S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

書斎はファミレス。

2006-05-31 16:54:56 | Weblog
きのうは夕食を食べてから、「おっし、今日こそはやるぞい!」と気合を入れて駆け込み寺に行く。わたしの駆け込み寺は近所のファミレスです。
本と、ノートと資料一式抱えていく。ファミレスは勉強するのには、もってこいの場所で、書斎がわりに使える。家にいるとテレビに目が行くし、みんなと話したいしで、なかなか集中して原稿は書けないので。
かといって、ひとりになれる静かーなところでやると、どうしたって眠くなってしまうけれど、ファミレスは人の目があるので、絶対居眠りはしないし、集中できる。
「ファミレス書斎」は長女に教わった。彼女はこうして、卒論を書き上げたのだった。
320円で、飲み物はコーヒー、紅茶、おかわり自由だし、うれしいことにコーヒーカップが空になっていると、お店の人が「おかわりお持ちいたしましょうか?」っと親切に聞いて持ってきてくれる。
家ではそうはいかないし、ファミレスの大きなテーブルは本やノートをおっぴろげてもじゃまにならない。そしてコーヒー一杯で、何時間いようといやな顔はされないので、ほんとうにうれしい。
それでもわたしだって、少しは気を使って、あまり混雑する時間帯には、勉強しにいかない。(当たり前か・・・)
きのうは夜の9時から11時過ぎまで、ガッーと集中してやった・・・・ふう。
まるで試験の一夜漬けみたいなもんです。

帰る頃は、もう人もまばらになっていた。レジで320円払って「ありがとうございました。またおこしください」と言われると、ほんとに「こちらこそ、」とお礼いいたくなっちゃうよ。

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「下妻物語」お薦めです!

2006-05-30 16:10:57 | Weblog
「お誕生日おめでとう」のコメントをお二人の方からいただきまして、うれしいっス。ありがとうございました。
子供たちは母の年齢さえ知らないので、〇才になったのだよ・・と言うと「ひえーっ」とのけぞります。

書かなきゃいけない切羽詰った原稿があるというのに、きのうはつい「下妻物語」を夢中になってみてしまった!
中島哲也監督、最高にいいなあ。色も特別きれいで、切なくおもしろかったよお。
原作の嶽本野ばらさんの小説は、あたしは「ミシン」しか読んでないんだけど、あれも切なく美しい小説で、野ばらさんの小説のなかでは、お洋服がかなり重要なポイントをしめている。ロリータファッションといえば、次女と何年か前、新宿の丸井のビルの5階かなんかにふと行ったとき、ケラショップがたくさんあって、ロリータのお洋服のお店ばかりで、場違いと思いながら、見ているとすごく楽しかった。店員さんも買いにくる女の子や男の子も夢の世界みたいなお洋服を着ていた。わたしは娘たちに小さい頃から男の子っぽい服ばかり着せていたから、もしフリフリの女の子っぽいお洋服を着せていたら、家の娘も変わっていただろうか?
下妻物語では、茨城の田舎の風景にぴったんこで、キャベツだってロリータちゃんしてた!
わたしは少女の時期より、少年の時期の方が多かった?ので、どっちかっていったら、土屋アンナちゃんの方が慣れているかもしれないけど、もう一度時間が戻れてやりなおせたら、少女期を徹底的に生きてみたい気がする。

そんでもって、中島監督の「嫌われ松子の一生」もファンタジックでおもしろそうだし、とにかく色使いが美しいので、観てみたいです!
おっと、またテレビをみてしまった・・・・書かなくちゃ、時間がないといいながら、眠くてきのうは寝てしまった・・・

