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埼玉の「力石親善大使」

力持ち大会
04 /29 2023
金沢市在住のそばつぶさんから、
「埼玉県の力石を、日々持ち上げて巡っている方がいます」
との連絡をいただきました。

「さかもっちゃん」こと 坂本さん。

動画を見てたまげました。
いままでにないキャラクターです。




石を持ったまま、しゃべり続けます。

夫婦円満、家族愛、若者たちへのメッセージ。


子供が生まれたァと言っては石を持ち、
結婚記念日には愛妻への感謝を込めて石を担ぐ。

社会科見学にやってきた小学生たちを前に、急きょ石を担いだときは、
いつになくあがっちゃって…。
純情なんですね。(#^.^#)

さかもっちゃんは、5人の子どものお父さん。
家族だけではなく誰にでも、
あふれんばかりの愛を、惜しみなく「まき散らす」

動画を見ている私まで、ふんわりホッカホカ。
さかもっちゃんは心優しい力持ちさんなんです。




市会議員もついつられて石に挑戦。
参拝に来たお兄さん、子育て中のママ、73歳の実母まで。

元気いっぱいの笑顔とトークに引き寄せられて、誰もが力石に寄ってきます。


まさに「力石親善大使」です。!!

掲示板の下には、石を担いだときの坂本さんの写真が貼られています。



なんだか、あの「柴又の寅さん」と重なってきちゃって…。

どうぞ、下記のURLから、
坂本さんの力石に掛ける情熱とはじける笑顔とマシンガントークを
とくとご覧ください。

きっと日ごろの憂さも吹っ飛びます。


「さかもっちゃんねる」

でも、「さかもっちゃん」さん、

たまには黙って担いでチョ!

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「力持ちは日本を元気にする」

力持ち大会
04 /26 2023
JSU代表の中嶋健詞氏は、

「力持ちは日本を元気にする」を信条に、

「日本による日本のための日本の筋力文化」実現のため、
「ストロングマン競技の発展、普及、選手育成」に日夜、心血を注いでいます。

動画を拝見すると、ストロングウーマンもいらっしゃる。
しかもみなさん、キリリとして美しい。

素敵ですね!




で、ストロングマン道をひた走る吉川氏に、
「力石に興味を持たれたきっかけ」をお聞きしたら、
「2年前ごろ、越谷市出身の三ノ宮卯之助を知ったことから」と。

卯之助を通じて力石に目を向けてくださったとは、本当に嬉しい。

金沢市在住のそばつぶさんから、
「吉川さんは、鷲宮神社の力石のほかに、
白岡市実ヶ谷の久伊豆神社の力石にも挑戦されています」
との
またまたうれしい知らせ。

同時に、下記のインスタを送ってくださった。

鳥居の写真右横の矢印をクリックすると、力石が、次をクリックすると
石担ぎに挑戦している吉川氏が出てきます。

「吉川さんのインスタ」

超重量を挙げ、無差別級4位のツワモノの吉川氏ですが、
力石は勝手が違うようで、ちょっと苦戦。

「バーベルと違い天然石なので重心が捉えずらいので難しいです」
と吉川さん。


浪速の長州力さんも岐阜の大江誉志さんもそばつぶさんも、
同様のことをおっしゃっていました。

「力石はバーベルのように持つところがない。
その上、形が様々だから重心がつかみにくい。
石質によっては滑ったり尖っていたりで、一筋縄ではいきません。

また、鉄分を多く含んだ石は小さくても重いなど、
必ずしも大きな石が重いとは限らない

バーベルと力石では持ち上げる技術やコツが全く違うんです」

「Japan strongest unity2021」での無差別級受賞者さんたち。
右端が吉川実氏です。
みなさん、カッコイイですね!

2021無差別級
「SBD JAPAN 公式BLOG」より

改めて吉川さんに、鷲宮神社での石上げの感想をお聞きしたら、

「何回も触れば上がりそうな気がしました。
今上がらないものが練習して上がるようになる達成感がたまらなく好きなので、
いろいろチャレンジしていきたいです」

「とりあえずは四十五貫目上げないと…」と。


古代エジプトやインド、ギリシャなどでは力石を、
「男らしさの石」(manhood stone)と呼んでいたとのこと。

きっと近いうちに、ストロングマンの心意気をみせてくださると思います。

私、「ちから姫」としましては、ストロングマンのみなさまに、
一度でいいからぜひ、
力石に挑戦していただけたら、

と、そう願っております。


卵と並んだ私の「力石」です。片手で上がります。
CIMG2846.jpg

埼玉県白岡市・上野田鷲宮神社総代さまを始め、
ストロングマンの吉川実さま、プロレスラーの稲村愛輝さま、
映像などお借りしたJapn Strongest Unity代表BIGKG・中嶋健詞さま、
SBD JAPAN 公式BLOGさま、

