懐かしくもあり切なくもあり
神田川徳蔵物語
青山熊野神社での「八百喜代納石力持」には、
名の知れた力持ち力士が何人か参加しています。
ここではその中の一人、
東京都世田谷区羽根木を根城に勇名を馳せた
羽根木一派の羽根木政吉をご紹介します。
羽根木政吉、本名・細野。
羽根木の漬物業者で、
漬物石を日常的に持ち上げていたため力が強かったそうです。
羽根木政吉です。
向かって右は青山八百喜代です。
羽根木政吉の名を刻んだ石は、都内4カ所に9個。
そのうち八百喜代と連名の石は、杉並区の大宮八幡神社に1個あります。
東京都杉並区大宮・大宮八幡神社
しかし、八百喜代同様、神田川徳蔵との石はいまのところ見つかっていません。
ちょっと残念。
こちらは八百喜代の納石力持での番付です。
右側にずらりと書かれているのは羽根木一派の力士名です。
政吉を筆頭に元吉、清造、角□、吉□□、長□と6人も。
ずらりと並んだ羽根木一派の名前。
これを見ただけで八百喜代と羽根木政吉の結びつきが
いかに強かったかわかります。
左側赤矢印は、次回ご紹介する濱(浜)町秀太郎です。
濱町秀太郎は羽根木一派の名前の下にも、「年寄」として、
麹町生嶋(島)、羽根木政吉とともに記されています。
左端の2名は先にご紹介した野澤組の野澤(根岸)良雄と野澤□三郎です。
その下は「世話人」で、原宿有志となっています。
こちらは羽根木政吉と濱町秀太郎連名の力石です。
東京都杉並区高円寺南・氷川神社
「奉納 四拾貮貫 大正十五年 高円寺 大場通 井川新太郎 持之
立会人 羽根木政吉 濱町秀太郎」
下の写真は、政吉の地元の羽根木神社で発見された力石です。
無銘なので政吉の力石かどうかは不明。
ですが、羽根木一派のものである可能性は大です。
東京都世田谷区羽根木・羽根木神社
実ははるか昔、私はこの羽根木に住んでいました。
東松原駅前に、女優の馬淵晴子さんの邸宅があって…。
プールもあったような気がします。
これは羽根木神社の夜祭りに出掛けたときの私と子供たちです。
こんな時代もありました。
長男の手を引いて、二男をおんぶして…。
小さなアパートの空き地で子供を遊ばせていたら、
おばあさんに連れられた男の子がオズオズとやってきました。
「遊んでちょうだいね」
というおばあさんのうしろにいたのは外国の婦人。
こちらを心配そうに見ています。
近所のおばさんたちが、あれは蓮見さんといって、
あの女性はフランスから連れてきた人だと話していました。
ずっとあとになって、それはのちに東大総長になったフランス文学者の
蓮見重彦氏の奥さまとご子息だったことを知りました。
でも、あのときおばあさんに手を引かれてやってきたぼっちゃんは、
今年6月、40代の若さで亡くなられたとか。
ここに住んだのはわずかな期間だったけれど、印象は深い。
子育てをしながら、料理雑誌に「食べ物歳時記」を書き、
在宅で本の校正の仕事をしていました。
湯水のように散財する夫との暮らしに疲れ果てて、逃げるように静岡へ。
あのころは力石など名前すら知らなかった。
羽根木、
懐かしくもあり切なくもあり。
※参考文献/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009
/「東京の力石2」高島愼助 斎藤保夫
四日市大学論集 第25巻第2号 2013
※人物特定・文字解読/斎藤
名の知れた力持ち力士が何人か参加しています。
ここではその中の一人、
東京都世田谷区羽根木を根城に勇名を馳せた
羽根木一派の羽根木政吉をご紹介します。
羽根木政吉、本名・細野。
羽根木の漬物業者で、
漬物石を日常的に持ち上げていたため力が強かったそうです。
羽根木政吉です。
向かって右は青山八百喜代です。
羽根木政吉の名を刻んだ石は、都内4カ所に9個。
そのうち八百喜代と連名の石は、杉並区の大宮八幡神社に1個あります。
東京都杉並区大宮・大宮八幡神社
しかし、八百喜代同様、神田川徳蔵との石はいまのところ見つかっていません。
ちょっと残念。
こちらは八百喜代の納石力持での番付です。
右側にずらりと書かれているのは羽根木一派の力士名です。
政吉を筆頭に元吉、清造、角□、吉□□、長□と6人も。
ずらりと並んだ羽根木一派の名前。
これを見ただけで八百喜代と羽根木政吉の結びつきが
いかに強かったかわかります。
左側赤矢印は、次回ご紹介する濱(浜)町秀太郎です。
濱町秀太郎は羽根木一派の名前の下にも、「年寄」として、
麹町生嶋(島)、羽根木政吉とともに記されています。
左端の2名は先にご紹介した野澤組の野澤(根岸)良雄と野澤□三郎です。
その下は「世話人」で、原宿有志となっています。
こちらは羽根木政吉と濱町秀太郎連名の力石です。
東京都杉並区高円寺南・氷川神社
「奉納 四拾貮貫 大正十五年 高円寺 大場通 井川新太郎 持之
立会人 羽根木政吉 濱町秀太郎」
下の写真は、政吉の地元の羽根木神社で発見された力石です。
無銘なので政吉の力石かどうかは不明。
ですが、羽根木一派のものである可能性は大です。
東京都世田谷区羽根木・羽根木神社
実ははるか昔、私はこの羽根木に住んでいました。
東松原駅前に、女優の馬淵晴子さんの邸宅があって…。
プールもあったような気がします。
これは羽根木神社の夜祭りに出掛けたときの私と子供たちです。
こんな時代もありました。
長男の手を引いて、二男をおんぶして…。
小さなアパートの空き地で子供を遊ばせていたら、
おばあさんに連れられた男の子がオズオズとやってきました。
「遊んでちょうだいね」
というおばあさんのうしろにいたのは外国の婦人。
こちらを心配そうに見ています。
近所のおばさんたちが、あれは蓮見さんといって、
あの女性はフランスから連れてきた人だと話していました。
ずっとあとになって、それはのちに東大総長になったフランス文学者の
蓮見重彦氏の奥さまとご子息だったことを知りました。
でも、あのときおばあさんに手を引かれてやってきたぼっちゃんは、
今年6月、40代の若さで亡くなられたとか。
ここに住んだのはわずかな期間だったけれど、印象は深い。
子育てをしながら、料理雑誌に「食べ物歳時記」を書き、
在宅で本の校正の仕事をしていました。
湯水のように散財する夫との暮らしに疲れ果てて、逃げるように静岡へ。
あのころは力石など名前すら知らなかった。
羽根木、
懐かしくもあり切なくもあり。
※参考文献/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009
/「東京の力石2」高島愼助 斎藤保夫
四日市大学論集 第25巻第2号 2013
※人物特定・文字解読/斎藤