中平卓馬さんの「見続ける涯に火が」を読んでいると、ひりひりした感覚になってくるのだ。
こんなに(見る)ことや(表現する)ことや、(世界)について真剣に、深く、痛くなるほど考え抜いた人がいて、そしてその人の言葉は、火のようにわたしの胸のなかで発火し、くすぶり、拡がり、熱く、そして洪水のようにいろんなものが、自分のちっぽけなものが流されていくような気がした。
あせったり、泣きたくなったり、それでもわたしも立ち上がりたいと強く思ったりする。
もうすぐ彼の評論集は読み終わる。
とても厚い本だったけれど、眠る前に儀式のように読み進めてきて、よかった。
北野武監督が「監督として評価されてきたものを、いったん捨てていかないとだめだと思った」といって、新しい映画の話をテレビでしていたけれど、得たものの位置に固執していたら、次に世界を開いていかれない。
それは、中平さんの言葉のなかにもあった。
ひとは自分のなかのものを守ろうとする意識は強い。
しかもそれが、人に評価されたものだったらなおさらだけれど、そこから出て行かないと本当はだめなんだろうと思う。
民芸家の河合寛次郎さんもいつも「新しい自分を発見しなければだめだ、今あるもので創ってしまったらだめだ」と言っていた。
それは写真も、詩も、いろんなものにあてはまると私は思う。
自分を表現するなんていう予定調和的な考え方を捨てて、世界を人間の側に都合よく引き寄せる考え方を捨てて、中平さんは立ち上がろうともがいていた。
ブテやこだまを見ていて、生きていくただそれだけに一生懸命な動物はすごい!
人間のように世界を自分でどうこうしようという考えがないから、動物は純粋に生きているからすごい。
だけど、ほんとうはちっぽけな人間だ。高度で精密な身体をもっているけれど、他の動物と変わりはしないという気がする。
こんなに(見る)ことや(表現する)ことや、(世界)について真剣に、深く、痛くなるほど考え抜いた人がいて、そしてその人の言葉は、火のようにわたしの胸のなかで発火し、くすぶり、拡がり、熱く、そして洪水のようにいろんなものが、自分のちっぽけなものが流されていくような気がした。
あせったり、泣きたくなったり、それでもわたしも立ち上がりたいと強く思ったりする。
もうすぐ彼の評論集は読み終わる。
とても厚い本だったけれど、眠る前に儀式のように読み進めてきて、よかった。
北野武監督が「監督として評価されてきたものを、いったん捨てていかないとだめだと思った」といって、新しい映画の話をテレビでしていたけれど、得たものの位置に固執していたら、次に世界を開いていかれない。
それは、中平さんの言葉のなかにもあった。
ひとは自分のなかのものを守ろうとする意識は強い。
しかもそれが、人に評価されたものだったらなおさらだけれど、そこから出て行かないと本当はだめなんだろうと思う。
民芸家の河合寛次郎さんもいつも「新しい自分を発見しなければだめだ、今あるもので創ってしまったらだめだ」と言っていた。
それは写真も、詩も、いろんなものにあてはまると私は思う。
自分を表現するなんていう予定調和的な考え方を捨てて、世界を人間の側に都合よく引き寄せる考え方を捨てて、中平さんは立ち上がろうともがいていた。
ブテやこだまを見ていて、生きていくただそれだけに一生懸命な動物はすごい!
人間のように世界を自分でどうこうしようという考えがないから、動物は純粋に生きているからすごい。
だけど、ほんとうはちっぽけな人間だ。高度で精密な身体をもっているけれど、他の動物と変わりはしないという気がする。