厳しくも楽しい「力の世界」を見せていただき、
ありがとうございました。今後ますますの発展を祈りつつ…。

そして神社境内の一枚の掲示板から、思わぬ世界に導いてくださった
斎藤氏に、感謝とこんなお願いを。

「また夢の扉の発見を待ってまーす!」


ーーーお知らせ

東京・お台場で「キメラゲームス」「ストロンゲストマン」を開催。
2023年5月20日(土)~21日(日)
会場は青海臨時駐車場NOP区画(東京都江東区青海1丁目1)
「CHMERA GAMES VO1.8」

横田基地・野外ステージで、
「ストロングマンチャレンジ」を開催。2023年5月21日(日)
「横田基地日米友好祭2023」

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力の極限に挑む

力持ち大会
04 /23 2023
ストロングマン

こういうスポーツがあることを、私は全く知りませんでした。
つくづく、
やっぱり年を取りすぎたなぁとわが身を振り返りました。

白岡市の鷲宮神社の力石に挑戦した吉川実氏は、
「海外ではかなりメジャーなスポーツです」とおっしゃった。

その吉川氏、私からの質問にいろいろ答えてくださったのですが、
その中に「そばつぶ君とはインスタで知り合いです」とあって、びっくり。


「そばつぶ君」=金沢市在住で、力石に挑戦している若者のこと。

うわぁー、思わぬつながりです。

吉川さんが「彼はやりこんでいますね」と評価したそばつぶさんに、
早速、メールすると、こんな返事が…。

「彼らはストロングマンと呼ばれる超人パワー集団の人なので、
私とは子供と大人くらいの力の差があります」


その吉川氏、(↓クリックしてね!)
「JAPAN STRONGEST UNITY」
所属のストロングマンで、
同会の関東支部を主宰し、ご自宅の道場で合同練習をされているとのこと。


JSU代表の中嶋健詞氏(前列中央左)と吉川実氏(同・右)
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「JAPAN STRONGEST UNITY」HPよりお借りしました。

プロレスラーの稲村愛輝選手とのご縁は、
「この関東支部に参加している関係から、今回力石に一緒に参加してくれた」
そうです。


ビッグな3人とビッグなおやつ!


即席の聞きかじりですが、このストロングマンというのは、
人間が持つ力の極限へ挑戦するスポーツで、

ウエイトリフティングやパワーリフティングがバーベルのみ使うのに対して、
こちらはタイヤでもドラム缶でもなんでも使うそうです。


凄い世界があるもんですね。

大正から昭和初期に活躍した力石の力持ち・神田川徳蔵さんが知ったら、
きっと飛び入り参加をしたのではないかと思います。


徳蔵のことは拙ブログで詳しく紹介しましたが、改めて簡単に述べてみます。
本名・飯田徳蔵。旧姓「佐納」。茨城県那珂湊出身。明治24年生。

東京・秋葉原の神田川沿いにあった「神田川米穀市場」、
そこの荷上げ業「飯定組」の陸仲士だったころの徳蔵です(後列右端)。
のちに親分に見込まれて2代目を継ぎます。前列は養父。後列左は羽部重吉。
全員、ピカピカの皮のブーツを履いています。
より神田川徳蔵孫

日本政府が海外からバーベルを購入する13年も前に、
徳蔵はすでにバーベルを持っていました。


愛用の力石を足元に、当時「球棹」と呼ばれていたバーベルを持つ徳蔵。
当時の写真にはどれにも力石とバーベルと鉄アレイが写っています。
進取の気性、先見の明があったようで、当時は貴重品だったカメラも所持し、
たくさんの写真を残しています。
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徳蔵は、世間から「ただ馬鹿力を出すだけのもの」と蔑まれ、
練習場も道具もなく困っていた若者たちのために、自費で道場を建てた。


この「力」について、私がお会いした力石経験者の誰もがこうおっしゃった。

「ただ馬鹿力を出しただけでは石は上がりません。
それだけに頼ると腰を痛め腹が裂けて、歯もガタガタになる。命を落とす」

そんなお一人、今は亡きMさんです。若いころ愛用した力石と。
「山仕事だったんで力がないと。それで暇さえあればこれで鍛えたんだ」
穏やかな優しい笑顔が、今も目に浮かびます。
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その重量挙がようやく理解を得られたのは、戦後初の東京オリンピックで、
三宅選手が金メダルを獲得してからというのですから、

徳蔵が若者たちに道場を提供していた時代は、
どれだけ世間からの冷たい目にさらされていたことか。


ここで育ち、のちにウエイトリフティング協会理事長になった井口幸男は、
徳蔵さんは仕事帰りにそっと道場をのぞき、
「がんばれよ」と声を掛けてくれたと、著書に書いている。

そのころの徳蔵氏です。重量挙選手権大会をたびたび主催。
甥の飯田勝康は、戦後、両陛下の前で重量挙を披露し、
三宅選手を始め多くの選手を育てるなど、コーチとして活躍した。


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徳蔵が建てた「神田川重量挙道場」での若木竹丸氏。

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昭和7年(1932)、朝鮮中央研究所の徐相天より
「第2回朝鮮力道大会」に招待されて、この3人で参加。
左から徳蔵、若木、徳蔵の甥の飯田一郎

