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傷の上に傷 …㉞

田畑修一郎2
02 /27 2022
術後7日目。

膀胱に差しこまれたままだったバルーンカテーテルが取り除かれた。
すごい身軽になった。

便座に座って自力でおしっこを出すのが嬉しくてたまらない。

「人間らしさ」って、誰の手も借りずに一人でおしっこが出来ることだって、
そのとき思った。

その日私は医師から、術後の私の本当の姿を告げられた。

「手術で膀胱を支える神経や筋肉を切ったので、
これからは意識的におしっこを出してください」

そんなことは聞いていなかった。

膀胱はお腹の中でぶらぶらしている状態だから、
尿意も残尿感も感じなくなるのだと医者は言い、

「これからは時間を計って尿量を記録してください」と。

自分の膀胱がお腹の中で、宙ぶらりんになってしまうなんて。
それに意識的におしっこを出すって、どういうことなの?

私は無残な気持ちになった。

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斎藤氏撮影

手術の傷は思っていた以上に大きかった。
傷はへその脇から一番下まで一直線に刻まれ、のちにケロイドになった。

後年、初めて参加した旧街道を歩くグループと宿に泊まった時のこと。

風呂から上がって部屋へ入った時、さっきまで洗い場で隣りにいたおばさんが、

「ねえねえ、今ねぇ、隣りにお腹にすごい傷がある人がいてサア」
と、大ニュースのように仲間たちに大声で知らせていた。

「それ、私ですが…」と言うと、
部屋にいたみんなが気まずい顔でそっぽを向いた。

それまで私は自分が手術をしたことを忘れていたし、
傷も恥ずかしくはなかったから、どこでも普通に振る舞っていた。

だが、世間はそうではないことをこの一件で悟った。

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斎藤氏撮影

あのときの街道歩きの人たちは60,70という中高齢者ばかりだった。

それでもいじめに走る。
いじめは翌朝にも発生した。

朝起きたら、
洗面所に置いていた洗面用具や化粧品が私のものだけ消えていた。

「誰がやったんですか!」と思わず大声を出したら、みんな一斉に俯いた。
わずか5、6人しかいないのに知らないわけがない。
「なんでこんなことを」と詰問したら、その中の一人がしぶしぶ、

「これ使ってください」と、予備に持ってきたという歯ブラシを差し出した。

その日、宿にはこのグループの男女しかいなかったし、
第一、洗面所は部屋の中にあったから、
あきらかに共謀しての新参者いじめだったのだろう。

とうとう私の洗面用具は出てこなかったから、どこかへ捨てたのだろう。

いろんなグループに参加したが、こんな陰湿な会は初めてだった。

翌日、ほかの仲間とは年の離れた若い女性がすきを見て声をかけてきた。
「夕べのお風呂場の件、あの人、わざとあなたの隣りに座ったんですよ」

そのうちいじめの原因がわかってきた。

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斎藤氏撮影

昭和53年4月、
静岡県体育文化協会が一般公募した高校生を含む素人約30名を、
職員が一人で、ザイルもアイゼンも持たず雪の八ヶ岳へ連れて行き、
27歳の女性を滑落死させる遭難事故を起こした。

参加者のほとんどはハイキング経験しかない軽装だったという。

「リーダーは何をしていたか」の著者・本田勝一は、本の中でこう書いている。

「運転免許を持たない運転手が事故を起こした」

それから20数年後に私が参加したこのグループが、
まさにその職員と関係者たちだったのだ。

遺族が起こした裁判で、職員は「自己責任」を主張したが、
市岳連が「無謀登山」と断罪。勝訴に導いた。

その市岳連傘下の山岳会に私が所属していたことで、恨みがぶり返し、
さらに、私が登山の本を書きテレビや新聞に出ていたことや、
新聞社で働いていることで、先手を打っていやがらせを仕掛けてきたのだという。

