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DV国家 …73

田畑修一郎3
10 /31 2022
私の脳裏から、「DV」という言葉が離れなくなった。

自分が夫から受けていたのは果たしてこれだったのだろうか。

確かに経済的に追い詰められ、たびたびの暴言に傷つけられ、
不可解で危険な目にも遭ったが、殴られることは皆無だった。

だが、「何かおかしい」という違和感は常にあった。
その「何か」をはっきりさせたくて、
以来、DVに関する本をむさぼるように読んだ。

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夫婦間の殺人事件が報道されるたびに記事を切り抜いて、
スクラップブックに張り付けたりもした。

交通事故車の中で死んでいた女性は、
実は夫の偽装工作だったという記事を目にしたとき、
夫を疑うことなく同乗したその妻の心理が身に染みて理解できた。

「夫の愛人でもめていたにも関わらず、同乗した妻に危機感なさすぎ」
との世間の批判があったが、そうじゃないよ、と反論したくなった。

入院費を払わない夫を見て、「いつまであの男に騙されてるつもりか」
と母が言ったとき、すかさず、長男がこう言って庇ってくれた。

「だって夫婦だもの、信じるのは当たり前じゃないか。
夫婦なのに疑って暮らす方がよっぽどおかしいよ」

交通事故に見せかけて殺されたこの妻に、
私はその言葉をそっくりかけてあげたいと思った。

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仕事から帰ると夜遅くまで国内外の本を読んだ。

その中で強調されていたことは、
「日本はDV国家」で、「ジェンダーギャップ(男女不平等)」は、
いつも世界の最下位に近いという日本のショッキングな姿だった。

「他者への暴力は犯罪とされるのに、家族間の暴力は正当化されていた」

「高名な作家や評論家、世界平和を唱えて社会変革のために
積極的な行動をしている人たちが、俺の女房を殴って何が悪い、と」
 =「被害と加害をとらえなおす」信田さよ子 春秋社 2004改訂版。

そんな折、カナダで日本大使館関係者が妻へのDVで逮捕された。

ところが「そんなことでなんで逮捕?」と驚く人が多かったことを知り、
日本人の感覚がいかにズレているかを思い知らされた。

のちに私はシニア留学に参加してカナダに少しだけ住んだ。
その仲間の男性が、カナダの女性教師にこう話した。

「現役のころは海外出張で東南アジアへしょっちゅう行ったが、
女を買って遊んだもんだよ」

恥とも思わず、むしろ武勇伝のように語るこの感覚が、
「なんで妻を殴っただけで逮捕なの?」につながっていると思った。

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ジェンダーギャップについては、こんな報告もあった。

「1995年、北京で開催された第4回世界女性会議は政府と非政府(NGO)の
二つからなり、世界の国々から約4万人が集まった。

政府会議の総会で各国政府代表団長が次々スピーチしたが、
ほとんどが女性代表で、10番目ぐらいに初めて男性が姿を現したのが、
日本代表の野坂官房長官で、会場にシラケた空気が漂った」
 =「北京で燃えた女たち」松井やより 岩波書店 1996

その北京大会から27年、日本のジェンダー指数はさらに低下。
この国は何も変わっていなかった、というより悪化していた。

「性虐待、性暴力」のとらえ方については、
記者時代に忘れ
られない事件があった。

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某市で強姦事件が起きた。
被害者の女性が警察に駆け込んだが取り合ってもらえない。

そこで女性は裁判に訴えた。
ところが裁判所も門前払い同様だった。

その理由は、庶民的な言い方をすればこんな感じ。

「あなたに隙があったんじゃないの?」「あんな夜間歩いているんだから」
「あなたから誘ったんじゃないのか」
「水商売なら仕方がないでしょ」「もう処女ではないんだし、何が問題なの?」

その後、伝え聞いたことだが、
確か彼女は最高裁まで闘いついに勝った。莫大な裁判費用がかかったが、
彼女は果敢に「あなたたちは間違っているよ」と突き付け、認めさせたのだ。

前述の信田さよ子氏も1990年代にあったこととして、
著書の中でこう書いている。

「父親から性虐待を受けて訴えてもファンタジー(空想)だと言われたり、
逆に精神科へ連れていかれたりした。

日本心理臨床学会で、ある人が父親からの性虐待を報告したら、
高名な精神分析家の女性が、「ファンタジーじゃないですか」といい、
会場から賛同の拍手が沸いた。


性被害を被害者の落ち度や空想にしてしまう原因は、
フロイトのファンタジー説からで、
アダルトチルドレンや虐待、トラウマは全部、被害者のウソという
臨床心理士さえいた」


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私はふと、年がら年中、彷徨い歩いていた近所の女性を思い出した。

彼女は老いた体にフリルのついた可愛い洋服を着て、
白髪交じりの長い髪に造花をつけた帽子を被り、
ピンクのハンドバックを抱えていた。

そうして永遠の少女の姿で、炎天下でも雨の日でもあてどもなく歩いていた。

小学生のころから長期間、実父の性被害に遭い、やがて精神を病んだ。
病んだまま、とうとう父の子を産んでしまったと人づてに聞いた。

そういえばバスターミナルの片隅で、赤ちゃんを抱いた彼女が、
ホームレスの男たちの輪の中に座っているのを見たことがあった。

性被害に遭ったのかと思ったが、実父の子供だったとは。

これを専門家が「被害者のウソ」と決めつけるのは、あまりにもむご過ぎる。

この人の父親が罰せられたという話はついに聞かなかった。
彼女に唯一温かく接してくれたのは、ホームレスの人たちだったのだ。

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勇気を出して被害を訴えても、
裁判所でも精神分析の専門家と称する偉い先生からも「あなたの落ち度」
「あなたの空想だ」「うそつき」と嘲笑われて中傷され、二次被害を受ける。

そしてそれは決して1990年代の風潮や意識でないことは、
近年、性被害に遭った伊藤詩織さんというジャーナリストの事件が、
「現在も同じだ」と、如実に語っている。

そして加害者を擁護し、被害者を貶めるその急先鋒にいるのが、
同性の女性であるということも1990年代となんら変わらない。

女が女を叩き、貶める。

なぜなのか?