徳蔵と若木たちの年齢差は20歳。

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私が大好きな力持ち、徳蔵さん。

東京大空襲で焼け出され、「飯定組」時代、徳蔵の片腕だった
羽部重吉の家に身を寄せ、終戦を迎えた。

その翌年、
一人息子が戦地から生還。それを見届けた直後に急逝。享年55歳。

力石をバーベルに持ち替えて、
日本のウエイトリフティングの基礎を作った力持ち力士です。


今、力の極限に挑むストロングマンたちの活躍を、
空のどこかでニコニコしながら見守ってくれている、そんな気がします。


※徳蔵の写真はすべて、縁者の方からの提供です。

つづく

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男たちの競演

力持ち大会
04 /20 2023
上野田鷲宮神社の総代さんのS氏から、2通目のメールが届きました。
昨年、境内に立てた掲示板と同じ文面の、新しい「お知らせ」を貼付。

温かみのある内容で、ホッとしつつ有難く拝受。

その「お知らせ」がこれです。
鷲宮掲示板文
この下に写真が続いています。

これによると、石を担いだのは、
地元の
吉川 実さんとプロレスラーの稲村愛輝選手とあります。

プロレスラー! いつもの力持ちの登場とは違う展開です。

プロレスで思い出すのは、今は亡き母のプロレス好きです。
日ごろは見せない姿が、もうね、凄かった。

テレビに向かって叫ぶんですよ。

「そこだ!やれ!」「いいぞ! もっとやれ!」

良妻の仮面の下に溜め込んだうっぷんを晴らすみたいに。


反して私はスポーツの試合は見ていられないタチで、
サッカーでも野球でも勝敗にはハラハラし通しで、生きた心地がしないから、
今でも試合が終わったあとのダイジェスト版しか見られない。

だから一対一の格闘技なんてとてもじゃないけど、
自分がリングにいる選手と同化して、全身ボコボコ、アザだらけになる。

なにしろ子供の頃から感情移入が尋常ではなかったから、
チャンバラや西部劇の映画を見た後は、体中、刀傷や銃弾の穴だらけで、
瀕死の体
(てい)でヨロヨロと映画館を出た。

上映中も「イタッ」「ウウッ」と呻くので、「うるさい」と叱られた。

こちらは、地元の吉川実さんです。
吉川さん
埼玉県白岡市上野田・鷲宮神社

ここの力石、四十五貫目(約168㎏)もありますから、
吉川さんの体と比べても、その大きさがお分かりいただけるかと思います。


力石全盛のころは16貫(60㎏)が最低の重さで、
プロはそれ以上の石を担いだ。

高島先生の調査によると、20貫目から30貫目前後が多かったそうですから、
四十五貫もあるここの力石は格別の重さということになります。


こちらがプロレスラーの稲村愛輝さんです。
画像1

まだまだ余裕のお顔ですが、
「肩までいかなかったので、二人とも満足せず、後日再度チャレンジする」
とのこと。


楽しみです!

最近はすね毛を気にして脱毛し、整形顔のナヨッとした
少年ぽい男ばかりが目について、日本はこの先、大丈夫かと
心配していたけれど

この、仁王さんみたいなド迫力の、
これぞ男の中の男たちという「力持ち」の出現に、

いやー、まだまだ世の中、捨てたもんじゃないな、と。

下のURLは稲村選手が所属する「プロレスリング・ノア」のサイトです。
稲村選手の紹介をしています。どうぞ、ご覧ください。

「プロレスリング・ノア公式サイト」

上野田鷲宮神社の本殿を背景に、力持ち3人が並んでいます。
左側が稲村選手、中央が吉川さんです。

wasimiya3

さて、この日、四十五貫目の力石に挑戦したお二人、
どういうお知り合いか、吉川さんにお聞きしたら、

「ストロングマン」っておっしゃった。

ストロングマン?
私、この名称、初めて知りました。


つづく

ーーー
吉川実氏より、ストロングマンについて下記の記事が寄せられました。
参考までにどうぞご覧ください。

「世界最強の男」

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令和の力持ち現る

力持ち大会
04 /17 2023
盃状穴の途中ですが、臨時〈ニュース〉です!

ーーー

今年2月のできごとです。

力石研究者の斎藤氏が、2月にしてはポカポカした陽気につられて、
埼玉県白岡市の鷲宮神社を訪れたときのこと。

境内に何やら掲示板が立っていたので、近づいてみると、


「令和の力持ち現る」の文字が…。

なんと、ここで力石を担いだという内容ではないですか。

鷺宮レスラー2
埼玉県白岡市上野田・鷲宮神社

石を担いだのは昨年12月。
掲示板は雨に打たれて滲んでいましたが、
ここで石を担いだ人がいたなんて、これはもう興奮せずにはいられません。

担いだ力石はこれ(下の写真)です。

「〇(梵字)奉納 高祖大明神石 
四十五貫目 武州埼玉郡太田庄岩付領上野田村施主
安永六年酉霜月六日 吉沢作右衛門 敬白」

江戸中期の1777年の奉納です。

この石が奉納されたのは、どんな時代だったかというと、
東京・富岡八幡神社に石を残し、七代目市川団十郎に唄われた
「中の字」こと
中村弥兵衛や、
「石の平蔵」の異名をとった八丁堀・亀嶋平蔵
活躍していたころです。


そしてこの石は、
岩付領三野宮村出身の
三ノ宮卯之助が生まれる30年も前の石なんです。

鷺宮レスラー1
79×38×32cm 四十五貫目は約168㎏

いったいどんな人が挑戦したんだろうと、もう知りたくてウズウズ。

でも、開催から2か月もたっているから、雨風に打たれてこれこの通り。

かろうじて、屈強な男たちが写っているのがわかりますが、
うーん、じれったい!

