令和の力持ち現る
力持ち大会
盃状穴の途中ですが、臨時〈ニュース〉です!
ーーー
今年2月のできごとです。
力石研究者の斎藤氏が、2月にしてはポカポカした陽気につられて、
埼玉県白岡市の鷲宮神社を訪れたときのこと。
境内に何やら掲示板が立っていたので、近づいてみると、
「令和の力持ち現る」の文字が…。
なんと、ここで力石を担いだという内容ではないですか。
埼玉県白岡市上野田・鷲宮神社
石を担いだのは昨年12月。
掲示板は雨に打たれて滲んでいましたが、
ここで石を担いだ人がいたなんて、これはもう興奮せずにはいられません。
担いだ力石はこれ(下の写真)です。
「〇(梵字)奉納 高祖大明神石
四十五貫目 武州埼玉郡太田庄岩付領上野田村施主
安永六年酉霜月六日 吉沢作右衛門 敬白」
江戸中期の1777年の奉納です。
この石が奉納されたのは、どんな時代だったかというと、
東京・富岡八幡神社に石を残し、七代目市川団十郎に唄われた
「中の字」こと中村弥兵衛や、
「石の平蔵」の異名をとった八丁堀・亀嶋平蔵が
活躍していたころです。
そしてこの石は、
岩付領三野宮村出身の三ノ宮卯之助が生まれる30年も前の石なんです。
79×38×32cm 四十五貫目は約168㎏
いったいどんな人が挑戦したんだろうと、もう知りたくてウズウズ。
でも、開催から2か月もたっているから、雨風に打たれてこれこの通り。
かろうじて、屈強な男たちが写っているのがわかりますが、
うーん、じれったい!
なんとしてでも突き止めねばと血が騒ぐ。
というわけで、
いつもの「突撃取材」を開始。
でも連絡先は、白岡市の上野田鷲宮神社しかわかりません。
そこで斎藤氏が見つけてくれたツイッターを拝見。
確かに同じような写真が出ていましたが、
政治家さんの後援会だろうか。その関係者の名前しかない。
ならばと、その後援会事務所を検索したら、
ヒットはしたけれど連絡先は、これまた事務所の住所だけ。
それならと、手紙を出しました。
後援会事務所に遠方から、見ず知らずの、
しかも年齢不詳の女からの手紙ですから、どこぞの県知事じゃぁないけれど、
選挙の前だから、怪文書かワケあり女人からの恨み骨髄の告発文か!
なァーんて思われかねない。
とまあ、いらぬ心配をしつつ、待つこと一か月余。
ようやく、鷲宮神社の総代さんからメールが届きました。
やれやれと、ひとまず安堵。
上野田鷲宮神社の力石を別角度からアップ。
総代さん、鮮明な写真とともに、
丁寧な文面の以下のメッセージまで送ってくださったんです。
「この力石持ち上げの経緯ですが、
地元の力自慢の若者が、この力石を持ち上げたいと挑戦して、
神社総代の私が立ち合いしたものです」
地元の力自慢の若者!
思いがけない話に発展しそうな気配。期待が高まります。\(^o^)/
つづく
ーーーーー
斎藤氏から以下、寄せられました。
「上野田鷲宮神社の社号標は、中村不折の揮毫ではないかと思うのですが…」
これです。
中村不折は明治~昭和初年に活躍した洋画家・書家。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵や、森鴎外の墓碑銘を揮毫した人で、
俳人の正岡子規などとも親交があった。
総代さん、社号標の揮毫は果たして、中村不折の書でしょうか?
