2014.06.27 (Fri)
匍匐前進する安倍首相に援護射撃を
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韓国の慰安婦問題のスクープから、河野談話の検証への流れを作った産経新聞。
その産経新聞の熱血記者阿比留瑠比氏が中心となって連載された歴史戦第3部「慰安婦 韓国との対話」が今日終わった。
韓国に対しては「無意味な配慮よりも論争」が必要だと説く。
河野談話はまさしく「無意味な配慮」であった。
それが喉に刺さった棘のように日本を痛みつけている。
その棘を私たちの世代で取り除かなければ、次の世代へと痛みは継承されていく。
阿比留瑠比記者の次の小文は敗戦国日本がいまだに戦勝国の支配下にあることを如実に示している。
ただ多くの国民はその事に気付いていない。
韓国と中国が日本に歴史認識を錦の御旗として振りかざして圧力を掛けて来ることはある意味幸いである。
日々の生活に汲々としている普通の日本人が戦争に負けるということの意味と、いまだにそれを克服していないという事実に気付くきっかけになるからである。
中韓の反日行動は日本人の眼を醒まさせてくれる。
同盟国のアメリカすらも戦勝国として安倍首相に圧力を掛けているのである。
「戦争に負けるとは、自らの歴史を奪われ、他国の歴史を押し付けられることだ」という阿比留氏の言葉が歴史戦争の全てを物語っている。
長谷川三千子埼玉大学名誉教授も「次の戦争で勝たなければ歴史は変えられない」という意味の事を著書「正義の喪失 反時代的考察」で言っている。
だから戦争を再び始めよという訳では勿論なく、それだけの心構えが必要だと説いている。
安倍首相の「歴史問題は匍匐(ほふく)前進で行くしかない」と周辺に語ったと言う言葉も印象に残る。
立ち上がって「戦後レジームからの脱却」に向かって突撃すれば、敵(戦勝国と、戦勝国ですらない中韓)の銃弾に仆れるだけである。
戦勝国のアメリカからの銃弾にも仆れるであろう。
集団的自衛権をめぐる公明党とのやりとりも歯がゆい思いはあるが、安倍首相は匍匐前進しているのだと思う。
今回の件で公明党が日本の政治にとって如何にお荷物であるかが明らかになったのは良かった。
産経新聞(2014/6/24)
「敗戦国」の枠組みにこもりたがる国内メディア
東京・九段北の靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインド代表のパール判事の顕彰碑がある。そこには、パール判決文(意見書)を引用した次の有名な言葉が碑文として刻まれている。
「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡(へいこう)に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう」
戦後、すでに70年近くがたった。本来ならば熱狂と偏見の時代はとっくに過ぎ去り、先の大戦をめぐるさまざまな経緯は、もう「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)」となっていいはずだ。
そうであれば、日本のこれまでの平和の歩みはもっと正当に評価されていただろう。集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しも、理性的で落ち着いた雰囲気の中で議論されていたのは間違いない。
ところが現実は違う。中国や韓国は歴史問題を既得権益のように振りかざし、謝罪と反省を強要し続けている。「戦勝国」として優位な立場を維持したい一部の欧米諸国も、それに安易に同調する傾向がある。
戦勝国や、日本の敗戦で利益を受けた国々は、彼らの歴史観に沿った河野談話や村山談話の順守を求め、それに疑問をはさむことも許さない。日本が歴史問題のささやかな検証を試みると、「危険な歴史修正主義者」のレッテルを貼って非難してくる。
戦争に負けるとは、自らの歴史を奪われ、他国の歴史を押し付けられることだ。日々のニュースを追いかけつつ、今さらのようにそう痛感させられている。
「歴史は、ほとんど戦争に勝った側が書いている。負けた人からは『公平ではない』と思えるかもしれないが、勝者が書いた歴史が受け入れられている。そのことを日本人は受け入れないといけない」
平成18年2月、インタビューで栗山尚一元駐米大使がこう語るのを聞いたときには、「いつまで日本は頭を下げ続ければいいのか」と少々反発も覚えた。とはいえ、これは一面の真実ではあるだろう。
「戦後の世界秩序」と美名で言い換えようとどうしようと、「戦勝国と敗戦国の枠組み」が今も強固に世界を支配しているのは否定できない。
