富を持つ者と持たざる者と …10
十人の釣り客
「仕事ですから」
と、その女性が言ったと聞いて、私は愕然とした。
皿やコップを洗うのはともかく、
「釣りのごほうび」として、夜ごと男たちに体を差し出すのも「仕事」とは。
いくらお金のためとはいえ、
女のプライドをそこまで捨てられるものだろうかという疑問が、
私を捕らえて放さなかった。
富を持つ者と持たざる者の思惑が一致して、ビジネスとして成り立った。
自由な時代だからこそ、それを「ビジネス」として割り切っているのだとしたら、
私の嘆きは「いらぬお世話」ということになる。
ただ、彼女には誤算もあったはずだ。
日本から遠く離れた異国だからこそ、人に知られずに済むはずが、
宿には他国からの釣り客や、大勢の従業員がいて、
十代の若者まで働いていた。
その上、宿の奥さんはしっかり者で、隅々まで気を配る。
自分をここへ連れてきた男たちは、旅の恥はかき捨てとばかりに、
「金で買った女」を、周囲に見せびらかしてさえいる。
地位も家庭もある立派な男たちが、日本を離れたとたん、
そんな浅ましいことを、かくも堂々とやってしまうことなど、
彼女は予想もしていなかったはずだと私は思った。
彼女が男たちと交わした「契約」の内容まではわからない。
しかし、騙されたにしろ契約通りだったにしろ、これでは恥ずかしくて、
「黙って下を向いて」「みんなと目を合わせないように」
しているしかないではないか。
ーーーーーー
= 余談 「琴を弾く姉さん」 =
手作りの帽子をかぶって。カナダの空に「さくら さくら」
= 余談 「花の教室」 =
右端に孟宗竹のレプリカ。正面に御所車と紙風船。
左端に掛け軸と羽子板。
姉さんのお城です。
= 余談 「日本がいっぱい」 =
写真の裏に、こんなことが書かれていた。
「清子へ
いろいろとレイアウトを替えて楽しんでいます。
mt.富士。慈母観音、これは新入り。折り鶴。
日本の包み紙はきれいなので、ひもも取っておいていろいろ作ります。
左端の「松」は叔母さんが送ってくれたせんべいの缶のフタ。
右端の鳳凰は、親友のM子さんが送ってくれたスカーフ。
去年、この鳥よりもっと美しい孔雀のような鳥が二羽、
空いっぱいに飛んでいる夢を見ました。
帽子、先日また、一個作りました」
= 余談 「ヘレンさんの野菜畑」 =
この日はヘレンさんからお茶に呼ばれた。
娘さんとお孫さんも一緒です。
帰り際にご主人が、
「KIYOKO ここで婿さん探していけ!」と。
うわっ、ムリムリ。
ヘレンさんのお父さんは、第二次大戦でヒトラーのナチスが崩壊して、
それでドイツから逃れてここへ来たという。
そっかあ、みんないろんな歴史を背負って生きているんだね。
ーーーーーー
日本の男たちが同じ日本の女ではなく、コリアンを連れてきた。
コリアンの女性は自分と同国の男たちではなく、日本人に買われてやってきた。
自分たちの宿が前代未聞の使われ方をしたことに、
屈辱を感じたのはもちろんだが、この男女の組み合わせに、
「なんともいえない重いものを感じてね」と、Kは言った。
遠く離れたカナダの島の住人でも、
日本と韓国との歴史的事情は知っている。
それに私の花の生徒さんに韓国の女性がいて、
若くして病死したけれど、病気中はみんなで親身になって世話をした。
だからKは、この女性の行為を非難しつつも、
彼女が常に見せていた羞恥心に痛ましいものを感じて、
「とてもおとなしくてキュートなひと」といい、温かく接していたという。
どれほどの時間が過ぎたであろうか。
部屋が静かになっているのに気付いて、ハッと我に返ると、
同席していたみんなの視線が一斉に私に向けられていた。
いたたまれなかった。
それを察してか、Kが少し柔らかい口調で言った。
「でもね、ヨーコ。
最後の頃には少しずつ打ち解けてきてね。彼女のブロークンな英語と、
こっちの挨拶だけの日本語で何とか通じ合えるようになったよ」
「そう…」と返事はしたものの、もう充分パンチを食らったあとだから、
立ち直りにはさして救いにはならなかった。
「マタ、オコシクダサイ」「キヲツケテ、オカエリクダサイ」
Kは私が教えた挨拶を、茶目っ気たっぷりに繰り返したあと、
「とにかく、みんなで陽気に手を振って別れを惜しんだよ」と笑った。
しかし、Kの次の話で、私はさらに強烈なパンチを食らはめになった。
<つづく>