ーーー斎藤氏からーー
上野田鷲宮神社の社号標について、調査の結果、
「残念ながらここのは違いました」とのご連絡がありました。
後日、その調査結果などをお知らせします。
にほんブログ村
ーーー
今年2月のできごとです。
力石研究者の斎藤氏が、2月にしてはポカポカした陽気につられて、
埼玉県白岡市の鷲宮神社を訪れたときのこと。
境内に何やら掲示板が立っていたので、近づいてみると、
「令和の力持ち現る」の文字が…。
なんと、ここで力石を担いだという内容ではないですか。
埼玉県白岡市上野田・鷲宮神社
石を担いだのは昨年12月。
掲示板は雨に打たれて滲んでいましたが、
ここで石を担いだ人がいたなんて、これはもう興奮せずにはいられません。
担いだ力石はこれ(下の写真)です。
「〇(梵字)奉納 高祖大明神石
四十五貫目 武州埼玉郡太田庄岩付領上野田村施主
安永六年酉霜月六日 吉沢作右衛門 敬白」
江戸中期の1777年の奉納です。
この石が奉納されたのは、どんな時代だったかというと、
東京・富岡八幡神社に石を残し、七代目市川団十郎に唄われた
「中の字」こと中村弥兵衛や、
「石の平蔵」の異名をとった八丁堀・亀嶋平蔵が
活躍していたころです。
そしてこの石は、
岩付領三野宮村出身の三ノ宮卯之助が生まれる30年も前の石なんです。
79×38×32cm 四十五貫目は約168㎏
いったいどんな人が挑戦したんだろうと、もう知りたくてウズウズ。
でも、開催から2か月もたっているから、雨風に打たれてこれこの通り。
かろうじて、屈強な男たちが写っているのがわかりますが、
うーん、じれったい!
なんとしてでも突き止めねばと血が騒ぐ。
というわけで、
いつもの「突撃取材」を開始。
でも連絡先は、白岡市の上野田鷲宮神社しかわかりません。
そこで斎藤氏が見つけてくれたツイッターを拝見。
確かに同じような写真が出ていましたが、
政治家さんの後援会だろうか。その関係者の名前しかない。
ならばと、その後援会事務所を検索したら、
ヒットはしたけれど連絡先は、これまた事務所の住所だけ。
それならと、手紙を出しました。
後援会事務所に遠方から、見ず知らずの、
しかも年齢不詳の女からの手紙ですから、どこぞの県知事じゃぁないけれど、
選挙の前だから、怪文書かワケあり女人からの恨み骨髄の告発文か!
なァーんて思われかねない。
とまあ、いらぬ心配をしつつ、待つこと一か月余。
ようやく、鷲宮神社の総代さんからメールが届きました。
やれやれと、ひとまず安堵。
上野田鷲宮神社の力石を別角度からアップ。
総代さん、鮮明な写真とともに、
丁寧な文面の以下のメッセージまで送ってくださったんです。
「この力石持ち上げの経緯ですが、
地元の力自慢の若者が、この力石を持ち上げたいと挑戦して、
神社総代の私が立ち合いしたものです」
地元の力自慢の若者!
思いがけない話に発展しそうな気配。期待が高まります。\(^o^)/
つづく
ーーーーー
斎藤氏から以下、寄せられました。
「上野田鷲宮神社の社号標は、中村不折の揮毫ではないかと思うのですが…」
これです。
中村不折は明治~昭和初年に活躍した洋画家・書家。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵や、森鴎外の墓碑銘を揮毫した人で、
俳人の正岡子規などとも親交があった。
総代さん、社号標の揮毫は果たして、中村不折の書でしょうか?
ーーー斎藤氏からーー
上野田鷲宮神社の社号標について、調査の結果、
「残念ながらここのは違いました」とのご連絡がありました。
後日、その調査結果などをお知らせします。
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コメント
No title
こういうニュースはもっと新聞やテレビで取り上げて欲しいですね。
そして何か上手にお祭りに発展していけばいいなと思います。
各地に一か所くらい、お祭りがあれば文化が蘇りそうです。
2023-04-17 10:13 たいやき URL 編集
たいやきさんへ
最近では少しずつテレビなどで取り上げてくれますが、テレビ局の方もほとんどご存じない方が多く、また、石っころをただ担ぐぐらいにしか思われていないので、なかなかです。
姫路市の文化財になっている石上げがあります。これは神事のため部外者は担がせてもらえません。それで浪速の長州力さんがお願いして、岐阜の大江さんと担がせてもらったのですが、みんながいなくなった境内の隅でという条件でようやく叶いました。そこで大江さんが明治以来一人しか上げられなかった「上がらずの石」をあげたんです。それから別の神社でも次々と。
こういう祭りの隠れた魅力をマスコミでは追っていただきたかったのですが、どこも取材にきませんでした。以前、私は記者をしていて、他社が気づかないものを探しては記事にしていて、大マスコミによく真似されました。大きいところは目立つから、そこが見つけたと思われて悔しい思いをしました。(笑) 隠れた魅力の発掘は醍醐味があるのですが、今はみなさん、右へ倣えばかりなので…。
2023-04-17 13:00 雨宮清子(ちから姫) URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2023-04-18 22:05 編集