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はてなキーワード: 忌み名とは

2024-07-22

キッズドア

b:id:straychef もう6日もまともなものを食べてない 大人も守ってくれ 固形物ほぼなし もやし豆腐なんてあったら最高じゃないの

b:id:ginga0118 中抜き割合が知りたい

b:id:businessart 8000円分(自称企業節税寄付から原価はほぼタダ)の食料送るのにいくら人件費を使ってるか調べてみ?ひどいぞ。

b:id:corydalis 典型的貧困ビジネスなのに、暇空あげつらってポリコレ棒振りかざすブ※多数wwwエアコンがあるのに貧困とかちょっと意味不明www経済的貧困子供を持つどころか結婚すらできない若者、こんなのに吸われて気の毒

b:id:gohantaberu こういうとこに金をまわすぐらいなら、減税してくれ。NPO法人で働く人も年収1000万円越えていいとほざいてる、NPO代表いるからな

b:id:kiwamaru100 これYouTubeCMでも見た。情に訴える完成度の高い動画を作り込んでいて、寄付してもちゃんと使ってくれるのかなーとつい穿った見方をしてしまう。

b:id:kiki-maru 寄付だしやりたい人が好きにやればでしかないんだけど、内容については疑問ではあるでしょ。寄付で集めた商品8000円で送付するも微妙だし、送付はおまけで本丸は余った金を本来支援活動に使うならそう書くべきだ

b:id:nomans 暇空関係なくヤバいとこだと思う、ここ。お仲間の給料高すぎる。

b:id:yujimi-daifuku-2222 その人達が実際は寄附してないなら悪質なイタズラと言えるけれど、故安倍氏の名が忌み名となっているのはかなり煮詰まってしまった特殊な界隈だと思いますよ。

2023-04-26

anond:20230426105449

バグってるのは、登記システム

というか、契約というシステム全般

AさんとBさんが契約をする。

Aさんというのは、名前がAで住所がaa人間定義

Bさんというのは、名前がBで住所がbb人間定義

Aさんが名前がAで住所がaa人間という保証は、身分証明書免許証で、身分証明書の発行には住民票住民票顔写真指紋登録しないし、住所は自己申告。

嘘の住所で住民登録できるし、それをもって住民票の写しを発行できる。

その写しを誰かに渡せば、違う顔写真免許証を作れる。

免許証身分証明書として、あらゆる手続きができる。

立ち戻って、不動産登記の話。

不動産の所有者の名前と住所を登録することが必要

なぜなら、誰の所有かというのは、「誰」を定義しないとならず、「誰」は名前と住所に基づいてる。

買う時は旧住所でいいが、その不動産を売る時は、売る人間の住所が登記簿の住所と異なってると売れない。なので、登記簿を更新する手続き必要になる。

ウン万円。かかる。

「誰」を特定するシステム全てに個人番号を導入すれば全ては解決なのだけど、気軽に使えるのではないので、あらゆるところで住所書け住所書け住所書けということになってる。

もちろん、行政の内部的には、個人に紐づいた住民基本台帳番号が主キーで動いてるはずなんだが、それ以前はガチ名前と住所で動いてたという怖い話

法律明治時代のままアップデートが遅れてる。

あらゆるところに住所と名前を書けという一方て、名前と住所で個人特定できてしまうから絶対に人に漏らしてはいけないという。

メールアドレスSNSアカウントのほうがよっぽど個人特定できるんだが、そっちはたいして保護しない。

本名忌み名として絶対他人に教えてはいけないかとにして、あざなで呼び合う原点回帰するんじゃないか

クソが。

2022-11-03

anond:20221103104331

まず第一に女のロリコンもいる

女は腕力で年少者を性的暴行しないからちがう という話だとしてもそれはロリコンとは関係ない話

まりロリコンと 対象者威力で圧倒するというのは 関係がない

この事もふまえて ロリコンは結果であって原因ではない

ロリコンから~ という事は結果から逆算して原因に至る経路なので つきつめればより限定的特定の固有例にむかう

小説なんかだと面白いだろう手段だけど 人との話にするということは最終的に突き詰めた固有例を犯人などのオチにむかわせるのではなく

対話者のだれかにむけるためだとうということになるので おもしろい話ではない

ロリコンという結果を出力する傾向に多く含まれる またはどういった因子がロリコン関係性の高いことになるかという事についてはなにかしら言及できるだろうけど

傾向(原因)と傾向(結果)をかけた話なので特になんの意義ももたない話になる

ロリコン腕力のある知能の低い男性に限った話とするならそれは 腕力があって知能の低い男性に ロリコンが含まれるという話で ロリコンという呼称をそういう人間属性にあてはめるものではない