ただ、いかに戦後の枠組みが堅牢(けんろう)だろうと、日本はそれに甘んじるのではなく、少しずつでも突き崩していく努力をしていくべきだと思う。作家の江藤淳氏が、月刊誌「文芸春秋」(9年6月号)で問いかけた次の言葉に深く共感する。
「敗戦国とその国民を、蔑視し、差別し、その心を不当に傷つける『正義』を、勝者はどこから得たのでしょうか?」
パール判事もまた、判決文にこう記している。
「戦勝国は、敗戦国に対して、憐憫(れんびん)から復讐(ふくしゅう)まで、どんなものでも施し得る立場にある。しかし、戦勝国が敗戦国に与えることのできない一つのものは正義である」
安倍晋三首相が周囲に「歴史問題は匍匐(ほふく)前進で行くしかない」と語るように、この問題は長期戦を覚悟する必要があろう。
問題はむしろ、自ら敗戦国の枠組みに閉じこもりたがる国内メディアにあるのかもしれない。A級戦犯容疑者とされた岸信介元首相は昭和21年11月、パール判事の判決文を日本タイムスの記事で知り、同紙以外が一部しかこの事実を報じなかったことについて「獄中日記」にこう記した。
「之は各新聞社の卑屈か非国民的意図に出づるものである。之等の腰抜け共は宜しくパール判事の前に愧死(きし)すべきである」
後世の歴史家に腰抜けと呼ばれたり、恥ずかしさのあまり死んだりすることのないよう、肝に銘じたい。(政治部編集委員・阿比留瑠比)
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韓国の慰安婦問題のスクープから、河野談話の検証への流れを作った産経新聞。
その産経新聞の熱血記者阿比留瑠比氏が中心となって連載された歴史戦第3部「慰安婦 韓国との対話」が今日終わった。
韓国に対しては「無意味な配慮よりも論争」が必要だと説く。
河野談話はまさしく「無意味な配慮」であった。
それが喉に刺さった棘のように日本を痛みつけている。
その棘を私たちの世代で取り除かなければ、次の世代へと痛みは継承されていく。
阿比留瑠比記者の次の小文は敗戦国日本がいまだに戦勝国の支配下にあることを如実に示している。
ただ多くの国民はその事に気付いていない。
韓国と中国が日本に歴史認識を錦の御旗として振りかざして圧力を掛けて来ることはある意味幸いである。
日々の生活に汲々としている普通の日本人が戦争に負けるということの意味と、いまだにそれを克服していないという事実に気付くきっかけになるからである。
中韓の反日行動は日本人の眼を醒まさせてくれる。
同盟国のアメリカすらも戦勝国として安倍首相に圧力を掛けているのである。
「戦争に負けるとは、自らの歴史を奪われ、他国の歴史を押し付けられることだ」という阿比留氏の言葉が歴史戦争の全てを物語っている。
長谷川三千子埼玉大学名誉教授も「次の戦争で勝たなければ歴史は変えられない」という意味の事を著書「正義の喪失 反時代的考察」で言っている。
だから戦争を再び始めよという訳では勿論なく、それだけの心構えが必要だと説いている。
安倍首相の「歴史問題は匍匐(ほふく)前進で行くしかない」と周辺に語ったと言う言葉も印象に残る。
立ち上がって「戦後レジームからの脱却」に向かって突撃すれば、敵(戦勝国と、戦勝国ですらない中韓)の銃弾に仆れるだけである。
戦勝国のアメリカからの銃弾にも仆れるであろう。
集団的自衛権をめぐる公明党とのやりとりも歯がゆい思いはあるが、安倍首相は匍匐前進しているのだと思う。
今回の件で公明党が日本の政治にとって如何にお荷物であるかが明らかになったのは良かった。
産経新聞(2014/6/24)
「敗戦国」の枠組みにこもりたがる国内メディア
東京・九段北の靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインド代表のパール判事の顕彰碑がある。そこには、パール判決文(意見書)を引用した次の有名な言葉が碑文として刻まれている。
「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡(へいこう)に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう」
戦後、すでに70年近くがたった。本来ならば熱狂と偏見の時代はとっくに過ぎ去り、先の大戦をめぐるさまざまな経緯は、もう「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)」となっていいはずだ。
そうであれば、日本のこれまでの平和の歩みはもっと正当に評価されていただろう。集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しも、理性的で落ち着いた雰囲気の中で議論されていたのは間違いない。
