力の極限に挑む
力持ち大会
ストロングマン
こういうスポーツがあることを、私は全く知りませんでした。
つくづく、
やっぱり年を取りすぎたなぁとわが身を振り返りました。
白岡市の鷲宮神社の力石に挑戦した吉川実氏は、
「海外ではかなりメジャーなスポーツです」とおっしゃった。
その吉川氏、私からの質問にいろいろ答えてくださったのですが、
その中に「そばつぶ君とはインスタで知り合いです」とあって、びっくり。
※「そばつぶ君」=金沢市在住で、力石に挑戦している若者のこと。
うわぁー、思わぬつながりです。
吉川さんが「彼はやりこんでいますね」と評価したそばつぶさんに、
早速、メールすると、こんな返事が…。
「彼らはストロングマンと呼ばれる超人パワー集団の人なので、
私とは子供と大人くらいの力の差があります」
その吉川氏、(↓クリックしてね!)
「JAPAN STRONGEST UNITY」
所属のストロングマンで、
同会の関東支部を主宰し、ご自宅の道場で合同練習をされているとのこと。
JSU代表の中嶋健詞氏(前列中央左)と吉川実氏(同・右)
「JAPAN STRONGEST UNITY」HPよりお借りしました。
プロレスラーの稲村愛輝選手とのご縁は、
「この関東支部に参加している関係から、今回力石に一緒に参加してくれた」
そうです。
ビッグな3人とビッグなおやつ!
即席の聞きかじりですが、このストロングマンというのは、
人間が持つ力の極限へ挑戦するスポーツで、
ウエイトリフティングやパワーリフティングがバーベルのみ使うのに対して、
こちらはタイヤでもドラム缶でもなんでも使うそうです。
凄い世界があるもんですね。
大正から昭和初期に活躍した力石の力持ち・神田川徳蔵さんが知ったら、
きっと飛び入り参加をしたのではないかと思います。
徳蔵のことは拙ブログで詳しく紹介しましたが、改めて簡単に述べてみます。
本名・飯田徳蔵。旧姓「佐納」。茨城県那珂湊出身。明治24年生。
東京・秋葉原の神田川沿いにあった「神田川米穀市場」、
そこの荷上げ業「飯定組」の陸仲士だったころの徳蔵です(後列右端)。
のちに親分に見込まれて2代目を継ぎます。前列は養父。後列左は羽部重吉。
全員、ピカピカの皮のブーツを履いています。
日本政府が海外からバーベルを購入する13年も前に、
徳蔵はすでにバーベルを持っていました。
愛用の力石を足元に、当時「球棹」と呼ばれていたバーベルを持つ徳蔵。
当時の写真にはどれにも力石とバーベルと鉄アレイが写っています。
進取の気性、先見の明があったようで、当時は貴重品だったカメラも所持し、
たくさんの写真を残しています。
徳蔵は、世間から「ただ馬鹿力を出すだけのもの」と蔑まれ、
練習場も道具もなく困っていた若者たちのために、自費で道場を建てた。
この「力」について、私がお会いした力石経験者の誰もがこうおっしゃった。
「ただ馬鹿力を出しただけでは石は上がりません。
それだけに頼ると腰を痛め腹が裂けて、歯もガタガタになる。命を落とす」
そんなお一人、今は亡きMさんです。若いころ愛用した力石と。
「山仕事だったんで力がないと。それで暇さえあればこれで鍛えたんだ」
穏やかな優しい笑顔が、今も目に浮かびます。
その重量挙がようやく理解を得られたのは、戦後初の東京オリンピックで、
三宅選手が金メダルを獲得してからというのですから、
徳蔵が若者たちに道場を提供していた時代は、
どれだけ世間からの冷たい目にさらされていたことか。
ここで育ち、のちにウエイトリフティング協会理事長になった井口幸男は、
徳蔵さんは仕事帰りにそっと道場をのぞき、
「がんばれよ」と声を掛けてくれたと、著書に書いている。
そのころの徳蔵氏です。重量挙選手権大会をたびたび主催。
甥の飯田勝康は、戦後、両陛下の前で重量挙を披露し、
三宅選手を始め多くの選手を育てるなど、コーチとして活躍した。
徳蔵が建てた「神田川重量挙道場」での若木竹丸氏。
昭和7年(1932)、朝鮮中央研究所の徐相天より
「第2回朝鮮力道大会」に招待されて、この3人で参加。
左から徳蔵、若木、徳蔵の甥の飯田一郎。
徳蔵と若木たちの年齢差は20歳。
私が大好きな力持ち、徳蔵さん。
東京大空襲で焼け出され、「飯定組」時代、徳蔵の片腕だった
羽部重吉の家に身を寄せ、終戦を迎えた。
その翌年、
一人息子が戦地から生還。それを見届けた直後に急逝。享年55歳。
力石をバーベルに持ち替えて、
日本のウエイトリフティングの基礎を作った力持ち力士です。
今、力の極限に挑むストロングマンたちの活躍を、
空のどこかでニコニコしながら見守ってくれている、そんな気がします。
※徳蔵の写真はすべて、縁者の方からの提供です。
つづく
にほんブログ村
こういうスポーツがあることを、私は全く知りませんでした。
つくづく、
やっぱり年を取りすぎたなぁとわが身を振り返りました。
白岡市の鷲宮神社の力石に挑戦した吉川実氏は、
「海外ではかなりメジャーなスポーツです」とおっしゃった。
その吉川氏、私からの質問にいろいろ答えてくださったのですが、
その中に「そばつぶ君とはインスタで知り合いです」とあって、びっくり。
※「そばつぶ君」=金沢市在住で、力石に挑戦している若者のこと。
うわぁー、思わぬつながりです。
吉川さんが「彼はやりこんでいますね」と評価したそばつぶさんに、
早速、メールすると、こんな返事が…。
「彼らはストロングマンと呼ばれる超人パワー集団の人なので、
私とは子供と大人くらいの力の差があります」
その吉川氏、(↓クリックしてね!)
