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韓国の伝統舞踊と通信使と

古典芸能
07 /28 2023
「韓国の伝統舞踊と音楽」を観ました。

魅了されました!

大昔、正倉院の御物を再現した古楽器を、
日本と中国の雅楽の奏者たちが演奏するというコンサートへ行きました。


雅楽の知識もないのになぜか自然に涙が出てきて…。
体の中のDNAが目を覚ましたみたいな、不思議な感覚だったんです。

今回もまた、どこか懐かしいような、そんな感覚になりました。

国は違っても古代人に共通した音やリズムがあって、
それが呼び覚まされたのかも、と思いました。


この日の最後は「月光遊戯」(moon light)という演奏で、
朝鮮半島に伝わる楽器を4人の奏者が即興的に演奏したものですが、
これがまた躍動感があって思わずウワッ、凄い!と。


写真は杖鼓(チャング・チャンゴ)と牙筝(アジェン)。 
ほかに伽耶琴(カヤグム) (ピリ)
伽耶琴は日本の歴史書にも出てくる「伽耶国」で作られた琴だそうです。
楽器1 がっき2
パンフより

4つの音色が「静」から「動」、「動」から「静」へと行き交かい、
最後に、北斎描くところの大波が突如、盛り上がるが如くドドドドォーと…。

で、この韓国の衣装がまた素晴らしかったんです。
優雅で美しく、三保の松原に天女が舞い降りたような…。

こちらは本公演のパンフですが、ちょっと地味なのが悔やまれます。


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なにはともあれ、百聞は一見に如かず。
グループも演目も違いますが、ユーチューブ動画をご覧ください。

西洋のバレーにも似ていますし、足の運びが能のようでもあり、
動きが静岡県舞台芸術センター「SPAC」の前衛風な芝居にも似ていました。


古典に現代風の所作などを取り入れてあるのでしょうか。



韓国の芸能には10数年前、ほんの少し接したことがあります。

「朝鮮通信使」の400年祭というのがあって、
江戸時代、通信使が宿泊し、この異郷の地で没した王子の墓がある
静岡県興津・清見寺で高校生たちが披露したのです。


朝鮮通信使というのは、
江戸時代に日本を訪問した朝鮮王朝の友好親善使節の一行で、12回来日。

一回の随行員が約500人という大規模なもので、
一行の中には高い学識を持った文人や高官がおられ、
そういう方々が日本の各地に書や詩文をたくさん残していきました。

使節団は特にこの清見寺を好み、86点もの書や詩文を残しています。
そのためここは通信使遺跡として、国の史跡に指定されています。


下の写真は、使節団の高官が揮毫した扁額「瓊瑶(けいよう)世界」です。

「瓊(けい)」は美しい赤い玉。「瑶(よう)」は美しい白い玉のことで、
日本と朝鮮半島を表わしているとのこと。


「この二つの玉がいつまでも光り輝く世界であれ」

という意味だそうです。


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静岡市清水区興津・清見寺

下のチラシは2年前、
市の広報紙で知った催しで、私も参加させていただきました。


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私が聴講したのは韓国・釜山と静岡市を結んだオンライン特別講演会で、
講師は釜山にいる「釜山文化財団政策研究センター長」の
ジョ・ジョンユン氏。
(名乗りがカタカナ表記のため、それに従いました)