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DV …72

田畑修一郎3
10 /28 2022
夫・武雄との交渉は無事に済んだ。
これで子供たちへの親の義務は果たせる見通しがたった。

知らぬ間に家を売られて立ち退きを迫られる心配もなくなった。
安堵したが、私にはもう一つ明らかにしたいことがあった。

武雄が私にやったこと、これは何だったのか、それを解明したかったのだ。

当時、少しずつ話題になってきたのが「ドメスティック・バイオレンス」、
「DV]という言葉だった。

1975年、国際連合が女性の地位向上を掲げて、
この年を「国際婦人年」にすると宣言。
これを受けて、第1回世界女性会議がメキシコで開催された。

1995年の第4回北京大会では、
それまで採択されたジェンダーギャップ解消の検証が行われた。

しかし、この大会で新たに浮上したのが女性の貧困、人身売買、
性被害などの女性への暴力で、中でも「時には命まで失う」家庭内暴力を、
アメリカなどの先進国の女性たちから提起されて、
これがこの大会で女性の人権侵害の核として位置づけられた。

以来、「DV」は世界各国の共通認識となった。

この言葉が日本でも使われるようになったのも、これ以来だという。

私は自分が受けた「得体のしれないモノ」は、これではないかと思ったが、
その頃のDVは配偶者からの「身体的暴力」だったため、違うのかな、と。

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そんな折、某市の「DVに取り組んでいる役人」の講演があって、
さっそく聴講した。

だが彼女の放ったひと言は絶望以外の何物でもなかった。

彼女は「駆け込み寺」を設置している行政が少ない中、
それに取り組んでいる当市がいかに先進的かと自慢した後、こう言った。

「ある日、電話の向こうから助けてくださいと悲痛な女性の声がした。
雨の中を裸足で子供の手を引いてやっと夫から逃げてきたんです、と。

でも役所を閉めたあとだったので、明日また電話くださいと伝えたら、
やっと持ち出した10円玉で掛けてます。今夜、行くところがないんです。
どうか助けてください、と。

でも仕方がないですよね。役所ですから。
閉める時間が来れば閉めます。規則ですから」

暴力は昼間より圧倒的に夜間に起きる。
10円玉を握りしめて駆け込んできても、これでは絵に描いた餅ではないか。

当時の世間では、「家庭内暴力は存在しない」となっており、
「家庭内のもめごとに警察は介入しない」のが、常識になっていた。

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日本では、
1985年に「男女雇用機会均等法」が成立し、
2000年には「児童虐待防止法」が、
そして、
2001年に、「DV防止法」が施行された。

形の上ではジェンダーギャップはないことになり、DVは起きにくいはず。


だが、私が幻滅した某市の役人の講演から30余年たった今も、
ほとんど変わらないのは、
内閣府男女共同参画局の統計がはっきり示している。

2021年の調査では、DVの相談件数は、月に1万4000件~1万6000件。
「年に」ではなく、「月に」です。ひと月にこんなにもあるんです。
さらに深刻なのはDV親からの子供への暴力の増加です。

ただし、
「配偶者からの被害の有無」調査で、8割前後の人が「DVは全くない」と回答。

また、妻から夫への暴力も増加しているものの、
男性からの相談は少ないという。
「男がDV被害者だなんて」と、本人自身の躊躇する気持ちと、
世間の無理解から表に出ないだけなのかもしれない。

だが、それを抜きにしても、やはり圧倒的に夫からのDVが多い。

精神的なDVは、全DVの62.6%と最も多く、相談者の4人に一人。

命の危険を感じたと答えた人は21人に一人。

でも別れるのはそのうち約2割という少なさ。
大半は殺されるかもしれないと怯えつつ、暮らしているというわけです。

その理由は「子供のこと」で、
「片親にしたくない」「経済的にやっていけないから」というものだった。

わかる。よくわかります。
日本では長い間、結婚したら女は職場を去るのが当たり前になっていた。
だから家庭へ入った女性には経済力がない。

そしてもう一つの理不尽なことは、
どんな理由であれ、離婚すると女の方に非難や嘲りが来ることだ。

私は新興住宅地で散々な目にあい、
それが自治会ぐるみの村八分に発展して信じがたい被害を受けた。

これは向かいの大学教授夫人が私の家のポストへ投げ込んだ手紙。
大学教授婦人1

この人はその年の班長。町費は年度初めにまとめて支払ってあったので、
払う必要はない。それを承知の上で書いた悪質極まりない手紙。

下はこの手紙を入れた封筒で、その上にも書かれていた。
意味不明の内容で、さらに「お宅へ伺うのは恐いので」と。

離婚した女は怖いんだそうです。

この人の嫌がらせはその後も執拗に続いた。

大学教授婦人2

この村八分一件は全国版の新聞記事になった。後日、記事にします。

だから、子供のことや世間からの二次的被害を考えたら、
自分さえ我慢すればという気持ちになります。

役所に離婚届を出しに行った私に、窓口の役人でさえこう言った。

「あなたさえ我慢すれば収まるのに。
家へ帰って旦那さんに詫びを入れたら?」

最近読んだ本、「出口版学問のすすめ」(出口治明 小学館 2020)に、
こんなことが書かれていた。


学問の勧め

「日本のジェンダーギャップ指数(男女格差の指標)は、
先進135か国中121位と低い。

このように男女差別が厳しければ、出生率にも響き人口が減っていく。
人口の減る国が衰退していくのは常識」

残念ながら今、日本はそうなりつつある。

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子供たちを守るために …71

田畑修一郎3
10 /25 2022
私が差し出した紙片を見て、武雄がまたエベッタン笑いになった。
笑いながらも紙に目を通す。

その行間を目で追いながら、「約束する」と言った。

「息子たちは大学まで責任を持つよ。
生活費はここに書いてある通りの金額を自分の手で送る。
でもさあ、最後のこれって、少し大げさじゃない?」

「そうかもね」
と私も応じた。そのあとから少し強い口調で付け足した。


「今日のあなたを信じているけど、でも今までのことがあるから。
人生の最後に、お父さんは約束を守ってくれたと感謝したいから」

その最後の行に私はこう書いた。

「守らなかった場合は全財産を妻に譲ること」


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法的に間違っているなんて、この場合重要ではない。
これは私の本気度を見せるための手段なのだから。

