シャンパングラスで新茶
世間ばなし①
「大ツモリ物語」の途中ですが、ちょっと一服。
鎌倉中期の臨済宗の名僧、
円爾(えんに)=聖一国師(しょういちこくし)=の生まれ故郷、
静岡市・藁科川(わらしながわ)上流の栃沢(とちさわ)へ行ってきました。
ここは大川地区といって、この栃沢を含めた8つの集落で成り立っています。
「広さは東京の山手線内と同じくらい」なんだそうです。
農林地93.1%。海抜200~800m。
そこに309世帯、797人が暮らしています。
本日お伺いした栃沢は、31世帯、81人の集落です。
栃沢は、源頼朝に献上された名馬「駿墨」するすみ)の生まれ育った所
といわれています。
同じ伝承なのに、岐阜県の方は「磨墨」、こちらは「駿墨」。
でもまあ馬の産地だったことは間違いありません。
ですからこんな石も残されています。駿墨のひづめの跡がついた「馬蹄石」
静岡県で2番目に大きいかやの木です。
静岡市栃沢・龍珠院(曹洞宗)
「聖一国師の名を知っている人は少ない」と地元の人は残念がりますが、
本当はすごい人なんです。
34歳で中国・宋へ渡り、40歳の時帰国。
そのとき持ち帰った茶の実、それが現在の静岡茶(本山茶)になったんです。
この恩を忘れないために、聖一国師の誕生日の11月1日(新暦)は、
お茶の日になっています。
国師生誕の地・栃沢から峠を越えると、茶の実を蒔いた足久保に出ます。
江戸時代には将軍家御用茶として知られた足久保茶の産地です
その古道沿いにある子安神社です。
寛文13年(1763)の鰐口には、
「藁科(わらしな)の里」ではなく「菊科(きくしな)の里」と彫られているそうです。
峠の古道に野菊が咲き乱れていたからだとか。
子安神社の入り口にある石碑です。
左の石碑には昭和8年の大火で、
このあたり一帯がことごとく焼けてしまったことを記してあるそうですが、
磨滅していて読めません。
右は大正時代、大八車が通れるようになった開通記念碑。
茶農家「山水園」の経営者、内野さんです。
ブログ「山水園」での自己紹介は、
「静岡の山奥で茶を栽培する小さな小さなひゃくしょう!」
本当は決して「小さくはない」研究熱心な凄い人です。
「新芽は二葉を手摘みで摘む」
その初摘みの新茶をいただきました。
「シャンパングラスで新茶」です。
初めの一煎目は大匙一杯ほどの水を注ぎます。
グラスを傾けて香りを味わい、それからいただきます。
コクのある甘さと渋みが口中に広がります。濃い!
2煎目はややぬるめのお湯を茶葉すれすれに注ぎます。
そのあと自家製の酒まんじゅうをいただきました。
ほのかな麹の香りを口中に残しつつ、3煎目です。
3煎目は熱めのお湯を茶葉の倍以上に注ぎます。
コクは薄れますが、「新茶を飲んだぞ!」という満足感に満たされます。
最後は茶葉に塩をふりかけて食べてしまいます。
これを味わえるのは、みるい(柔らかい)新芽のみ。
塩と渋みのコラボが絶妙。ふんわりと爽やかです。
お茶を運んだ古道入り口に立つ道しるべの馬頭<さんです。
現在は「ティーロード」と名付けられハイキングの道になっています。
内野家はこの地に400年続く旧家です。
その太く黒光りした梁の下で、内野さんのお話をお聞きしました。
「ここの子供たちは聖(ひじり)の子なんです。聖一国師の子供たちですから。
国師は京都の東福寺を開山した人です。
それで毎年、修学旅行のとき中学生たちが、
国師ゆかりの東福寺で献茶をします」
大川地区にある大川中学校は全校生徒が10人の小さな学校です。
昨年は3年生4人が献茶をしたそうです。
こんなこと、都会の子供では決してできません。
やっぱり「聖の子」でなくちゃね。
東福寺には大川中学校の生徒たちが育てた栃沢の茶の木があり、
栃沢には東福寺からいただいた>紅葉が見事に枝を広げています。
話す内野さんの誇らしげな、嬉しそうな顔。
聞き惚れ過ぎてカメラがブレてしまいました。
そうそう、福岡県の「博多祇園山笠」、
その生みの親はこの聖一国師さんなんですよ。
国師は宋から帰国したとき、まず福岡へ留まり承天寺を建てた。
そのころ蔓延していた疫病退散のため、町人たちが担ぐ施餓鬼棚に乗り