仮にそれを前提として話をしているのなら 生贄に忌み名をあたえて葬ることで問題のある事象を閉じ込めようとする ロリコンの話でいえば自分がその範疇から外したいなにかのために だれかにおっかぶせようとしているようなことだろう

多く性的に異常な行動をとることに欲求の高まりがある人間について それを対象が幼少な人間で という絞り込みの結果がロリコンの一端になるけれど

暴力や異常性のない場合もあるだろうし その対象性別や年齢にも層があるだろうし どの問題についてどれを考察に なんらかの問題抑制策を考えたい などであれば

ロリコンなんて一端をかいつまんで逆算的に1個人をわりあてようなんていうことは まったく逆効果だろう

2021-12-13

ところで曹操って曹家の操さんってことだと思うんだけど、孟徳ってなんやろと思って調べてみたんだけど

 

中国名前って

姓:日本と同じ、苗字

諱(いみな):日本語で言う名前のこと

字(あざな):なんか成人したらもらえる名前らしい

の三つに分かれてて

曹操さんだと

曹が姓

操が諱

孟徳が字

になるらしい。

基本的に字をもらうと諱はあんまり使われなくなるらしい

呼んでいいのは親兄弟めっちゃ目上の人だけ

基本使ったらあかんらしいね

から日本に来た時点で忌み名って当て字になったとか

ちゃんとした三国志系では仲間内では曹操だいたい「孟徳」って呼ばれてるし

桃園三姉妹も「玄徳」「翼徳」「雲長」って呼びあってる

2021-07-24

18歳まで親の名の読み方を知らなった

90年代前半、自分が18歳の時に区役所住民票戸籍謄本を取りに行った際に父親名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」

父の名前音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺振り仮名音読みだった。

しか本名訓読みだったのである

更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名別にあったのである

更に自分苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校学生証も卒業証書銀行口座当用漢字で、それで通っていた。

 

何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。

その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字伝統から外された風俗も伝授されない。

 

中華文明日本人名の扱い

日本中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。

昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である

この風習日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達本名絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである

武士場合朝廷官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門変則的で黄門は中国での中納言の事である漢籍知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。

歴史学校で教える際にこの辺を省いているのはマズイと思う。

外国報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である

明治廃止されたが…

明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である

…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。

有職読み

有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である特に名前での使用が顕著であった。

例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。

一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかいからだ。

から歴史伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。

例えばこの質問で貼られている選挙ポスターを見て欲しい。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343

イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。

戦前新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイである

戦後

戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後まれ団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。

しか保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人戦後神社右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。

 

こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。

銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。

だが当時日本ストックの急拡大により急激に国際的地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類必要になった。口座の文字本名の字と一致させる必要がある。

更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。

こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。

 

から私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである

そして私を叱った区役所役人自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的風習認識できないというのは寓話的だ。

 

こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前本名が違うのだろう。

 

現代っ子自分時代常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。

キラキラネームも昔なら問題にならなかった

親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。

そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかし名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカである

でも通名別につける方法が残されているか問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。

更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。

なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習しかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というもの伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統問題解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。

 

最後に、あの区役所おっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本伝統について知ることが出来たぜ。