武雄はまだ笑っていた。見くびっているのだろうが、
この奇想天外な申し出を遊び半分に楽しんでいる風でもあった。

その武雄の前にペンと実印を置くと、
拍子抜けするほどあっさりと署名、押印した。

武雄があさっさり承諾したのは、
「M江と別れること」と書かれていなかったからだろう。

間を置かず、次の書類を置くと、「まだあるのか?」と聞く。


「これね、あなたの生命保険証書。
満期になったのでどうするのか聞きたかったの。
積立金が100万円あるらしいの」

「100万も!」と武雄がすっとんきょうな声を出した。

「継続するのかそれとも解約してお金をもらうか…」


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言い終わらないうちに、「もらいたい」と、武雄がきっぱり言った。
「会社の経営、苦しいしさァ、その金あったら助かるよ」

「じゃあこの書類はあなたに預けます。好きなようにしてください」

そう告げると、武雄が満面笑みを浮かべた。

「中小企業の経営者は経営難でみんな苦しんでいるみたいね」と私。
「そうなんだよ」と、武雄がへらっと笑った。
「私の入院費も払えなかったものね」と、チクリと刺す。

「それでね、心配になってこの間、司法書士の先生に会ってきたの。
ここの家の登記簿作ってくれた方に。

そしたら、今のままでは危ない。
中小企業の経営者はみなさん、財産は妻の名義にしているって言うのよ。
それが中小企業経営者の常識なんだって。

そうすれば、いざというとき路頭に迷わないですむからって。
それでね、この際、不動産の名義を変更してはどうか、と言われたのよ」

そう言いつつ、司法書士から渡された名義変更の書類を眼前に差し出した。

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武雄があの編集プロダクションの経営者でないことは、薄々気づいていた。
彼はフリーライターとして間借りしているに過ぎない、と。

だが、当の本人が「経営者だ」と言うのだから、それを使わない手はない。

急に押し黙った武雄を見ながら、私は話を続けた。
「大事な話だし、決断のいることだから雄二に同席してもらいましょうか」

そう言ったとたん、
「わかった」と、武雄が叫んだ。

「わかった。俺、これ以上みっともない姿を子供に見せたくないから。
ただ条件がある。かのじょに慰謝料請求しないでくれたら…」

その晩、武雄は浴びるように酒を飲み、酔いつぶれて
そのままソファに崩れて深い眠りに落ちた。

私は自室へ入ると部屋の鍵をかけ、書類はベッドの下へ隠した。

大きな「仕事」が済んだ。
安堵感がドドッと押し寄せてきたが、頭だけが冴えて眠れなかった。

幼な子二人を抱えたあの東京で、浪費癖が止まない武雄に暗澹として、
財産になる家の購入を考えた日々。

武雄の原稿料が入ったときの一部と、
私が雑文を書いて貯めたわずかな頭金で買える家で、
新幹線の止まる町を探したら、
地方都市の駅からバスで30分もかかるここしかなかったが、
私はすぐに飛びついた。

武雄の実家は借家で義兄は無職で義姉は定職がなかったから、
ローンの保証人は実家の父に頼んだ。父は黙って引き受けてくれた。

時はマイホームブームで、その主になれると武雄は喜び、
不動産屋との契約のため勇んでその地方都市へ出かけて行った。

夫を見送ったあの日の空は、黒っぽい灰色の雲がモクモクと連なり、
その雲の下が鮮やかなオレンジ色に染まっていて…。

なんとなく不吉な感じがしたのを覚えている。

しかし、20数年たったとき、
あのときの決断が正しかったことが証明されたのだ。

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これで子供たちを守れると安堵したと同時に、
今までの不可解な出来事や苦しかったことが一気に去来した。


いきなり送り付けられた離婚届。
知らぬ間に夫が住所を抜いていたため、
役所から届いた「不在住証明書」「不在籍証明書」

病院でのことや奈良や寒波襲来の夜のこと。

次男の雄二が腹の底から絞り出すように口にしたセリフ。

「あいつの血が自分の中に流れていると思うとたまらないよ」
「お母さんだけはぼくらを裏切らないでよね」

そんなこんなを思い出していた時、隣の居間から微かな音が響いてきた。

カチッ、ツー、シーシー、カチッ、ツー、シーシー…。


音は途切れることなく響いている。

そっとドアを開けると、闇の中で電話機が光っていて、
そのファクシミリから用紙が次から次へと吐き出されていた。

以前にもあった。

あれは奈良から帰ってきた真夜中のことだった。
M江の仕業だったが、今度もそうだろう。

いぎたなく眠る武雄の向こうで、M江がいやがらせを仕掛けている。

武雄が発するイビキとファクシミリの通信音が、
奇妙な和音となって闇を彷徨っていた。

今の武雄にふさわしい光景だと思った。

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「ソム・タム」作りました!

世間ばなし➁
10 /22 2022
いつも行く農協の市場に「青パパイヤ」なるものが売っていて…。

これってどうやって食べるのかなあと、いつも気になっていたんです。


で、ブログ「魔女の手紙タイランド」のPERNさんにお聞きしました。

速攻で教えていただいたのが、タイのサラダ「ソム・タム」

翌日、市場へ行き、買ってきましたよ!
ついでにタイの大衆魚のフライも。


パパイヤとフライ

ここでの商品名は「タイ産アジフライ」
アジより淡白な味です。


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さて、本日のメインイベント、いよいよ「ソム・タム」に挑戦です。

まずは材料集め。

このところの急激な物価高で、どれも高~い!

