黒山の人だかり
神田川徳蔵物語
戦後9年目の昭和29年1月、
秋葉原駅前にある日本運輸倉庫の広場は、
力持ちたちの妙技を見ようと集まった群衆で埋め尽くされた。
背後に見えるのが当時の秋葉原駅ホームです。
「鏑木止め」「人篇止め」「曲俵」「脚立受け」…。
「道行く人はみんな足を止めて見入った」と平原氏。
ヒョイヒョイっと ホラヨッと
こちらは「力石建立祭り」の開催を事前に知らせた毎日新聞の記事です。
力石の前で説明しているのが、古谷野庫太郎。
もう一人は力持ち仲間で、発起人の一人、戸田卯之助かもしれません。
戸田卯之助については次回、ご紹介します。
祭りの開催にあたり、古谷野は、
東京教育大学の太田義一先生に指導を仰いだそうです。
太田先生は、力石を研究対象として、
初めて体育史学の中に取り上げた人です。
昭和27年、第三回日本体育学会に
「江戸を中心とせる力石に関する研究」と題して発表。
ここから日本の力石研究が始まったといわれています。
さて、祭り当日、平原氏は16ミリ撮影機を持って出かけたものの、
会場は黒山の人だかりで思うように映画も撮れない状態だった
と著書に書いていますが、その貴重な記録映画を、
今年6月、
私は徳蔵縁者の3姉妹、斎藤氏と共に見る機会を得ました。
映画は戦後間もない時代の荷役現場の人々の姿を記録したもので、
平原氏が自ら撮影・脚本・編集した
「荷役近代化への道ー現場人はいかに闘ったか」でした。
その中に、祭りで活躍する力持ちたちの姿がありました。
半世紀以上も前の「荷役に生きた人々」との対面。
不思議な感動を覚えました。
※画像提供/平原直・流通経済大学・物流博物館
※参考文献/「力石ちからいし」高島愼助 岩田書院 2011
※映画は申し込めば、どなたでも見ることができます。
物流博物館 ☎03-3280-1616
秋葉原駅前にある日本運輸倉庫の広場は、
力持ちたちの妙技を見ようと集まった群衆で埋め尽くされた。
背後に見えるのが当時の秋葉原駅ホームです。
「鏑木止め」「人篇止め」「曲俵」「脚立受け」…。
「道行く人はみんな足を止めて見入った」と平原氏。
ヒョイヒョイっと ホラヨッと
こちらは「力石建立祭り」の開催を事前に知らせた毎日新聞の記事です。
力石の前で説明しているのが、古谷野庫太郎。
もう一人は力持ち仲間で、発起人の一人、戸田卯之助かもしれません。
戸田卯之助については次回、ご紹介します。
祭りの開催にあたり、古谷野は、
東京教育大学の太田義一先生に指導を仰いだそうです。
太田先生は、力石を研究対象として、
初めて体育史学の中に取り上げた人です。
昭和27年、第三回日本体育学会に
「江戸を中心とせる力石に関する研究」と題して発表。
ここから日本の力石研究が始まったといわれています。
さて、祭り当日、平原氏は16ミリ撮影機を持って出かけたものの、
会場は黒山の人だかりで思うように映画も撮れない状態だった
と著書に書いていますが、その貴重な記録映画を、
今年6月、
私は徳蔵縁者の3姉妹、斎藤氏と共に見る機会を得ました。
映画は戦後間もない時代の荷役現場の人々の姿を記録したもので、
平原氏が自ら撮影・脚本・編集した
「荷役近代化への道ー現場人はいかに闘ったか」でした。
その中に、祭りで活躍する力持ちたちの姿がありました。
半世紀以上も前の「荷役に生きた人々」との対面。
不思議な感動を覚えました。
※画像提供/平原直・流通経済大学・物流博物館
※参考文献/「力石ちからいし」高島愼助 岩田書院 2011
※映画は申し込めば、どなたでも見ることができます。
物流博物館 ☎03-3280-1616