いつの間にか「傘寿」⑭
いつの間にか傘寿1
秋の修学旅行が終わると、いよいよ次のステップへ踏み出すことになった。
だれもが進路を決めなくてはならない、
そういう決断の時がきたのです。
来年3年生になれば理数系と文系に分かれていく。
この時期になると、一様にみんなの顔つきが変わってきた。
でも私は相変わらずのんびり、ふわふわしていた。
何になりたいとか、どこの大学を目指すのか、少しも考えていなかったから、
今思うと「お前、バカじゃないの?」としか言いようがない。
子供のために自分たちのすべてを犠牲にして働いてきた両親には、
全く親不孝な不遜極まりない娘だった。
ただ兄や姉たちと同じ道を行くのが当然のように思っていたから、
大学生になって東京へ行くことだけは、私の中で規定路線になっていた。
両親が一番、幸せだったのがこのころではないだろうか。
長女は教師に、長兄は大学生(このころはまだ学帽を被っていた)、
次姉と次兄は高校生。そして私が中学一年生。
そんな中、私はラブレターをもらった。
朝、靴箱を開けたら、室内履きの中に小さく折りたたんだ紙が入っていて、
開けるとこれまた小さな丁寧な字で、なにやらびっしり書かれていた。
「雨宮さんのことを書く僕をお許しください」
今どきの高校生には通じないかもしれない古風な書き出しです。
「好きで、ずっと思っていました。
でも友人からは今は我慢しろと言われています。
これから本格的に勉強しなければいけない時期なのに、と」
それで思いを断ち切ろうと、
電車の車両を私が乗っている車両から、わざと変えてみたとのこと。
私は同じ車両に乗っていたことも全然気付いていなかった。
あの通勤、通学で込み合う車内で私を見つけて、
胸を熱くしていた少年がいたんだと思ったら、急に顔が火照った。
でも、このレターには名前がなかったから誰かはわかりません。
だが、ヒントが書かれていた。
「いつか釣りに行ったとき、お会いした者です」
アッと思った。
あれは高校一年生の秋ごろではなかっただろうか。もう一年以上も前だ。
その日は日曜日で、ちょうど注文してあったセーターが編みあがって、
浮き浮きしていた時だった。
セーターはクリーム色の地に青い縞模様が二本入ったおしゃれなもので、
外をうろつきたい気分になって坂道を下って行ったときだった。
軽快に歩いていくと反対側から、
坂道を登ってくる釣り竿を持った少年が二人やってきた。
だんだん近づくと、それは同級生で見覚えのある顔だった。
先に向こうが気づいたのか、すでに足が乱れている。
すれ違うとき、背の高い色白の美少年がふいに下を向き、
隣にいたもう一人の少年が困ったような顔で私を見た。
私は揺れる心を読み取られまいと、そのままズンズン坂道を下っていった。
そうか、あの時の…。
だがこの恋はそれきりになった。
彼はこの恋文を出したことで踏ん切りをつけ、志望する大学目指して
勉強に集中していったのだろう。
でもこのラブレターは、別の意味で私を勇気づけてくれた。
あれは高校に入学して間もない頃だった。
登下校の道は広大な梨畑の中にあったから、その日も私と友人は、
梨の白い花が一面咲きほこる美しい道を駅へ向かっていた。
そのとき、
大荷物を満載した荷車が坂の途中で立ち往生しているのを見た。
回り込んでみるとそこには、
いかにも陰険そうなおやじに「役立たず」と怒鳴られ、
鞭打たれている犬がいるではないですか。
犬は痩せこけた肩にロープを食い込ませて、荷車引きの助手をしていたのだ。
かなり酷使したのだろう。犬の体は変形して見るからに痛々しい。
「ひどーい! ぼくの先輩がそんな目に遭ってたなんて」
こんな光景、江戸末期や明治、大正の錦絵でも見た事がない。
貧しさの極限みたいな「今どきあり得ない現実」を目の当たりにして、
私はいたたまれなくなり、
「義を見てせざるは勇なきなり」
とっさにカバンを友人に預け、
スカートをたくし上げて荷車の後押しをした。
ようやく坂の上に上がって、礼も言わずに立ち去る荷車引きを見送り、
友人を振り返ると彼女はさっきの場所で固まっている。
近づくと真っ赤な顔で睨まれた。
「恥ずかしくて恥ずかしくて。みんなが笑っていたじゃない!