外国産のものにすれば三分の一の価格で買えるけど、
やっぱり国産にこだわりました。


材料

レモンもライムもカボスもいつも常備しているので、
酸味はどれにしようか迷いましたが、
レモンにしました。

このレモン、普通のものとは味も大きさも全然違います。
あの刺すような酸味がなくまろやかで、ものすごくジューシー。

名前の通り、香りもさわやかです。

地元の農家さんのレモンです。

レモン

いよいよ青パパイヤに取り掛かります。

PERNさん、「値段、高いでしょう」と心配してくださったんですが、
市場には大中小とあって、横幅20cmの「中」を選びました。

320円。安いでしょ。地元の農家さんが作っています。

日本の食料自給率はひどい状態。
農協のみかんの選別場も今は空き家。

新茶の季節には香ばしい香りが流れてきた茶工場、今はつぶして宅地に。
研究熱心でまじめな農家さんを育てない日本の政治家に幻滅。


とまあ、愚痴はこれくらいにして、
まずはあく抜き。皮をむいて…。
このパパイヤ、種がありませんでした。

ピューラーなる便利なものがあるそうですが、
長い人生、包丁一本できたから根気よく切りました。

青パパイヤはかぶれるから手袋を着用とネットに出ていたから、
そうしたけれど、面倒くさくなって途中から素手。

痒くもならず一個全部切り、あく抜きをして本日使う分以外は冷凍庫へ。


青パパイヤ

あく抜きの間に、落花生を「タムタム」。乾燥サクラエビを「タムタム」
ニンニクを「タムタム」

私は辛い物がダメなので、赤唐辛子は使いません。

いよいよ調味料の出番です。
ナンプラーなるものを開けたら、「臭い!」


ああ、このにおい、私はダメかもと不安が頭をよぎりました。

でもめげずに分量を減らしたナンプラーにレモン汁、砂糖を入れ、
よく混ぜたら絶妙な味に変わりました。

これをニンニク、落花生、干しエビと混ぜました。

準備が整ったところで、いよいよ最後の仕上げです。


ビニールに青パパイヤを入れて少し「モミモミ」
そこへ今度は「調味料+ニンニクほか」を混ぜたものを半分入れて「モミモミ」

トマトを入れて「モミモミ」
残りの「調味料+ニンニクほか」を加えて、軽く「モミモミ」

できました!

ソムタム

おいしかった!

落花生と干しエビは不可欠な材料であることを実感。

今度は、
青パパイヤに豚肉やニラを使った沖縄レシピの「イリチー」に挑戦します。


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最後の「団らん」 …70

田畑修一郎3
10 /19 2022
町はすでに動き出していた。
だが、すべてがセピア色で音がない。

人も車も緩慢に動き、
信号機の点滅も色を失くしてただ光っているだけだ。

動いてはいるのだけれど、すべてが死んでいるかのようだ。

なんだかひどく息苦しかったが、私は迷わずその中を突き進んだ。
昨日来た道を慎重にたどり、電車を乗り継いでようよう東京駅へ辿り着いた。

「東京生まれでもない私が、
その東京で同窓会なんてあるわけないじゃないの」

「昨日も今日も平日だよ。学生は登校する。
だから雄二が夜行バスなんかに乗るわけないじゃないの」


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もうあの「武雄の部屋」に私は二度と戻らない。
私は走り出したのだ。

すべてをやり終えたあとは、
あの部屋にあったファミコンのリセットボタンを押すように、
武雄との人生をリセットして前に進むだけ。

それだけのことだ。

これからやるべきことは山ほどあったが、
それはすべて「私が私であり続ける」希望につながることと信じた。

翌週の土曜日の夜、武雄が帰ってきた。
あの部屋で「来週、静岡へ帰る」と言ったのは、珍しく本気だったのだ。

玄関を開けると武雄が立っていて、えへらえへら笑っていた。

この笑い方が「えべったん笑い」だということを、
後年、私は武雄の叔父の田畑修一郎の小説の中で知った。

銀行家だった彼らの父親が自殺して、
武雄の父親の二郎と弟の田畑修一郎は養子に出された。

修一郎は父親の妾に引き取られて大切に育てられたが、
次男の二郎は身持ちの不確かな鉱山師にもらわれて数奇な運命を辿った。


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二郎は生まれながらに損な位置にあった。

3兄弟のうち長男は跡取りとして大切にされ、
三男の修一郎は乳飲み子の時実母を失ったかわいそうな子として、
周囲の同情と愛情を一身に受けた。

だが真ん中に挟まれた次男坊の二郎は、いつも見捨てられていたという。

「二郎兄さんが周囲の人の気を自分に向けさせるには、
いつどんなときでもえへらえへらと媚るように笑うしかなかった」
と、田畑は自著に書いている。

武雄がその父親と死別したのはいつだったのか私は知らない。

自分の父親について彼は一切話さなかったし、
聞いてはいけないような雰囲気があったから、私も聞かなかった。

だが彼は見事にその「えべったん笑い」を継承していた。

そのえへらえへらと笑う武雄を家に招じ入れると、
その笑い顔のまま照れくさそうに居間へ入った。

そこに次男の雄二が座っているのを見て、一瞬、歩を止めたが、
観念したようにソファへ座り込んだ。

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「父帰る」
と、私が揶揄すると、武雄が再びえべったん笑いをし出した。