初対面のあと、グループの女性の一人が私を陰に呼んで、
「あんた、体文協のこと、どれだけ知ってる?」
と探りを入れてきたのは、何かを警戒してのことだったのだろう。

このときも、このリーダーは道に迷った。
なんと、地図が読めなかった。

「驚かれたでしょう? この会はよく道に迷うのよ」と、
今朝、お風呂場の一件を告げた女性がこっそり耳打ちしてきた。

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斎藤氏撮影

受難はその後も続いた。

街道歩きから帰って間もなく、
友人と入ったパスタ屋で大はしゃぎの一団を見て、私は目を疑った。

その一団はあの街道歩きのおばさんたちで、
その中に見知った顔があったからだ。

それは私と同じ住宅地に住む老年の女性で、この会へ参加を申し込んだとき、
「あなたと同じところにこういう人がいますよ」と知らされたので挨拶したら、
鋭い目つきで、
「私は関係ありません。入ってすぐ退会したから知り合いもいません」と。

そう言ったその人が
輪の中心にいて、いじめの報告を聞いて手を叩いて笑っていたのだ。

いじめの発案者はこの人だったのだろうか。

私には初対面の老女だったが、この人は私を知っていた。
同じ山歩きをする者なのに、目立つ動きをする私が気に食わなかったのだろう。

高山のガレ場にひっそりと逞しく咲く「こまくさ」
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嫌がらせはその後もしつこく続いた。

この会の会費は半年分前払いというので支払った。
一回で懲りて退会したのに、半年後、次の会費を払えと矢の催促。

どういうグループかも調べないまま参加した私のミスかもしれない。

しかし事故から20数年後も、名前を変えて活動しているとは思いもしなかった。
信奉するリーダーを中心にほんの10人余りが、何かの秘密結社のように固まって。

それなのになぜ、公募などしていたのだろう。

あの若い女性が「新しく入ってもみんなすぐやめてしまう」と言っていたから、
いじめは私だけではなかったのだが、

私は傷の上にさらに傷を負わされた。

人の心の醜さにゾッとした。


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要注意人物 …㉝

田畑修一郎2
02 /24 2022
下半身にバルーンカテーテルをつけた姿を笑う人は誰もいない。

患者同士はもちろん、見舞客にだって、誰一人。

だが、夫の武雄だけは笑った。

入院中、武雄は2度だけ病院に来た。
その2度目の時だった。

ふらりと病室に入ってきた途端、「クックッ」と変な笑い方をした。
「何、笑ってるの?」と聞いたら、
「だってさ、これ。小便だろ? ブクブク泡たてて。クックックッ」

そのとき、同室の病人が一斉に武雄を見た。
無言で。

その視線にいたたまれなくなったのか、武雄は慌てて病室から姿を消し、
それっきり戻らなかった。

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斎藤氏撮影

病人はぶざまなんだよ。
みんな格好悪く見えるでしょう。

抗がん剤投与で髪の毛も眉毛も抜けて、毛糸の帽子を被る。
カツラ屋さんが頭の寸法を測りに来る。

膀胱を支えてい神経や筋肉を切られて、膀胱がバカになって垂れ流しになる。
だからいい歳して、おむつの世話になる。

夜のトイレを覗いてごらんなさい。
あっちこっちから排尿排便に苦しむ患者のうめき声が聞こえてくるから。

バルーンカテーテルなんて当たり前の光景、初歩の初歩。

それを武雄は笑った。
私を笑ったことはここにいるみんなを笑ったことになる。

そのことにあの人は気づかなかった。
世の中をバカにし過ぎてやしませんか。

色褪せて見えたって、誰もがその中に赤い命を宿しているんだよ。

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斎藤氏撮影

それに武雄は「要注意人物」とされていた。

入院の手続きにも手術日にも来なかった。
それだけでも不信感を持たれたというのに、
あの、個室での不可解な出来事がそれに拍車をかけた。

夫は知らなかっただろう。
知ったとしても、「フフン」と鼻で笑ったに違いない。

傲慢だからというのではない。

退院した日に実家の母が言った
「彼は、心ここにあらず」の状態だったから。

「あのご主人には注意して」

それが看護師間で交わされていた注意事項だったのに。


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いざ、富士市の鎌倉へ

曽我八幡宮・先祖の話
02 /21 2022
久々の遠出。

またぞろコロナの新種が出たということですが、
もうなんだかうんざりしていたし、
昨年からここへはぜひ行かなくちゃと思っていたので出かけました。

まずはデッカイ富士山がお出迎え。

ここの富士山は日常の暮らしの中にドンと聳えています。
走っている車のナンバーも「富士山」

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目的の場所はココ ↓

「富士山かぐや姫ミュージアム」(富士市立博物館)

