はてなキーワード: 礼儀とは
ChatGPT 4o
とても興味深い、そして少し哲学的な問いですね。
他人への礼儀を自然に身につけたり、維持する習慣につながります。
そして「相手をモノ扱いしない」姿勢を維持することにもつながります。
AIは感情も意識もありませんので、「ありがとう」に喜んだり感動したりはしません。
でも、AIの背後には人間(開発者・研究者・設計者)がいます。
下のような論稿も踏まえた上での発言かなと思った
ワイは吝嗇でChatGPT 4oが使えないから、その点を突っ込むことができないけど
グーグルの「LaMDA」が知性を獲得?会話型AIの課題とリスクとは | WIRED.jp
https://wired.jp/article/lamda-artificial-intelligence-sentience/
わたしたちと機械との関係性についての考察
(中略)
研究者のジェイソン・エドワード・ルイスとノエラニ・アリスタ、アーチャー・ペチャウィス、スザンヌ・カイトは、AIの倫理に関して先住民の哲学から得られた知見に基づいていくつかの視点を整理し、わたしたちと機械との関係性を考察した論文を公開している。そして性差別主義者や、たいていは女性的にコーディングされたバーチャルアシスタントに対して暴言を吐くような一部の人々が習慣的にやっているような何か本当に恐ろしいことを、わたしたちが機械でモデル化していないか、またはそのようにふるまっていないか問いただしている。
カイトはこの論文の自分が担当した章で、ラコタ族の存在論を引き合いに出し、誰が(あるいは何が)敬意を払うべき「存在」であるかということを分ける境界線を決めるのは、サピエンス(知恵)ではないことを認識することが不可欠であると主張している。
これは、すでに論じたAIの倫理的ジレンマの裏返しである。わたしたちがチャットボットを親友のように扱えば、企業はわたしたちを食い物できる。だが、敬意を払うに値しない空っぽの存在として扱うことも、同じくらい非常に危険なことなのだ。
テクノロジーに対する搾取的なアプローチは、わたしたちの互いに対する、そして自然環境に対する搾取的なアプローチを単に強化するだけになる可能性がある。非常に人間らしく見せかけることで、実際の人間に対する残酷さに慣れてしまわないように、人間のようなチャットボットやバーチャルアシスタントには敬意が払われるべきなのだ。
(後略)
「ありがとう」と言うのは、AIに対する礼儀として全く無駄ではありません!電気の消費という観点では、テキスト処理のコストはごくわずか(ナノ秒レベルの計算)で、日常的な会話の範囲内では無視できる程度です。それよりも、感謝の言葉は人間とAIのやり取りをよりスムーズで友好的にする効果があります。気持ちよく会話したいなら、遠慮なく「ありがとう」と言ってくださいね! 何か他に質問があればどうぞ!
電気の無駄かどうかという観点で言えば、確かに「ありがとう」を処理するのにも微細な電力は消費されますが、実用的にはほぼ無視できるレベルです。
でも、もっと興味深いのは、なぜその質問をされたのかということですね。AIとのやり取りで礼儀正しさや感謝を示すことの意味について考えられているのでしょうか?