雄二はとみると、一瞬、冷たい視線を父親に投げかけ、
すぐまたテレビに目を向けた。

その気まずい空気を破るように、
二人を手巻き寿司の材料と酒とつまみが並ぶテーブルに誘った。

いつもは主のいない椅子に武雄が座った。

居心地が悪いのかしきりにもぞもぞしていたが、
それでも酒を飲んで気が緩んだのか快活に話し始めた。

「雄二、大学はどこへ行くか決めたか」と聞く。
「東京へと思っている」と雄二が答えた。

「大介は大阪だもんな。東京なら一緒に酒が飲めるし、いいね」

父親らしく振舞おうとしているのがおかしくもあったが、哀しくもあった。

私は武雄と対面する位置にいて、ふと、遠い日のことを思い出していた。
このテーブルでは確かに一家団らんがあった。

誕生会にクリスマス。

口をとがらせてケーキのろうそくの火を消そうとしている大介がいた。
大声で歌を歌う雄二のあどけない顔もあった。

テーブルの下には猫がいて、
窓の外から愛犬Gが羨ましそうに覗いていたっけ。

もう二度と戻らない一家団らんのそんな食事風景。

寂しいけれど私は気持ちを切り替えて、
今夜だけのこの大切なセレモニーに専念した。

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話は弾まなかったが、仕方のないことだ。

黙々と食べていた雄二が立ち上がり、
そそくさと自室に引っ込んだのを機に、私は武雄を居間に誘った。

ほろ酔い気分の武雄は言われるままにソファに身を沈めた。

「M江さん、あなたのお母さんに似ているね」と言うと、
「そうかぁ?」とまんざらでもない顔をして、
「あいつ、俺と17も歳が違うんだぜ」と自慢話を始めた。

「17も。すごいね。あなたと付き合い始めたのは幾つの時?」と聞くと、
「二十歳を過ぎたころかな。あいつ、俺と知り合う前に
もう4人も男を知ってたんだぜ」と、小鼻をぴくつかせた。

「そこへいくとお前なんかは俺しか知らないんだからなあ、ククク」
と、M江の「5番目の男」が、無邪気に笑った。

私も笑いながらそれを聞く。聞きながら武雄の杯に酒を注ぎ、
新しいつまみを並べ、「果物はどう?」と聞く。

それから間を置かず、
私は用意してあった書類を傍らに置いて話し始めた。

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「大事なことだから、きちんとしておきたいと思ってね」と話を切り出すと、
「何?」と、赤ら顔で武雄が聞いてきた。

「今後のこと。雄二の大学のことやここの生活費のこと。
今までのようでは私も大介や雄二も不安だし、
だからそういうことをね、きちんとした形で約束して欲しいと思って」

とたんに「信用してくれよ~」と、武雄が甘えるような声を出した。

私は一歩も引かない覚悟を顔ににじませながら言った。

「これは大介と雄二にも相談して決めたことなの」

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色が抜け落ちた…69

田畑修一郎3
10 /16 2022
「あなた、私を殺そうとしたんじゃないの?」

そう聞いた途端、武雄が固まった。

「交通量の多い道路を引きずり回していれば、
ひょっとして妻はコケて死ぬんじゃないかって。
そうよね。自分でわざわざ手を下さなくても、交通事故扱いになるし…」

固まったまま武雄が、「ヒイーッ!」と獣じみた悲鳴を上げた。

悲鳴と同時に両手を万歳の形に天井へ向けて上げ、
今度はぺたんと畳にへたり込んだ。

へたり込んだ形が、なぜか正座。
正座のまま、コチコチに固まった。

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やっぱり、やっぱりそうだったんだ。

その瞬間、
私の見る風景からパッと色が抜け落ちた。

見るものすべてから色が抜け、周囲が全部、モノクロに変わった。
モノクロというよりセピア色。
まるで古い写真を見ているみたいだ。

目の前の夫はとみるとやっぱりセピア色で、表情がぼけている。
擦りガラスの向こう側にいるみたいに、幾重にも見えた。

その古い写真の中で武雄が緩慢に動いて言葉を発した。

「か、かのじょが…」

そこで息を継ぐと、一気にしゃべりだした。

「かのじょが、奥さんをなんとかしてって、
早くなんとかしてって、かのじょからしょっちゅう言われていたから…」

なんとかしてって言われたから実行したって、
なんなんだろう、この軽さ。

意外にも家族間殺人は全殺人事件の6割か7割を占めるとあった。

でも今までの私には、
それはあくまでも新聞記事の中だけに見る事件だった。
それがまさかわが身に起こるとは。

動揺を抑えつつ、すりガラスの向こう側の夫にきわめて冷静に告げた。

「好きな子ができたって、正直に言って欲しかったよ。
そうすれば私も考えた。私は死にたくなんかないよ」

それにしても、惚れた弱みで惚れた女の指図で人殺しをするものなのか。
人間ってそんなに分別をなくすものなのか。

当の本人がそう白状しても、私にはまだ信じられなかった。


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けれど、この部屋にあった「奈良の観光ガイドブック」と夫の告白が、
そのことをはっきり立証してみせたではないか。

受け入れざるを得なかった。

一番安全だと思っていた夫という人間が実は一番危険な人物だった。
そう思った途端、強烈な絶望感に襲われた。

セピア色の部屋全体が呼吸を忘れたかのように停止していた。
その殺伐とした空気の中で、武雄の体がゆらりと動いた。

「許してくれ」

かすれた声だが、はっきり聞こえた。

「俺、人でなしだよ」
「……」
「お前にも子供たちにもひどいことをしてきた。
俺、きっと地獄へ落ちる」
「……」
「許してくれといったって、とうてい許されることじゃないことはわかってる。
だからもしお前が、包丁で俺を刺しに来たら、
俺は自分から胸を差し出してお前の包丁を受けるつもりだ」