「JAPAN STRONGEST UNITY」
所属のストロングマンで、
同会の関東支部を主宰し、ご自宅の道場で合同練習をされているとのこと。
JSU代表の中嶋健詞氏(前列中央左)と吉川実氏(同・右)
「JAPAN STRONGEST UNITY」HPよりお借りしました。
プロレスラーの稲村愛輝選手とのご縁は、
「この関東支部に参加している関係から、今回力石に一緒に参加してくれた」
そうです。
ビッグな3人とビッグなおやつ!
即席の聞きかじりですが、このストロングマンというのは、
人間が持つ力の極限へ挑戦するスポーツで、
ウエイトリフティングやパワーリフティングがバーベルのみ使うのに対して、
こちらはタイヤでもドラム缶でもなんでも使うそうです。
凄い世界があるもんですね。
大正から昭和初期に活躍した力石の力持ち・神田川徳蔵さんが知ったら、
きっと飛び入り参加をしたのではないかと思います。
徳蔵のことは拙ブログで詳しく紹介しましたが、改めて簡単に述べてみます。
本名・飯田徳蔵。旧姓「佐納」。茨城県那珂湊出身。明治24年生。
東京・秋葉原の神田川沿いにあった「神田川米穀市場」、
そこの荷上げ業「飯定組」の陸仲士だったころの徳蔵です(後列右端)。
のちに親分に見込まれて2代目を継ぎます。前列は養父。後列左は羽部重吉。
全員、ピカピカの皮のブーツを履いています。
日本政府が海外からバーベルを購入する13年も前に、
徳蔵はすでにバーベルを持っていました。
愛用の力石を足元に、当時「球棹」と呼ばれていたバーベルを持つ徳蔵。
当時の写真にはどれにも力石とバーベルと鉄アレイが写っています。
進取の気性、先見の明があったようで、当時は貴重品だったカメラも所持し、
たくさんの写真を残しています。
徳蔵は、世間から「ただ馬鹿力を出すだけのもの」と蔑まれ、
練習場も道具もなく困っていた若者たちのために、自費で道場を建てた。
この「力」について、私がお会いした力石経験者の誰もがこうおっしゃった。
「ただ馬鹿力を出しただけでは石は上がりません。
それだけに頼ると腰を痛め腹が裂けて、歯もガタガタになる。命を落とす」
そんなお一人、今は亡きMさんです。若いころ愛用した力石と。
「山仕事だったんで力がないと。それで暇さえあればこれで鍛えたんだ」
穏やかな優しい笑顔が、今も目に浮かびます。
その重量挙がようやく理解を得られたのは、戦後初の東京オリンピックで、
三宅選手が金メダルを獲得してからというのですから、
徳蔵が若者たちに道場を提供していた時代は、
どれだけ世間からの冷たい目にさらされていたことか。
ここで育ち、のちにウエイトリフティング協会理事長になった井口幸男は、
徳蔵さんは仕事帰りにそっと道場をのぞき、
「がんばれよ」と声を掛けてくれたと、著書に書いている。
そのころの徳蔵氏です。重量挙選手権大会をたびたび主催。
甥の飯田勝康は、戦後、両陛下の前で重量挙を披露し、
三宅選手を始め多くの選手を育てるなど、コーチとして活躍した。
徳蔵が建てた「神田川重量挙道場」での若木竹丸氏。
昭和7年(1932)、朝鮮中央研究所の徐相天より
「第2回朝鮮力道大会」に招待されて、この3人で参加。
左から徳蔵、若木、徳蔵の甥の飯田一郎。
徳蔵と若木たちの年齢差は20歳。
私が大好きな力持ち、徳蔵さん。
東京大空襲で焼け出され、「飯定組」時代、徳蔵の片腕だった
羽部重吉の家に身を寄せ、終戦を迎えた。
その翌年、
一人息子が戦地から生還。それを見届けた直後に急逝。享年55歳。
力石をバーベルに持ち替えて、
日本のウエイトリフティングの基礎を作った力持ち力士です。
今、力の極限に挑むストロングマンたちの活躍を、
空のどこかでニコニコしながら見守ってくれている、そんな気がします。
※徳蔵の写真はすべて、縁者の方からの提供です。
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コメント
こんにちは。
皆さん、いい男!
相当もてたでしょうね(^^♪
2023-04-23 16:35 one0522 URL 編集
one0522さんへ
一本、筋が通っているというか、信念を持っている顔というか、
私もいい顔しているなぁと思います。もてたかどうかはわかりませんが。(笑)
若木竹丸は力に関係する方々にとって今でも「力の神さま」のようです。
2023-04-23 20:05 雨宮清子(ちから姫) URL 編集