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力の極限に挑む

力持ち大会
04 /23 2023
ストロングマン

こういうスポーツがあることを、私は全く知りませんでした。
つくづく、
やっぱり年を取りすぎたなぁとわが身を振り返りました。

白岡市の鷲宮神社の力石に挑戦した吉川実氏は、
「海外ではかなりメジャーなスポーツです」とおっしゃった。

その吉川氏、私からの質問にいろいろ答えてくださったのですが、
その中に「そばつぶ君とはインスタで知り合いです」とあって、びっくり。


「そばつぶ君」=金沢市在住で、力石に挑戦している若者のこと。

うわぁー、思わぬつながりです。

吉川さんが「彼はやりこんでいますね」と評価したそばつぶさんに、
早速、メールすると、こんな返事が…。

「彼らはストロングマンと呼ばれる超人パワー集団の人なので、
私とは子供と大人くらいの力の差があります」


その吉川氏、(↓クリックしてね!)
「JAPAN STRONGEST UNITY」
所属のストロングマンで、
同会の関東支部を主宰し、ご自宅の道場で合同練習をされているとのこと。


JSU代表の中嶋健詞氏(前列中央左)と吉川実氏(同・右)
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「JAPAN STRONGEST UNITY」HPよりお借りしました。

プロレスラーの稲村愛輝選手とのご縁は、
「この関東支部に参加している関係から、今回力石に一緒に参加してくれた」
そうです。


ビッグな3人とビッグなおやつ!


即席の聞きかじりですが、このストロングマンというのは、
人間が持つ力の極限へ挑戦するスポーツで、

ウエイトリフティングやパワーリフティングがバーベルのみ使うのに対して、
こちらはタイヤでもドラム缶でもなんでも使うそうです。


凄い世界があるもんですね。

大正から昭和初期に活躍した力石の力持ち・神田川徳蔵さんが知ったら、
きっと飛び入り参加をしたのではないかと思います。


徳蔵のことは拙ブログで詳しく紹介しましたが、改めて簡単に述べてみます。
本名・飯田徳蔵。旧姓「佐納」。茨城県那珂湊出身。明治24年生。

東京・秋葉原の神田川沿いにあった「神田川米穀市場」、
そこの荷上げ業「飯定組」の陸仲士だったころの徳蔵です(後列右端)。
のちに親分に見込まれて2代目を継ぎます。前列は養父。後列左は羽部重吉。
全員、ピカピカの皮のブーツを履いています。
より神田川徳蔵孫

日本政府が海外からバーベルを購入する13年も前に、
徳蔵はすでにバーベルを持っていました。


愛用の力石を足元に、当時「球棹」と呼ばれていたバーベルを持つ徳蔵。
当時の写真にはどれにも力石とバーベルと鉄アレイが写っています。
進取の気性、先見の明があったようで、当時は貴重品だったカメラも所持し、
たくさんの写真を残しています。
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徳蔵は、世間から「ただ馬鹿力を出すだけのもの」と蔑まれ、
練習場も道具もなく困っていた若者たちのために、自費で道場を建てた。


この「力」について、私がお会いした力石経験者の誰もがこうおっしゃった。

「ただ馬鹿力を出しただけでは石は上がりません。
それだけに頼ると腰を痛め腹が裂けて、歯もガタガタになる。命を落とす」

そんなお一人、今は亡きMさんです。若いころ愛用した力石と。
「山仕事だったんで力がないと。それで暇さえあればこれで鍛えたんだ」
穏やかな優しい笑顔が、今も目に浮かびます。
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その重量挙がようやく理解を得られたのは、戦後初の東京オリンピックで、
三宅選手が金メダルを獲得してからというのですから、

徳蔵が若者たちに道場を提供していた時代は、
どれだけ世間からの冷たい目にさらされていたことか。


ここで育ち、のちにウエイトリフティング協会理事長になった井口幸男は、
徳蔵さんは仕事帰りにそっと道場をのぞき、
「がんばれよ」と声を掛けてくれたと、著書に書いている。

そのころの徳蔵氏です。重量挙選手権大会をたびたび主催。
甥の飯田勝康は、戦後、両陛下の前で重量挙を披露し、
三宅選手を始め多くの選手を育てるなど、コーチとして活躍した。


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徳蔵が建てた「神田川重量挙道場」での若木竹丸氏。

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昭和7年(1932)、朝鮮中央研究所の徐相天より
「第2回朝鮮力道大会」に招待されて、この3人で参加。
左から徳蔵、若木、徳蔵の甥の飯田一郎

徳蔵と若木たちの年齢差は20歳。

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私が大好きな力持ち、徳蔵さん。

東京大空襲で焼け出され、「飯定組」時代、徳蔵の片腕だった
羽部重吉の家に身を寄せ、終戦を迎えた。

その翌年、
一人息子が戦地から生還。それを見届けた直後に急逝。享年55歳。

力石をバーベルに持ち替えて、
日本のウエイトリフティングの基礎を作った力持ち力士です。


今、力の極限に挑むストロングマンたちの活躍を、
空のどこかでニコニコしながら見守ってくれている、そんな気がします。


※徳蔵の写真はすべて、縁者の方からの提供です。

つづく

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コメント

非公開コメント

こんにちは。

若木さん、徳蔵さん。

皆さん、いい男!

相当もてたでしょうね(^^♪

one0522さんへ

男性から見ても「いい男」に見えるって、やっぱり本物ですね。
一本、筋が通っているというか、信念を持っている顔というか、
私もいい顔しているなぁと思います。もてたかどうかはわかりませんが。(笑)
若木竹丸は力に関係する方々にとって今でも「力の神さま」のようです。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