この場に及んで、こんな芝居がかったセリフを吐くなんて…。

呆れつつも、
「それじゃそうさせてもらいましょうか」と台所へ行こうとしたら、
案の定、武雄はのけぞって大声で叫んだ。

「ば、ばかな真似はよせ!」

私は思わず吹き出した。

「冗談よ」

そう言いつつ、口ほどにもない男だと嘲笑った。

私が笑ったのを見て安堵したのか、武雄がふにゃふにゃと笑った。

そのふやけた笑い顔を見ながら、私は抑揚のない声で告げた。

「あんたを殺すことは少しも惜しくはない。
だけどそんなことをすれば、私は自分の人生を棒に振ることになる。
そんなバカなことをこの私がするわけないでしょう」

へたり込んだまま、武雄が大きくため息をつきつつ、
今度はなじるような口調で言い返してきた。


DSC09394.jpg

「お前が優しすぎたから悪いんだ。だから俺がダメになったんだ」

今まで何度も聞かされてきたセリフをこの場に及んでもまた。

「文学賞に落ちたのはお前のせいだ、謝れ」と言われて、
夫の怒りを鎮めるために謝ったりもした。

ひどく理不尽で子供じみた責任転嫁。

今までの私ならそう言われれば、自分の優しさに罪悪感を持っただろう。
でも今はっきり悟った。

罪なのはそれを受け入れる器量を持ち合わせていなかった
アンタの方ほうなんだって。

「優しさは凶器に変わる」ってこと、この人は知らないんだ。

そしてその「凶器」は今、私の中に生まれた。

武雄さん、
優しさが大きければ大きいほど、「凶器」の危険度も大きくなるんだよ。

黙って立ち尽くしている私に、武雄がまたバカなセリフを吐いた。

「今までお前は、俺が何やっても黙って許してくれていた。
なのに今度だけはなぜなんだ!」

私はそれに答えず荷物をつかむと部屋を出た。
背後から武雄がまた叫んだ。

「俺、お前と別れるつもりはないんだ。かのじょも俺と結婚する気はないんだ。
田舎へ帰って見合いでもしようかなって言ってるくらいだから。
だから、俺にはお前しかいないんだ。そのことだけはわかってくれよ」
「……」
「来週、静岡へ帰るから。必ず帰るから」
「……」
「あ、同窓会行くって言ってたよな、今日だったよな」

私は微笑みながら夫に告げた。

「疲れたんでね、このまま帰ります。
雄二が来たら、進路の相談にのってやってください」


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復讐の序幕…68

田畑修一郎3
10 /13 2022
ふと窓を見ると、いつの間にか明るくなっていた。

武雄が帰ってきた。
「かのじょ」をなだめるのに今までかかったのだろう。

ドアチェーンの向こうから部屋を覗いている。
すき間から落ちくぼんだような片目が見えた。

私はドアを挟んでしばらくその目を見据え、
それから静かにチェーンをはずした。


ホッとしたような焦ったような顔で武雄が「起きてたの?」と小声で言い、
ソロソロと中へ入ってきた。

武雄が部屋の中ほどまで進んだとき、私は後ろ手でドアを閉め、
さりげなくその背中に声を掛けた。


DSC07870.jpg

「お帰り」

ホッとしたのか振り返った武雄が、「雄二は?」と聞く。

「深夜バスに変更したんだって。
新宿駅にはとっくに着いているはずだから、もうすぐここへ来るでしょ」

なんだかウソがすらすら出てくる。

「あ、お隣りさんへ挨拶しといたから。
女房なのに静岡にいるので何かとご迷惑をおかけしてって。
中年のご夫婦ね。いい人みたいでよかったじゃない?」

これは本当のことだ。

万一の危機勃発には騒ぎ立ててくれるだろうとの判断からだ。
出来る限り、外堀は埋める。そう決めていたから。

案の定、いつもは若い女がいるのにいきなりの女房出現で、
お隣さんはハトに豆鉄砲みたいな顔になった。

多分、隣りでは壁に耳をつけて今か今かと修羅場を待っていたことだろう。

私は眠れぬ一夜を過ごしたが、
あの夫婦も壁の向こうで一夜を明かしたはずだ。

DSC08357.jpg

後日、武雄が「隣の奴らが俺を変な目で見る」とこぼしていたから、
安全弁としての効き目はあったと、私はほくそ笑んだ。

東京の兄は「本妻は堂々としていればよい」などと言っていたが、
「仏の顔も二度三度」っていうからね。

それに命まで狙われていたとなれば、一刻の猶予もない。

あいつは今、狂っている。
「恋は盲目」状態で正常にモノが見えていない。

このチャンスを生かさない手はない。それが今なんだ。

手負いの獣は狂暴になるって言うけれど、私はただ忍びやかにやるだけ。

この場に及んでも少しもわめかず、普段通りの妻を見て、
武雄は安心した足取りでこたつの方へ近づいていく。

その距離が長くなったころ、私はその背中にさらなる言葉を投げかけた。

「このスキー板、どうしたの?」

飛び上がるように武雄が振り返った。

「あ、それ、預かってる。か、かのじょの部屋、狭いから」

「そう。ロッカーに女のパンツがあったけどあれは?」
「あ、それも預かってる」

女のパンツを預かってるだなんて、こいつ正気か?

