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またまた発見!②

どすこい坂本
12 /17 2024
私からの問い合わせで、
坂本さんが大急ぎで送ってくれた一つがこれ。


坂本さんの小祠の石3
埼玉県越谷市越ケ谷2‐2‐16  八幡神社

一足早く斎藤さんから送られてきたのが下の写真。

お日さまの差し具合で暗く写っていますが、実際に見るとこんな感じでしょう。
さすがに斎藤さんです。判読もしっかり、寸法もきちんと測って。

「奉納 四拾貫余 市助」 50×42×22㎝

「下部欠損。こんな無骨な形の力石は珍しい」と斉藤さん。

「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007には、
越谷市役所市史編さん室が1976年に発行した「越谷ふるさと散歩」から
として、「會田石」と無刻字石のみ紹介して、「三拾□目」石と、
「四拾貫余」石を外している。


形が悪いからはずしてしまったのか、気になります。

斎藤さんの八幡神社2

小祠にあった気になるもう一つの石も、斎藤さんが送ってくださった。
これです。


斎藤さんの八幡神社3

「無刻だが坂本さん発見の石(三拾□目石)に似た形だから、
力石かもしれないが、沓石かもしれない。
坂本さんが裏返したような跡がある」と斉藤さん。


こちらが坂本さん撮影の「無刻字石」

白く粉が吹いたように見えるのは、私が刻字を判読する方法として、
水を掛けるほかに、墓石研究の東北の大学教授が実践していた
片栗粉や小麦粉を掛ける方法をお伝えしたため、それを実践したのかも。

この方法、うまくいかなかったのかな。


坂本さんの小祠の石1

ここで問題勃発

斎藤さんから送られてきた「四拾貫余」石。

「坂本さん、この石、見ませんでしたか?」との私の問いに、
「見ました! でも雨宮さんへの送信がうまくいかなくて送れなかったんです」
そう言って、大慌てて送ってきたことは前回の記事で書いた。


さて、ここで私は迷いました。新発見者をどちらにしたらいいのか、と。
力石の調査者にとって「新発見」は特別なものですから。

というより「新発見」というのは、「新大陸発見」で大騒ぎした昔から
人の心を沸き立たせるもの。考古学者は歴史を覆す新発見に歓喜し、
物理・化学ではノーベル賞のチャンスもある。

しがない「力石」だって、その喜びと興奮は同じ。

それでお二人同時というのが一番いいかなと思っていたら、斎藤さんから、
「坂本さんの新発見にしてください」との温かいメールです。


右が坂本さん発見の「三拾□目」石、
左が斎藤さん、坂本さん発見の「四拾貫余 市助」石です。
越ケ谷さいとうさんP

斎藤さん、さらにこの若き力持ちにこんなエールも送ってくれました。

「持ち上げる、担ぐだけでは飽き足らず、見つけること、判読することの
重要性に気付いたのでしょう。当初とはずいぶん違ってきました。
彼の強味は石をひっくりかえす膂力を所有していることで、
今後もこれを多様していただきたい。
これからも力石と思しき石をひっくりかえして刻字を明かにし、
無刻と思われた石を「力石」に変えてくれることを期待しています」


ありがとうございます、斎藤さん。
この力強い大きな心遣い、きっと坂本さんに届きます。


最後に、
越ケ谷・八幡神社の新発見の数日前に坂本さんが発見した
茨城県守谷市の八坂神社の力石をご紹介します。


八坂神社です。
守谷市本町八坂神社1
茨城県守谷市本町629  八坂神社

こちらが既存の力石です。

「奉石 二十八メ目 施主 松屋」 44×37×27㎝

守谷市本町八坂神社3

下の写真が坂本さん、新発見の2個の力石です。
宮司さんの話では、最近発掘したとのこと。


送られてきた写真から私メが判読。間違っているかも。

左、「三十七メ目 下村氏□□」
右、「奉納□□ 市兵衛 七十八メ目 當町 久□□村」

同じ写真から斎藤さんにも読んでいただきました。

左、「三十七メ目 上 下村氏 弥□」
右、「奉納 七十八メ目 重兵ヱ 當町 久□ノ村□」

守谷市1 守谷市2

「78貫目はさすがに重かったです!!」と坂本さん。

現代の力持ちはみなさん、孤独な挑戦者です。
坂本さんはご家族の熱い後押しと協力があって活動しています。

みなさん、どうか応援してあげてください。


ーーブログを見た坂本さんからーー

「”粂吉持”と刻字があるように見えました」

とのメールと新たな写真が届きました。どれどれと拝見したら、確かに!


粂吉2

「重兵ヱ
奉納 七十八メ目 當町
 粂吉持」

坂本さん、お見事!

さらにメールが…。

初めにお伝えした越谷市・八幡神社の「市助石」
(四拾貫余)、
この石、坂本さん、昨年12月に新発見していたそうです。
そのときの写真、改めて載せますのでご覧ください。

八幡神社四十貫余

またまた発見!①

どすこい坂本
12 /14 2024
日曜日に、さかもっちゃんこと坂本さんからメールが来ました。
「昨日、またまた力石を発見しました」

実は坂本さん、茨城県で2個、新発見しているのですが、
ブログで紹介しようとしていた矢先、またの新発見。
先にこちらを取り上げることにしました。

この場所には、
「龜(亀)吉さんが持上げた力石で有名な、“會田石”があります」とのこと。
すぐに斎藤さんに連絡すると、なんとその日のうちに再調査に。


ハヤッ!

