アーティストさんからの手紙⑲ 番外編 「絵の里」 八木洋行
私が出会ったアーティストたち2
番外編です。
私は「アーティストの仕事場訪問」の前に、県内の画廊さんをお訪ねした
「美術の旅ー静岡の画廊をめぐる」を書きました。
巡った画廊は47カ所。
そのうちの一か所で、なんとこの私が絵のモデルになったのです。
描いてくださったのは、「ギャラリー絵の里」(沼津市)の経営者で、
県展や旺玄会展に入選した経歴を持ち、
本の挿絵や装丁も手掛ける池田利行氏。
取材中、私をモデルにエンピツ画を仕上げてしまったのです。
それがこれ。
「子供のころからの夢だった絵描きになれなかったので、
せめてその周辺にいたいと思って。
ギャラリーの名称、”絵の里”は長女の絵里からとりました」
森の中の白い家。二階がしゃれた喫茶店という素敵なギャラリー。
主に地元作家の作品を長期間展示していた。
「一部の地元作家の作品は、
中央のオークションでは値がつかず商品にはなりません。
商品と呼ぶものは流通に出るもののこと。公開株と同じです。
本来は芸術にモノサシはないんです。
普遍的なものはみんなの心にこびへつらう絵になりやすいし、
逆に独創的なものは個人の心に訴える普遍性がない。
そのどちらもないといい作品にはなりません」
「絵の業界はつかみどころのない世界ですが、
基本的には純粋性が芸術性だと思います。
売るために創作したわけじゃなかった良寛や円空みたいに」
「日本の絵は明治以来、美意識が偏ってしまって国際的には通用しない。
もっと国際市場に出して世界の人の目にさらすことが必要ですね」
絵の世界の裏表を知り尽くした人の話は、興味が尽きなかった。
池田さん、お元気でしょうか。
ーーーーー
八木洋行(やぎ ようこう) 写真家・民俗学者
静岡県藤枝市生まれ
私は1994年から一年かけて、旧東海道の静岡県内二十二宿を歩き、
新聞に連載していました。
新聞記事はそのときで消えていくものなので、何とかカタチにして残したい、
そう思ってこれを「東海道ぶらぶら旅日記」として自費出版した。
在職中の14年間、たくさん連載してきましたから、
全部、本にしたかったのですが、費用の捻出が難しいので断念。
これ一冊だけはなんとか残すことができました。
そこで八木洋行氏に序文をお願いしたら快諾してくれて、
「刊行によせて」の原稿をお送りくださったのです。
こんな楽しいハガキも。
生まれも育ちも生粋の藤枝っ子。
ふるさとを愛する情熱は人一倍。
昔はよく歴史散歩を企画してみなさんを穴場に案内してくださった。
そんな中、なにやら意味ありげな場所に。
そこはかつての遊郭で、
「おやじたちが愛した」とかなんとかおっしゃったのを聞いた参加者たち、
「八木先生もなかなかの人だから」と、ニヤニヤ、ヒソヒソ。
民俗学者としてまた写真家として、
ふるさとを愛し、古きを愛し、女性をこよなく愛する人にふさわしく、
昔日の残照の路地に立つ姿は実に自然でありました。(^^♪
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私は「アーティストの仕事場訪問」の前に、県内の画廊さんをお訪ねした
「美術の旅ー静岡の画廊をめぐる」を書きました。
巡った画廊は47カ所。
そのうちの一か所で、なんとこの私が絵のモデルになったのです。
描いてくださったのは、「ギャラリー絵の里」(沼津市)の経営者で、
県展や旺玄会展に入選した経歴を持ち、
本の挿絵や装丁も手掛ける池田利行氏。
取材中、私をモデルにエンピツ画を仕上げてしまったのです。
それがこれ。
「子供のころからの夢だった絵描きになれなかったので、
せめてその周辺にいたいと思って。
ギャラリーの名称、”絵の里”は長女の絵里からとりました」
森の中の白い家。二階がしゃれた喫茶店という素敵なギャラリー。
主に地元作家の作品を長期間展示していた。
「一部の地元作家の作品は、
中央のオークションでは値がつかず商品にはなりません。
商品と呼ぶものは流通に出るもののこと。公開株と同じです。
本来は芸術にモノサシはないんです。
普遍的なものはみんなの心にこびへつらう絵になりやすいし、
逆に独創的なものは個人の心に訴える普遍性がない。
そのどちらもないといい作品にはなりません」
「絵の業界はつかみどころのない世界ですが、
基本的には純粋性が芸術性だと思います。
売るために創作したわけじゃなかった良寛や円空みたいに」
「日本の絵は明治以来、美意識が偏ってしまって国際的には通用しない。
もっと国際市場に出して世界の人の目にさらすことが必要ですね」
絵の世界の裏表を知り尽くした人の話は、興味が尽きなかった。
池田さん、お元気でしょうか。
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八木洋行(やぎ ようこう) 写真家・民俗学者
静岡県藤枝市生まれ
私は1994年から一年かけて、旧東海道の静岡県内二十二宿を歩き、
新聞に連載していました。
新聞記事はそのときで消えていくものなので、何とかカタチにして残したい、
そう思ってこれを「東海道ぶらぶら旅日記」として自費出版した。
在職中の14年間、たくさん連載してきましたから、
全部、本にしたかったのですが、費用の捻出が難しいので断念。
これ一冊だけはなんとか残すことができました。
そこで八木洋行氏に序文をお願いしたら快諾してくれて、
「刊行によせて」の原稿をお送りくださったのです。
こんな楽しいハガキも。
生まれも育ちも生粋の藤枝っ子。
ふるさとを愛する情熱は人一倍。
昔はよく歴史散歩を企画してみなさんを穴場に案内してくださった。
そんな中、なにやら意味ありげな場所に。
そこはかつての遊郭で、
「おやじたちが愛した」とかなんとかおっしゃったのを聞いた参加者たち、
「八木先生もなかなかの人だから」と、ニヤニヤ、ヒソヒソ。
民俗学者としてまた写真家として、
ふるさとを愛し、古きを愛し、女性をこよなく愛する人にふさわしく、
昔日の残照の路地に立つ姿は実に自然でありました。(^^♪
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