バカバカしい問答だと思いつつ、私はこみあげる笑いを飲み込んだ。

DSC07370.jpg

「聞きたいことがあるの。
あなた、生活費は毎月、ちゃんと振りこんでいるって言ってたけど、
それって誰が振り込んでたの? 私はあなただと思っていたんだけど」

「か、かのじょ…。彼女、会社の経理やってるから。だから」

「やっぱりね。彼女、M江さんっていうのね。
M江さん、それを自分の通帳に振り込んでいたみたいね」

そう言った途端、武雄が真っ赤になって怒り出した。

「かのじょはそんな女じゃない。あんな純粋で素直な娘(こ)はいない。
田舎から出てきた真面目な娘で、そんなことをするはずはない。
お前はなんでも悪く言う」

「でもさ、ロッカーにあるんだよね、その証拠が」
「お前、なんで人の家のモノを勝手に見るんだ」
「人の家?」

そう問い詰めながら私はふと、寂しさを覚えた。

夫が借りた家なら妻や子にとっても自分の家のはず。
第一ここは父に会いに上京する息子たちのために借りた部屋ではないか。

なのに武雄は「人の家」と言い放った。

そうか。武雄はもう妻も子も他人と思っていたのか。

急に沈黙した私に、今度は武雄がムキになって言い出した。

「俺たち、純愛なんだよ。お前が思うような汚らしい関係じゃないんだ」

出たな、「純愛」

と、私は薄ら笑った。

別に正直に話してもいいんだよ。「好きな子ができちゃった」って。

DSC07662.jpg

あれやこれやウソを並べる夫が、急に小さく見えた。
もともと小柄な体形だったが、それが急速に小人化している。

その「小人(しょうじん)」が上ずった声で言った。

「彼女、今は事務員だけどサ、ライターとしての凄い才能があるんだ。
俺はそれを伸ばしてやりたくて育ててやってるんだ」

ああ、それで「武雄先生」か。
「白髪の君」は、武雄の若白髪を見ての呼び名だろう。

そういえばあの頭、いつだったか紫色に染めてきたことがあった。
あれも「かのじょ」の指図だったんだね。

だが回想は禁物だ。
そろそろ町が動き出す。私も動き出さねばならない。

核心に迫らなければと私は気を引き締めて、最後の「爆弾」を投げ込んだ。

「あのね、奈良の、あの雨の中を自転車で走り回ったときのこと。
それから寒波の夜のツーリング…」

終わりまで聞かないうちに、武雄がギョッとなって固まった。

「あれって、私を殺そうとしたんじゃないの?」

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殺人ゲーム …67

田畑修一郎3
10 /10 2022
気を取り直してさらに見ていくと、自動車教習所の教則本があった。

教習所? 
なんでこんなものがと不審に思いつつページをめくると、
納品書のような紙片が出てきた。

車の購入代金の領収書だった。全額キャッシュ。
あて先は武雄の名だった。

日付はやはり2年前の12月。

「会社の資金繰りが悪くて入院費が払えない」と言ったその月に、
彼は車買い、その車で猫の入院に付き添っていた。

病院が開くのを待つニャンコさん。一人で受診に来たのかな?
IMG_3201.jpg

信じられなかった。
現実のこととはとうてい思えなかった。

夫にとって私は、猫よりも価値のない人間だったのか。

愛犬Gはお金がなくて安楽死せざるを得なかった。

あまりにもひどいではないか。
ここまで理性を失くすってなんなのか。

奥に携帯用コンロがあった。
登山をしない夫なのにと思いつつロッカーの下段を見ると、
寝袋が二つ壁際に立てかけてある。

テントもあった。奥にスキー靴が2つ、並べて置かれていた。

夏にはキャンプ、冬はスキーってわけか。
合間に温泉旅行、ラグビー観戦にコンサートにツーリングにドライブ。

なんてこった。

再び気を取り直して別の本を手に取った。

表紙を見て私は「あっ」と声を挙げた。

「奈良の観光ガイドブック」とある。
心臓がドキリとなって、手に震えがきた。

ページの折れたところを開くと、あの石舞台古墳周辺だった。
行間のところどころに線が引かれている。

そのページだけが汚れているのは、
彼らはたびたび奈良に出かけていたということなのか。


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夫は病み上がりの私を医者へのお礼という口実で連れ出した。
そして突然奈良へ連れていかれ、雨の中を自転車で走らされた。

あれは彼ら二人が計画を練り、現地で予行練習を重ねて、
それを実行に移したってことだったのか。

そういえばあのとき、武雄は意味ありげに言っていた。

「実は俺、新幹線で静岡は何度も通過してんだよね。
家には寄らなかったけどさぁ。フフ」

自慢したかったのか、それとも彼女と二人だけの秘密がたまらなく快感で、
誰かに話したくてうずうずしていたのか、
ヘラヘラ笑いながらそう言った。

私は命を狙われていたのだろうか。きっとそうだろう。

でもどうして? 

底知れぬ恐怖がジワジワと私を襲った。

だがそれでもまだ私は愚かにも、
「そんなことがあるわけはない」と言う気持ちを捨てきれなかった。

だって二人の子供を授かった夫婦ですもの。
それに家族が家族を害するなんて、
そんなことがあるなんてとうてい信じられなかった。

でも何かがおかしかった。

DSC08078.jpg

武雄の不自然な行動に不安を覚えた兄が武雄に問いただしたら、
「彼女、楽しんでいましたよ」と平然と答えたという。
「とにかく無事でよかった」と兄は危惧しつつも言ったっけ。

あの寒波の夜もそうだった。
息子が「お母さん、殺されないように」と部屋に鍵を付けてくれて…。

「殺される」なんて、そうそう言える言葉じゃない。
それを息子が口にした。

周りは気付いていたのに、私だけ現実が見えなくなっていたのか。

だが、奈良では病み上がりにも関わらず、
私は雨に濡れた車道で転倒もせず、車に轢かれることもなかった。

半年後のあの寒波来襲の夜もまた、彼らの計画はとん挫した。
なにか大きな力に救われたと思った。

おかしな兆候はそれ以前にもあった。

台所で夕飯の支度をしていたときだった。
帰宅するなり背後から抱きついてきた武雄が耳元で異様なことをささやいた。

「俺サァ、思ったんだよね。この世では金さえあれば何でも叶うじゃない?
だけど一つだけダメなのがある。

殺人。で、考えたんだけど犯罪にならない殺人があるとしたら、
相手に遺書を書いてもらうことなんだって。

で、考えたらその相手はお前しかないって。だからお前、
私は夫に殺してほしいと頼んだっていう遺書、書いてくんない?」

私はとっさに夫の腕を払い除けて、夫を見据えた。
私の形相を見て、武雄はヘラヘラしながら、「冗談だよ、冗談」と。

「冗談でもそんなこと言えないでしょう!」と怒鳴ると、
武雄はそのままポイと家を出て、それっきり戻らなかった。

DSC00783.jpg

精神疾患なのかと疑ったがそうとも思えなかった。

私以外の人にはごく普通で愛想もよく、
今を時めく写真週刊誌のライターとして仕事をこなし、信頼も得ていて、
誰からも、「あんないいヤツはいない」と称賛されてもいた。