びっくりしましたよ。

ジョンユン氏が鮮明な画面から、まるで隣の部屋にいるみたいに、
「静岡市のみなさん、こんにちは」って言うんですから。

しかも流ちょうな日本語で。
そしてこうおっしゃったんです。


「両国の人たちの努力で、2017年、朝鮮通信使に関する記憶として、
ユネスコの
「世界記憶遺産」に登録されました」

通信使のルートは、対馬から福岡の沿岸部を通り山口へ入り、
今度は瀬戸内海を渡り大阪へ。
そこから東海道を歩いて江戸へという遠大な旅でした。


こちらは使節団の休憩所として6回使われた宝泰寺の
「通信使平和常夜燈」です。

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静岡市葵区伝馬町・宝泰寺

説明板には日本語とハングルでこう書かれていました。

「徳川家康が第一回目の使節団を駿府城に招いたのが1607年。
それから400年を迎える記念すべき2007年にこの常夜燈を建立した。

石材は慶尚北道榮州の花こう岩で、燈火は広島の原爆の火。
日韓関係と世界平和の一助になることを心より祈念申し上げます」


石碑

通信使の歴史は長い間、埋もれていました。

この「消された歴史」を掘り起こし懸命に啓蒙していたのは、
在日二世で静岡県立大学の金兩基教授です。

金教授は、
この「朝鮮通信使」という、世界でも稀な歴史的出来事の重大さを、
静岡市や市民の方々に気づいてほしいと運動するものの、
なかなか耳を貸そうとしない。

そうした状況を、教授は火に譬えてこう嘆いた。

「静岡の人は、火を焚きつけてもなかなか燃えない。
時には水を掛けて消そうとする」

そういうやる気のない市や市民相手の啓蒙運動、
相当なご苦労があったことと思います。

その努力は2007年の通信使400年行事で実を結び、
10年後の2017年には、ユネスコの「世界遺産」に登録という快挙となった。
教授が亡くなったのは、その翌年だった。

この日、釜山から届いたジョンユン氏の笑顔と明るい声が、
金教授の思いをしっかり受け継いでいることを教えてくれました。


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こうした真面目な取り組みを知ったり、その国の芸術を見るたびに、
私は思うんです。

ネット上にはこの国を母国とする人への、
故意に曲げられたり悪意のある情報が多すぎるのでは、と。

ゲーテ言うところの、
「誤謬が私たちの周りで絶えず語られている」という状況なんでしょうか。

どんな国にもどんな個人にも暗部や恥部はある。
非難や抗議すべきこともある。日本の国にだってある。
でも何もかも一緒くたにして否定し続けていると、いい部分が見えなくなる。
とても損なことだ。

400年も昔の人たちが願った「瓊瑶(けいよう)世界」を、
私は大切にしたい。


この日、韓国の伝統舞踊を見ているうちに、
私もやってみたくてたまらなくなりました。(*^_^*)

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琉球弧の島唄

古典芸能
12 /02 2018
昨日は沖縄民謡をたっぷり聴いてきました。
場所は、静岡音楽館AOI。

早くから前売り券を買って楽しみにしていました。
「たっぷり聴いてきた」なんて言っちゃいましたけど、
こんな本格的なのは初めて。

出演は、
知名定男、大城美佐子、大工哲弘、仲宗根豊、西和美の各氏。
奄美、沖縄、宮古、八重山の民謡界を代表する方ばかりだそうです。

そういう方々の声量豊かな歌声が、三線、横笛、太鼓、琴の音と共に、
広いホールに響きわたります。

恋の歌、豊作を祈る歌、神歌。
歌詞は全然わかりません。
ですが、会場の客たちは切々とした歌に吸い寄せられ、
軽快なリズムの歌になると、いっせいに手拍子を打ち出しました。

客席から鋭い指笛まで飛んできて、もう沖縄どっぷり。

手さばき足さばきも軽やかな男女の舞踊がまた楽しい。

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なんか、いい雰囲気、
と思っていたとき、あらやだ! 突然、涙があふれてきた。
泣くような場面かい?と自問したけれど、自然に涙が出てきちまって。

以前、この同じ場所で、
正倉院の復元楽器による日中音楽家の演奏会があった。
あのときは突然、全身に鳥肌が立って…。
眠っていたDNAがいっせいに動き出した、そんな感覚に襲われた。

中央アジア天山南路を経て、はるばるこの日本にやってきた楽器たち。
その楽器の音色に私のDNAが反応して踊りだしたって感じでした。

で、そのとき思いました。
私の体の細胞には遠いアジアの遺伝子が確実にあるんだって。

それが今日は、あの表と裏の声が往ったり来たりする、そんな歌声を聞いて、
思わず涙が出て来てしまったのです。

あれは一体、何だったのだろう。

フィナーレは客席と一体になってのカチャーシーの総踊り。
少し泣いたけれど、楽しい楽しいひとときでした。

く、くやしーい!

