観音さまに罪はない
由比の力石
由比・阿僧の瘤山観音堂には、
樟(くす)一本彫りの十一面観世音菩薩が安置されているそうです。
そりゃまあ、観音堂ですから当たり前ですが…。
これなんです。観音様に向かって「これ」はないですよね。
こちらです。
「阿僧の歴史」(望月良英)より
写真で見る限りは、すらっとした美しい観音さまです。
ところが「由比町の歴史・下巻」で著者の手島日真氏はこう言っています。
手島氏は、
「お堂の柱の軸受けが唐様組子の繰物肘木で、しかも極彩色。
このことからもこのお堂が、
いかに立派な建築物であったかをうかがうことができる」
と感嘆したあと、いよいよお厨子を開きます。
ところが、ビックリ仰天!
「古色蒼然とした三十二相を具し給う御本尊と思いきや、
明治の末か大正時代の樟の一本彫り、等身大の聖観世音のお姿である。
恐らく、古物屋に騙されて置きかえられたものであろうが、
実に惜しむべく、憎むべき行為である」
今でも山奥のお堂などへ行くと、
立派な仏像が簡易な鍵だけで保管されていたりします。
「盗難が心配ですね」というと、集落の人はのんびりと、
「なに。こんな山ン中までドロボーはこねえよオ」
これは民話「すもうにかったびんぼうがみ」に出てくる「貧乏神」です。
松谷みよ子 再話 斎藤真成 画 福音館書店 1973
私の大好きな絵本です。要約するとこんなお話です。
貧乏な一人暮らしのあにさのところに嫁さまがくることになった。
ところがこの家の天井裏には、ずっと昔から貧乏神が住みついていた。
そんなことも知らず、
嫁さまは「おらうちの守り神様」にせっせとお供えをした。
若い夫婦はよく働いたので、家は少しずつ豊かになった。
困ったのは貧乏神です。なぜかって?
福の神と交替するために
この家を出て行かなければならないからです。
でも若い夫婦は「ずっと一緒に暮らしてきただもの、出ていくことはねえ」
「福の神が来たとてここへは一歩もいれねえぞ。負けるでねえぞ」
そう言ってどんどんおまんまを食べさせた。
で、力をつけた貧乏神はやってきた福の神と相撲をとって勝った。
「こんなうちは初めてだあ」と福の神はたまげて逃げ出した。
あんまり慌てていたので打ち出のこづちを落としていった。
貧乏神がそれを振ると、
「じゃらん、ぽん、ちん」とお金もお米もざっくざく。
貧乏神を見たら、なんと、でっぷりした福の神になっていた。
斎藤真成・画
不謹慎かもしれないけれど、
瘤山観音堂のすり替えられた観音さまを知って、
「貧乏神が福の神になった」このお話を思い出したのです。
今安置されている観音さま、
古物商のよこしまな手を経てここへやってきたとはいえ、
集落の人々の熱い思いを一身に受けて、
今では魂の入った立派な仏さまになっているんじゃないかな、と。
あ、でも念のため、一度天井裏をのぞいた方がいいかもね。
※参考文献・画像提供
/「阿僧の歴史」望月良英 私家本 2016
/「由比町の歴史・下巻」手島日真 由比文教社 昭和47年
/「すもうにかったびんぼうがみ」松谷みよ子 再話
斎藤真成 画 福音館書店 1973
樟(くす)一本彫りの十一面観世音菩薩が安置されているそうです。
そりゃまあ、観音堂ですから当たり前ですが…。
これなんです。観音様に向かって「これ」はないですよね。
こちらです。
「阿僧の歴史」(望月良英)より
写真で見る限りは、すらっとした美しい観音さまです。
ところが「由比町の歴史・下巻」で著者の手島日真氏はこう言っています。
手島氏は、
「お堂の柱の軸受けが唐様組子の繰物肘木で、しかも極彩色。
このことからもこのお堂が、
いかに立派な建築物であったかをうかがうことができる」
と感嘆したあと、いよいよお厨子を開きます。
ところが、ビックリ仰天!
「古色蒼然とした三十二相を具し給う御本尊と思いきや、
明治の末か大正時代の樟の一本彫り、等身大の聖観世音のお姿である。
恐らく、古物屋に騙されて置きかえられたものであろうが、
実に惜しむべく、憎むべき行為である」
今でも山奥のお堂などへ行くと、
立派な仏像が簡易な鍵だけで保管されていたりします。
「盗難が心配ですね」というと、集落の人はのんびりと、
「なに。こんな山ン中までドロボーはこねえよオ」
これは民話「すもうにかったびんぼうがみ」に出てくる「貧乏神」です。
松谷みよ子 再話 斎藤真成 画 福音館書店 1973
私の大好きな絵本です。要約するとこんなお話です。
貧乏な一人暮らしのあにさのところに嫁さまがくることになった。
ところがこの家の天井裏には、ずっと昔から貧乏神が住みついていた。
そんなことも知らず、
嫁さまは「おらうちの守り神様」にせっせとお供えをした。
若い夫婦はよく働いたので、家は少しずつ豊かになった。
困ったのは貧乏神です。なぜかって?
福の神と交替するために
この家を出て行かなければならないからです。
でも若い夫婦は「ずっと一緒に暮らしてきただもの、出ていくことはねえ」
「福の神が来たとてここへは一歩もいれねえぞ。負けるでねえぞ」
そう言ってどんどんおまんまを食べさせた。
で、力をつけた貧乏神はやってきた福の神と相撲をとって勝った。
「こんなうちは初めてだあ」と福の神はたまげて逃げ出した。
あんまり慌てていたので打ち出のこづちを落としていった。
貧乏神がそれを振ると、
「じゃらん、ぽん、ちん」とお金もお米もざっくざく。
貧乏神を見たら、なんと、でっぷりした福の神になっていた。
斎藤真成・画
不謹慎かもしれないけれど、
瘤山観音堂のすり替えられた観音さまを知って、
「貧乏神が福の神になった」このお話を思い出したのです。
今安置されている観音さま、
古物商のよこしまな手を経てここへやってきたとはいえ、
集落の人々の熱い思いを一身に受けて、
今では魂の入った立派な仏さまになっているんじゃないかな、と。
あ、でも念のため、一度天井裏をのぞいた方がいいかもね。
※参考文献・画像提供
/「阿僧の歴史」望月良英 私家本 2016
/「由比町の歴史・下巻」手島日真 由比文教社 昭和47年
/「すもうにかったびんぼうがみ」松谷みよ子 再話
斎藤真成 画 福音館書店 1973