「みち婦村の佐七」、ふたたび
若者組・若い衆組
今まで書き続けてきた「戦争と若者と力石」のそもそもの発端は、
静岡県賀茂郡松崎町・八木山八幡神社にある力石、
「みち婦村 佐七」からでした。
八木山八幡神社。ケヤキの木の間に見えるのが力石
向かって左の石が佐七が持った石
年代刻字石としては、静岡県内で一番古い力石です。
奉納 六拾貫余
癸卯天明三年三月 南新川 佐七 みち婦村 佐七
「松崎町史」によると、
「大正時代、若者組「聚星社」の加賀 要 がこの石を背負い、
境内を一巡して石を下そうとしたとき手を貸そうとしたら、
手助けはいらないと断り、楽々と一人で下したという」
「佐藤秀哉(草相撲のしこなは八幡錦)は二十歳のころ、
小さい方を胸まで持ち上げたが、大きい方は持ち上げることができなかった」
さて、前回までのお話は、
佐七の持った力石から、佐七も所属していたであろう若者組、若者宿へ、
と、こんな流れでした。
若者組の若者たちの夜這いの話を書いたら、
殿方の興味がいやが上にも高まりましたっけ。
うふふっ
夜這いとくれば、やっぱりオイラの出番だよな
その若者組は明治以降、国指導の青年団組織へ再編され、
日露戦争から第二次大戦に至る過程で、国は国策として、
青年団組織を軍隊予備軍に組み込んでいった。
そんなお話を長々綴って参りました。
改めて、「佐七」へ戻ります。
佐七の故郷は、伊豆半島の西岸、駿河湾に面した道部村(松崎町)です。
漁業の盛んなところで、佐七もカツオ船の漁師でした。
カツオ節は賀茂郡の特産で、中でも「道部節」は文政5年のカツオ節番付表で、
東前頭16枚目だったとか。
松崎町の船大工、藤池久雄氏(大正9年生まれ)が制作した
「一本釣り漁船」の模型
江戸末期に伝わった道部神社の「三番叟・翁の舞」
道部村の若者、佐七も、
この舞台に立って伝統の「三番叟」を演じたかも、
と思ったらちょっと楽しくなりました。
<つづく>
※参考文献・画像提供/「松崎町史資料編 第4集 民俗編(下)」
松崎町教育委員会 平成14年
静岡県賀茂郡松崎町・八木山八幡神社にある力石、
「みち婦村 佐七」からでした。
八木山八幡神社。ケヤキの木の間に見えるのが力石
向かって左の石が佐七が持った石
年代刻字石としては、静岡県内で一番古い力石です。
奉納 六拾貫余
癸卯天明三年三月 南新川 佐七 みち婦村 佐七
「松崎町史」によると、
「大正時代、若者組「聚星社」の加賀 要 がこの石を背負い、
境内を一巡して石を下そうとしたとき手を貸そうとしたら、
手助けはいらないと断り、楽々と一人で下したという」
「佐藤秀哉(草相撲のしこなは八幡錦)は二十歳のころ、
小さい方を胸まで持ち上げたが、大きい方は持ち上げることができなかった」
さて、前回までのお話は、
佐七の持った力石から、佐七も所属していたであろう若者組、若者宿へ、
と、こんな流れでした。
若者組の若者たちの夜這いの話を書いたら、
殿方の興味がいやが上にも高まりましたっけ。
うふふっ
夜這いとくれば、やっぱりオイラの出番だよな
その若者組は明治以降、国指導の青年団組織へ再編され、
日露戦争から第二次大戦に至る過程で、国は国策として、
青年団組織を軍隊予備軍に組み込んでいった。
そんなお話を長々綴って参りました。
改めて、「佐七」へ戻ります。
佐七の故郷は、伊豆半島の西岸、駿河湾に面した道部村(松崎町)です。
漁業の盛んなところで、佐七もカツオ船の漁師でした。
カツオ節は賀茂郡の特産で、中でも「道部節」は文政5年のカツオ節番付表で、
東前頭16枚目だったとか。
松崎町の船大工、藤池久雄氏(大正9年生まれ)が制作した
「一本釣り漁船」の模型
江戸末期に伝わった道部神社の「三番叟・翁の舞」
道部村の若者、佐七も、
この舞台に立って伝統の「三番叟」を演じたかも、
と思ったらちょっと楽しくなりました。
<つづく>
※参考文献・画像提供/「松崎町史資料編 第4集 民俗編(下)」
松崎町教育委員会 平成14年