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カッカしても低血圧。

2006-05-29 16:59:44 | Weblog
日銀のゼロ金利政策によって、銀行は不良債権とみなしていたものが返って来てバカみたいな利益が出て、公的資金をこれまたバカみたいにわんさか導入してこうなったのって、一体・・・・・何?
それなのに政府の借金が1000兆円を超えるなんて、どっか政策まちがってなかったのかあ?とわたしは問いたい。
公的資金は税金だよね。わたしたち国民が必死こいて払っている税金だよ!
みんなこんなんで納得できるのかい?
わたしはおかしいと思う。ゼロ金利で得したのは銀行ばかりで、預金している国民の預金利息なんかゼロに近い。
国民が痛みをこらえ、大きな銀行が喜んでも国民にはそれが返ってはこないのだ。
こんな政策って国民をばかにしているようなもんだと、わたしはまた腹がたったままだ。
頭はかっかしても、わたしは異常な低血圧だから、高血圧にはならないから、少しカッカしてるぐらいでちょうどいいかもしれん。
真面目に苦労している者がバカを見る今の社会なんかくそくらえだ!銀行が今まで貸し渋り、貸しはがしをして、つぶれてしまった中小企業は政策の間違いから死んだ怨念に変わるかもしれん。
ここ何年かで自殺に追い込まれた人たちだって、怨念に変わって日本の上空は怨念のオゾン層ができるぐらいだ。
この怨念のオゾン層は、ちょっとやそっとじゃあ破壊できないだろう。

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生まれた時から二重人格?

2006-05-28 21:55:55 | Weblog
一日中、またまた掃除に明け暮れていた。だいたい日曜日しか休みがないので、日曜日に出かけてしまうと、一週間、いや、2週間まともに掃除ができないのだ。
掃除をしはじめると、いろんなところのきたなさが、あっちもこっちも目に付いて止まらなくなる。
そんなんで、際限なく掃除をしていることになる。
だあれも気づいてくれないし、自分でも忘れていたが、わたしはきのう誕生日だったのだ・・・・!
この年まで生きると、誕生日もうれしいものではないが、それでも誰かに「おめでとう!」と言ってもらえたら、きっとうれしいだろうとは思う。
わたしは生まれる直前に、母が転んで坂をお腹で滑り落ちたんだそうで、母はお腹の大きさのため怪我もなかったけれど、洋服のお腹のところが穴が開いて、わたしはもう死んだと思ったらしい。
それでも元気に生まれてきたので、「こいつはすごい生命力だ」と母は思ったと小学生の頃、よく聞かされた。
あまりうれしくもない話だが、親孝行でもあったのだ。その話の前は、母はよくわたしを橋の下で拾ったと言ってたから、いいかげんな親である。
いまだにどっちがうそで、どちらがホントかわからない。

それでもって、わたしは典型的なふたご座性格で、けっこう二重人格であると思っている。
リバーシブルで、使い分けてうまく人生の表と裏街道を生きていこうと思っているのだ。






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美しい村

2006-05-27 21:50:10 | Weblog
午前中お仕事をして、きょうは午後からリトル・ジャーニー、白馬村に車をぶっ飛ばす。
新緑の緑が目に痛いぐらい美しい道を、しかもこの道路は冬は渋滞するらしいが、今の季節はめちゃんこすいていて、まるで、専用道路みたいだ。
信号もないし、長いトンネルでは、わたしの車しか、この世にないみたいに、トンネルをぬけるまで、対抗車にも出会わないし、後続車も前にも車がいないので、まるで死んじまってあの世に行くときはこんな感じではないだろうか?とふと思ったりする。
自然にスピードが出ていたりして、「あぶねえ、あぶねえ、ほんとにあの世に行っちまう・・・」と我にかえる。
そんでもって、途中の道の駅で、おそばを食べ、山菜を買って、つけものも買って、のびるのおやきを食べた。
のびるというのは、ニラとねぎのあいのこみたいな味がして、それをお味噌でいためたものをおやきにしてあって、これがうまい!
あつあつをホフホフしながら食べたんだけど、けっこう匂いがきついのだった。
白馬はまだ山に雪が残っていて、すっごいきれいな景色で、感動!
今頃の白馬は美しいです。日本の田舎の風景を過ぎると、外国の田舎みたいなおしゃれな建物が並ぶ白馬村に着きます。
帰りは夕暮れの道をまたぶっ飛ばして、夜に家に着きました。
なんだか緑を身体いっぱいに吸い込んで、リフレッシュしたリトル・ジャーニーでした。

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ボールと一体化してるよね。

2006-05-26 16:29:26 | Weblog
社会保険庁のいいかげんさには、腹が立ったままで、口も開いたままだ!
そのくせ社会保険はひっきりなしに上がっていくし、残業して間に合わない仕事をこなしてその分給与が増えると、またもやすばやく上がる・・・・
取るものはびた一文のがさず、やっていることはいいかげんで、世の中通用してきたのがおかしいよ。
きょう成立した行革推進法だって、表向きとは裏腹に、中小企業向けの融資をしてきた国民金融公庫なんかがなくなったら、また中小企業が泣かされるのだ。
そしてこの法案のきたないところは、公務員を削減と国民を納得させつつ、増税を納得させるための布石となっていくところだ。
なんか、最近法案には本音と建前が表裏一体となってあって、国民に知らされるのは建前の方だけにすぎないような気がする。
腹が立つことが多くて、胃がムカつくぜ!

