S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

音楽で過ごす・・・

2011-03-31 16:17:50 | Weblog
民放で繰り返されるCMの「がんばろう」とか、「つながれ」とか、「信じてる」とか・・・
繰り返し繰り返し耳に入ってくるともうなんだか聴きたくない気持ちになってしまう。

天皇陛下が被災した人のお見舞いをされていた。
天皇陛下はこういう時、絶対に「がんばってください」とは言わないと何かの記事で読んだ。
被災した人に寄り添う言葉をかけてくださると・・・

でも天皇陛下が避難所に来られると、きまってみんな元気になるそうだ。

日本人は昔からずっと変わらないものを持っているんだろうなあと思う。

同じように被災した人の目線まですわって話をされる。


「がんばれ」と言ってもどうがんばるのかさえ今は見えない人がたくさんいる。

「がんばれ」というオールマイティの言葉はあやうい、言われ続けたらわたしのように被災していない
人間も聞きたくなくなってくる難しい言葉だ。

だから今は励ます言葉より、心に寄り添う音楽の方がたぶんずっと素直に涙を流せる気がする。

詩をずっと書いてきたのに、言葉のことを考えなおしたり言葉の難しさを感じたりしている。

それでものどもとにつっかえたようなものが大きくあって、それが自然とそのうち言葉に
変わってくるのだろうと思う。


今は音楽を聴いていた方が、なんだか落ち着く。


東京にも外国人があまりいなくなり、観光でも外国から今は来なくなり、
そして小さなこの島国は懸命に泣きながらでも立ち上がろうとしている。

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「タービン建屋」っていう言葉を頭から消したいなあ・・・

2011-03-30 16:22:18 | Weblog
日を追うごとに被害が増大していて・・・・気が遠くなりそうだ。
今まで、わたしの頭の中の辞書にはまったくなかった新しい言葉「タービン建屋」という言葉が
追い払っても追い払ってもぐるぐる回っている(苦笑)


地震、津波だけなら、なんとか踏ん張って希望を持って必死にがんばれると信じるけれど、
原発が足を引っ張っている。

放射性物質は土、牛、野菜へと影響をひろげ、そして海、そして日本だけでなく、フィリピンなどでも
放射性物質が微量に検出されている。

日本で暮らすわたしたちはできるだけ被爆しないように今は気をつけるしかないと思う。

風にのって運ばれる放射性物質は半径何十キロ外だから安全という機械的なものではないから。


日本が危機的状況になればなるほど、総理大臣がカン氏ではなく小沢さんだったらどんなに
よかっただろうと・・・・考えても今更、仕方がないけれど毎日そう思う。

「国民の生命と財産を守る」これが絶対にゆずれない政治の基本理念だからだ。

カン氏は日本がこういう危機に直面する前から胡散臭く、守らねばならない国民を守る姿勢など
あまり感じられなかった。民主党のHPからはずっと前から「国民の生活が第一」という
ことばが消えた・・・

そしてみごとにこの震災で人間性、何もない政治理念、権力への執念、増税、自民党との
どさくさまぎれの連立?などが垣間見え、今までの自民党と東京電力とのずぶずぶの関係が見え、
原発のものすごい利権が見え、電力会社からマスコミにいく巨額のお金も見え・・・

いろんなことが見えてくる。

のっぴきならない状況になればなるほど、その人の人間性が浮き彫りになるのと同じだ。

見えてくるものが多くて、落胆するものも多いし、怒りも多いけれど、なんとか今は
現場で命がけでがんばっている方々に感謝しながら、生活するしかない。
なるべく明るく元気で。






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風景。

2011-03-28 15:56:22 | Weblog
見渡す限りがれきの荒野、家だったもの、車だったもの・・・それら破壊された形、ゆがみ、ひずみ、
ただ沈黙し・・・・

一面のがれきの荒野、何もない、向こうに山々、空に満月。

藤原新也さんのブログでみた被災地の夜の写真、電灯もない暗闇のがれきの荒野に満月が出ている。

この写真の風景、まったくこの世で見たこともない満月の風景、

恐ろしいほどの沈黙が写真を通して伝わってくる、悲しみとは異次元のけれど慄きの風景がある。


わたしの暮らす町を車で走っているとふと思う。
家があり、スーパーがあり、銀行があり、マックがあり、ケンタッキーがあり、
医院があり、クリーニング店があり、コンビニがあり、