お目当てはこれです。

父の一族が守ってきた神社のあれこれも展示されているというので、
地元在住の親戚に案内されて見てきました。

一族が世襲してきたのは、「曽我八幡宮」といいます。
ささやかな神社ですが、今も地元の氏子さんたちがしっかり守っています

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今どき「曽我兄弟の仇討ち」なんて言っても、ピンときませんよね。

参考までに、「曽我伝説」をご覧ください。

恥ずかしながら、
拙ブログの関連記事「曽我八幡宮・先祖の話」もお読みくださったら嬉しいです。

撮影禁止なので、外から写しました。

CIMG5801.jpg

遠くに見えているのは、
昭和31年(1956)の東映映画「曽我兄弟 富士の夜襲」で使った衣装です。

当時の大スター、中村錦之助と東千代之介が着たものです。

ほかに直垂や侍烏帽子、袴。
この神社に奉納した額入りのポスター、当時の台本もありました。

古い古い神鏡も。これ、私がままごとに使ったんですよ。
とんだ罰当たりですね。

今回の展示は合戦や富士の巻狩りなど絵図が多いものになっていました。

「伝説として簡単に切り捨てられないほど、
ここには曽我兄弟関連の史跡がたくさん残っています。

それが今なお消えずに伝承されている。
これは非常に特異で重要なことではないかと思っています」と学芸員さん。

60か所の史跡を記したマップと売店で買った一筆箋です。

img20220218_20174519 (3) img20220218_20193650 (2)

ここには、
代官屋敷や昔の西洋料理店や蔵などを移築した屋外展示場があります。
屋外・館内、どちらも無料。一日たっぷり楽しめます。

こちらは「かぐや姫」関連の展示会場前の通路です。

CIMG5804.jpg

コロナで入館者が激減。でも空いていますから今が一番、見やすいです。

壁一面に「史跡↗伝説 あれこれマップ」が貼ってありましたが、
その中に「矢筒石」だの「びんなで石」「兜石」なんていう石があった。

「石」の文字を見ると、すぐ反応してしまう自分がなんだかおかしくて…。

でも、曽我兄弟のお父さんが持ったとされる力石が、伊豆の河津八幡神社に、
兄の曽我十郎を討ち取り、巻狩りの絵図に大猪の背に乗って描かれている
仁田氏の館跡から、貫目を刻んだ力石が出土しています。

残念ながら曽我八幡宮に力石は見当たりません。

さて、
ずっと一緒に回って、丁寧に説明してくださった学芸員さんとお別れして、
その足で親戚の家へ。そこでごちそうになりました。

なんと、その名も「巻狩りべんとう」

CIMG5806_202202182150375d8.jpg

製造元の「富陽軒」は、母の妹の嫁ぎ先。
二人とももういない。ともに百歳近くまで生きた。

で、中身はこんな感じ。

器は「めんぱ(曲げわっぱ)」

CIMG5807 (2)

12種類のおかずはよく厳選された材料を使っていて、
味付けもほどよく、とてもおいしかったです。

叔母は料亭もやっていましたから、そんな味付け。

新幹線の新富士駅で売っております。

と、ちょっと宣伝。

見て、食べて、おしゃべりをして、楽しい一日でした。


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歩行訓練 …㉜

田畑修一郎2
02 /18 2022
術後5日目、首に刺さっていた点滴の針が抜かれた。
やっと寝返りを打てるようになった。

解放感が体中に広がった。

仰向けのまま見続けていた千羽鶴を、
今度から手に取ってみることができるようになるのだ。
自然と笑みがこぼれた。

「さあ、ベッドを起こしますよ」

看護師が寝たままの私を、ベッドごとゆっくり起こし始めた。

半分ほど起きた時、ひどいめまいに襲われた。
部屋中がぐるぐる回り始め、目の焦点が定まらない。

首がぐらつき出し、みんなの顔がカゲロウのようにゆらゆら揺れ出した。
けれど、吐き気は起こらなかった。

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「点滴の針を取ったら、見違えるようにいい顔色になりましたよ」
と、向かいのベッドからTさんが声をかけてきた。

