「三島由紀夫が死んだ日」(編・監修中条省平)を読んでいる。中条さんは長女のでた大学の教授というのを本を買った日に知った。あの日何が終わり、何が始まったのかという副題があるが、このなかで写真家の森山大道さんが書いていた文章は、すごく惹かれた・・・・森山大道さんという写真家は「犬の記憶」という著書もあるけれど、わたしはこの人の文章がすごく好きだ。
哲学者の鷲田さんの文章にも惹かれるけれど、共通した同じ匂いがする。それはうまく説明できないけれど、人間の本質の深い部分にまるでレーザー光線でピンポイントで的を得ているような、観察眼の鋭さがあるのです。そのうえ、鷲田さんも森山大道さんも文章が身体中を包み込むような、他に対する強い優しさに満ちている気がする。
70年代以降の日本は人間も物も風景も影が薄くなり、急速に輪郭がぼやけていってしまった、と大道さんは書いている。その70年代に三島由紀夫が死ぬ前に残していた言葉。「こんな偽善と詐術はアメリカの占領と共に終わるだろうと考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべくことに日本人は自ら進んでそれを自分の体質とすることを選んだのである。政治も経済も社会も文化ですら。これからの日本に希望をつなぐことはできない。このままいったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本がなくなってその代わりに無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目ない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう」
そう、その通りの日本になった。そして本当の敵がみえない時代と大道さんは言う。
たぶん三島由紀夫と森山大道はどこか似た思いをこの国に感じていたんだろうとわたしには思える。
消費税はなんとか支払いをした。
ここでクイズ!
「持ってけ、ドロボー」と私は心の中で叫んだでしょうか?○か×か・・・
哲学者の鷲田さんの文章にも惹かれるけれど、共通した同じ匂いがする。それはうまく説明できないけれど、人間の本質の深い部分にまるでレーザー光線でピンポイントで的を得ているような、観察眼の鋭さがあるのです。そのうえ、鷲田さんも森山大道さんも文章が身体中を包み込むような、他に対する強い優しさに満ちている気がする。
70年代以降の日本は人間も物も風景も影が薄くなり、急速に輪郭がぼやけていってしまった、と大道さんは書いている。その70年代に三島由紀夫が死ぬ前に残していた言葉。「こんな偽善と詐術はアメリカの占領と共に終わるだろうと考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべくことに日本人は自ら進んでそれを自分の体質とすることを選んだのである。政治も経済も社会も文化ですら。これからの日本に希望をつなぐことはできない。このままいったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本がなくなってその代わりに無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目ない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう」
そう、その通りの日本になった。そして本当の敵がみえない時代と大道さんは言う。
たぶん三島由紀夫と森山大道はどこか似た思いをこの国に感じていたんだろうとわたしには思える。
消費税はなんとか支払いをした。
ここでクイズ!
「持ってけ、ドロボー」と私は心の中で叫んだでしょうか?○か×か・・・