またまた発見!②
どすこい坂本
私からの問い合わせで、
坂本さんが大急ぎで送ってくれた一つがこれ。
埼玉県越谷市越ケ谷2‐2‐16 八幡神社
一足早く斎藤さんから送られてきたのが下の写真。
お日さまの差し具合で暗く写っていますが、実際に見るとこんな感じでしょう。
さすがに斎藤さんです。判読もしっかり、寸法もきちんと測って。
「奉納 四拾貫余 市助」 50×42×22㎝
「下部欠損。こんな無骨な形の力石は珍しい」と斉藤さん。
「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007には、
越谷市役所市史編さん室が1976年に発行した「越谷ふるさと散歩」から
として、「會田石」と無刻字石のみ紹介して、「三拾□目」石と、
「四拾貫余」石を外している。
形が悪いからはずしてしまったのか、気になります。
小祠にあった気になるもう一つの石も、斎藤さんが送ってくださった。
これです。
「無刻だが坂本さん発見の石(三拾□目石)に似た形だから、
力石かもしれないが、沓石かもしれない。
坂本さんが裏返したような跡がある」と斉藤さん。
こちらが坂本さん撮影の「無刻字石」
白く粉が吹いたように見えるのは、私が刻字を判読する方法として、
水を掛けるほかに、墓石研究の東北の大学教授が実践していた
片栗粉や小麦粉を掛ける方法をお伝えしたため、それを実践したのかも。
この方法、うまくいかなかったのかな。
ここで問題勃発。
斎藤さんから送られてきた「四拾貫余」石。
「坂本さん、この石、見ませんでしたか?」との私の問いに、
「見ました! でも雨宮さんへの送信がうまくいかなくて送れなかったんです」
そう言って、大慌てて送ってきたことは前回の記事で書いた。
さて、ここで私は迷いました。新発見者をどちらにしたらいいのか、と。
力石の調査者にとって「新発見」は特別なものですから。
というより「新発見」というのは、「新大陸発見」で大騒ぎした昔から
人の心を沸き立たせるもの。考古学者は歴史を覆す新発見に歓喜し、
物理・化学ではノーベル賞のチャンスもある。
しがない「力石」だって、その喜びと興奮は同じ。
それでお二人同時というのが一番いいかなと思っていたら、斎藤さんから、
「坂本さんの新発見にしてください」との温かいメールです。
右が坂本さん発見の「三拾□目」石、
左が斎藤さん、坂本さん発見の「四拾貫余 市助」石です。
斎藤さん、さらにこの若き力持ちにこんなエールも送ってくれました。
「持ち上げる、担ぐだけでは飽き足らず、見つけること、判読することの
重要性に気付いたのでしょう。当初とはずいぶん違ってきました。
彼の強味は石をひっくりかえす膂力を所有していることで、
今後もこれを多様していただきたい。
これからも力石と思しき石をひっくりかえして刻字を明かにし、
無刻と思われた石を「力石」に変えてくれることを期待しています」
ありがとうございます、斎藤さん。
この力強い大きな心遣い、きっと坂本さんに届きます。
最後に、
越ケ谷・八幡神社の新発見の数日前に坂本さんが発見した
茨城県守谷市の八坂神社の力石をご紹介します。
八坂神社です。
茨城県守谷市本町629 八坂神社
こちらが既存の力石です。
「奉石 二十八メ目 施主 松屋」 44×37×27㎝
下の写真が坂本さん、新発見の2個の力石です。
宮司さんの話では、最近発掘したとのこと。
送られてきた写真から私メが判読。間違っているかも。
左、「三十七メ目 下村氏□□」
右、「奉納□□ 市兵衛 七十八メ目 當町 久□□村」
同じ写真から斎藤さんにも読んでいただきました。
左、「三十七メ目 上 下村氏 弥□」
右、「奉納 七十八メ目 重兵ヱ 當町 久□ノ村□」
「78貫目はさすがに重かったです!!」と坂本さん。
現代の力持ちはみなさん、孤独な挑戦者です。
坂本さんはご家族の熱い後押しと協力があって活動しています。
みなさん、どうか応援してあげてください。
ーーブログを見た坂本さんからーー
「”粂吉持”と刻字があるように見えました」
とのメールと新たな写真が届きました。どれどれと拝見したら、確かに!
「重兵ヱ
奉納 七十八メ目 當町 粂吉持」
坂本さん、お見事!