「ありがとうございます」

かすれた声でやっとそれだけ言うと、なんだか涙が出そうになり、
私は慌てて大きく息を吸い込んだ。

「あとひと息ね」と、ハツエが明るく言った。
「はい」

他人さまの祈りに支えられて、私は再び蘇ったのだと思った。

6日目、歩行訓練が始まった。

看護師の肩を借りて立つ。体が斜めに傾(かし)いだ。
慌てて立て直そうとしたが、すぐまた傾(かたむ)いた。

TさんもMさんもはす向かいのハツエさんも、
じっと私の足元を見つめている。

がんばらなくちゃ…。

私は満身の力を込めて一歩を踏み出した。
床がふわふわして、足裏に感触がない。

思わず看護師さんの肩を力いっぱい掴んでしまったが、
彼女はドンと構えて、微動だにしなかった。

ふわふわと数歩歩いた。

「さやこさん、上手よ」と、看護師が褒めてくれた。
「それだけ歩ければ立派、立派」

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斎藤氏撮影

長く寝たきりになっていると、平衡感覚を失うのだという。

たった5日しか横たわっていなかったのに、
私の足はまるでヨチヨチ歩きの赤ん坊みたいになっていた。

けれど褒められると無性に嬉しい。

「すぐ慣れるからがんばって」
経験者の声は心強い。

私は同室のみんなの声援に後押しされて、一歩、また一歩と足を出して行った。

生きて戻る訓練なのだからと、私の気持ちにも真剣さがみなぎる。

バルーンカテーテルを下げたままのぶざまな格好だけれど、
誰も笑いはしなかった。


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歪み …㉛

田畑修一郎2
02 /15 2022
そのハツエのサイドテーブルには、赤と白のカーネーションが飾ってあった。

Tさんのベッドサイドには、花瓶に二輪のランが差し込まれ、
Mさんのテーブルには薄紫のトルコギキョウがふんわり咲いていた。

そのときになって初めて、
私は自分のテーブルに花を飾る花瓶すらないことに気がついた。

でもそれでいいんだと思った。
それが私の現実なんだと自分に言い聞かせた。

隣りのベッドのMさんが、
「千羽とはいかなかったけど、なかなかきれいでしょ」と言いながら、
百羽ほどの折り鶴を私の点滴の台に吊るしてくれた。

「Mさんはね、あなたの手術中、ずっと鶴を折っていたのよ」
と、ハツエが教えてくれた。

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斎藤氏撮影

ハツエは優しいおばあちゃんだったけれど、
ひどくいじわるになることもあった。それがどんどん増えていくような気がした。

夕方になると、それぞれのベッドに訪問客があって賑やかになった。

私のベッドには、中学校の帰りに顔を見せる二男と、
私の汚れ物を洗濯して届けてくれる長男以外、訪れる人はいなかった。

長男も次男も受験生だった。

私は受験生の18歳の息子に、自分の汚れたパンツを洗わせていたのだ。
申し訳ないと思っても、そのときの私はあまりにも無力すぎた。

あの子は何も言わなかったが、そういう境遇を恨みもし恥じたに違いない。

家族の誰かが苦境に陥った時、
その家のそれまでの在り方が試される、そう思った。

我が家はその歪みが私の病気を機に、見事にあぶりだされた。
私はそれを真正面から突き付けられた。

ただ一人、夫の武雄だけがその歪みに気づかず、それが近い将来、
どんな形にせよ、己に降りかかることを予測できないでいた。

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斎藤氏撮影

訪問客の時間、私は、
息子たち以外に訪れる人のないベッドで、息を潜めて時の過ぎるのを待った。

そのときふいに、喉にタンが詰まった。

しばらくもがきながら、力いっぱいタンを吐いた。
タンを吐くとお腹の傷に鋭い痛みが走った。

それから涙がポロッと出て、それでおしまいになった。
タンを吐き出すたびに、私は自分が変わっていくような気がした。

怖いことなんかあるものか。
こうして一つひとつクリアしていけばいいのだから。

口を拭いながら、そう思った。

「タンが出たら楽になったでしょ?」
