともあれ、百聞は一見に如かず。
グループも演目も違いますが、ユーチューブ動画をご覧ください。
西洋のバレーにも似ていますし、足の運びが能のようでもあり、
動きが静岡県舞台芸術センター「SPAC」の前衛風な芝居にも似ていました。
古典に現代風の所作などを取り入れてあるのでしょうか。
韓国の芸能には10数年前、ほんの少し接したことがあります。
「朝鮮通信使」の400年祭というのがあって、
江戸時代、通信使が宿泊し、この異郷の地で没した王子の墓がある
静岡県興津・清見寺で高校生たちが披露したのです。
朝鮮通信使というのは、
江戸時代に日本を訪問した朝鮮王朝の友好親善使節の一行で、12回来日。
一回の随行員が約500人という大規模なもので、
一行の中には高い学識を持った文人や高官がおられ、
そういう方々が日本の各地に書や詩文をたくさん残していきました。
使節団は特にこの清見寺を好み、86点もの書や詩文を残しています。
そのためここは通信使遺跡として、国の史跡に指定されています。
下の写真は、使節団の高官が揮毫した扁額「瓊瑶(けいよう)世界」です。
「瓊(けい)」は美しい赤い玉。「瑶(よう)」は美しい白い玉のことで、
日本と朝鮮半島を表わしているとのこと。
「この二つの玉がいつまでも光り輝く世界であれ」
という意味だそうです。
静岡市清水区興津・清見寺
下のチラシは2年前、
市の広報紙で知った催しで、私も参加させていただきました。
私が聴講したのは韓国・釜山と静岡市を結んだオンライン特別講演会で、
講師は釜山にいる「釜山文化財団政策研究センター長」の
ジョ・ジョンユン氏。(名乗りがカタカナ表記のため、それに従いました)
びっくりしましたよ。
ジョンユン氏が鮮明な画面から、まるで隣の部屋にいるみたいに、
「静岡市のみなさん、こんにちは」って言うんですから。
しかも流ちょうな日本語で。
そしてこうおっしゃったんです。
「両国の人たちの努力で、2017年、朝鮮通信使に関する記憶として、
ユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました」
通信使のルートは、対馬から福岡の沿岸部を通り山口へ入り、
今度は瀬戸内海を渡り大阪へ。
そこから東海道を歩いて江戸へという遠大な旅でした。
こちらは使節団の休憩所として6回使われた宝泰寺の
「通信使平和常夜燈」です。
静岡市葵区伝馬町・宝泰寺
説明板には日本語とハングルでこう書かれていました。
「徳川家康が第一回目の使節団を駿府城に招いたのが1607年。
それから400年を迎える記念すべき2007年にこの常夜燈を建立した。
石材は慶尚北道榮州の花こう岩で、燈火は広島の原爆の火。
日韓関係と世界平和の一助になることを心より祈念申し上げます」
通信使の歴史は長い間、埋もれていました。
この「消された歴史」を掘り起こし懸命に啓蒙していたのは、
在日二世で静岡県立大学の金兩基教授です。
金教授は、
この「朝鮮通信使」という、世界でも稀な歴史的出来事の重大さを、
静岡市や市民の方々に気づいてほしいと運動するものの、
なかなか耳を貸そうとしない。
そうした状況を、教授は火に譬えてこう嘆いた。
「静岡の人は、火を焚きつけてもなかなか燃えない。
時には水を掛けて消そうとする」
そういうやる気のない市や市民相手の啓蒙運動、
相当なご苦労があったことと思います。
その努力は2007年の通信使400年行事で実を結び、
10年後の2017年には、ユネスコの「世界遺産」に登録という快挙となった。
教授が亡くなったのは、その翌年だった。
この日、釜山から届いたジョンユン氏の笑顔と明るい声が、
金教授の思いをしっかり受け継いでいることを教えてくれました。
こうした真面目な取り組みを知ったり、その国の芸術を見るたびに、
私は思うんです。
ネット上にはこの国を母国とする人への、
故意に曲げられたり悪意のある情報が多すぎるのでは、と。
ゲーテ言うところの、
「誤謬が私たちの周りで絶えず語られている」という状況なんでしょうか。
どんな国にもどんな個人にも暗部や恥部はある。
非難や抗議すべきこともある。日本の国にだってある。
でも何もかも一緒くたにして否定し続けていると、いい部分が見えなくなる。
とても損なことだ。
400年も昔の人たちが願った「瓊瑶(けいよう)世界」を、
私は大切にしたい。
この日、韓国の伝統舞踊を見ているうちに、
私もやってみたくてたまらなくなりました。(*^_^*)
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魅了されました!
