「は組」がなぜ群馬に?
江戸火消しと力石
群馬県伊勢崎市・諏訪神社の力石、「は組」のなぞ解きです。
なにしろ子供のころから、疑問に思ったら黙っていられない性分で…。
重さ300Kgの巨石に、繊細で美しい「は組」の線彫り。
江戸の勇みの象徴・町火消しが、半てんや纏(まとい)に記した文字は、
力文字、伊達文字などというそうです。
撮影/斎藤氏
力文字って名称、いいですねえ。江戸火消しの心意気がビンビン。
でも、こんな立派な「は組」の力石なのに、
奉納年もこれを持った人の名前も奉納者名も入っていないのです。
最も不思議に思うのは、江戸火消しの刻字石が、
なぜ群馬県にあるのか。
さらに「大願成就」って、
一体これを担いだ力持ちはどんな大願を果たしたというのでしょうか。
力石研究の大先輩、斎藤氏にこの疑問をぶつけてみました。
「これは個人が奉納した力石だと思います。
ぼくの推測ですが、
ここ境村出身の若者がひと旗あげようと江戸へ出た。
若者の願いは、江戸の華・鳶職になること。
力持ちの彼は次第に注目されるようになり、ついに鳶・火消しの職を得た。
大願を果たして故郷へ凱旋した彼は、
村人たちに自慢の力技を披露して、記念にこの石を奉納した」
静岡県の伊豆・松崎町には、佐七という若者が故郷へ凱旋した折、
氏神様に奉納した力石が残っています。
賀茂郡松崎町岩科南側・八木山八幡神社。2本の木の間に置かれています。
左側の丸い石が「佐七」奉納の力石です。
ちょっと寂しい置き方ですが…。
「奉納 六拾貫余 癸卯天明三年三月
南新川 佐七 みち婦村 佐七」
みち婦(道部)村の佐七はかつお船の漁師ですが、
漁のない冬季は、
江戸の南新川の酒問屋へ出稼ぎにいきます。
伊豆は力持ちの宝庫ですから、
腕に自信のある佐七は江戸での力比べに出場して、優勝でもしたのでしょう。
その凱旋記念に石に自分の名前を刻み、奉納したと思われます。
伊勢崎市・諏訪神社の「は組 大願成就」石にも、
伊豆の佐七のような、名前や年号の刻字があったらよかったのに。
「なぜ奉納年も名前も刻まなかったのかはわかりませんが、
ちなみに、同じ群馬県の桐生市に、
江戸神田をベースに活躍した柴田一門の力石が残されています。
桐生の有力者の招きによる力持ち興行のとき使ったものですが…」と斎藤氏。
これがその柴田一門が奉納していった力石です。
群馬県桐生市・桐生天満宮 112×70×20余㎝ 撮影/高島愼助教授
この境村出身らしき「は組」の若者と、
力持ち集団「柴田一門」とをつなぐ証拠は全くありませんが、
ちょっぴりでもどこかでつながっていたらいいなあ、なんて思うんです。
斎藤氏も「そりゃあ、妄想だよ」と笑いつつも、
頭の片隅で、きっとそんな夢を描いているはずです。
次回はこの「柴田一門」に触れていきます。
※参考文献/「静岡の力石」高島愼助 雨宮清子 岩田書院 2011
/「群馬・山梨の力石」高島愼助 岩田書院 2008
なにしろ子供のころから、疑問に思ったら黙っていられない性分で…。
重さ300Kgの巨石に、繊細で美しい「は組」の線彫り。
江戸の勇みの象徴・町火消しが、半てんや纏(まとい)に記した文字は、
力文字、伊達文字などというそうです。
撮影/斎藤氏
力文字って名称、いいですねえ。江戸火消しの心意気がビンビン。
でも、こんな立派な「は組」の力石なのに、
奉納年もこれを持った人の名前も奉納者名も入っていないのです。
最も不思議に思うのは、江戸火消しの刻字石が、
なぜ群馬県にあるのか。
さらに「大願成就」って、
一体これを担いだ力持ちはどんな大願を果たしたというのでしょうか。
力石研究の大先輩、斎藤氏にこの疑問をぶつけてみました。
「これは個人が奉納した力石だと思います。
ぼくの推測ですが、
ここ境村出身の若者がひと旗あげようと江戸へ出た。
若者の願いは、江戸の華・鳶職になること。
力持ちの彼は次第に注目されるようになり、ついに鳶・火消しの職を得た。
大願を果たして故郷へ凱旋した彼は、
村人たちに自慢の力技を披露して、記念にこの石を奉納した」
静岡県の伊豆・松崎町には、佐七という若者が故郷へ凱旋した折、
氏神様に奉納した力石が残っています。
賀茂郡松崎町岩科南側・八木山八幡神社。2本の木の間に置かれています。
左側の丸い石が「佐七」奉納の力石です。
ちょっと寂しい置き方ですが…。
「奉納 六拾貫余 癸卯天明三年三月
南新川 佐七 みち婦村 佐七」
みち婦(道部)村の佐七はかつお船の漁師ですが、
漁のない冬季は、
江戸の南新川の酒問屋へ出稼ぎにいきます。
伊豆は力持ちの宝庫ですから、
腕に自信のある佐七は江戸での力比べに出場して、優勝でもしたのでしょう。
その凱旋記念に石に自分の名前を刻み、奉納したと思われます。
伊勢崎市・諏訪神社の「は組 大願成就」石にも、
伊豆の佐七のような、名前や年号の刻字があったらよかったのに。
「なぜ奉納年も名前も刻まなかったのかはわかりませんが、
ちなみに、同じ群馬県の桐生市に、
江戸神田をベースに活躍した柴田一門の力石が残されています。
桐生の有力者の招きによる力持ち興行のとき使ったものですが…」と斎藤氏。
これがその柴田一門が奉納していった力石です。
群馬県桐生市・桐生天満宮 112×70×20余㎝ 撮影/高島愼助教授
この境村出身らしき「は組」の若者と、
力持ち集団「柴田一門」とをつなぐ証拠は全くありませんが、
ちょっぴりでもどこかでつながっていたらいいなあ、なんて思うんです。
斎藤氏も「そりゃあ、妄想だよ」と笑いつつも、
頭の片隅で、きっとそんな夢を描いているはずです。
次回はこの「柴田一門」に触れていきます。
※参考文献/「静岡の力石」高島愼助 雨宮清子 岩田書院 2011
/「群馬・山梨の力石」高島愼助 岩田書院 2008