またあんなことをするなら、もう一緒に歩かないから!」
笑って通り過ぎた生徒たちと、これから同じ電車に乗らなくてはならない。
駅までの道々、彼女はそればかりくどくど言い続けていた。
でもそんな「恥ずかしい」私を、ずっと思い続けてくれた少年がいた。
凄いことだと思ったし、たまらなく嬉しかった。
もうボロボロになってしまったけれど、今でもこの恋文を私は持っている。
そしてこれを見るたびに思い出すんです。
あの梨畑の道と鞭打たれていた犬と荷車と、
そして、
恋と学業を天秤にかけつつ、告白した釣り竿を持った少年の白い顔を…。
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だれもが進路を決めなくてはならない、
そういう決断の時がきたのです。
来年3年生になれば理数系と文系に分かれていく。
この時期になると、一様にみんなの顔つきが変わってきた。
でも私は相変わらずのんびり、ふわふわしていた。
何になりたいとか、どこの大学を目指すのか、少しも考えていなかったから、
今思うと「お前、バカじゃないの?」としか言いようがない。
子供のために自分たちのすべてを犠牲にして働いてきた両親には、
全く親不孝な不遜極まりない娘だった。
ただ兄や姉たちと同じ道を行くのが当然のように思っていたから、
大学生になって東京へ行くことだけは、私の中で規定路線になっていた。
両親が一番、幸せだったのがこのころではないだろうか。
長女は教師に、長兄は大学生(このころはまだ学帽を被っていた)、
次姉と次兄は高校生。そして私が中学一年生。
そんな中、私はラブレターをもらった。
朝、靴箱を開けたら、室内履きの中に小さく折りたたんだ紙が入っていて、
開けるとこれまた小さな丁寧な字で、なにやらびっしり書かれていた。
「雨宮さんのことを書く僕をお許しください」
今どきの高校生には通じないかもしれない古風な書き出しです。
「好きで、ずっと思っていました。
でも友人からは今は我慢しろと言われています。
これから本格的に勉強しなければいけない時期なのに、と」
それで思いを断ち切ろうと、
電車の車両を私が乗っている車両から、わざと変えてみたとのこと。
私は同じ車両に乗っていたことも全然気付いていなかった。
あの通勤、通学で込み合う車内で私を見つけて、
胸を熱くしていた少年がいたんだと思ったら、急に顔が火照った。
でも、このレターには名前がなかったから誰かはわかりません。
だが、ヒントが書かれていた。
「いつか釣りに行ったとき、お会いした者です」
アッと思った。
あれは高校一年生の秋ごろではなかっただろうか。もう一年以上も前だ。
その日は日曜日で、ちょうど注文してあったセーターが編みあがって、
浮き浮きしていた時だった。
セーターはクリーム色の地に青い縞模様が二本入ったおしゃれなもので、
外をうろつきたい気分になって坂道を下って行ったときだった。
軽快に歩いていくと反対側から、
坂道を登ってくる釣り竿を持った少年が二人やってきた。
だんだん近づくと、それは同級生で見覚えのある顔だった。
先に向こうが気づいたのか、すでに足が乱れている。
すれ違うとき、背の高い色白の美少年がふいに下を向き、
隣にいたもう一人の少年が困ったような顔で私を見た。
私は揺れる心を読み取られまいと、そのままズンズン坂道を下っていった。
そうか、あの時の…。
だがこの恋はそれきりになった。
彼はこの恋文を出したことで踏ん切りをつけ、志望する大学目指して
勉強に集中していったのだろう。
でもこのラブレターは、別の意味で私を勇気づけてくれた。
あれは高校に入学して間もない頃だった。
登下校の道は広大な梨畑の中にあったから、その日も私と友人は、
梨の白い花が一面咲きほこる美しい道を駅へ向かっていた。
そのとき、
大荷物を満載した荷車が坂の途中で立ち往生しているのを見た。
回り込んでみるとそこには、
いかにも陰険そうなおやじに「役立たず」と怒鳴られ、
鞭打たれている犬がいるではないですか。
犬は痩せこけた肩にロープを食い込ませて、荷車引きの助手をしていたのだ。
かなり酷使したのだろう。犬の体は変形して見るからに痛々しい。
「ひどーい! ぼくの先輩がそんな目に遭ってたなんて」
こんな光景、江戸末期や明治、大正の錦絵でも見た事がない。
貧しさの極限みたいな「今どきあり得ない現実」を目の当たりにして、
私はいたたまれなくなり、
「義を見てせざるは勇なきなり」
とっさにカバンを友人に預け、
スカートをたくし上げて荷車の後押しをした。
ようやく坂の上に上がって、礼も言わずに立ち去る荷車引きを見送り、
友人を振り返ると彼女はさっきの場所で固まっている。
近づくと真っ赤な顔で睨まれた。
「恥ずかしくて恥ずかしくて。みんなが笑っていたじゃない!
またあんなことをするなら、もう一緒に歩かないから!」
笑って通り過ぎた生徒たちと、これから同じ電車に乗らなくてはならない。
駅までの道々、彼女はそればかりくどくど言い続けていた。
でもそんな「恥ずかしい」私を、ずっと思い続けてくれた少年がいた。
凄いことだと思ったし、たまらなく嬉しかった。
もうボロボロになってしまったけれど、今でもこの恋文を私は持っている。
そしてこれを見るたびに思い出すんです。
あの梨畑の道と鞭打たれていた犬と荷車と、
そして、
恋と学業を天秤にかけつつ、告白した釣り竿を持った少年の白い顔を…。
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