ロナウジーニョのサッカーはダンスを踊ってるみたい!芸術的でさえある。
笑顔もカッコいい!ボールとロナウジーニョのコラボを惚れ惚れと見てしまう。

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子供たちが生き生きとすごせますように。

2006-05-25 14:37:35 | Weblog
小学校に親に手を引かれて登校、下校する姿が当たり前のようになってきた日本のあちこちの風景がなんだか異様に見える。
都会だけでなくのどかな田園地帯の広がる田舎までもが、親が車で学校に送迎している今の日本は悲しい気がする。
そして小学校に心のケアにカウンセラーが派遣されることもとても悲しいよね。子供たちをとりまく環境がとても異常にならざるをえないことが悲しい毎日です。
のびのびと育つ環境を与えてあげたいなあ・・・とすごくそう思う。
どうして小さな子供たちばかりが、犠牲にならなきゃいけないのか、自分の子供の頃のことを思い出すと、あまりの差に落ち込んでしまう。
防犯ベルなんかいらなくて、集団でなくても子供たちが生き生きとして学校に通って、カバンを放り出して寄り道や道草(こんな言葉自体、死語になりそうな)をしてもだいじょうぶな社会にまた再び戻ってほしい!

話はとびますが、会社の支払いの都合上、為替の値動きに敏感になる日々です。
為替は世界の経済の動向を把握しないと、なかなかむずかしいので、上がるのか下がるのかなんて、まるでギャンブルみたいですが、少しでもわかりたい!という思いから植草一秀さんのHPを読んでいる。
植草さんの為替や株価の動向の文章も専門用語が多くてむずかしい。それでも考えながら読んだりしている。
植草さんはすごい人だと思っている。だからあの痴漢の事件はまったく無実だとわたしは固く信じているのです。
こういうことがまかり通っているのが、今の日本という国なんだと思う。
政治というのは、権力に逆らうものを抹殺しようというきたなさがある。それは北朝鮮だけでなく、アメリカも日本もみんな同じだ。

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指話!

2006-05-24 13:55:17 | Weblog
今朝の日経新聞にドコモの新しい携帯電話の試作品のCMをみた。これがすごい!
YuBi-Wa(指話)というネーミングで、指にはめる小さい携帯電話なのだ。
指にはめて指を耳に入れると音声が聞こえ、発声音も指から相手に伝わる。いいのかいっていうぐらいちっちゃい電話で、そのうち本当の指輪ぐらいの大きさの指話ができてしまうかもしれない。
おさいふ携帯も便利だなあと思いつつ、まだわたしは携帯電話をうまく使いこなせない・・・・
でも携帯電話さえあれば、買い物もでき、電車も乗れて、そのうち家の鍵とかにもなって、車の鍵にもなって、出かけるとき、バッグなんか要らず、携帯電話ひとつあれば事足りる時代にもなるかもしれん。だって今はトイレにだって、風で手を乾かすのがあるでしょ、だから我が家の子供たちみたいにハンカチも持たないずぼら人間だって、だいじょうぶな時代だもんね。
指輪ぐらい小さくなったら、生活も変わっちゃうかもね。といっても携帯自体、あまりフルに活用していないから・・・どってことないか・・・それでもこの指話はびっくりした。

ここのところ、娘の部屋で寝ているこだまは、季節が暖かくなってきて真夜中に家を出て行く。
そんでもって、真夜中に起こすのは必ずわたしなのだ。「外へ出たいから開けてよ」と言う。
今朝方は、わたしの部屋のドアがしまっていたので、ドアをトンこトンことたたく音で目が覚めた。だいたい猫の前足でたたくのだから、「トントン」というリズミカルな音ではないのだ、「トンこ、トンこ」という音がする。
眠いんだけれど、ノックする前足のかわいさに起きて開けてあげて、真っ暗なのでまた寝る・・・・・