なんとしてでも突き止めねばと血が騒ぐ。

というわけで、
いつもの
「突撃取材」を開始。

鷺宮レスラー3

でも連絡先は、白岡市の上野田鷲宮神社しかわかりません。

そこで斎藤氏が見つけてくれたツイッターを拝見。

確かに同じような写真が出ていましたが、
政治家さんの後援会だろうか。その関係者の名前しかない。

ならばと、その後援会事務所を検索したら、
ヒットはしたけれど連絡先は、これまた事務所の住所だけ。

それならと、手紙を出しました。

後援会事務所に遠方から、見ず知らずの、
しかも年齢不詳の女からの手紙ですから、どこぞの県知事じゃぁないけれど、
選挙の前だから、怪文書かワケあり女人からの恨み骨髄の告発文か! 
なァーんて思われかねない。

とまあ、いらぬ心配をしつつ、待つこと一か月余。

ようやく、鷲宮神社の総代さんからメールが届きました。
やれやれと、ひとまず安堵。


上野田鷲宮神社の力石を別角度からアップ。
わしみや3

総代さん、鮮明な写真とともに、
丁寧な文面の以下のメッセージまで送ってくださったんです。


「この力石持ち上げの経緯ですが、
地元の力自慢の若者が、この力石を持ち上げたいと挑戦して、
神社総代の私が立ち合いしたものです」

地元の力自慢の若者!

思いがけない話に発展しそうな気配。期待が高まります。\(^o^)/

つづく

ーーーーー

斎藤氏から以下、寄せられました。
「上野田鷲宮神社の社号標は、中村不折の揮毫ではないかと思うのですが…」

これです。
わしみや2

中村不折は明治~昭和初年に活躍した洋画家・書家。

夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵や、森鴎外の墓碑銘を揮毫した人で、
俳人の正岡子規などとも親交があった。

総代さん、社号標の揮毫は果たして、中村不折の書でしょうか?



ーーー斎藤氏からーー

上野田鷲宮神社の社号標について、調査の結果、
「残念ながらここのは違いました」とのご連絡がありました。

後日、その調査結果などをお知らせします。

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縄文人・男女の役割分担

盃状穴②
04 /14 2023
岩に矢を打ち込んだら、大神が生まれた話にちなみ、
「井戸尻考古館」
(長野県)より縄文の土器の写真をお借りしました。
その折、日ごろ思っていたことを学芸員さんにお尋ねしてみました。

専門家の方にとっては、稚拙な質問だと思いますが、
丁寧に対応していただきました。

私信は公表すべきでないと迷いましたが、
私一人で享受するのはもったいないと思い、ブログに載せました。


あくまでも一人の学芸員さんの、
個人的なご意見として受け止めていただけたら幸いです。

学芸員さま、お許しを。

井戸尻考古館の動画です。

長野県諏訪郡富士見町境・井戸尻考古館 

私からの質問。

「考古学博物館の縄文や弥生人の暮らしの動画での
火起こしや土器づくりの場面では、ほとんど男性がやっております。
  
ですが古い調査書(例えば金関丈夫先生)などを見ると、ボルネオとか
アフリカ原住民では土器づくりは女性の仕事。
また火の管理者は日本でも近現代まで女性が担っていました。

ですので、
火起こしも土器づくりも酒を醸すのも、女性たちの仕事だったのでは、と。

それであのような性や出産や子供にまつわる文様や酒の壺などを
作り出せたのでは、と思いました。

縄文と弥生の違いはあると思いますが、集落内の仕事はほぼ女たちで、
男たちの仕事は狩猟と部族間の闘争で普段はぶらぶら。
そういう分業があったのではと思ったことと、

動画の男女の仕事内容が、
明治以降の家父長制度の影響を受け過ぎているように思いました。

何の根拠もない素人の妄想でお恥ずかしい限りですが、
よろしくお願いいたします」


これに対して、学芸員さんから以下、頂戴しました。

「縄文時代に置いて、男女の役割分担があったかなかったのか、
またあったとしたらどのようなものであったか、研究者の間でも
意見が分かれており、こうだったというふうに断言できないのが現状です。

雨宮さんが言及されているように、民族事例あるいは民俗例において、
女性の土器づくりの報告は数多くなされていますし、

また最近では、
海外の事例ですが女性も狩猟を行っていたという報告もあります。

「9000年前に女性ハンター」

一方では、特に大型の土器については男性でないと作成が難しいのでは
ないかという指摘や、中国のお墓からの出土事例により、
木材加工具である磨製石斧は男性に帰属しているようだとの報告もあります。