どこにでもある町の風景・・・・

こんな町の風景をすべて波がさらってしまった。


寒いな、なかなか暖かくならない、

細かい仕事に追われて毎日忙しい・・・

こだまは晴れているとそれでもベランダで丸まっているけれど、寒いのでコタツに入りっぱなしで
丸まっている。

こだまの背中の丸まった曲線がなんだかとてもあたたかい。



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今日も空は暗い曇り空

2011-03-25 15:56:11 | Weblog
原発のことに関しては、NHKの水野解説委員しか信じていない。

たぶん最初から真実を言っていたのは、テレビでは水野さんだけだろう・・・・・

○×大学教授とかいう人たちは、まるで人ごとのように、政府と同じことを言っている。


きのう水野さんは、冷静な顔にもかかわらず、かなり怒りを内に秘めていたと感じる。
作業員が3名被爆し、2名が病院に搬送されたこと、この作業員は汚染がかなりひどい水につかって作業し、
短い靴から水が入り、かなりひどい被爆をしたこと、

危険な作業でそういう整備でしか現場に入っていなかったことは、たぶんその作業員は東電の下請け会社、
いや下請けの下請けかもしれない。

下請け会社は断れば仕事があとは来ない・・・と断れない状況ではないかと考える。

水野さんはその作業員にそんな防御しかしてさせない服装で最前線に入っていかせたことに怒りを覚えていたのだろうと
思えた。


事故があれば作業は中断し、またおくれる。


戦争と同じ・・・弱い者が犠牲になる。子どもたちが犠牲になる。


子どもたちが犠牲になるような原子力発電というエネルギーに未来はない。


計画停電は原発利権を守ろうとする電力会社、政府、官僚の似非計画停電だろうとわたしは推測している。
(原発が無ければ電力は足りない)と思わせるための・・・・


福島の人たちの苦しみをわたしたちは受け止め、共有しなければと思う。


じわじわと都会の水道水まで汚染され、原発の恐ろしさが露呈しはじめた今

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寒い春だ

2011-03-24 16:51:54 | Weblog
土も水も海も空も汚染されたとき、どうやって命をつないでいったらいいんだろうか?

福島の農家の方の悲痛な叫び

漁業の方にも不安はひろがる。

広範囲に放射性物質がひろがっていく現状に、これだけのリスクをわかっていた人がどれだけいたのか、
そしてその声をわたしたちは聞かずに生きてきてしまった。

日常が非日常に変わっていく。

ドラッグストア、スーパー、ホームセンター・・・・水はなくなっている。

スーパーにはからっぽの棚がふえている。

納豆、乳製品、缶詰、お米、トイレットペーパー、そして今度は水、売れ残るホウレンソウ。

もう「アキラ」の世界や近未来小説との区別がつかないような現実がはじまっている。


小さな子どもたちを守らなければいけない、と切実に思い始めた。


本当だったら、いつもだったら希望に満ちた春だった。
卒業、入学笑顔がいっぱいの春になるはずだったのに、娘の大学も卒業式は中止になった。

寒い春だ、雪が舞う、どうしてこんなに寒い春なんだろう・・・


打ちのめされ、たたきつけられ、それでも強く生きていかなければ・・・・・・

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2011-03-22 16:14:06 | Weblog
天皇陛下のメッセージは涙が出るほど心に沁みてくるのに、ソーリ大臣の言葉が虚しく、とてつもなく空虚だ。


避難所の80歳のおばあちゃんが、「こんな年寄りが生き残って、若い人が亡くなってしまった」と
泣きながら言っていた。
こんなに悲しい言葉があるだろうか・・・


ただちに健康を害するものではない、という言葉を繰り返すカンボウチョウカンの言葉の意味がわからない。
ただちに・・ということは何日間のことだろうか?


写真家の藤原新也さんが、「わたしたちは絶望ということを最初に共有しなければ」と言った。


近所のおばあちゃんが、「戦時中より今はひどい・・」と言った。


近所のドラッグストアの棚からトイレットペーパー、ティッシュ、紙おむつがひとつもない・・・
買い占める人は生き残りたいんだろうが、町に誰もいなくなって、日本に誰もいなくなって、自分だけ生き残って
も、どれほどの大きな孤独と哀しみが覆いかぶさってくるのか想像できないのだろうか?