帰宅した斎藤さんから、
「雨宮さんがこちらに来られた時、會田石を見ている私を雨宮さんに
撮られた記憶が蘇ってきました」と言われて、写真を探しました。

ありました。これです。


会田石2
埼玉県越谷市越ケ谷2‐2‐16  八幡神社

「會田石」と聞いて、私はなぜか久伊豆神社の會田石と思い込んでしまって。
斎藤さんとメールでやり取りしていて、どうも辻褄が合わないと思い、
坂本さんからのメールを再度見て、「あ! 八幡神社だったか」と。

富山県南砺市から町の花や植物、生き物などを発信している
ブログ「嘘だまり」の素姓乱雑さんからついこの間、
「誤字のない整った文。さすが」と、褒められたばかりなのに。嗚呼…。


そうなんです。確かにこの八幡神社へは10年前、
斎藤さんとまだお元気だった酒井正さんに案内されて行きました。

写真左の石が「會田石」、右の防火水そうの看板の下の石が無刻字石です。

「奉納 會田石 嘉永五壬子九月 會田□兵衛 會田庄右衛門
世ハ人 藤田庄右衛門 田中与一郎 神奈川龜吉持之
石工 卯之助」
 79×43×42㎝

このときからすでに10年。あっという間でした。
越ケ谷八幡神社

帰宅した斎藤さんから改めて、
「坂本さんは一つあったと言ってましたか?」と聞かれて、
「はい。写真が一枚送られてきて、
"私が発見したのは、三拾貫目と刻字してあるように見えました"と」

これが坂本さんから送られてきた新発見の力石です。
さかもっちゃん

でも、斎藤さんから送られてきた写真を見たら、あれれ?
なんだかゴミ置き場みたいな場所だけど、他にも力石らしき石が写っている。


kosigaya八幡神社小祠

「小祠の右側の杉の根元に放置してあるのが、
坂本さんの新発見力石です」と斎藤さん。


「奉納力石 三拾□目 越ケ谷甼」
51×36×28余㎝

斎藤さんp坂本さん新発見石

この小祠の写真を見て、
これなら他の石も見逃すはずはないと思い、坂本さんに連絡すると、
「斎藤さんは行動力が早いですね!」と驚きつつ、
「実は僕も他のを見つけていましたが、写真の送信ができなかったんです」


そう言って、即座にあとの2個の写真を送ってくれた。

それにしてもこの短期間に二人も調査にきて、
石に水掛けたり撫でまわしたり持ち上げたりされて、力石もびっくりですね。

でも長い間放置されていたんです。
久しぶりに人の手のぬくもりに触れて、力石もきっと喜んでいると思います。

坂本さん、連続快挙

どすこい坂本
11 /26 2024
さかもっちゃんこと坂本さんの快進撃が止まりません。

埼玉県で一人コツコツと力石に挑戦している坂本さん。
このところ石の刻字の新発見が続いています。

今月初め、こんなメールが届きました。

「越谷市増森路傍の力石の刻字が判明したので、
ご報告させていただきます」


増森の路傍の石です。
増森
埼玉県越谷市増森

下の写真が坂本さん判読の力石です。

奉納 三十八メ目 享保までわかったのですが、
その後の刻字が判読できません」と坂本さん。

というわけで、あやふやながら私はこう読んでみました。


「奉納 三十八メ目 享保五庚子年」 
「庚子」は少々苦しい判読ですが、享保五年は「庚子」なので…。

右端にも文字が見えますが不鮮明でわかりません。

増森1
63×45×25余㎝

斎藤さんに連絡したら、即座にメールが届いた。

「これは、2006年7月25日に私が発見した石です。
”理容トヨタ”の敷地角にあり、同店のおばあさんの話だと
“三行の刻字があった”とのことですが、表面には認められなかったので、
おばあさんと一緒に裏返ししようとしたが無理でした。
従って、無刻として報告してありますので、刻字はわかりません」

それを坂本さんがひっくり返したら、刻字が出てきた。


斎藤さんが見つけた時の石は、こんな状態だったのではないでしょうか。
先輩の見つけた力石を後輩が解明していく、いい形だと思いました。

増森2

というわけで、これは坂本さんの「新発見刻字石」となりました。
その後坂本さんから、
「もう一つあったが埋めてしまったと豊田さんが話していた」
との報告がありました。


それから間もなく、坂本さんからまたメールが届いた。

蓬莱石と見えるのですが、判読をお願いします。
ほかも刻字があるのですが、薄くて判読できません」


「莱」の文字は草冠が4画の旧字体、確かに「蓬莱石」です。

「奉納 蓬莱石」 70×46×32㎝

蓬莱石
埼玉県草加市原町 はらまち沖田笠間稲荷神社

こちらは「四日市大学論集」「埼玉県の力石(5)」(2023年3月)
掲載されていたが、刻字なし。

ということで、これもまた坂本さんの新発見


斎藤さんから「坂本さん、すごいですね!」とのメールが…。

新発見! おめでとうございます。

その坂本さんから、嬉しさ全開のメールが…。
「新刻字発見者になれて、力石持上げ者冥利に尽きます」


埼玉県人の探求心、努力は本当に凄いと思います。

坂本さんは力石をみなさんに知っていただこうという活動も始めました。
どうぞ、下記の動画をご覧ください。



雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