2021-07-13

anond:20210713111014

昔の日本中国本名は諱(いみな、忌み名)って言って伏せとくのがデフォだったんだぜ

2019-07-04

平安貴族女性名前について補足

まず単純に、名前の二文字目が「子」で固定されると、必然的に読みは三音になりやすい。

男性名だって、「○太」とか「○斗」といった形式だとだいたい三音で、二音や四音は少ないもんな。

このあたりは音韻問題もあるのかもしれん。

これは若干の異論がある。

どうも平安時代には、今では考えられない読み方をしていた例が色々あったらしい。

たとえば、藤原良房皇族以外で初の摂政になったことで有名)の娘で文徳天皇の后、清和天皇の母だった藤原明子という女性は『あきらけいこ』と読み、

関白藤原基経の妹で清和天皇の后、陽成天皇の母だった藤原高子という女性は『たかいこ』と読んだ。(四音の女性名になるね)

そして、地位の高い人の諱はあまり呼ばれない。これは今でもそうで、会社上司に対しては一般には名字役職で呼ぶ。

昔も同じで、諱(そもそも忌み名である)は呼ばれずに地位の高い女性本名ではなく通称で呼ばれることが多かった。清少納言紫式部通称だ。

結果、女性名前は記録にすら残っていなかったり ─蜻蛉日記の作者である藤原道綱母などはその典型だ─ 名前は伝わっていても、読みが分からなかったりする。

彰子、妍子、威子、嬉子(いずれも藤原道長の娘)などが典型で、名前漢字は分かっているが読み方が分からないのでとりあえず音読みで呼んでいる(これを有職読みという)。

上記あきらけいこさんやたかいこさんはたまたま仮名で書いてあった記録があって分かったわけだが…

anond:20190704134948

2019-01-11

新元号に「安」が入るべきでない理由

左翼の難癖のように思っている人も多いようなので

偏諱授与」からその問題性の解説を試みてみる。

まず「諱(いみな)」について。

諱とはざっくり言って本名のことである

織田信長で言えば「信長」が諱である

諱は「忌み名」に通ずると言われ、おいそれと呼んでいいものではない。

から織田信長には「上総介」という通称仮名)があり、

家臣や他の大名たちは「上総介様」「上総介殿」などと呼ぶわけである

ちなみに、これは実際に「上総介」という官職に任官されたわけではなく、官職風の呼び名にすぎない。

後に「右府様」「織田右府」などとも呼ばれているが、こちらは正式右大臣に任官されたから。ややこしいね

次は「避諱」について。

もともと中国に「避諱」という慣習があった。

これは偉い人の諱を使うことを避けるというもの

たとえば唐の二代目皇帝李世民の諱「世民」を避けるため、

その部下だった「李世勣」という武将が「李勣」に改名したり、

「民部」と呼ばれていた官庁が「戸部」に変更されたりしている。

一説には「観世音菩薩」が「観音菩薩」と呼ばれるのも「世民」の避諱だとか。

一方で、日本では「避諱」の習慣はあまり定着しなかった。

古代の「大伴」氏が淳和天皇の諱「大伴」を憚って「伴」氏に改姓したことや、

国家安康」で有名な方広寺鐘銘事件などは日本での「避諱」の一例と言えるが、

それよりも日本で広く行われたのは「偏諱授与」の慣習だった。

これは「そんなにも大切な諱を可愛い家臣にあげちゃうよ」というもの

たとえば松平信康長宗我部信親らの「信」や、

浅井長政黒田長政らの「長」は、

織田信長から偏諱と言われている(家臣だけでなく同盟国の嫡子かにも与えている)。

文字ある諱のうちの一文字だけを与えるので「偏諱授与」、あるいは「一字拝領」という。

ちなみに、偏諱でもらった字は、名前の上のほうに置くのが基本である

もっとわかりやすい例が伊達政宗さんところの家で、

政宗自身一族中興の祖の名前をもらったものだが、

その父親の「輝宗」は室町幕府第13代将軍・足利義輝の「輝」、

その父親の「晴宗」は室町幕府12代将軍・足利義晴の「晴」、

その父親の「稙宗」は室町幕府10代将軍・足利義稙の「稙」、

その父親の「尚宗」は室町幕府第9代将軍・足利義尚の「尚」…

と代々の将軍から偏諱をもらっており、

それだけ幕府との結びつきが強いということを示している。

さらに言うと、天皇から臣下への偏諱授与は極めて少ない。

後醍醐天皇の諱「尊治」から「尊」を授与されて足利高氏足利尊氏改名したくらいである。

