「井口」本と出会う
神田川徳蔵物語
「ネットにこんな本が載っていますが…」
そんなメールを徳蔵縁者のEさんからいただいたのが先月31日。
どうやら徳蔵のことが出ているらしい。
でもネットの情報はほんのわずか。まず本を探すのが先決です。
しかし国会図書館に所蔵はなく、公共施設では全国でただ一ヵ所、
著者の出身地の岡山県立図書館に一冊と、
古書店に一冊あるのみ。
さっそく地元の図書館へ出向き、県外貸し出しを申請。
それから待つこと19日目、やっとやっとはるばる岡山県から届きました。
ハードカバーの408頁もある立派な回顧録です。
ひと目見て欲しくなり、2回読み終わったところで古書店へ注文。
本から立ち上る「臨場感」がたまりません。
注文から5日目、情報をいただいてから25日目に、とうとう我が手に。
それがこれです。
井口幸男氏の私家本「わがスポーツの軌跡」
(昭和61年発行)
「借りて読んだのに買うんですか」と呆れられましたが、
そうなんです。
私は欲しくなったら買うんです。せっかく今までの本を処分したってのに。
古書のいいところは、以前の持ち主の思いが残っているところです。
新聞の切り抜きが挟んであったり、本以外の情報があるんですね。
今度の本には言葉を添えた「謹呈」がありました。
「老境に至り、」で始まる言葉には、こんな一文が…。
「後日重量挙の編纂史が企画されることにでもなれば、参考の一助に…」
この本の最初の寄贈者は、どんな人だったのか。
30数年前、できあがったばかりの自著を、
ちょっと恥ずかしげに手渡す井口氏の姿がほうふつとしてきます。
彫塑家・北村西望(右)制作の「旭日昇天」のモデルになった
若き日の井口幸男(左)です。
井口氏は日本体育会体操学校(現・日本体育大学)卒業後、
戦前まであった文部省体育研究所に所属。そのとき、モデルを依頼された。
ちなみに北村西望は「長崎平和祈念像」の制作者。
戦前は大日本帝国のために、戦後は平和のために。
原爆投下された長崎に建つ「平和祈念像」が、なぜたくましい男性だったのか、
私はずっと不思議に思っていましたが、
北村が重量挙げ選手をモデルに起用していたことが、
その根底にあったことを初めて知りました。
北村自身は像の裏面に、こう記しているそうです。
「すべてを超越した人類最高の希望の象徴」
さて、本です。
これは寄贈された人のご遺族がのちに古書店へ持ち込んだものでしょう。
箱は焼けて手の跡もついていたけれど、本文は読まれたかどうか。
でも、ページの端を折った形跡が2ヵ所、残っていた。
神田川(飯田)徳蔵と同時代に生き、交流を持った人物の著書は、
若木竹丸の「怪力法」に加えて2冊目になる。
けれど井口本は若木本よりダントツに詳しい。
徳蔵の息子や甥たちとのつながりも長く深い。
次回からは井口幸男を通して、
徳蔵一族の「肉声」をしっかりお伝えしてまいります。
※参考文献・画像提供/「わがスポーツの軌跡」井口幸男 私家本
昭和61年
そんなメールを徳蔵縁者のEさんからいただいたのが先月31日。
どうやら徳蔵のことが出ているらしい。
でもネットの情報はほんのわずか。まず本を探すのが先決です。
しかし国会図書館に所蔵はなく、公共施設では全国でただ一ヵ所、
著者の出身地の岡山県立図書館に一冊と、
古書店に一冊あるのみ。
さっそく地元の図書館へ出向き、県外貸し出しを申請。
それから待つこと19日目、やっとやっとはるばる岡山県から届きました。
ハードカバーの408頁もある立派な回顧録です。
ひと目見て欲しくなり、2回読み終わったところで古書店へ注文。
本から立ち上る「臨場感」がたまりません。
注文から5日目、情報をいただいてから25日目に、とうとう我が手に。
それがこれです。
井口幸男氏の私家本「わがスポーツの軌跡」
(昭和61年発行)
「借りて読んだのに買うんですか」と呆れられましたが、
そうなんです。
私は欲しくなったら買うんです。せっかく今までの本を処分したってのに。
古書のいいところは、以前の持ち主の思いが残っているところです。
新聞の切り抜きが挟んであったり、本以外の情報があるんですね。
今度の本には言葉を添えた「謹呈」がありました。
「老境に至り、」で始まる言葉には、こんな一文が…。
「後日重量挙の編纂史が企画されることにでもなれば、参考の一助に…」
この本の最初の寄贈者は、どんな人だったのか。
30数年前、できあがったばかりの自著を、
ちょっと恥ずかしげに手渡す井口氏の姿がほうふつとしてきます。
彫塑家・北村西望(右)制作の「旭日昇天」のモデルになった
若き日の井口幸男(左)です。
井口氏は日本体育会体操学校(現・日本体育大学)卒業後、
戦前まであった文部省体育研究所に所属。そのとき、モデルを依頼された。
ちなみに北村西望は「長崎平和祈念像」の制作者。
戦前は大日本帝国のために、戦後は平和のために。
原爆投下された長崎に建つ「平和祈念像」が、なぜたくましい男性だったのか、
私はずっと不思議に思っていましたが、
北村が重量挙げ選手をモデルに起用していたことが、
その根底にあったことを初めて知りました。
北村自身は像の裏面に、こう記しているそうです。
「すべてを超越した人類最高の希望の象徴」
さて、本です。
これは寄贈された人のご遺族がのちに古書店へ持ち込んだものでしょう。
箱は焼けて手の跡もついていたけれど、本文は読まれたかどうか。
でも、ページの端を折った形跡が2ヵ所、残っていた。
神田川(飯田)徳蔵と同時代に生き、交流を持った人物の著書は、
若木竹丸の「怪力法」に加えて2冊目になる。
けれど井口本は若木本よりダントツに詳しい。
徳蔵の息子や甥たちとのつながりも長く深い。
次回からは井口幸男を通して、
徳蔵一族の「肉声」をしっかりお伝えしてまいります。
※参考文献・画像提供/「わがスポーツの軌跡」井口幸男 私家本
昭和61年