古典芸能
10 /02 2016
昨日、静岡浅間神社の舞殿で、
静岡市内、五か所の地区の「神楽の競演」が行われる予定でした。

舞殿です。静岡市葵区宮が崎
殿舞
静岡浅間神社HPからお借りしました。宇佐美神主さまお許しを!

4月には、ここで稚児舞が行われました。
CIMG3150 (3)

ここは能の始祖、観阿弥終焉の舞台になったところなんです。
時の支配者、今川氏に招かれて舞ったあと、観阿弥は急死。

今、楼門脇に元NHKアナウンサーの山川静夫氏が奉納した
観阿弥の顕彰碑が立っています。
山川氏のお父さんはここの神主さんだったんです。

さて、「神楽の競演」の話です。

昨日私は、仕事を終えてからここへ来る予定でした。
でも昨日は朝から雨。雨天の時は翌日に延期となっていたから、
てっきり延期して今日になったと思い込みました。

で、本日、意気揚々と出掛けたら、なんと、
「こちらは雨が降らなかった、だからやりましたよ」
「境内は人でびっしりでしたよ」って…。

わたしのお目当ては「火の舞」でした。
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「大神楽祭」パンフより 「有東木神楽」

写真では大人しげに見えますが、闇に包まれた神殿で、
両端に火がついた棒をクルクル激しく振りながら舞うその迫力は、
この目で見ないとわかりません。

ああ、それなのに、見逃してしまいました。
「やる予定だったけど雨で延期」と思い込んだ私がバカだった。
予定通り行われて、しかもものすごい数の見物人だったとは。

く、くやしーい!

本日も曇り空ながら、
各山間地域からの出店も売り切れ続出で早々と店じまい。

「残り物」の福をなんとかゲットし、
地元産蕎麦のそばがきをいただいて、しょんぼり帰宅。

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玉川地区のかあちゃんたちがつくった饅頭、「玉ゆら」(左)と、
愛知県から南アルプスのふもとの村、井川地区に転入してきた
若いご夫婦が作った粟ドーナツと地元産カライモ?の揚げ物です。
パンフの写真はその若夫婦さん。

「玉ゆら」は「玉響」で、「ほんのひととき」という意味だそうです。
かあちゃんたちは、
「ほんのひととき、山の恵みを楽しんでいただけたら」との思いから
そう命名したのだそうです。

「玉川かあちゃんたち、切り干し大根の饅頭、絶品でしたよォ~」
「素敵なカップルさん、甘いのとしょっぱいのとでいい感じでしたよォ~」

こちらは昨日購入した新米「静岡こしひかり」です。
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農家さんからのお手紙がついていました。

「今年は3枚の田んぼがジャンボタニシの食害にあい全滅。
薬をまけば防げたかもしれませんが…。
安全を取るか、売り上げの数字を取るか、苦しい選択ですが、
お客様の”安心”には変えられないですね!!」

こうした真面目な農家さんの誠実な食べ物を応援しなければ…。
真面目な農家さんの経営が立ちいかなくなるということは、
日本の食文化を失うことで、
それはまた、
その人たちによって伝えられてきた神楽の消滅をも意味しますから。

だから私はTPPにはぜったい反対です。

とまあ、神楽を見損なった悲哀が食文化に行ってしまいましたが、
お許しを!

赤きくちびる…

古典芸能
04 /08 2016
稚児舞のお話の続きです。

開始の3時半ちょっと前に再び静岡浅間神社へ。
お天気が味方してくれたんですね。

舞殿の周辺には、すでに大勢の人が集まっていました。
撮影ポイントには各テレビ局と新聞社、
それにアマチュアカメラマンたちが陣取っていて、もう入る余地がない。


人の肩越しに撮るしかないけど、なんとかがんばろうと、
改めてデジカメを見ると、なんと電池切れのオレンジランプ。
途中で赤ランプになったけど、なんとか最後の舞まで撮りました。

初めに四方を清める舞「振鉾(えんぶ)」です。
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拝殿から一歩踏み出した途端、稚児の表情がグッと引き締まり、
実に神々しい。
午前中に見せていたあのおどけた笑顔がうそみたいです。

次は「納曽利」(なそり)です。
通常は二人で舞うもので、雌雄の龍が遊ぶ様を模した舞です。
ですが、ここでは一人で舞います=「落蹲」(らくそん)。
童舞のときは面はつけません。

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足の運びをご覧ください。この稚児さんはとても上手で、
躍動感と優美さを非常によく表現していました。
ひらりと身をかわして空を舞うところを撮りたかったのですが、
捉えられませんでした。残念!