縄文時代の分業については、未だ正解が見つかっていないというのが
現状であり、当館としても意見の方向性を明示していません。


当時の人々の生活の復元の様子が、いかにも男性社会的で明治の
家父長制の影響を受け過ぎているのではないかというご指摘も受けました。

こちらについては、明治時代以降、考古学という学問は男性研究者によって
リードされてきた歴史がありますので、
そういう傾向は多少あるかもしれないと、私個人としては思います。

最近は女性の研究者も増えてきて、
少しずつ新たな視点での研究が始まってきたように感じます」


ーーー

※参考までに、
 今、読み始めた「生と死の考古学」山田康弘 東洋書店 2008に、
 アメリカの社会学者が世界各地の民族誌をもとに出した、
 男女分業の割合の紹介が出ています。
 グラフの見方がわからなくて、まごまごしているところです。

ーーー

考古学者の河上邦彦先生の著書を数冊、読みましたが、
考古学という学問は、単に古いものを掘るだけではなく、
そこから当時の社会構造、風水思想や民俗学的なものまで推し量る、
そういう広い知識と想像力や柔軟性が必要な学問であると教えられました。


ご著書「考古学点描」(六興出版 平成元年)に、こんな記述がありました。

「吉野山へ行った折、小さな集落の道端に祠があるのに気づいた。
中に石仏が祀ってあり、軒下にひもで石がつるしてある。
通りがかった人に尋ねたら、耳の聞こえにくい人が良く耳が通るように
願掛けをした石だと教えてくれた」


先生が見たのは、こうした「穴あき石」だったのでしょう。
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静岡市葵区松野・阿弥陀堂

「信仰深い素朴な村の生活が浮かんだ。どのような人が奉納したのかと
思いながら石を手にしていると、一個の緑色の石に気が付いた。
それは弥生時代の稲穂を刈るときに使った〈石包丁〉だった」


先生は、願掛けをした人には申し訳ないと思いつつ、
貴重な考古学資料なので、町教委に連絡して保管をお願いしたそうですが、
こんな感想も書かれていた。

「しかしちょっとおもしろいではないか。
弥生人の生活道具が、2千年をへだてた現代人の信仰道具になるとは!」


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岩と矢と穴

盃状穴②
04 /11 2023
「盃状穴」を見極めようとしているのに、そこからだんだん遠ざかる。
どうやら私は迷路に迷い込んだらしい。

でもまあ、やるっきゃないか。

「岩から生まれ出ずる神」の話です。

西アジアに、キリスト教やゾロアスター教以前の
「ミトラス教」なる、なにやら秘密めいた原始宗教があったそうです。


この宗教は西アジアで生まれ、古代イランからローマ帝国に広がり、
なんと、日本の弥勒信仰も、
その流れを汲んでいるというのですから驚きました。

弥勒といえば、静岡市には「弥勒町」という町が今もあるんです。
大河・安倍川のそばの町で、
江戸時代にはその近くに、幕府公認の遊郭「二丁町」があった。

「東海道中膝栗毛」に描かれた「二丁町」です。
元は五丁あったが、のちに一部が江戸の吉原へ移転して二丁になったとか。
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「日本名著全集 膝栗毛其他 上」 日本名著全集刊行会 昭和2年

「あべ川まちといへるは、あべ川弥勒の手前にて、通り筋より引っ込みて
大門あり」
。作者の十返舎一九は駿府生まれだから詳しい。

三代将軍家光が没した頃、
安倍川辺に住んでいた弥勒院と名乗る山伏が還俗して餅屋になった。
それがこの町の由来なんだそうです。


この「安倍川もち」、今は静岡土産として観光客に人気です。
今も往時の餅屋が並ぶ先に、長い安倍川橋が架かっていますが、
旧名は「弥勒橋」。江戸時代は橋はなく川越でした。

二丁町の花魁が差していた櫛から、工芸作家さんが作ったペンダントです。
螺鈿と金細工の蒔絵。壊れてしまったけれど、花魁の生きた証しを
せめて私だけでも覚えていてあげたいと、今も大切に持っています。
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さて、
「輪廻の話」(法政大学出版 1989)の著者・井本英一先生によると、

ミトラス教の神もまた洞窟の岩から生まれた神さまで、
弓矢の「矢」と密接に関係があるというのです。


ミトラス神に限らず、神さまの誕生には「矢」が重要な働きをしていたそうで、
「出雲風土記」に出てくる「佐太大神」も、
岩に金の矢を打ち込んだら生まれたといい、

「古事記」「日本書紀」や「山城国風土記」にも、
丹塗矢が女の陰(ほと)を突いたら、神の子が生まれた話が出てきます。

神武天皇の皇后もそうした出自を持つ御子神。

そこでこんな写真を、井戸尻考古館からお借りしたんです。
もうばっちり「矢」が表現されているんですよ。

「蛇頭半人半蛙(はんあ)交会文深鉢」 曽利遺跡出土
【曽利遺跡出土】蛇頭半人半蛙交会文深鉢
井戸尻考古館所蔵(長野県諏訪郡富士見町境)

