「再会」
神田川徳蔵物語
「力持碑」が富岡八幡宮に建立されて間もなく、
古谷野庫太郎が力持ち力士ら三人と共に、平原直の家へやってきた。
「念願の力持ちの復活や東京都文化財の指定を受けるきっかけになったのは、
みんな先生のおかげです。
そこで先生に因縁の深い力石を選んで贈呈することに決めましたので、
使者として参上しました」
そう言って古谷野は力石を二つ、平原に渡した。
神社仏閣へ奉納するときと同様に、体を塩で清め潔斎してきたという。
平原は著書に、そのとき古谷野が語った忘れられない言葉として、
こんなことを書き残している。
「力石は神様ですから、金で売買することは絶対禁じられています。
力持ち力士は喧嘩口論や品格を汚すようなことをしてはいけない、
という掟もあります」
古谷野から贈られた力石(右の2個)と平原氏です。
左端の平らな石は京都山科で使われていた「車石」です。
これは車の車輪が土に嵌まらないよう地面に置かれていたもの。
写真右端の「再会」石のお話をしていきます。
古谷野によるとこの石は、
昔、秋葉原の丸通(日本通運)の店の前に転がっていた石で、
そのころ仲士(荷揚げの労働者)を雇うときこの石を持ち上げさせて、
その上げっぷりで賃金の多寡を決めたり、
採用不採用を決めたりしたものだという。
しかし戦争中、
米軍機による大空襲で店は焼け、石も行方不明になってしまった。
ところが戦後になって、秋葉原駅の改修工事で地面を掘り返したら、
土の中からこの石がひょっこり出てきた。
下の写真は、秋葉原駅近くを流れる神田川です。
かつてはこの土手沿いに、
飯田徳蔵が働いていた「神田川米穀市場」の倉庫群が並んでいた。
「石が出て来た」とのニュースはすぐ昔の力持ち仲間へ知らされた。
たちまち各地から仲間たちが集まり、石との再会を果たした。
私、思うのですが、何も刻まれていない石なのに、工事の人たちにも
力持ちのみなさんにもそれがあの力石だとわかったって、凄いですよね。
石への愛着がそれだけ強かったということでしょうか。
一つの石を囲んで筋骨たくましい男たちが石との再会を喜び合う。
その純真さ、優しさが心に沁みます。
その後彼らは、当時の駅長に「再会」と書いてもらい、
それを石に刻んだのだそうです。
そのときの「再会」石と古谷野庫太郎です。
古谷野が、
「先生には一番因縁の深い力石です」と言って運んできたこの石は、
平原直が100歳で亡くなる平成13年(2001)までの40数年間、
自宅の庭で大切にされてきました。
そして、没後、その庭から、
今度は物流経済を学ぶ流通経済大学へと贈られることになったのです。
※参考文献/「物流史談ー物流の歴史に学ぶ人間の知恵」平原直
流通研究社 2000
※画像提供/平原アルバム 流通経済大学所蔵 物流博物館保管
ーーーーーお知らせーーーーー
力石を詠んだ俳句、短歌、川柳などの「作品を募集」しています。
これは私の力石の師匠・高島愼助先生からのお願いです。もちろん私からも。
高島先生は元・四日市大学教授。
伊東明・上智大学名誉教授の最後の弟子で、伊東先生が残していった
ぼう大な資料や各地の研究者たちの調査資料を長年にわたってまとめ、
その集大成した全国の力石を資料として完成させました。
大学退官直前、その資料のすべてを三重県立総合博物館に収蔵。
今回、募集する「力石を詠む(十)」は、先生、最後の本となります。
こちらは2年前に刊行した「力石を詠む(九)」です。
力石の写真と説明、みなさまから寄せられた句や歌で構成された
楽しい本です。ハードカバー。
募集の概略です。
● 一人でも多くの方に力石を知ってもらうことが出版の目的。
● 作品は力石を詠んだ俳句・短歌・川柳などで吟詠地があるものは併記。
● 作品提供者には本を謹呈。
● 作品は、「四日市大学高島研究室」のE-メール[email protected]へお寄せください。
上記の「四日市大学高島研究室」をクリックしてくだされば開きます。
何作でも構いません。
● 作品集は三重県立総合博物館へ収蔵予定。
伊豆巡る「ここだここだ」と力石(いし)が呼ぶ
なんていう私の迷句も載せていただいております。
上手な人もイマイチな人も力石クンのために、ぜひひと肌お脱ぎください。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
ーーーーー◇ーーーーー
興味深いブログを二つご紹介します。
● 安田和弘氏のブログ「山の彼方に」
お住まいの川越市から各地へ通じていた「江戸道」「鶴岡道」「新河岸道」などの
川の道や陸の道を、古地図を元に丹念に踏査したレポートです。
● 路傍学会・会長さんのブログ「路傍学会」
庚申塔などの石造物を中心に、時代の片隅に追いやられた古い商店や
江戸、明治、大正時代の橋や石垣の痕跡などに目をとめ、