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前のおじさんの腕とその前のおじいさんの白髪頭が邪魔でねえ…。
イラッ!

「安摩(あま)」の舞です。
周囲から「女の子かしら?」の声。いえいえみんな男の子です。
この子たち、普段は踊りとは縁のない普通の小学生ですが、
すべての舞、10日ほどで会得したそうです。恐るべし!

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優雅に舞っているところへ爺と婆が登場します。
こちらは爺。婆は真っ赤な大きな舌をべろっと出しています。

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「二の舞(ずじゃんこ舞)」
滑稽なしぐさで稚児を笑わせようとしますが、稚児は笑いません。
爺と婆はすごすごと退場します。

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「還城楽(げんじょうらく)」です。
蛇を好んで食べるという中国西域の人が、
蛇を見つけて歓喜する様を表現した舞です。
せまい舞台で、しかも重たい衣装なのに美しく見事に飛び上がりました。

思わずオオーッ!
左端の鉾持ちの少年たちにも拍手を送りたいですね。

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手に持っている輪のようなものが蛇。
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最後が「太平楽」です。
太刀や鉾を持って勇壮に舞います。
でも稚児らしく可愛らしいですね。

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中国・漢の高祖と楚の項羽が催した酒宴で、
項荘と項伯の二人の武将が剣舞を披露した故事を模した舞です。

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花のもと袖ひるがえし稚児の舞う
           赤きくちびる固く結びて
  雨宮清子

廿日会祭

古典芸能
04 /06 2016
今日、4月5日は静岡浅間神社の稚児舞の日です。
あの4人の小学生にとって大変な一日です。


稚児舞ゆかりの建穂神社で参拝するのが午前8時。
そこから別雷神社で再び参拝。
稚児舞の開始時間は午後3時30分ですから、
バテテしまわないかちょっと心配になります。

「駿河記」の著者・桑原藤泰が描いた江戸末期の建穂神社
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「静岡祭り」という一大イベントが終わったばかりで、
町は閑散としています。
ですが、東京から呼んだ俳優に家康の扮装をさせてド派手に練り歩く
そうしたお祭りは賑わうでしょうが、どうも性に合わない。


とまあ、ぼんやりそんなことを考えているうちに、来ました来ました。
木遣り(きやり)やお囃子が風に乗って聞こえてきました。

木遣りを大名行列の奴さんが持つ毛槍りと勘違いする人がいますが、
木遣りは昔、仕事のときみんなで唄ったいわば労働歌です。
よく知られているのが、「めでためでたの若松さまよ~」

それぞれの輿(こし)に稚児が乗っています。
保育園児たちが手を振って迎えています。
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御簾をあげて、稚児のお兄さんがそれに応えます。
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行列はゆっくり進みます。
大歳御祖神社の赤鳥居から進路を右へ。
昔、流鏑馬神事を行った通りを進み、総門手前で止まりました。

稚児たちは特別設えた場所に輿ごと移されてお披露目をします。
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稚児たちをねぎらう木遣りや手踊りが始まりました。
木遣りの小学生です。
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山車の上からも祝福の手踊り。こちらも小学生です。 

総勢60名の小学生による「ソーラン」踊り
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「おっ、かっこいい!」。輿から顔を出す稚児。
この分ではまだまだ疲れてはいませんね。

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まといのおじさんたちもがんばっています。
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地踊りのおばさんたちもがんばっています。
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午前の部、無事終了。

せまい輿の中からようやく解放されました。
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元気よくカメラマンにVサイン。
余裕です。

昔の稚児は建穂の里で、親とも離れて一か月も厳しく仕込まれたそうです。
「夜、猿が鳴いて怖かった」と。

今の小学生は厳しい中でもそれをトコトン楽しんでいます。

そこがいいですね。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