ところが現実は違う。中国や韓国は歴史問題を既得権益のように振りかざし、謝罪と反省を強要し続けている。「戦勝国」として優位な立場を維持したい一部の欧米諸国も、それに安易に同調する傾向がある。
戦勝国や、日本の敗戦で利益を受けた国々は、彼らの歴史観に沿った河野談話や村山談話の順守を求め、それに疑問をはさむことも許さない。日本が歴史問題のささやかな検証を試みると、「危険な歴史修正主義者」のレッテルを貼って非難してくる。
戦争に負けるとは、自らの歴史を奪われ、他国の歴史を押し付けられることだ。日々のニュースを追いかけつつ、今さらのようにそう痛感させられている。
「歴史は、ほとんど戦争に勝った側が書いている。負けた人からは『公平ではない』と思えるかもしれないが、勝者が書いた歴史が受け入れられている。そのことを日本人は受け入れないといけない」
平成18年2月、インタビューで栗山尚一元駐米大使がこう語るのを聞いたときには、「いつまで日本は頭を下げ続ければいいのか」と少々反発も覚えた。とはいえ、これは一面の真実ではあるだろう。
「戦後の世界秩序」と美名で言い換えようとどうしようと、「戦勝国と敗戦国の枠組み」が今も強固に世界を支配しているのは否定できない。
ただ、いかに戦後の枠組みが堅牢(けんろう)だろうと、日本はそれに甘んじるのではなく、少しずつでも突き崩していく努力をしていくべきだと思う。作家の江藤淳氏が、月刊誌「文芸春秋」(9年6月号)で問いかけた次の言葉に深く共感する。
「敗戦国とその国民を、蔑視し、差別し、その心を不当に傷つける『正義』を、勝者はどこから得たのでしょうか?」
パール判事もまた、判決文にこう記している。
「戦勝国は、敗戦国に対して、憐憫(れんびん)から復讐(ふくしゅう)まで、どんなものでも施し得る立場にある。しかし、戦勝国が敗戦国に与えることのできない一つのものは正義である」
安倍晋三首相が周囲に「歴史問題は匍匐(ほふく)前進で行くしかない」と語るように、この問題は長期戦を覚悟する必要があろう。
問題はむしろ、自ら敗戦国の枠組みに閉じこもりたがる国内メディアにあるのかもしれない。A級戦犯容疑者とされた岸信介元首相は昭和21年11月、パール判事の判決文を日本タイムスの記事で知り、同紙以外が一部しかこの事実を報じなかったことについて「獄中日記」にこう記した。
「之は各新聞社の卑屈か非国民的意図に出づるものである。之等の腰抜け共は宜しくパール判事の前に愧死(きし)すべきである」
後世の歴史家に腰抜けと呼ばれたり、恥ずかしさのあまり死んだりすることのないよう、肝に銘じたい。(政治部編集委員・阿比留瑠比)
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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済
おっさん |
2014.06.27(Fri) 15:57 | URL |
【コメント編集】
左派の利権だった日中友好協会(会長加藤紘一)が、今では保守派と財界の利権に。
愛知工業大学総長、後藤淳が会長をしている愛知県日中友好協会の顧問は、愛知県知事大村秀章。
大村秀章の資金管理団体に例年寄附を続けている、張富士夫は日中経済協会会長。
大村秀章の政治資金パーティー、発起人の1人深谷紘一は、東海日中貿易センターの会長。
台湾を見捨て、日中国交回復のきっかけとなった、ピンポン外交(昭和46年)の発祥地が名古屋。
その記念碑が愛知県体育館に建立される事になった。
進めているのが、愛工大後藤と親中派の愛知県知事大村秀章。
その大村秀章の後援会長は、李登輝友の会愛知支部長の重冨亮。
野中広務・古賀誠・加藤紘一ら、親中派が赤旗紙上で安倍内閣を批判。
日本の自主外交を許さない勢力が、党内外から、安倍首相を批判に晒している。
愛知工業大学総長、後藤淳が会長をしている愛知県日中友好協会の顧問は、愛知県知事大村秀章。
大村秀章の資金管理団体に例年寄附を続けている、張富士夫は日中経済協会会長。
大村秀章の政治資金パーティー、発起人の1人深谷紘一は、東海日中貿易センターの会長。
台湾を見捨て、日中国交回復のきっかけとなった、ピンポン外交(昭和46年)の発祥地が名古屋。
その記念碑が愛知県体育館に建立される事になった。
進めているのが、愛工大後藤と親中派の愛知県知事大村秀章。
その大村秀章の後援会長は、李登輝友の会愛知支部長の重冨亮。
野中広務・古賀誠・加藤紘一ら、親中派が赤旗紙上で安倍内閣を批判。
日本の自主外交を許さない勢力が、党内外から、安倍首相を批判に晒している。
公共問題調査会 |
2014.06.27(Fri) 20:33 | URL |