と、隣りからMさんが声をかけてくれた。
「全身麻酔をすると、タンがたくさん出るらしいわね」

優しい笑顔が枕の上からこちらを見ていた。
その背後の訪問客が同じ笑顔でこちらを見た。

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斎藤氏撮影

捨てる神あれば拾う神ありだよね。

私は看護師からもらったタンを切るという錠剤を握りしめた。

そしてかろうじて「生きて戻れた」これからを模索し始めた。


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瀕死のヨット・ウーマン …㉚

田畑修一郎1
02 /12 2022
ふと自分が、冬眠から覚めたばかりの熊のような気がした。

空腹だったけれど、長い「冬眠」から覚めたばかりだ。
とても食べられそうにない。

部屋中に広がっていたコーンの匂いだけで充分だった。

「雄二、一人でいるのねえ」と、かすれた声で二男のことを聞くと、
「心配ないさ。あいつだってもう子供じゃないんだ」と大介が力強く言った。

「あのね」と、私は一番聞いてみたいことを大介に言った。
「大介、お父さん、ちゃんと家に来てる?」

祈るような気持ちでそう聞くと、大介は不快気に顔を歪めてこう言った。

「あいつには関係ねえことだよ」

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「でも、お父さん、ここに来たよね?」と聞くと、
「ああ」と、ぶっきらぼうに答えた。

「来た。一度だけ。あとはお前がめんどう見ろって。
そう言ってそのまま東京へ帰って行った」

まもなく私は、個室からもとの4人部屋へ戻ることになった。

大介に言わせると、手術から三日目らしかったが、
そのときの私には、時間の観念はまるでなくなっていた。

看護師さんがベッドごと私を運び始めた。
ベッドの足のキャスターが、ゴロゴロ音を立てて滑り出した。

廊下を歩いていた人たちが、サッと道を開けてくれた。
なんだか波を蹴立てて大海原を行くヨットみたいだ。

首に点滴の針が刺さり、
下腹部の導尿管からは絶えず黄色い尿が流れている。

そういう無様なヨット・ウーマンだ。

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斎藤氏撮影

退院してしばらくしてから、夫の武雄がこんなことを言ったことがある。

「腹の傷はまるで魚の骨が張り付いているみたいでおかしいのなんの。
それに絶えずチューブからブクブク小便が垂れてくるんだぜ」

会社の同僚にそう言ったら、みんなゲラゲラ笑ったと言ったけれど、
今にして思えば、
その相手はそのときはまだ知らなかった愛人のM江だったのだろう。

元の4人部屋のドアの前で、ベッドは入り口へ向けて大きく旋回を始めた。

振り返ると大介が、スーツケースと紙袋を両手に下げて、
恥ずかしそうに付いてくるのが見えた。

部屋にベッドを乗り入れた途端、歓声が上がった。

「お帰りなさーい!」

ハツエはなぜか白い割烹着をつけていた。
その姿のまま、真っ先に飛んできた。

再入院したTさんは、上半身をベッドに起こして笑っている。
Mさんは、もうバルーンカテーテルをはずして、すっかり元気になっていた。

「よくがんばったわね」
そう言って、ハツエが手を握りしめてきた。

「私、あなたの手術中、ずっと時計を見ていたのよ」

下ぶくれのハツエの頬がぶるっと揺れた。その頬に白粉をはたいた跡がある。
きっと今日もご主人が見えるに違いない。

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私はハツエのこの幸せから離れていたいと思った。
決して妬みからではない。

ハツエには私の心を乱す何かがある。
そんな気がしたのだ。



ーーーーー企画展のお知らせーーーーー

「利根川の河岸で」のブログ主さまから、「物流近代化の父」と言われた
平原直先生の企画展のお知らせをいただきました。

場所は物流博物館(東京都港区高輪4-7-15) ☎03-3280-1616
入館料は高校生以上200円、65歳以上100円、中学生以下無料。月曜休館。
5月8日まで。