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老後生活プラン・その1

2006-05-23 15:58:37 | Weblog
釣りの大好きな魚嫌いの我が家のお父さん、最近仕事が忙しくて、とんと釣りに行ってない。
ここのところ息子に「休みにさあ、黒鯛釣りに行かないかあ」と独り言のように言っているが、息子はオフには友だちと遊ぶのに忙しくなかなかのってこないので、淋しげ・・・・・
いっしょにわたしがいってあげようかなあとも思うのだけど、6月も日曜日は忙しいし、わたしも釣りがおもしろいと思ったのは、1回こっきりだし、山国なので海までかなり遠いし、めんどうくさいのが先にたつのだ。何年も前にサヨリ釣りに行ったことがある。あの時はもう入れ食い状態で、さおを投げればすぐにかかって、どんどん釣れて「きゃあ、きゃあ」言って食べきれないほどのサヨリを釣って帰ってきた。釣れれば釣りほどおもしろいものはないけど、釣れないと釣りほどつまらないものはないなあ、と当たり前に思ったりした。帰ってきてサヨリをさばくのにかなりの時間がかかって大変な思いもしたけど、お刺身も天ぷらもめちゃおいしかった!
次女がまだ小さいとき、3人でキャンプしながら釣りにいったこともあった。朝つれたアジを朝ごはんに食べていたら、地元のおじさんが「昨日の夜、どざえもんがあがってさあ」・・・・・・ぐっ?おもわずアジの味がビミョウになった。娘は「どざえもんってなあに?ドラえもんの仲間あ?ねえ」・・・・・・確かに・・・・ドラえもんと同じような仲間のような・・・・
と、まあ釣りにはそんな思い出もありますが、年をとったらふたりで釣り・・というのもいいかなあと思ったりする。
お父さんは老後は海の側に暮らして釣りをしたいと言っている。わたしは?というと「おまえは釣った魚を干物にしてリヤカーで売って歩けば?」と言う。
それじゃあまるでお父さんは干物・・・じゃなかったヒモじゃん!わたしだけけっこう苦労する生活の設計図じゃん。
わたしは老後はどちらかというと都会に住みたいのだ。そんでもってけっこう刺激的に暮らしたい!

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キリストと親鸞

2006-05-22 16:11:28 | Weblog
映画ダヴィンチコードが公開されて、論争になっているんだけど、今読み進めている「親鸞」を考えながら思ったことがあった。
わたしは無宗教の人間だから、キリスト教を信じている人や、仏教を信じている人とは、また考え方が違うかもしれないのだけれど・・・・ダヴィンチコードでは、イエスキリストには奥さんがいたというところで、たぶん論争になっていると思うんだけれど、親鸞も妻子を持たないのが普通であった当時に、奥さんも子供も持った生活をした僧で、その生き方は僧というより、もっとふかく思想を追求した生き方をした人だったように感じる。
親鸞の伝記のなかでも奇跡を起こした例がいくつか書かれているが、本当の親鸞はもっとも人間的でそして、深い思索をしていた人物のように思う。
イエスキリストがもし人間であったら、親鸞とおなじような生き方をした人ではないかと、わたしは思うのだけれど、キリスト教の人にとってはそれは納得できないことでもあるのだろうと思う。
宗教の論争をしたいわけではないのですが、いつの時代も宗教は政治的なものに利用されてきたことも、歴史のなかでは事実でもある。

わたしは親鸞もイエスキリストもとても魅力的な人物だと思う。またダヴィンチという人も絵を描くために人体を徹底的に調べた人で、芸術家でもあるし、化学的なものの見方をしていたような気がする。

朝起きたら、ベランダに鳥の屍骸が散乱!ギョエー、こだまが捕ってきて食べずにぐちゃぐちゃにして放ったまま・・・・
なんてかわいそうな・・・・食べてあげたら命の糧にもなったのに・・・・庭に埋めてあげました。捕るのは本能なので仕方ないですが、こういうのが一番かわいそうになる。釣りが大好きなのに、魚をあまり食べない我が家のお父さんにどこか似ている。殺生な・・・

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