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文化財になった卯之助石

三ノ宮卯之助
06 /17 2015
前回お伝えしたように、
卯之助はかねてから憧れていた江戸力持ち、土橋久太郎らが持った石を、
その7年後の文政13年(1830)に、
同じように差し上げて自分の名前を刻みます。

これが江戸力持ち界へのデビューとなりました。
23歳で江戸力持ちの仲間入りを果たした卯之助の、
その後の快進撃がすごい。

年号が天保と変わった翌天保2年(1831)、
地元越ヶ谷の有力者、
会田一族の会田権四郎の贔屓を受けるようになります。
このとき卯之助24歳。その証しとなった力石が残されています。

これです。
img233 (2)   
画/酒井正氏

CIMG1090 (2)
78×65×32㎝ 埼玉県越谷市越ヶ谷・久伊豆神社

奉納 五十貫目 天保二辛卯年四月吉日 三ノ宮卯之助持之
本町 曾田権四郎」

高崎氏は言います。
「驚いたことに、一つの力石のために占有地があり入口には一対の石灯籠、
台座上には注連縄が巻かれた力石が祭られている」
「さらに驚くことに、秋の例大祭で神官は、
真っ先にこの石に詣でて祝詞を奏上。
力石の背後の榊に神の降臨を願い、祭礼の無事成功を祈るのです」

この力石は一昨年、
越谷市文化財(有形文化財・歴史資料)の指定を受けた
卯之助石6個のうちの一つです。
この文化財指定は、朝日、毎日、読売の各新聞に大きく報道されました。

その一つ、毎日新聞の記事の一部です。
img683.jpg

現在、全国で文化財に指定された力石は約400個
その大半が東京です。
地方で力石を文化財に指定することは至難のわざ。
私の住む静岡県では力石の文化財は皆無です。
指定申請すら門前払いという状況です。

日本一の力持ちを輩出した埼玉県でさえ、
今回の指定を加えてもわずか14個
今回の決定までにも数年の歳月がかかっています。

越谷市教育委員会では、
卯之助石を文化財にした理由をこう言っています。

「今は失われてしまった力持ちという風習や、力持ち興行、力石奉納という
風俗慣習を理解することができる民俗学的に貴重な資料である」
「当地にとって貴重な歴史的文化遺産である」

高崎氏の60数年に及ぶ苦労が見事に実った瞬間でした。
逆に言えば、60有余年の歳月を経なければなかなか実現しなかった、
それほどに力石の文化財指定は困難であるということなのですね。

昨年、越谷市へおじゃました折、
私はS氏と酒井正氏のご案内で、久伊豆神社を訪れました。
文化財になった卯之助の石を見た後、お二人に誘われるまま本殿裏へ。

「あれも、力石だと思うんですよ」

そういうお二人の指差すほうを見ると、石が一つ無造作に転がっていました。
CIMG1095.jpg

力石残夢の杜にまどろみて  雨宮清子

足を踏み入れることができないので、玉垣の間から写真を撮る。
拡大すると何やら文字が…。
CIMG1095 (2)

「二拾貫余 □□」

やっぱり力石です。
未登録の石です。

四日市大学の高島教授は常々言っています。

「刻字は力石の歴史的背景の指標となるが、
見事な刻字のある力石のみに文化的価値があるのではない。
素朴な自然石であっても多くの人々が汗し親しんだ力石です。大切にしてほしい」

その思いは、S氏も酒井氏も私も、もちろん高崎氏も同じだと思います。

力石(いし)の背を色なき風の撫でゆけり  酒井正

<つづく>

<追記>

またまた失敗です。埼玉在住のS氏からのご指摘です。
久伊豆神社の本殿裏の石、すでにS氏が2006年に調査済みでした。
ご案内いただいた時、
もう一人の同行者・酒井氏に「調査済み」をお話した際、
撮影に夢中だった私が聞き漏らしてしまったようです。

改めてご報告いたします。

「奉納 二拾貫余 文政九戌九月吉日 新町 栄蔵」
56×32×27㎝

S氏によると、
宮司さんに訳を話してやっと内側に入れてもらい、撮影・採寸をしたとのこと。
Sさん、早とちりしてごめんなさい!
それにしてももったいない。もう少しきちんと保存していただけたら、
と思います。

※参考文献
/「三ノ宮卯之助の力石(2)」高島愼助・高崎力
四日市大学論集第17巻1号 2004
/「日本一の力持ち 三ノ宮卯之助の生涯」高崎力 平成16年講演資料
/「越谷市文化財調査委員会会議録」「指定文化財調書」 平成21、22、25年
/「力石を詠む(五)」高島愼助・板羽千瑞子 岩田書院 2011ほか
※画像提供/酒井正
※情報提供/S氏

コメント

非公開コメント

ないです

こんばんは。ご無沙汰しております。
せんせー、丹波では見つからないのですー。丹後半島の浦嶋神社で見ただけなのですー。
おお!?っと思ったら、山神様だったり、石仏様。
頑張って探し続けますよー。

お久しぶりです

つねまる様
長いなが~いつねまる様のブログ、読んでますよ。テンプレート、私と同じですね。オオーッ!と思いました。
力石、足を棒にしても見つからない時は見つからないのに、ふいに現れたりしますから根気よく気楽にやってくださいね。

No title

姫さまのブログを拝見して
力石の魅力にひきつけられてしまいました
これからの記事も楽しみにしています
TBしますがよろしくお願いします

No title

「へいへい」さまのブログを拝見して、うわっ、よく歩いてる!とびっくりしました。力石を好きになってくださって本当に嬉しい。コツコツ発信してきた甲斐がありました。

力石の魅力に取りつかれた症状を「力石病に罹患した」といいます。へいへい様も立派な力石病の患者さんになりましたね。でもいばらの道です。なにしろ「マイナーな庶民文化遺産」ですから。

でもマイナーだからこそ、やりがいがあります。第一に楽しんで、そして石が語るのに耳を傾けてください。いい写真が撮れる方ですから期待しています。

卯之助の生まれ変わり

力石に夢中になっている越谷市在住の坂本雄太と申します。
日本一の力持ちが誕生した越谷市に住めて感慨深いです。5児の父親でもあります。久伊豆神社にある力石180kgを持ってみたいです。卯之助の生まれ変わりとして!!

坂本雄太さんへ

コメントありがとうございます。
もしかして、「さかもっちゃんねる」の坂本さん?
そばつぶさんから坂本さんのことを知らされて、拙ブログで紹介させていただいたら、みなさん喜んでくださって、坂本さんに会いに敷島神社へ行かれた方もいましたよ。あの力石は以前は市内に放置されていたのを、田子山富士塚保存会の方が「粗末にされてかわいそうだ」と引き取った石なんです。大事にされて担がれて、石も幸せですね。

5人のお子さんのお父さんなんですね。
気は優しくて力持ち。きっとお子さんたちの自慢のお父さんだと思います。初期の頃より断然、担ぎ方がよくなってきましたね。かつての経験者から聞いた通りの担ぎ方になってきています。
確かに卯之助の生まれ変わりです! ただケガをしないよう、十分気を付けてくださいね。

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