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と、その女性が言ったと聞いて、私は愕然とした。
皿やコップを洗うのはともかく、
「釣りのごほうび」として、夜ごと男たちに体を差し出すのも「仕事」とは。
いくらお金のためとはいえ、
女のプライドをそこまで捨てられるものだろうかという疑問が、
私を捕らえて放さなかった。
富を持つ者と持たざる者の思惑が一致して、ビジネスとして成り立った。
自由な時代だからこそ、それを「ビジネス」として割り切っているのだとしたら、
私の嘆きは「いらぬお世話」ということになる。
ただ、彼女には誤算もあったはずだ。
日本から遠く離れた異国だからこそ、人に知られずに済むはずが、
宿には他国からの釣り客や、大勢の従業員がいて、
十代の若者まで働いていた。
その上、宿の奥さんはしっかり者で、隅々まで気を配る。
自分をここへ連れてきた男たちは、旅の恥はかき捨てとばかりに、
「金で買った女」を、周囲に見せびらかしてさえいる。
地位も家庭もある立派な男たちが、日本を離れたとたん、
そんな浅ましいことを、かくも堂々とやってしまうことなど、
彼女は予想もしていなかったはずだと私は思った。
彼女が男たちと交わした「契約」の内容まではわからない。
しかし、騙されたにしろ契約通りだったにしろ、これでは恥ずかしくて、
「黙って下を向いて」「みんなと目を合わせないように」
しているしかないではないか。
ーーーーーー
= 余談 「琴を弾く姉さん」 =
手作りの帽子をかぶって。カナダの空に「さくら さくら」
= 余談 「花の教室」 =
右端に孟宗竹のレプリカ。正面に御所車と紙風船。
左端に掛け軸と羽子板。
姉さんのお城です。
= 余談 「日本がいっぱい」 =
写真の裏に、こんなことが書かれていた。
「清子へ
いろいろとレイアウトを替えて楽しんでいます。
mt.富士。慈母観音、これは新入り。折り鶴。
日本の包み紙はきれいなので、ひもも取っておいていろいろ作ります。
左端の「松」は叔母さんが送ってくれたせんべいの缶のフタ。
右端の鳳凰は、親友のM子さんが送ってくれたスカーフ。
去年、この鳥よりもっと美しい孔雀のような鳥が二羽、
空いっぱいに飛んでいる夢を見ました。
帽子、先日また、一個作りました」
= 余談 「ヘレンさんの野菜畑」 =
この日はヘレンさんからお茶に呼ばれた。
娘さんとお孫さんも一緒です。
帰り際にご主人が、
「KIYOKO ここで婿さん探していけ!」と。
うわっ、ムリムリ。
ヘレンさんのお父さんは、第二次大戦でヒトラーのナチスが崩壊して、
それでドイツから逃れてここへ来たという。
そっかあ、みんないろんな歴史を背負って生きているんだね。
ーーーーーー
日本の男たちが同じ日本の女ではなく、コリアンを連れてきた。
コリアンの女性は自分と同国の男たちではなく、日本人に買われてやってきた。
自分たちの宿が前代未聞の使われ方をしたことに、
屈辱を感じたのはもちろんだが、この男女の組み合わせに、
「なんともいえない重いものを感じてね」と、Kは言った。
遠く離れたカナダの島の住人でも、
日本と韓国との歴史的事情は知っている。
それに私の花の生徒さんに韓国の女性がいて、
若くして病死したけれど、病気中はみんなで親身になって世話をした。
だからKは、この女性の行為を非難しつつも、
彼女が常に見せていた羞恥心に痛ましいものを感じて、
「とてもおとなしくてキュートなひと」といい、温かく接していたという。
どれほどの時間が過ぎたであろうか。
部屋が静かになっているのに気付いて、ハッと我に返ると、
同席していたみんなの視線が一斉に私に向けられていた。
いたたまれなかった。
それを察してか、Kが少し柔らかい口調で言った。
「でもね、ヨーコ。
最後の頃には少しずつ打ち解けてきてね。彼女のブロークンな英語と、
こっちの挨拶だけの日本語で何とか通じ合えるようになったよ」
「そう…」と返事はしたものの、もう充分パンチを食らったあとだから、
立ち直りにはさして救いにはならなかった。
「マタ、オコシクダサイ」「キヲツケテ、オカエリクダサイ」
Kは私が教えた挨拶を、茶目っ気たっぷりに繰り返したあと、
「とにかく、みんなで陽気に手を振って別れを惜しんだよ」と笑った。
しかし、Kの次の話で、私はさらに強烈なパンチを食らはめになった。
<つづく>
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