【コメント編集】
日本国民を守るためにも、集団的自衛権を解釈変更するしかない。
安倍政権には、本当に頑張ってもらいたい。
外交政策は全面支持しています。
安倍政権には、本当に頑張ってもらいたい。
外交政策は全面支持しています。
* |
2014.06.28(Sat) 12:19 | URL |
【コメント編集】
左翼に汚染された日本の大地、除染は進んでいるね。
汚染物質をまき散らかして来た朝日・毎日・東京・NHK・日教組・野党は
今も汚染を広げる活動をしてるね。
日本の正常化をこやつらが妨害しているわけだが、こやつら頭の構造が狂っているため、
いいことをしているつもりでいるのだ。
その狂ったやつらのキーワードが憲法9条教というやつだ。
だいたい左翼反日マスコミとか脱原発だとかろくでもないことを言っているやつらはこれに行き着く。
護憲派っていう基地外にだ。
汚染物質をまき散らかして来た朝日・毎日・東京・NHK・日教組・野党は
今も汚染を広げる活動をしてるね。
日本の正常化をこやつらが妨害しているわけだが、こやつら頭の構造が狂っているため、
いいことをしているつもりでいるのだ。
その狂ったやつらのキーワードが憲法9条教というやつだ。
だいたい左翼反日マスコミとか脱原発だとかろくでもないことを言っているやつらはこれに行き着く。
護憲派っていう基地外にだ。
MIJ |
2014.06.28(Sat) 12:35 | URL |
【コメント編集】
生活に困窮した外国人への生活保護費の支給が自治体の裁量で行われていることについて、法的にも外国人が保護の対象になるかどうかが争われた裁判で、最高裁判所の弁論が開かれました。
これにより「法的に保護の対象となる」とした2審の判断が見直される見通しになりました。
これについて、日本の永住権を持つ大分市の中国国籍の女性が裁判を起こし、外国人が法的にも保護の対象に当たるかどうかが争われていました。
この裁判で、2審の福岡高等裁判所が「法的な保護の対象だ」と判断したため、最高裁判所で審理が行われていました。
27日に最高裁で弁論が開かれ、大分市側は
「生活困窮者の保護は国籍のある国が責任を持つのが前提で、生活保護法の対象が日本国籍の人に限られていることは明らかだ」と主張しました。
一方、女性側は
「不法滞在ではなく働いて税金も納めてきた。少なくとも永住外国人については、法的な保護の対象とすべきだ」などと主張しました。
最高裁の判決は来月18日に言い渡されますが、弁論は判断を変更する際に開かれるため、2審の判決が見直される見通しになりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140627/t10015562731000.html
これにより「法的に保護の対象となる」とした2審の判断が見直される見通しになりました。
これについて、日本の永住権を持つ大分市の中国国籍の女性が裁判を起こし、外国人が法的にも保護の対象に当たるかどうかが争われていました。
この裁判で、2審の福岡高等裁判所が「法的な保護の対象だ」と判断したため、最高裁判所で審理が行われていました。
27日に最高裁で弁論が開かれ、大分市側は
「生活困窮者の保護は国籍のある国が責任を持つのが前提で、生活保護法の対象が日本国籍の人に限られていることは明らかだ」と主張しました。
一方、女性側は
「不法滞在ではなく働いて税金も納めてきた。少なくとも永住外国人については、法的な保護の対象とすべきだ」などと主張しました。
最高裁の判決は来月18日に言い渡されますが、弁論は判断を変更する際に開かれるため、2審の判決が見直される見通しになりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140627/t10015562731000.html
* |
2014.06.28(Sat) 14:51 | URL |
【コメント編集】
阿比留さんがブログで、横山秀夫の作品を推奨したことがある。その少し後のこと、外遊から帰国した安倍総理が政府専用機から降りてきたとき、総理の手に横山秀夫の64があった。これは安倍総理から阿比留さんへのメッセージでは、と思ったものです。とにかく、安倍総理の心を一番知ってる記者は阿比留さんで、その阿比留さんを私は信じてる。
Be cool! |
2014.06.28(Sat) 19:14 | URL |
【コメント編集】
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パール博士が東京裁判で被告全員無罪の判決書を書か
れたと言う報道に接して、
「パール博士ありがとうございました」と心で叫んだ
ことを思い出します。