縄文時代の土器です。考古館の説明によると、

「蛙形の図像下方から突き上げる矢印=蛇頭・陰陽交会の図を
表わした土器」


つまり、矢=蛇の頭=男根ということになります。
半分人で半分蛙という精霊が豊穣と多産のシンボルの蛇と交わって、
「神の子」を宿すということでしょうか。

この土器、
神の誕生が「矢」というところが、ミトラス神の誕生と同じなんです。

今のような通信機器がなかった時代に、
古代イランやローマ帝国と日本の縄文時代が通底していたなんて、
もうビックリです。


「終末観の民俗学」(宮田登 弘文堂 昭和62年)にも、
群馬県吾妻郡中之条町五反田の嵩山(789m)の弥勒が出てきます。

「頂上近くにミロクサンが祀られていて、
このミロクサンは「穴の神」だといい、耳、目、口、鼻などの病を治す。

また女の神であり婦人病を治すともお産の神だとも言われている。
本体は弥勒仏で、断崖の洞窟の奥に安置されている」

この耳、目、口などの「穴」ですが、人体には九個の穴があって、
易学ではこれを「九宮」といい、
「八方(八卦)」に配属された地上の分野としています。

これは私がいつもザックにぶら下げている「八方除け」
中央は「気」が集まる「龍穴」「大地のへそ」
三ノ宮卯之助像がある姫路市の魚吹八幡神社で求めたお守りです。
八卦除け1

今年1月、拙ブログへご訪問くださる方から、
小川哲氏の直木賞受賞作、「地図と拳」にも九宮八卦が出てきますよ
と教えていただき、早速、図書館へ申し込んだ。

大人気の本だそうで、やっと手にしたのが3月。これがまた分厚い本で…。

時代は満州国建設の第二次大戦ごろ。架空の町を背景に、
秘密結社だの日本人密偵、謎のロシア人神父だのが登場。

そこに孫悟空という男が出てきて死なない体づくりをするわけですが、
そこにこの「九宮と八卦」が出てきました。

私にはちょっと苦手な本でしたが、
今はこうした空想小説が好まれているのかと、考えさせられました。

さて、
ミトラス神と弥勒仏の共通点は、死と生の境界の神だったことですが、
ミトラス教は女人禁制だったのに対して、
日本のミロクサンは女人に寄り添う「神」だったようで…。

ただどちらも「穴」に縁があった。

江戸時代に流行した「冨士講」という信仰があります。
現在、関東周辺には、
富士山を模した「富士塚」が残されていて往時を偲ぶことができます。

これは、富士山の火口こそ「ミロクの世界」とした信仰で、
火口を「女陰(ほと)」と見て石棒を立て、命の再生を願った。
そして、生命誕生の場は山麓の穴「御胎内」としていました。

冨士講の始祖・角行が入定した富士山の「人穴」です。
CIMG1346.jpg
富士宮市人穴

角行の弟子、「食行弥勒」も、のちに富士山の岩穴で入定します。

で、この信仰が特に取り組んでいたのが、
「男女平等」「男女和合」だったそうです。

お手すきの折にでも拙ブログの「富士塚」をご覧いただけたら幸いです。

ミトラス教の影響を受け、インドで生まれたこの「弥勒信仰」、
平安時代ごろから「阿弥陀信仰」に取って代わられたそうです。

弥勒さんが衆生救済に天上から降りてくるのは、
釈迦入滅後の56億7000年後だというし、
弥勒浄土に行くには自力で修行しなければならない。

対して阿弥陀さんの方は、
他力で阿弥陀浄土に行けるというのですから、こっちの方が楽ちん、


と考えたのかどうかわかりませんが、
まあ、信仰にも流行りすたりがあるということでしょうか。

さて、「迷路」にはまった私ですが、
またまた、こんな言葉に惹きつけられてしまいました。

「ミトラス信仰にはがつきものである」

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大地のへそ

盃状穴②
04 /08 2023
人は「火」で己の罪や穢れを焼き払い、「水」で清めて再生する。

ならば、その場所はどこかというと、
歴史、民俗、文化人類、考古の学者さんたちは異口同音に、
それは「境界」だという。


そこは道が複数に分かれた場所で、境、辻、坂、岐(くなど)ともいった。

何の境かというと、異界(あの世)と現世(この世)だという。

その境界には「大地のへそ」があるという。

「へそ」は平板状をなしていて「天の磐座」ともいい、あの世への入り口で、
その下には水陸両棲の蛇や亀や蛙が住んでいるとされていた。

この「へそ」は、
インドネシア・リオ族にも、古代ギリシャのアポロンの神殿にもあった。


アポロンの神託所には大蛇ピュトンが棲んでいて、アポロンに殺されて
へそ石(オンパロス)の下に埋められたと、

「十二支動物の話」(井本英一 法政大学出版 1999)に書かれている。

こちらは以前取り上げた「さいとくさん」(姫路市別所町)です。
地元では「さいのかみさん」(道祖神)と呼ばれている板状の石で、
盃状穴が穿たれています。


私がこの石にこだわっているのは、これはよくある道祖神というより、
もっと重要な「大地のへそ」ではなかったかと思っているからなんです。
また石の六角形は、
仏教の「六道輪廻」「六角堂」を表わしたものではないか、と。
さいとくさん
「盃状穴考」国分直一監修 国領駿、小早川成博編集 慶友社 1990