わたしはあえて吉本隆明・・・「反核」異論・・という本を読んでいる。


たつき君はまだ見つからない、
お墓参りに行って、「どうかたっくんが見つかってお母さんのもとに帰れますように」とお祈りした。


「過ちはくりかえしませんから」と広島で誓った言葉。
けれどわたしたちはまた同じ過ちを繰り返してしまった、悔み、痛烈な悔恨。


この期に及んでまだ「廃炉」という言葉を言わない電力会社の奢りに、政府の奢りに、激しい怒り・・・

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悲しみ、苦しみ、そして怒り

2011-03-19 15:57:12 | Weblog
最初に悲しみが大津波のようにおそってくる。

次にくるのは苦しみ・・・・

そして最後に激しい怒りがこみあげてくる。

我が家もお父さんの実家は宮城県だ、お父さんは震災が起きてから故郷の惨状を見て、かなり悲しみにおそわれている。

おじいちゃんが肺がんとわかってから、いっさいの治療を拒否して好きなゴルフだけをしていた頃、わたしとお父さんは
おじいちゃんとおばあちゃんを連れて南三陸のホテル海洋というところに行った。

なんか最後の親孝行になってしまったけれど、窓辺にカモメがきて、お風呂はまるで海の延長で、大海原につかっているような
そんなホテルだった。
おじいちゃんがとても喜んでくれた。

あの南三陸も津波で壊滅的な被害を受けた。ホテルのHPを見たら、ホテルはちゃんとあって今復興に向けて
働いている人たちが奮闘しているところだった。



テレビでここのところ連発される「想定外」という言葉にお父さんはとても怒っている。

想定外というのは逃げの言葉だと怒る。プロ(政治、原発など)なら逃げの姿勢はもってのほかだと怒る。

そしてこの期に及んで、50基の原発をフル回転していることにも怒る。

プロなら全てのことを想定しなければならない。持てる限りの想像力を働かせなければならない。


そして、いろんな知恵や総力を動員し、あぶない原発の現場で必死に働いているプロの勇者たちに
とても感謝している。

悲しみが来て、苦しみが来て、そして怒り。


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日常と・・・

2011-03-18 16:22:51 | Weblog
朝、会社の植木鉢に水をあげる、コーヒーを入れる。

パソコンを起動する、文字ソフトを使ってプロッターで文字を切っていく・・・

何気ない日常から意識は裏返る。

水の出ない所がある、電気も通っていない所がある、普通にコーヒーなど入れて飲めるはずがない。

仕事ができない所がある。トイレも流れない所がある。

ありがたいと思わずに、当たり前のことなのに、今の日本には普通に生活できない人たちが何十万人といることを、
たたきつけられたように思いだす。

被災地ではないわたしの住んでいるこの町は、1週間前と同じように日常が過ぎていく。

けれど、まるでタイムマシンで違う次元にいくように、非日常の被災地がたくさんたくさんある。

朝、みんなこれが夢だったらいいのに、と目が覚めると思う。
悪夢はなかなか覚めない。

きのうは日本中がヘリコプターの散水や、消防車の散水を、祈るように見つめていただろう。

わたしたちの国、緑の美しい東北、きれいな海の三陸海岸に非情に撒き散らされる放射能・・・・・

人類が創りだした化け物のような原発が結局、最後の最後では小さな人の生身の身体でしか止められなくなった。
人が創りだしたのだから、暴走を止めるのは、人でしかできない。

電車が止まれば、人はもくもくと歩いていく。

寒くて大変な被災地の方は、灯油がないので、人と肩を寄せ合って人と人が温め合う。それが命だ。

わたしは今日、浜岡原発を停めて欲しいという署名活動に署名をした。
家にあった、分厚い毛布を被災地に送った。



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悲痛な孤独

2011-03-16 14:51:16 | Weblog
一日に何度も、保安院、東京電力、官房長官が出てきて記者会見をしている。

この非常事態に対して、みんな一斉に顔に表情がまったくなく、頬の筋肉だけを動かしているように見える。
言葉ものんびりしていて、ただ放射能数値や、原発の専門用語をくりかえしている。

わたしたちがたったひとつ知りたいことは、原発は今どういう状況で、それほどの危険性があり、そして最悪の可能性や
最悪の事態になった時、いったいわたしたちはどうしたらいいのか?ということだけだろう。

放射能数値は、頭の中を通り過ぎ、一体その数値がどれほどのものかもわからない。
官房長官は毎日「人体にすぐに影響を及ぼすものではない」と
こわれたレコードみたいにくりかえしていて、その言葉に反比例するように、日に日に原発がヤバい!という状況が目でもわかるようになった。