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「はこぶことは生きること。生きることははこぶこと」
と悟り、
荷役の重要性を広めて実践し、日本経済の発展に貢献した平原先生。

同時に近代化以前の日本の荷役を担った力持ちたちの支援を行い、
「深川の力持ち」の東京都無形文化財指定にご尽力された。

もっともっと多くのみなさまに知って欲しい方です。

拙ブログ「神田川徳蔵物語」に、詳細を記しました。

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企画展にちなみ、
●映画上映会 ●講演会(ZOOM配信あり) ●学芸員によるスライドトークも。
詳細は同館HPをご覧ください。

物流の初期の珍しい映画や展示など、ここでしか見られないものばかりです。


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怖かったんだ …㉙

田畑修一郎1
02 /09 2022
苦しい…。
息を吐くことも吸うこともできない。体も動かせない。

あまりの苦しさに、両手を天井に向けてやみくもに振り回した。

そのとき、何かにぶつかった。
その何かを思いっきり払い除けたとたん、ガーッと喉からタンが離れた。

と同時に、下腹部にナイフで切り付けられたような痛みが走った。
その瞬間、私は間近に夫の顔を見た。

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その顔の背後に、誰かの怒鳴り声を聞いた。

「タンを切る薬、口に入れてあげてくださいって言ったじゃないですか!」

慌てたような気配が、何かただならぬことを教えてくれている。

バタバタと床を走る音のあと、誰かが私の口に触れて錠剤を押し込んだ。
うっすら目を開けると、まじかに看護師さんの顔があった。

救われたと思った。

安堵したと同時に喉に新鮮な空気が流れ込み、
私の胸は甘い空気でいっぱいになった。

看護師が部屋を出ていくと、また、間近に武雄の顔が現れた。

彼はちょっとの間、私を見降ろすと、
傍らの薬袋をいきなり胸に投げつけ、荒々しく部屋を出ていった。

幻なのか現実のことなのか、わからなかった。

ただ得体の知れない不安がムクムクと湧いてきて、
このまま眠ってはいけないという意識だけが鮮明になった。

だが、意識はすぐまた不鮮明になり、
私は再び深い混沌の中へ落ちていった。

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誰かが身体の汗を拭いているような気がしたし、
看護師が何度目かの注射を打ったような気もした。

途中、医者が顔を覗き込んだような気もした。

どれくらい時間がたったころだろうか。

私は香ばしいコーンの匂いで目を覚ました。カリカリという音もした。

廊下の明かりがドアのガラスごしにぼうっと光っている。
音の方に目を向けると、部屋の隅の薄暗がりに誰かがいた。

目をこらしてじっと見ていたら、どうやら長男の大介のようだ。
大介は床に敷いたマットの上で、しきりにスナック菓子を食べていた。

夏目漱石の小説「坊ちゃん」の中で、主人公のぼっちゃんが、

「階段の下の暗がりで、越後の笹飴を笹ぐるみむしゃむしゃ食べている
下女の清の幻を見た」

というのがあった。

その情景と、
床に座ってスナック菓子をむしゃむしゃ食べている大介とが重なった。

私も幻を見ているんじゃないかと思った。
でもだんだん意識がはっきりしてきたら、幻なんかじゃなかった。

それで大きな声で子供の名前を呼んだら、大介が顔を上げた。

「怖かったんだ。ずーっと。
お母さん、うーんうーんって唸ってばかりいるんで、死んじゃうのかと思って。

それで何か食っていないといられなかったんだ。
だから一晩中、コレ、食べていたんだ」

CIMG4281 (2)

気が付くと、痛みはずっと遠のいていた。

急に空腹を覚えて、「おなか、すいた」と言ったら、大介が、
泣き笑いの顔のまま、スナック菓子を袋ごとスッと差し出した。

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路傍さんと久々のそばつぶさん

みなさまからの力石1
02 /06 2022
「路傍学会」の路傍学会長さんの新発見です。

早くお知らせしようと思いつつ、すっかり遅くなりました。

「神社のLandscape 267]