さて、ようやく今回の新元号についてなのだが、

現在日本は「一世一元の制」ということで、

一人の天皇につき一つの元号しか制定されず、

その元号天皇の「諡号(死後に贈られる尊称)」になることが決まっている。

この諡号というのも、そもそも皇帝天皇を諱で呼ばないためのものだったりする。

そして、この元号を決定するのは内閣なので、

いわば天皇名前内閣首長である総理大臣が決めているに等しい。

まり新元号に「安」や「晋」の字が入った場合

偏諱授与ときわめて似通った構図になるのだ。

たか総理大臣が新しい天皇陛下に偏諱を与える」。

これは左翼よりもむしろ右翼問題視する事態だろう。

もちろん安倍晋三の諱は「晋三」なので、

名字である「安」はまだマシなのだが、

それでも安倍首相真の愛国者、真の勤王家であるなら、

自分名前が含まれるような元号は避けるのが当然だと思われる。

以上、長くなっちゃったけど、新元号に「安」が含まれることを危惧するのは、別にギャグでも難癖でもないよという話でした。

いや、まさか含めるわけがないじゃないか、本気で心配するなんて馬鹿馬鹿しいよ、という意味ではギャグだけどね。

2018-02-07

anond:20180207182352

こういうのって名を名乗ることの重みが陳腐化してしまう一因なんだよね

みんなが忌み名を使ってSNSし始めると発言責任感が薄れていく気がしてならない

2017-06-05

鎌倉戦国時代に燦然と輝く北条家は、日本史教科書では分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

日本史教科書いくら見ても本当のところは理解できないんですよ。

なぜ北条家が坂東武士の頂点に立ち、鎌倉幕府頼朝が作ったにも関わらず、北条がその後の支配権を握り続けたのか。そして戦国時代に「後北条家」が、北条家と特に関係がないのに成立し、関東盟主足り得たか源氏とは、北条とは何か。

北条は、坂東平氏の家柄である坂東平氏とは、桓武天皇の血を引く、関東にやってきた平氏総称であり、その五世である平将門新皇自称して、朝廷に対して関東支配権を主張して反乱を起こし、敗れた後に祟りを起こして神となったことで、関東に決定的な影響力を及ぼすようになった。

平将門は神である。そこを間違えてはいけない。平将門怨念とされるものは畏敬の対象として、現代人に対しても深く印象づけられているが、関東ではほぼすべての神社平将門を祀っていたほどに力があった。坂東武士たちにとっては、平将門は実際に神であり、朝廷反旗を翻し関東独立した政権を、坂東平氏が頂点となって打ち立てることは坂東武士の念願であった。平忠常というそのへんの平氏関東で反乱を起こしただけで一大ムーブメントになってしまうぐらい、平氏関東支配朝廷から独立するという夢は坂東武士の間に広がっていた。元記事に書かれている関東の有力豪族千葉氏上総氏は、平忠常の子孫とされている。

そこにやってきたのが源頼朝である源頼朝清和源氏事実上嫡流である清和源氏桓武平氏といった用語を知らない人のために説明すると、天皇家は偉いわけだが、子孫がいつまでも皇族だと皇族が際限なく増えてしまい、現代で言う宮内庁予算が際限なく増えてしまうので、どこかで平民になってもらわなければならない。平民になる時に、皇族には名字がないので、名字を与える必要がある。その時に、源、平の名字が与えられた。天皇の血を引くスゴイ人たち、という意味が源、平という姓には込められている。清和源氏清和天皇の子孫で源姓を名乗った人たち、桓武平氏桓武天皇の子孫で平姓を名乗った人たちである

たとえば足利も、徳川も、本姓は源である。源尊氏源家康が本名だ。なぜ足利とか徳川というかと言えば、源が増えすぎて区別必要が出てきたというのもあるが、源というスゴイ名字を出すのは気が引けたから、という要素が大きいように思う。本当の名字は避け、住んでる所を名字にする、といったことをして、木曽義仲とか、足利尊氏とか、あるいは自分でっち上げ徳川という名字を使った家康のような人もいる。これを説明するには、武士にとって本名いかに大切であったか述べなければならないが、面倒だ。武士の下の名前は諱(忌み名、呼んではいけない名前)とされていたということを考えれば、上の名前もそれなりに大事だということはわかると思う。(そして信長様~とか秀吉様~とか言っている時代劇が全部嘘っぱちだということも分かるだろう)