水をまきながら祈祷したのが山笠の始まりなんだそうです。
祭りが近づくと、
国師生誕地の水を汲みに、福岡からはるばるここへやってくるそうです。
福岡県博多と静岡県栃沢との不思議な縁です。
聖一国師さん、どこかで微笑んでいるかもしれません。
祇園山笠は博多の櫛田神社のお祭りです。
この神社には力石がたくさんあります。
現代の力士たちの力石があることで有名ですが、
昔の怪力たちの力石にこそ、注目していただきたい。
江戸から明治にかけて活躍した神奈川出身の神奈川権次郎や
稲毛平次郎刻字の力石があります。
これは神奈川権次郎の名が記された慶応3年の番付です。
神戸商船大学蔵
またここには福岡県有形民俗文化財の力石が3個あります。
「九州・沖縄の力石」の表紙に描かれた櫛田神社の力石です。
石の刻字は、「三百五拾斤余」
博多そうめんの元祖で狂歌師の富田久右衛門が還暦の年に抱えた
46貫目の石もあります。石の裏面にはこう記されています。
いつまでも 変わらぬ御世の力石
六十一で心持よさ
ーーーーー◇ーーーーー
栃沢の馬蹄石について
静岡市経済局農林水産部中山間地域振興課さまより、
情報と共に写真や地図等頂戴しましたので、掲載させていただきます。
広域地図
詳細地図 馬蹄石は、県道205号を進み、
「山水園」というお茶屋さん方面に曲がった道端の右手にあります。
現地写真
栃沢の馬蹄石
下記の「オクシズ情報」をご覧ください。
この栃沢を含めた静岡市の中山間地域の魅力満載です。
「オクシズ」
「オクシズTwitter」
※参考文献・画像提供/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009
/「九州・沖縄の力石」高島愼助 岩田書院 2009
鎌倉中期の臨済宗の名僧、
円爾(えんに)=聖一国師(しょういちこくし)=の生まれ故郷、
静岡市・藁科川(わらしながわ)上流の栃沢(とちさわ)へ行ってきました。
ここは大川地区といって、この栃沢を含めた8つの集落で成り立っています。
「広さは東京の山手線内と同じくらい」なんだそうです。
農林地93.1%。海抜200~800m。
そこに309世帯、797人が暮らしています。
本日お伺いした栃沢は、31世帯、81人の集落です。
栃沢は、源頼朝に献上された名馬「駿墨」するすみ)の生まれ育った所
といわれています。
同じ伝承なのに、岐阜県の方は「磨墨」、こちらは「駿墨」。
でもまあ馬の産地だったことは間違いありません。
ですからこんな石も残されています。駿墨のひづめの跡がついた「馬蹄石」
静岡県で2番目に大きいかやの木です。
静岡市栃沢・龍珠院(曹洞宗)
「聖一国師の名を知っている人は少ない」と地元の人は残念がりますが、
本当はすごい人なんです。
34歳で中国・宋へ渡り、40歳の時帰国。
そのとき持ち帰った茶の実、それが現在の静岡茶(本山茶)になったんです。
この恩を忘れないために、聖一国師の誕生日の11月1日(新暦)は、
お茶の日になっています。
国師生誕の地・栃沢から峠を越えると、茶の実を蒔いた足久保に出ます。
江戸時代には将軍家御用茶として知られた足久保茶の産地です
その古道沿いにある子安神社です。
寛文13年(1763)の鰐口には、
「藁科(わらしな)の里」ではなく「菊科(きくしな)の里」と彫られているそうです。
峠の古道に野菊が咲き乱れていたからだとか。
子安神社の入り口にある石碑です。
左の石碑には昭和8年の大火で、
このあたり一帯がことごとく焼けてしまったことを記してあるそうですが、
磨滅していて読めません。
右は大正時代、大八車が通れるようになった開通記念碑。
茶農家「山水園」の経営者、内野さんです。
ブログ「山水園」での自己紹介は、
「静岡の山奥で茶を栽培する小さな小さなひゃくしょう!」
本当は決して「小さくはない」研究熱心な凄い人です。
「新芽は二葉を手摘みで摘む」
その初摘みの新茶をいただきました。
「シャンパングラスで新茶」です。
初めの一煎目は大匙一杯ほどの水を注ぎます。
グラスを傾けて香りを味わい、それからいただきます。
コクのある甘さと渋みが口中に広がります。濃い!