その存在を教えてくれるブログです。
古谷野庫太郎が力持ち力士ら三人と共に、平原直の家へやってきた。
「念願の力持ちの復活や東京都文化財の指定を受けるきっかけになったのは、
みんな先生のおかげです。
そこで先生に因縁の深い力石を選んで贈呈することに決めましたので、
使者として参上しました」
そう言って古谷野は力石を二つ、平原に渡した。
神社仏閣へ奉納するときと同様に、体を塩で清め潔斎してきたという。
平原は著書に、そのとき古谷野が語った忘れられない言葉として、
こんなことを書き残している。
「力石は神様ですから、金で売買することは絶対禁じられています。
力持ち力士は喧嘩口論や品格を汚すようなことをしてはいけない、
という掟もあります」
古谷野から贈られた力石(右の2個)と平原氏です。
左端の平らな石は京都山科で使われていた「車石」です。
これは車の車輪が土に嵌まらないよう地面に置かれていたもの。
写真右端の「再会」石のお話をしていきます。
古谷野によるとこの石は、
昔、秋葉原の丸通(日本通運)の店の前に転がっていた石で、
そのころ仲士(荷揚げの労働者)を雇うときこの石を持ち上げさせて、
その上げっぷりで賃金の多寡を決めたり、
採用不採用を決めたりしたものだという。
しかし戦争中、
米軍機による大空襲で店は焼け、石も行方不明になってしまった。
ところが戦後になって、秋葉原駅の改修工事で地面を掘り返したら、
土の中からこの石がひょっこり出てきた。
下の写真は、秋葉原駅近くを流れる神田川です。
かつてはこの土手沿いに、
飯田徳蔵が働いていた「神田川米穀市場」の倉庫群が並んでいた。
「石が出て来た」とのニュースはすぐ昔の力持ち仲間へ知らされた。
たちまち各地から仲間たちが集まり、石との再会を果たした。
私、思うのですが、何も刻まれていない石なのに、工事の人たちにも
力持ちのみなさんにもそれがあの力石だとわかったって、凄いですよね。
石への愛着がそれだけ強かったということでしょうか。
一つの石を囲んで筋骨たくましい男たちが石との再会を喜び合う。
その純真さ、優しさが心に沁みます。
その後彼らは、当時の駅長に「再会」と書いてもらい、
それを石に刻んだのだそうです。
そのときの「再会」石と古谷野庫太郎です。
古谷野が、
「先生には一番因縁の深い力石です」と言って運んできたこの石は、
平原直が100歳で亡くなる平成13年(2001)までの40数年間、
自宅の庭で大切にされてきました。
そして、没後、その庭から、
今度は物流経済を学ぶ流通経済大学へと贈られることになったのです。
※参考文献/「物流史談ー物流の歴史に学ぶ人間の知恵」平原直
流通研究社 2000
※画像提供/平原アルバム 流通経済大学所蔵 物流博物館保管
ーーーーーお知らせーーーーー
力石を詠んだ俳句、短歌、川柳などの「作品を募集」しています。
これは私の力石の師匠・高島愼助先生からのお願いです。もちろん私からも。
高島先生は元・四日市大学教授。
伊東明・上智大学名誉教授の最後の弟子で、伊東先生が残していった
ぼう大な資料や各地の研究者たちの調査資料を長年にわたってまとめ、
その集大成した全国の力石を資料として完成させました。
大学退官直前、その資料のすべてを三重県立総合博物館に収蔵。
今回、募集する「力石を詠む(十)」は、先生、最後の本となります。
こちらは2年前に刊行した「力石を詠む(九)」です。
力石の写真と説明、みなさまから寄せられた句や歌で構成された
楽しい本です。ハードカバー。
募集の概略です。
● 一人でも多くの方に力石を知ってもらうことが出版の目的。
● 作品は力石を詠んだ俳句・短歌・川柳などで吟詠地があるものは併記。
● 作品提供者には本を謹呈。
● 作品は、「四日市大学高島研究室」のE-メール[email protected]へお寄せください。
上記の「四日市大学高島研究室」をクリックしてくだされば開きます。
何作でも構いません。
● 作品集は三重県立総合博物館へ収蔵予定。
伊豆巡る「ここだここだ」と力石(いし)が呼ぶ
なんていう私の迷句も載せていただいております。
上手な人もイマイチな人も力石クンのために、ぜひひと肌お脱ぎください。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
ーーーーー◇ーーーーー
興味深いブログを二つご紹介します。
● 安田和弘氏のブログ「山の彼方に」
お住まいの川越市から各地へ通じていた「江戸道」「鶴岡道」「新河岸道」などの
川の道や陸の道を、古地図を元に丹念に踏査したレポートです。
● 路傍学会・会長さんのブログ「路傍学会」
庚申塔などの石造物を中心に、時代の片隅に追いやられた古い商店や
江戸、明治、大正時代の橋や石垣の痕跡などに目をとめ、
その存在を教えてくれるブログです。