外で見た彼はどこから見ても「普通の人」以上に「普通の人」だった。

ただ常識をはるかに超えて「狂って」いたのは確かだった。
そしてその狂気のふるまいは、私一人に特化していた。

その背景には「かのじょ」がいた。

半ば本気、半ばゲームみたいに、
二人で私を脅したりいたぶったりして楽しんでいたのだろう。

この異様な発言の延長に、
奈良とあの寒波の夜のツーリングがあったことはもはや明らかだった。

ガイドブックからパラリと紙切れが落ちた。
見ると「かのじょ」が書いた交換日記みたいな一片だった。

箇条書きに綴られた言葉はみんな右肩あがりの斜め書きで、
いくつもの甘えるような言葉が綴られ、下手なイラストまで添えられていた。

そしてその端々に、ひときわ大きな文字で必ずこう書かれていた。

「武雄先生」「白髪の君」


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疲れましたァー

世間ばなし➁
10 /07 2022
パソコンに不具合が頻発して…。

まだ3年しか使っていないのにとぼやきつつ、
エラーが出るたびに「困ったときに開く本」やら、ネット検索したりと、
ここ数か月、悪戦苦闘してました。

その前のwindows7はまったく問題なく長年動き続けてくれたが、
10移行で止むなく買い替えた。それがこれ。

しかし、このパソコン、最初からおかしかった。

起動すると中から「ガタン」と音がするし、熱を持ちやすいし動きが遅いし、
欠陥品かなとか、配達の途中で落としたか
なんて思ったりしていたが、案の定、長持ちしなかった。

販売店のにいちゃんから「壊れている。もって来月まで」と言われたが、
それから半年、
エラーが出るたびになだめすかして使ってきて、
今も全く使えないわけじゃない。

2022100211493925d.jpg

しかし、イライラするのも体に悪い。
自分の年齢を考えれば、頭がしっかりしているうちに買い替えようと、

買いました!!

今度は別のルートで。

届いた段ボールを見て安堵した。

以前の箱は一重の包装だったが、今度は二重になっていて、
配達会社も今までとは別で配達員も丁寧。

そんなわけで、人生最後のパソコンになるだろうなと思いつつ、
設定やらもろもろに取り組みました。

半日もかからずスイスイ。我ながら、「お見事!」


ところが夜、再び開くとメールの画面が黒地に反転。

「ええっ! なんで? 私、変えてなんかいないのに」

おまけに、昼間はあった連絡先の「お気に入り」が消え、
一つのアドレスだけ過去メールの一部しか表示されていない。

写真の引っ越しもダメ。
でもこれは別の方法を考えるとして、

とりあえず、

画面の色や明るさ、文字や矢印の大きさなど、
できる限り使いやすくしようと画面とにらめっこ。


そのうち次々吹き出しが出て、「あれやれ」「これやれ」とうるさい。
ウイルスソフトの期限が近付いていたので、それも購入。

「なんで業者に頼まないの?」と皆さんに不思議がられたが、
年をとってもそこは「女」のはしくれ。

以前、怖い思いをしました。


DSC04207.jpg

最初のころは初期設定は無料だった。
だが、帰り際、
業者の男から突然、「プリンタの設定料5000円」を要求されて仰天。

そんなの頼んでないのにと思ったが、ここは鉄筋長屋の上階で密室。
危険回避に黙って差し出してお帰り願った。


以来、「自分でやる!」ことに決めた。

XPや7は使いやすかったのに、
企業はなぜこんな風に余計なことばかりくっつけて複雑にするのか、
などとブツクサ言いつつ、

これが浮世かご時世かと。

でもやがてその苦労が達成感に変わり、ささやかな自信にもなった。

だが、脳みそが興奮しすぎたのか不眠に陥り、
肩こりと眼精疲労でひどいことに。おまけに食欲まで減退。

そんなこんなで、購入から今日で1週間。

体の不調も少しずつ戻って、今はまだ戸惑いつつもサクサク。


みなさん、こんな中でブログ記事を書き続けた私のがんばり、
褒めてやってくださいね!


励みになります!
※「金子晃之のパソコン修理屋うえまつ」の
  「うえまっちゃん」の口癖が出てしまいました。

次回から長らく中断していた「田畑修一郎」を再開します。

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大阪から力石情報!

みなさまからの力石1
10 /04 2022
久々に力石の話です。

大阪民俗学研究会の榎田鉄也氏からの情報です。


場所はここ。力石は2個あります。
大阪3
大阪市淀川区宮原1丁目2番・薬師如来・地蔵尊

力石です。

「若中」

大阪1
62×43×23㎝

もう一つはこちら。

「若中」

この二つの力石、「大阪の力石」その他に掲載されていませんが、
三重之助先生、新発見でしょうか?


榎だ2
50×43×23㎝

同研究会代表の田野登先生からもいただきました。

海老江八坂神社の境内南西にある
「庄屋羽間翁祈念恩碑」の前に置かれています。

「庄屋羽間翁」って、どんな人だったのか興味があります。


220924海老江八坂神社祈恩碑
大阪市福島区海老江町・海老江八坂神社。

「三十メ」

大阪市福島区海老江八坂神社1 (2)
50余×38×27㎝

この「三十メ」力石はすでに採録済みですが、
その後、2020年に同神社の宮司さんにより、新たに2個発見されています。

これです。


「さし石」

img20220927_08451907 (2)
「大阪の力石(2)」高島愼助 四日市大学論集 第32巻 第2号 2020 
48余×38×23㎝

もう一つはこちら。

img20220927_08472897 (2)
同上。55余×36×20㎝

商業都市・大阪なのに、力石の発見は少ないそうです。

これは意外ですね。
それだけではなく、文化財指定についても、

「大阪府ではこれだけ見事な力石が存在するにも関わらず、
有形民俗文化財に指定もしくは登録された力石が存在しないのは
残念な事である」

と、「三重之助」こと高島先生は嘆いております。


大阪には、まだまだ未発見の力石がありそうですね。
希望につなげたいと思います。



ーー力石が日本テレビで放送されましたーー

ブログ「へいへいのスタジオ2010」のへいへいさんが、
下記の記事でご紹介くださっています。

どうぞ、ご覧ください。

ーーでも、私からちょっと付け加えさせていただきますね

この放送に出てくる「魚吹八幡神社・天満の力石行事」は間違い。
ここは「魚吹八幡神社」ではなく、「姫路市大津の神明神社」です。

これは2015年の写真で、黒と白の服がチラッと見えていますが、
これ、私です。隣は「三木氏」。

拙ブログの「姫路天満・神明神社⑤」をご覧ください。

日本テレビの力石記事はこちら。

「神宮寺勇太の神宮宮巡りー氷川神社の力石」

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雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