さらにメールが…。
初めにお伝えした越谷市・八幡神社の「市助石」(四拾貫余)、
この石、坂本さん、昨年12月に新発見していたそうです。
そのときの写真、改めて載せますのでご覧ください。
坂本さんが大急ぎで送ってくれた一つがこれ。
埼玉県越谷市越ケ谷2‐2‐16 八幡神社
一足早く斎藤さんから送られてきたのが下の写真。
お日さまの差し具合で暗く写っていますが、実際に見るとこんな感じでしょう。
さすがに斎藤さんです。判読もしっかり、寸法もきちんと測って。
「奉納 四拾貫余 市助」 50×42×22㎝
「下部欠損。こんな無骨な形の力石は珍しい」と斉藤さん。
「埼玉の力石」高島愼助 岩田書院 2007には、
越谷市役所市史編さん室が1976年に発行した「越谷ふるさと散歩」から
として、「會田石」と無刻字石のみ紹介して、「三拾□目」石と、
「四拾貫余」石を外している。
形が悪いからはずしてしまったのか、気になります。
小祠にあった気になるもう一つの石も、斎藤さんが送ってくださった。
これです。
「無刻だが坂本さん発見の石(三拾□目石)に似た形だから、
力石かもしれないが、沓石かもしれない。
坂本さんが裏返したような跡がある」と斉藤さん。
こちらが坂本さん撮影の「無刻字石」
白く粉が吹いたように見えるのは、私が刻字を判読する方法として、
水を掛けるほかに、墓石研究の東北の大学教授が実践していた
片栗粉や小麦粉を掛ける方法をお伝えしたため、それを実践したのかも。
この方法、うまくいかなかったのかな。
ここで問題勃発。
斎藤さんから送られてきた「四拾貫余」石。
「坂本さん、この石、見ませんでしたか?」との私の問いに、
「見ました! でも雨宮さんへの送信がうまくいかなくて送れなかったんです」
そう言って、大慌てて送ってきたことは前回の記事で書いた。
さて、ここで私は迷いました。新発見者をどちらにしたらいいのか、と。
力石の調査者にとって「新発見」は特別なものですから。
というより「新発見」というのは、「新大陸発見」で大騒ぎした昔から
人の心を沸き立たせるもの。考古学者は歴史を覆す新発見に歓喜し、
物理・化学ではノーベル賞のチャンスもある。
しがない「力石」だって、その喜びと興奮は同じ。
それでお二人同時というのが一番いいかなと思っていたら、斎藤さんから、
「坂本さんの新発見にしてください」との温かいメールです。
右が坂本さん発見の「三拾□目」石、
左が斎藤さん、坂本さん発見の「四拾貫余 市助」石です。
斎藤さん、さらにこの若き力持ちにこんなエールも送ってくれました。
「持ち上げる、担ぐだけでは飽き足らず、見つけること、判読することの
重要性に気付いたのでしょう。当初とはずいぶん違ってきました。
彼の強味は石をひっくりかえす膂力を所有していることで、
今後もこれを多様していただきたい。
これからも力石と思しき石をひっくりかえして刻字を明かにし、
無刻と思われた石を「力石」に変えてくれることを期待しています」
ありがとうございます、斎藤さん。
この力強い大きな心遣い、きっと坂本さんに届きます。
最後に、
越ケ谷・八幡神社の新発見の数日前に坂本さんが発見した
茨城県守谷市の八坂神社の力石をご紹介します。
八坂神社です。
茨城県守谷市本町629 八坂神社
こちらが既存の力石です。
「奉石 二十八メ目 施主 松屋」 44×37×27㎝
下の写真が坂本さん、新発見の2個の力石です。
宮司さんの話では、最近発掘したとのこと。
送られてきた写真から私メが判読。間違っているかも。
左、「三十七メ目 下村氏□□」
右、「奉納□□ 市兵衛 七十八メ目 當町 久□□村」
同じ写真から斎藤さんにも読んでいただきました。
左、「三十七メ目 上 下村氏 弥□」
右、「奉納 七十八メ目 重兵ヱ 當町 久□ノ村□」
「78貫目はさすがに重かったです!!」と坂本さん。
現代の力持ちはみなさん、孤独な挑戦者です。
坂本さんはご家族の熱い後押しと協力があって活動しています。
みなさん、どうか応援してあげてください。
ーーブログを見た坂本さんからーー
「”粂吉持”と刻字があるように見えました」
とのメールと新たな写真が届きました。どれどれと拝見したら、確かに!
「重兵ヱ
奉納 七十八メ目 當町 粂吉持」
坂本さん、お見事!
さらにメールが…。
初めにお伝えした越谷市・八幡神社の「市助石」(四拾貫余)、
この石、坂本さん、昨年12月に新発見していたそうです。
そのときの写真、改めて載せますのでご覧ください。