明け方よく眠れなくなって、朝からニュースをみていたら、電話の声は福島の津波の被害でも深刻、そして原発30キロ避難にも
該当してしまった南相馬市の市長さんだった。
声は切実で緊迫していた。
「避難所には、食べ物も水もすべて何もかも足りないのです。この避難所の住民は家族の安否確認にもいけない、物資は
原発から30キロ以内には入ってこれないといって、100キロ先まで取りにいくしかない、しかもガソリンはない、
国からも県からも何も連絡がない、ここに取材にきてください、どれだけひどい状況か、日本全国に伝えてほしい・・・」と。

むろんマスコミがこの原発30キロ圏内にけして取材に行くことはないだろう、

わたしはこの時、シベリア抑留されていた詩人石原吉郎のことを思い出した。

石原吉郎は言っていた、「シベリアに抑留されていて一番ひどい孤独は祖国日本がわたしたちのことを忘れてしまうのではないか
ということだった・・・、私たちはここにいるということを大声で海の向こうの祖国にむかって叫びだしたい衝動にかられた」

今、原発のそばのこの避難所の人たちの苦しみと恐怖と孤独が市長さんの悲痛な声を聞いて痛いほどわかって、
わたしは夜明けにひとりでわあわあ泣いていた。

今の日本は戦争の傷跡のようだ。
世界で唯一の被爆国であるこの日本が、21世紀のこの時代にまた核の恐怖に陥れられている。

原発は日本の電力を作り続け、皮肉にも自らが大量に作り続けてきた電気がないことによって、核燃料の冷却ができず、ぼろぼろの原爆ドームの屋根のように変わり果てている。

なぜこんな悲劇が起きてしまったのだろう・・・

フォトジャーナリストの魚住卓さんがジャーナリストとしてこの原発の町に入って取材しているサイトを見つけた。
誰もいない死の町のようになったここに「原子力強度の発展豊かな未来」と書かれた町のアーチ看板が、とても切ない。

そして、南相馬市の悲痛さは、福島のいわき市にもひろがっている。



  

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とんちんカン・・・

2011-03-14 16:37:22 | Weblog
きょうになって、福島原発3号機がものすごい勢いで爆発した。
1号機の爆発とはあきらかに違って、まるで原爆の雲のような柱になっていて、とても心配・・・

テレビはわけのわからない原発の専門用語や、放射線のレベルがそんなに健康を害するものではないと、必死にレントゲンや海外旅行と比べているが・・・・とんちんかんこの上ないこと!

健康を害するものでないなら、なぜたくさんの住民が避難しなければならないのか?

ここ2日間で日本は本当に壊滅的な被害を受けていることが痛いほどわかる、けれど原発に関して、これほどわけのわからない説明を繰り返すことで、なおさらわたしたちは不安にある。

なんでカンさんが、わざわざヘリコプターにのって、パフォーマンスのような空から視察しなければならないんだよ!
必死で作業している現場のじゃまだ、まったくとんちんカンだ、

歩いて原発のところに行き、自ら安心だと言えばいい、東京電力の社長とお手手つないでさ、


ネットの情報もいろいろで、わたしたちは本当に自ら判断し、行動するしか道はない。

わたしは天下りの多い東京電力という会社をあまり信用していないし、政府の会見もあまり信用できない・・・

ただ言えることは日本の原発は安全ではないということ、人間が創造するよりはるかに自然の猛威はその上をいく。

この小さな地震の多い島国に、55機もの原発があること、そしてまだ建設中のものもある、そして原発は大きな利権がからんでいる、きっと最前線で今作業している人たちは下請け会社の社員だろうし、その人たちは、まるで戦争時代の特攻隊員のように、
自分の命を犠牲にしても、作業をせざるえない状況なのではないか・・・


真新しい作業服を着た官房長官や総理大臣が、ほんとうにとんちんかんに見えるのはわたしだけだろうか?


3.19東京一万人集会は延期になりました。
今回の犠牲になられたたくさんの方々のご冥福を心からお祈りしたいと思います。

こんなひどい状況になってしまった日本でも、わたしたちは力を合わせて立ち上がって復興していかなくてはいけないとおもいます。でも今は本当に辛くて、テレビで映像を見るたびに悲しい思いでいっぱい・・・

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