会長さんのモノを捉える視点には、独特なものがあります。

壊れかかった建物の陰にチラッと見えた商標や
地面に何気なく埋め込まれた煉瓦の刻印も見逃さない。

道が二本あれば寂れた旧道へ。
その先で昔の旅人を導いた道標や、旅の安全を祈った石仏と無言の会話。

今はすっかり忘れられた道祖神の細部にまで目も心も注ぎます。

そんな中、力石も見つけました。新発見の力石です。

と、ここで最初にアップしたブログを見た三重之助先生から、
「ちょっとちょっと」と、ご忠告が…。

「この石は「埼玉の力石」に報告済みです」

ありゃー! 路傍学会長さん、ごめんなさい。

と、がっくりしていたら、今度は斎藤氏からメールが入りました。

「確かに報告済みの力石ですが、「埼玉の力石」の判読は間違っています」

本の判読は「奉納御前 天保四」だが、
正しくは、
「奉納御前 享保四」

この差、114年。(天保四年は1833年、享保四年は1719年)

「路傍学会長さんは正しく判読されたのです」と斎藤氏。

路傍1
埼玉県越谷市七佐町・天満宮

「神社のLandscape 277」
 
人っ子一人いない草むらにしんぼう強く立つ石仏。
地元の方の優しさを身にまとった、赤い毛糸帽に派手なマントの六地蔵。

鳥居から外れてしまい、地べたに置かれたままの扁額。

疱瘡の退散を願って祀った「疱瘡神」が、昔日を思い出しながら今も。

またひとつ、力石が集会所の庭にゴロンと横たわっていました。

その石に、「文字が刻まれた痕跡」が…。

これも新発見です。 

これについては、「只今、「千葉県の力石」に作成中」とのこと。

まだ公表前なら「新発見」ということでいいですよね。

路傍2
千葉県我孫子市布佐・仙元宮

「神社のLandscape 278」
    
仙元宮から布佐下通りへ。
途中、名主だった「井上家」の立派な屋敷を見る。

そこから稲荷神社へ。

ここにも力石らしきものが転がっていた。

「力石だろうか」と会長さんは思案する。

三重之助先生、いかがでしょうか?

これについては、「刻字も証言もなく未確認」とのこと。

路傍3
千葉県我孫子市布佐下新田・稲荷神社

「神社のLandscape 284」

流山市を歩く。農家の庭先で井戸を見つけた。

立派な神社では、「青面金剛像」をたくさん観察。

踏んづけられた邪鬼の表情がなんともユーモラス。

昔の人の想像力はすごい。
それを石に再現するのもまたすごい。

ここでも新発見です。
と、最初書きましたが、これも、「千葉の力石」に報告済みとか。

ヴァァァー!

会長さん、本当に申し訳ない。完全に私の見落とし、失敗です。

でもでも、「姫、何やってんだよ」と笑いつつも、
こういう失態もひっくるめて、改めて力石に目を向けてくださったらと、
傷心の私メからみなさまにお願いいたします。

調査して終わりではなく、継続してみなさまに知っていただくのが大事だから。
とまあ、これは言い訳になるかなあ

でも、誤読を会長さんが正しく判読し直してくださった、
収穫は大ですね!

さて、気を取り直して、

この石には、くっきり、はっきり「石井氏」と刻まれている。
「氏」とあるのは、地元の有力者なのでしょう。

これほどの力石です。由緒を記して保存して欲しいですね。

路傍には実に様々なモノがあります。そしてそれぞれが物語を持っています。

それを教えてくれるのが、「路傍学会」さんのブログです。

路傍4
千葉県流山市南・神明神社

さて、ここで、
石川県金沢市の「そばつぶさん」、久々の登場です。

これ、なんと今年1月29日の石担ぎです

と書きましたが、そばつぶさんからの指摘で、
担いだ日は2021年9月26日とのこと。

この2022年1月29日は、視聴回数がカウントされた日でした。
もうね、今回はミスばかりで、面目ない…。

でも、今度は雪の日の石担ぎをアップしてくださるそうです。

1月3日の「担ぎ初め」。これはあっていますか?