「大地のへそ」には、大地と天をつなぐ「生命の樹」が生えていて、
これを上り下りすることで「輪廻転生」が行われるのだという。


この「生命の樹」、キリスト教ではエデンの園に生えていたそうですが、
日本の生命の樹は、ご神木や柱や家の大黒柱などで、卒塔婆もそう。
縄文遺跡の巨大な柱もそうですよね。


下の写真は、
熱海の「来宮(きのみや)神社」「聖樹」樹齢2000年余の大楠です。
江戸時代までは「木宮神社」と呼ばれていたそうです。

樹木や岩は神が降臨する場所なので、聖樹の宮で「木の宮」だったとか。
木の周りを一周すると寿命が一年延びるというので、私も周りましたよ。
CIMG4489.jpg
静岡県熱海市西山町・来宮神社

この神社、境内を思いっきり素敵にリニューアル。まるで地上のユートピア。
茶房もモダンで、ロケーション抜群。思わずはしゃいでしまいました。
♪ コーヒはうまいし、境内はきれいだ、ワーワーワッワー

ところで、社寺で龍蛇が巻き付いている柱を見かけたりしますが、
神話学の井本英一先生は、こう言っています。

「門柱に蛇が上がるのは、敷居の下から祖先が現れたことを示す」

つまりあれは「命の再生」を表わしているんだと。


こちらは、そんな柱です。
torikeraさんの
「矢崎鷲神社の本殿」からお借りしました。

ド迫力の「昇り龍」「降り龍」ですね。いろんな説がありますが、
長い年月の間にいろんな宗教が融合していますから。
これやそれやをひっくるめて、考えて楽しんでいただけたらと思っています。
ちなみに、蛇にさまざまな動物の強い部分を付けたのが「龍」です。
柱の龍
千葉県佐倉市先崎・先崎鷲(まっさきわし)神社

torikeraさん、私からの突然の依頼にご友人の送別会で帰宅後、
写真を探してくださったとのこと。
せっかくのお酒の余韻を台無しにしてしまって申し訳なかったですが、
大助かりでした。感謝!

以下にも見事な彫刻と「龍の柱」が出てきます。どうぞ、ご覧ください。
蛇がウジャウジャ出てくる彫刻、リアルすぎておったまげますよ。


「大曾根八幡神社」 「八条八幡神社」

もうね、いろんな本を読んでいたら、
あっちこっちに「再生する場所」があって、こんがらがってきたんですよ。

鳥居、手水鉢、墓穴、洞窟、岩の裂け目、井戸、海、川、橋、村境、大黒柱…。


考古学者の河上邦彦先生の本(「考古学点描」六興出版 平成元年)にも、
「境」の話が出てきます。

それは「境に大甕(おおみか=かめ)を埋めた」という話で、

「私たちが古墳や集落跡を発掘していると、しばしば大きな甕が
据え付けられているのを発見することがある」とし、
龍王山古墳群や石光山古墳群、多遺跡などの例を挙げています。

また、その甕は何かを入れたという状況ではないとして、
こう結論付けている。


「国と国との境、つまり結界の場所に甕が据えられたと考えるならば、
古墳に見られる甕の存在は、
生者と死者の結界の場所に据えられた甕と見ることができる。

そして村はずれ等に見られる据え甕は人間世界と動物の世界の境、
あるいは人と生霊の世界の境に据えられた甕と見ることができる。
甕は異なる世界に据えられた結界のシンボルであったといえる」


来宮神社の境内社・弁財天の神使、巳(ミー)さまです。
私これを見て、「あれ、蛇がサングラスしてる」って思っちゃって。(#^.^#)
弁財天来宮神社
熱海市西山町・来宮神社・ここの弁財天像は高村光雲作。

そして、なぜ甕なのかについては、恩師・池田源太氏の、
「古代において甕は呪術的要素を持つと信じられていたから」
という言葉を紹介している。

だとすると、死者を胎児の姿勢で甕棺に納めたのも、
「再生」を意識してのことと言えますね。

民俗学者の宮田登先生の解説もまた面白い。


「辻には市が立ち、辻占が四辻に出て吉凶を占い、辻君(遊女)が集結する。
こうした境の神は市神で、
神道では市杵島姫として住吉神社の祭神の一つとしている。


「願掛重宝記(文化文政期編纂)に、大阪の境界空間の神として、
梅田墓所の薬師堂、千日墓所の上人堂、幸橋南詰の北向き地蔵、

京橋詰めの歯神など、墓や橋周辺に祀られている神格、道祖神(猿田彦)
地蔵といった境の神に位置付けられる神格が目立っているとあった」
そして、
「江戸の稲荷に対して、大阪の地蔵という対象もある」と。