平忠常の乱を平定しようとした、桓武平氏嫡流平直方は、乱の平定に失敗するが、清和源氏事実上嫡流である源頼義を婿に迎え、領地であった鎌倉を譲り渡す。この時、鎌倉坂東源氏拠点であると同時に、平氏源氏嫡流が交わった聖地という意味が生じた。そこから八幡太郎義家が生まれ源氏の声望が高まり、その嫡流である頼朝権威づけていく。

ここまでくれば、坂東平氏である北条家が頼朝を婿にとり鎌倉本拠地に据えた意味が分かるだろう。平家源氏が交わり、鎌倉拠点とするというのは故実に則った神聖儀式なのだ。ちなみに、北条家が坂東平氏の由緒正しい血筋だというのはおそらく自称であり、フィクションである。だが坂東武士は将門の祟りの方が怖いので、血筋の細かい所は気にしないのだ。

鎌倉に作られた幕府は初めから天皇を中心とする朝廷対立関係にあり、承久の乱勝利することで朝廷の上位に立ち、皇位継承操作するまでになった。それはなぜかといえば、平将門朝廷から独立志向していたかである平将門怨念が実際に実を結んだのが鎌倉幕府である頼朝の下で働いた北条梶原三浦和田千葉熊谷などは、みな坂東平氏である。そして役割を終えた源氏はどこかに消えて、坂東平氏北条家による支配が行われた。

そして戦国時代、後北条家の話になるが、後北条家は伊勢新九郎盛時、北条早雲によって立ち上げられる。伊勢氏室町幕府政所執事の家柄で、ものすごく偉い。ちなみに桓武平氏である

室町幕府というのは北条家に牛耳られた鎌倉幕府を倒して出来た政権である鎌倉幕府内の源氏で最高の血筋だった足利鎌倉幕府を倒し、北条家はほぼ滅亡してしまう。そして源氏である足利京都朝廷とベッタリの幕府を作った。平氏による独立志向関東幕府から180度の転換である

史実ではものすごく偉かった伊勢新九郎盛時であるが、実家室町幕府の偉い家柄で、関東を牛耳りに来たというのは、いかにも坂東武士には都合が悪い。仕方ないので、先祖を辿れば同じ坂東平氏という縁にあやかって、北条の名を名乗ることにした。ちなみに名乗ったのは息子の氏綱の代である。そこで、おそらく後北条家のプロパガンダによって、歴史改変が行われ、謎の素浪人北条早雲が、下克上嚆矢となり関東に覇を唱えたという、我々のよく知るストーリーが現れる。よく調べると、全てデタラメである

これにより、なぜ後北条家が秀吉と争い、滅亡への道を歩んだかも分かるだろう。秀吉関白天皇代理である天皇と対抗する存在である坂東武士にとって、秀吉に降ることは、平将門祟りを招きかねない決断であった。そのため、天下の趨勢が決しても、徳川伊達の援軍が得られなくても、単身で秀吉と抗い、滅びたのである。それだけ将門の祟りへの畏れや、坂東武士の誇り、天皇家という存在に対する対抗心が強かったのだ。

平将門武士の始まりであり、武士スピリット体現する存在である武士は武装し土地を守り、権力に抵抗する存在であると同時に、一族で争い、殺し合う存在である。その構図は徳川家康武士を飼いならすことでご破産になり、そこにあった本質は見えにくくなってしまっているが、武士を知りたければまず平将門を見て欲しい。

2016-03-15

オススメエントリを進めるOutbrainのエンジン全く忌み名してない

恐ろしや、恐ろしや。目をスルーしていくとは恐ろしや。

2015-08-10

なんで遠い異国で日本人でもない奴がJAPと呼ばれたことが日本人差別になるんだよ

馬鹿ネットにあふれたことで文化的衰退が起こり、忌み名が復活してしまったのか

 
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