なにはともあれ、力もグンとついて、動画の内容も進化しております。

どうぞ、ほかの動画もぜひ、ご覧ください。

一人、コツコツと挑戦しているそばつぶさんの応援を、
よろしくお願いいたします。


石川県金沢市松島・八幡神社(旧地名 市川村)

「力石を巡っていると、その町ごとの物語、歴史、偉人に出会えて、
胸が熱くなりますね! 
先人への感謝を日々、忘れてはいけないなと思いました」と、そばつぶさん。

ほんとうに! 今の人が忘れていることですものね。

石からその大切なものを感じとっているそばつぶさん。
ますます応援したくなりました。


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 別の手 …㉘

田畑修一郎1
02 /03 2022
最初の手術は局所麻酔ですんだ。
それから一週間目に近づいたころ、医者が来て こう言った。

「ちょっと悪いものが見つかったので、もう一度」

今度は全身麻酔になった。
数を7つか8つ数えたところで、私は意識を失った。

その瞬間から私の生と死は医者の手に委ねられた。

完全な眠りの中で手術は進行した。
私はただ台の上で、「無」になっていさえすればよかった。

img20220128_18272943 (4)

「この試練を乗り切って見せる」

スーッと意識を失うその瞬間まで、私はそのことだけを念じていた。

どのくらいたったころだろうか。
術後の痛みでのたうち回っていたとき、遠くで人の声を聴いたような気がした。

なんだかカッコウワルツの輪唱を聞いているような、そんな気がした。
しかしその輪唱はトンネルの壁に跳ね返って、
すぐに耳障りな不協和音になった。

しばらくするとその不協和音は、はっきりとした一つの言葉になって、
私の耳に届いた。

「よくがんばったわね」

その声につられてゆっくり瞼を開けると、そこに老女がいた。
4人部屋に入院中のハツエさんだった。

こんなところになんでハツエさんが? と思った。

不思議なことにハツエの姿はずいぶん小さく見えた。

入院した日に見た、廊下の一番はずれに立ち込めていた、
あの灰白色の霧を通して見ているような、そんな気がした。

img20220128_18245192 (2)

ハツエはその霧を押しのけて近づいてくると見る間に大きくなり、
今度は両手を伸ばして執拗に私の手を握ろうとした。

私は握らせまいと必死で抵抗した。

入院したその日、ハツエが近づいてきて、「あなた、何の病気?」と聞いてきた。
面食らっていると、なんだか勝ち誇ったみたいに言った。

「私はみなさんと違って軽い病気なの。手術も簡単だったし」

それからなおも近づいてこう言った。

「あなたご存知? 廊下の一番外れに何があるか。
あそこには最期の部屋があるそうですよ。もう助からない人の…」

「やめてください」という隣りのベッドからの声も無視して、
ハツエはなおも続けた。「あそこへ入るともうおしまいっていう意味なの」

あとから、同室の患者がこっそり教えてくれた。
「あの人、もう手の施しようがない末期ガンなのよ」

2度目の手術に向かうとき、見送る者が誰もいないのを不憫に思ったのか、
ハツエが、ストレッチャーに乗せられた私に、
「がんばりなさいよ。まだ若いんだから」と言いつつ、手をギュッと握ってきた。

手術台に横たわったとき、「ここへ来るとみんな泣くのよ」と看護師が言った。
「だけど、あなたは強いのね」と言い足した。

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斎藤氏撮影

「手術は5時間半もかかった、輸血をした、顔が真っ青だった。
私、ずっと時計見てたの。あなたが手術室から出てくるまで」

個室から元の4人部屋に戻った時、ハツエが飛んで来てそう報告した。
得体の知れない闇に引きずり込まれそうな気がして、とっさに顔をそむけた。

「よくがんばったわね」

灰白色の霧の中で、またハツエが言った。
ありがとうございますと言おうとしたが、声にならなかった。

疲れて口を閉じたと同時に、視界からハツエの顔がパッと消えた。

そのとき急に息が止まった。ひどい呼吸困難になった。
吐くことも吸うこともできない。

あまりの苦しさに、両手を天井に突き出してもがいていたとき、
その私の手を抑え込む別の手があることに気がついた。


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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