=「終末観の民俗学」弘文堂 昭和62年

「美男におわす仏かな」
右側に見える石、力石だと思ったもののとうとう確認できず。
CIMG0049.jpg
静岡市大谷

「境界」に立って、外から入り込む邪悪なものを追い返して村を守り、
不安定な霊魂を安定させる守護神として大活躍した道祖神も、
今やその謂れも忘れられ、わずかな居場所にそっと佇んでいます。

それでもどこかに痕跡を残しています。


この「境界」という摩訶不思議な空間、もう少し探訪を続けます。

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ソンクラーン②

盃状穴②
04 /05 2023
神話学の井本英一先生も、ソンクラーンに言及しています。

「この祭りでは仏像、僧、名士に水をかけ、そのあと、僧は人々に水をかける。
タイ国王の即位式では、国王は五つの河川、四つの海から採取した水を、
自らの王衣にかけ、玉座に座る」


花びらを浮かべた水で邪気を払う、優雅ですね。
タイ水かけ1

「ソンクラーンに頭に水をかける伝統、実際にはほとんど手にかけます。
両親、大人(目上の人)、恩人に敬意と感謝を表すために、
タイのお正月(ソンクラーン)に古くから続けられてきたものです」


かける人もかけられる人も幸せそう。「ほほえみの国」そのもの。
タイ水かけ4

「タイにはお詫びと共に生命の繁栄を祈願するという信仰があり、
この伝統は今も大切に受け継がれています」


PERNさんもお母様に、敬意と感謝と健康を祈って水かけをしました。
タイ水かけ7

「お詫びというのは、もし何か悪行の記憶があれば、
その行いに対するお詫びということで、
水をかけるというのは、
それらを詫びて洗い流すという意味も含まれています」

そういえば日本にも「水に流す」なんて言葉がありますね。

妹さんご一家もお母様に水かけをして、感謝を伝えました。
タイ水かけ8

いいですねぇ。素敵です。伝統が生きています。

日本ではどうでしょうか。
私たちは次の世代にこうした「心」を渡してきたでしょうか。

タイには見習うことがたくさんありそうです。


若者たち、水鉄砲でかけあっています。サバイバルゲームだ!
よく見たら、男女二人が水の集中砲火を浴びています。
日本の新婚さんを祝福する「水かけ祝い」に似ています。

でも私はやっぱり、バケツでバシャーンがいい!
タイ水かけ5

PERNさん、写真と解説、ありがとうございました。

今年ももうすぐ、ソンクラーンですね。

たくさん水を浴びて、\(^o^)/

ますます若く美しく!!

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ソンクラーン①

盃状穴②
04 /02 2023
人間の体と精神の盛衰の運行は、宇宙と連動している。

そこで古代人は考えた。
宇宙が衰退したときは、「火」で厄や災いを落とし、
次に「水」で清めて再生・復活すればいいのではないか、と。

東大寺・二月堂の修二会(火祭りとお水取り)も全く同じで、
死と再生の儀式といわれています。

お正月の若水汲み、祭りの初めのみそぎ、神輿を海水に浸けるのも、
仏像に水を灌ぐのも、みんなこの宇宙原理からきているそうです。


人は水辺で生まれたという。
だから水は「生命の水」といわれ、生命維持の力があるとされてきた。

タイランドには有名な水かけ祭り「ソンクラーン」があります。

ブログ「魔女の手紙タイランド」
PERNさんから送っていただいたソンクラーンの写真をお見せしながら、
「水」を考えていきます。

本文の解説はすべてPERNさんです。


ドバァー! あ、やったな! そんならこっちも、ザッブーン!
タイ水かけ10

「ソンクラーン祭りは、インドのホーリー祭の影響を受けています。
しかしタイのソンクラーンはインドほど派手な色合いは見られません」


タイ水かけ3

「4月のタイは猛暑です。
本来は邪気を払うという信仰に基づいたもので水を使ってきました。

それがいつしか、
ソンクラーンといえば、派手な水のかけ合いに変化してゆきました。

だからこの期間中は水をかけられても怒らないというのが、
一般的な暗黙のルールです」

も一つおまけだ、バシャー! でも、怒らない怒らない、魂の甦りだもの。
タイ水かけ6

「ソンクラーンはサンスクリット語からきています。
タイを含む東南アジアの一部の国ではその信仰に従って、
新年を意味しています。
古い年に別れを告げて、新しい年を迎えるのです」


ニャンとまあ! 人間ってなんて騒々しい生き物なんでしょう。
私をごらんなさい。厳かに華やかに。あらっ、急に若返ってきたみたい。
タイ水かけ9

「したがってタイではよく言われることですが、タイのお正月は3度です。
西暦のニューイヤーと旧暦のお正月、そしてソンクラーンです」


「うわっ、きれいなお姉さんたち! 僕を骨の髄まで水浸しにしてください」
なぁんて言ってる鼻の下が伸びたおじさんは誰?
あんまりかけられると若返りし過ぎて、赤ん坊になっちまうよ。(笑)
タイ水かけ2

次回につづきます。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