大昔、正倉院の御物を再現した古楽器を、
日本と中国の雅楽の奏者たちが演奏するというコンサートへ行きました。
雅楽の知識もないのになぜか自然に涙が出てきて…。
体の中のDNAが目を覚ましたみたいな、不思議な感覚だったんです。
今回もまた、どこか懐かしいような、そんな感覚になりました。
国は違っても古代人に共通した音やリズムがあって、
それが呼び覚まされたのかも、と思いました。
この日の最後は「月光遊戯」(moon light)という演奏で、
朝鮮半島に伝わる楽器を4人の奏者が即興的に演奏したものですが、
これがまた躍動感があって思わずウワッ、凄い!と。
写真は杖鼓(チャング・チャンゴ)と牙筝(アジェン)。
ほかに伽耶琴(カヤグム) 笛(ピリ)
伽耶琴は日本の歴史書にも出てくる「伽耶国」で作られた琴だそうです。
パンフより
4つの音色が「静」から「動」、「動」から「静」へと行き交かい、
最後に、北斎描くところの大波が突如、盛り上がるが如くドドドドォーと…。
で、この韓国の衣装がまた素晴らしかったんです。
優雅で美しく、三保の松原に天女が舞い降りたような…。
こちらは本公演のパンフですが、ちょっと地味なのが悔やまれます。
なにはともあれ、百聞は一見に如かず。
グループも演目も違いますが、ユーチューブ動画をご覧ください。
西洋のバレーにも似ていますし、足の運びが能のようでもあり、
動きが静岡県舞台芸術センター「SPAC」の前衛風な芝居にも似ていました。
古典に現代風の所作などを取り入れてあるのでしょうか。
韓国の芸能には10数年前、ほんの少し接したことがあります。
「朝鮮通信使」の400年祭というのがあって、
江戸時代、通信使が宿泊し、この異郷の地で没した王子の墓がある
静岡県興津・清見寺で高校生たちが披露したのです。
朝鮮通信使というのは、
江戸時代に日本を訪問した朝鮮王朝の友好親善使節の一行で、12回来日。
一回の随行員が約500人という大規模なもので、
一行の中には高い学識を持った文人や高官がおられ、
そういう方々が日本の各地に書や詩文をたくさん残していきました。
使節団は特にこの清見寺を好み、86点もの書や詩文を残しています。
そのためここは通信使遺跡として、国の史跡に指定されています。
下の写真は、使節団の高官が揮毫した扁額「瓊瑶(けいよう)世界」です。
「瓊(けい)」は美しい赤い玉。「瑶(よう)」は美しい白い玉のことで、
日本と朝鮮半島を表わしているとのこと。
「この二つの玉がいつまでも光り輝く世界であれ」
という意味だそうです。
静岡市清水区興津・清見寺
下のチラシは2年前、
市の広報紙で知った催しで、私も参加させていただきました。
私が聴講したのは韓国・釜山と静岡市を結んだオンライン特別講演会で、
講師は釜山にいる「釜山文化財団政策研究センター長」の
ジョ・ジョンユン氏。(名乗りがカタカナ表記のため、それに従いました)
びっくりしましたよ。
ジョンユン氏が鮮明な画面から、まるで隣の部屋にいるみたいに、
「静岡市のみなさん、こんにちは」って言うんですから。
しかも流ちょうな日本語で。
そしてこうおっしゃったんです。
「両国の人たちの努力で、2017年、朝鮮通信使に関する記憶として、
ユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました」
通信使のルートは、対馬から福岡の沿岸部を通り山口へ入り、
今度は瀬戸内海を渡り大阪へ。
そこから東海道を歩いて江戸へという遠大な旅でした。
こちらは使節団の休憩所として6回使われた宝泰寺の
「通信使平和常夜燈」です。
静岡市葵区伝馬町・宝泰寺
説明板には日本語とハングルでこう書かれていました。
「徳川家康が第一回目の使節団を駿府城に招いたのが1607年。
それから400年を迎える記念すべき2007年にこの常夜燈を建立した。
石材は慶尚北道榮州の花こう岩で、燈火は広島の原爆の火。
日韓関係と世界平和の一助になることを心より祈念申し上げます」
通信使の歴史は長い間、埋もれていました。
この「消された歴史」を掘り起こし懸命に啓蒙していたのは、
在日二世で静岡県立大学の金兩基教授です。
金教授は、
この「朝鮮通信使」という、世界でも稀な歴史的出来事の重大さを、
静岡市や市民の方々に気づいてほしいと運動するものの、
なかなか耳を貸そうとしない。
そうした状況を、教授は火に譬えてこう嘆いた。
「静岡の人は、火を焚きつけてもなかなか燃えない。
時には水を掛けて消そうとする」
そういうやる気のない市や市民相手の啓蒙運動、
相当なご苦労があったことと思います。
その努力は2007年の通信使400年行事で実を結び、
10年後の2017年には、ユネスコの「世界遺産」に登録という快挙となった。
教授が亡くなったのは、その翌年だった。
この日、釜山から届いたジョンユン氏の笑顔と明るい声が、
金教授の思いをしっかり受け継いでいることを教えてくれました。
こうした真面目な取り組みを知ったり、その国の芸術を見るたびに、
私は思うんです。
ネット上にはこの国を母国とする人への、
故意に曲げられたり悪意のある情報が多すぎるのでは、と。
ゲーテ言うところの、
「誤謬が私たちの周りで絶えず語られている」という状況なんでしょうか。
どんな国にもどんな個人にも暗部や恥部はある。
非難や抗議すべきこともある。日本の国にだってある。
でも何もかも一緒くたにして否定し続けていると、いい部分が見えなくなる。
とても損なことだ。
400年も昔の人たちが願った「瓊瑶(けいよう)世界」を、
私は大切にしたい。
この日、韓国の伝統舞踊を見ているうちに、
私もやってみたくてたまらなくなりました。(*^_^*)
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