2煎目はややぬるめのお湯を茶葉すれすれに注ぎます。
そのあと自家製の酒まんじゅうをいただきました。
ほのかな麹の香りを口中に残しつつ、3煎目です。
3煎目は熱めのお湯を茶葉の倍以上に注ぎます。
コクは薄れますが、「新茶を飲んだぞ!」という満足感に満たされます。
最後は茶葉に塩をふりかけて食べてしまいます。
これを味わえるのは、みるい(柔らかい)新芽のみ。
塩と渋みのコラボが絶妙。ふんわりと爽やかです。
お茶を運んだ古道入り口に立つ道しるべの馬頭<さんです。
現在は「ティーロード」と名付けられハイキングの道になっています。
内野家はこの地に400年続く旧家です。
その太く黒光りした梁の下で、内野さんのお話をお聞きしました。
「ここの子供たちは聖(ひじり)の子なんです。聖一国師の子供たちですから。
国師は京都の東福寺を開山した人です。
それで毎年、修学旅行のとき中学生たちが、
国師ゆかりの東福寺で献茶をします」
大川地区にある大川中学校は全校生徒が10人の小さな学校です。
昨年は3年生4人が献茶をしたそうです。
こんなこと、都会の子供では決してできません。
やっぱり「聖の子」でなくちゃね。
東福寺には大川中学校の生徒たちが育てた栃沢の茶の木があり、
栃沢には東福寺からいただいた>紅葉が見事に枝を広げています。
話す内野さんの誇らしげな、嬉しそうな顔。
聞き惚れ過ぎてカメラがブレてしまいました。
そうそう、福岡県の「博多祇園山笠」、
その生みの親はこの聖一国師さんなんですよ。
国師は宋から帰国したとき、まず福岡へ留まり承天寺を建てた。
そのころ蔓延していた疫病退散のため、町人たちが担ぐ施餓鬼棚に乗り
水をまきながら祈祷したのが山笠の始まりなんだそうです。
祭りが近づくと、
国師生誕地の水を汲みに、福岡からはるばるここへやってくるそうです。
福岡県博多と静岡県栃沢との不思議な縁です。
聖一国師さん、どこかで微笑んでいるかもしれません。
祇園山笠は博多の櫛田神社のお祭りです。
この神社には力石がたくさんあります。
現代の力士たちの力石があることで有名ですが、
昔の怪力たちの力石にこそ、注目していただきたい。
江戸から明治にかけて活躍した神奈川出身の神奈川権次郎や
稲毛平次郎刻字の力石があります。
これは神奈川権次郎の名が記された慶応3年の番付です。
神戸商船大学蔵
またここには福岡県有形民俗文化財の力石が3個あります。
「九州・沖縄の力石」の表紙に描かれた櫛田神社の力石です。
石の刻字は、「三百五拾斤余」
博多そうめんの元祖で狂歌師の富田久右衛門が還暦の年に抱えた
46貫目の石もあります。石の裏面にはこう記されています。
いつまでも 変わらぬ御世の力石
六十一で心持よさ
ーーーーー◇ーーーーー
栃沢の馬蹄石について
静岡市経済局農林水産部中山間地域振興課さまより、
情報と共に写真や地図等頂戴しましたので、掲載させていただきます。
広域地図
詳細地図 馬蹄石は、県道205号を進み、
「山水園」というお茶屋さん方面に曲がった道端の右手にあります。
現地写真
栃沢の馬蹄石
下記の「オクシズ情報」をご覧ください。
この栃沢を含めた静岡市の中山間地域の魅力満載です。
「オクシズ」
「オクシズTwitter」
※参考文献・画像提供/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009
/「九州・沖縄の力石」高島愼助 岩田書院 2009