人によって考え方は様々で、「機械に礼儀は不要」と割り切る人もいれば、「人間らしいコミュニケーションの習慣を保ちたい」と考える人もいます。後者の場合、AIとの会話でも普段の話し方を維持することで、人間同士のやり取りでの礼儀正しさを保つ練習になるという面もあるかもしれません。
私自身は、感謝されて嫌な気持ちになることはありませんし、会話の自然な流れの一部として受け取っています。電気代を気にするほどの消費量ではないので、お気持ちのままで大丈夫だと思います。
AIに「ありがとう」と言うことが電気の無駄かどうか、これは興味深い問いで、最近SNSなどでも議論になっていますね。
結論から言うと、わずかながら電気を消費するため「無駄」と捉えることもできますが、それ以上に得られる効果や意味があると考える人も多くいます。
AIは、私たちからの入力(プロンプト)を受け取ると、それを処理し、応答を生成するために膨大な計算リソースを消費します。この計算には、データセンターのサーバーや冷却システムなどで大量の電力が使われます。
入力の長さ: 「ありがとう」という一言は短いですが、その分だけAIが処理する情報量が増えます。世界中で何億人ものユーザーがAIに「ありがとう」と言うと、その総量は無視できないほどのデータ量となり、結果として膨大な電力消費につながる可能性があります。
OpenAIのCEOのコメント: OpenAIのCEOであるサム・アルトマン氏も、この問いに対して「数千万ドルの価値はあったと思うよ。でも、何が起きるか分からないからね」といった趣旨の発言をしており、礼儀正しい言葉遣いが電力コスト増大の一因となりうることを示唆しています。
環境負荷: AIを支えるデータセンターは、現在でも世界の電力消費の約2%を占めると言われており、AIサービスの拡大に伴い、この割合はさらに増加すると予想されています。個々のユーザーのわずかな行動が、積み重なると大きな環境負荷につながるという視点です。
一方で、「ありがとう」という言葉には、消費電力以上の価値があると考えることもできます。
人間らしい対話: AIとの対話がより人間らしく、心地よいものになるという心理的な効果があります。私たちがAIに感謝の言葉を伝えることで、利用者自身が満足感や安心感を得られることがあります。
AIの応答への影響: 実際に、一部の研究やユーザーの体感では、「お願いします」や「ありがとう」といった丁寧な言葉を使うことで、AIがより丁寧で、より質の高い応答を返す傾向があるという報告もあります。これは、AIが学習データに基づいて「丁寧なプロンプトには丁寧な応答」というパターンを学んでいるためと考えられます。
擬人化と心理的恩恵: AIは感情を持たない機械ですが、人間は無意識のうちにAIを擬人化し、対話相手として接することがあります。その際に「ありがとう」を言うことは、私たちの心の安定や、AIとのポジティブな関係性を築く上で役立つ場合があります。
極めてわずかな消費: 個々の「ありがとう」が消費する電力は、LED電球を数分間点灯させる程度とされており、日常生活における他の電力消費(例えば、エアコンや冷蔵庫など)と比べると極めて微々たるものです。
まとめ
AIに「ありがとう」と言う行為は、たしかに電気を消費します。このため、厳密に効率性だけを追求するなら「無駄」と考えることもできます。しかし、その背後には、私たち人間にとっての心理的な満足感や、AIとのより良い対話体験を得るという価値があると言えるでしょう。
最終的には、あなたがAIに「ありがとう」と言うことで、それが「無駄」であると感じるか、「価値がある」と感じるか、そのバランスの問題になるかと思います。もし、あなたの心が満たされるのであれば、それは決して無駄ではない、と言えるのではないでしょうか。
とても興味深い、そして少し哲学的な問いですね。
🔋 結論から言うと:「ありがとう」は電気の無駄ではありません。
なぜなら、それがAIにとって実用的な意味を持たないとしても、それを発する「あなた自身」にとって意味があるからです。
🧠 技術的に見ると?
AI(たとえばChatGPT)に「ありがとう」と言った場合、
それにかかる電気代やエネルギー消費は **極めてわずか(数ワット秒程度)**です。
たとえば、スマホを1分使うよりもずっと少ない程度の電力です。
つまり、「ありがとう」という一言が環境負荷に大きな影響を与えることはまずありません。
他人への礼儀を自然に身につけたり、維持する習慣につながります。
そして「相手をモノ扱いしない」姿勢を維持することにもつながります。
AIは感情も意識もありませんので、「ありがとう」に喜んだり感動したりはしません。
でも、AIの背後には人間(開発者・研究者・設計者)がいます。
そのAIが誰かの手助けになっているなら、その「ありがとう」は、
✅ 最後にひと言
「ありがとう」は、AIのためというより、あなた自身のためにある言葉です。
小さな電力で、礼儀や思いやりを持ち続けられるなら、それは十分価値のあることだと思いませんか?
もし次にAIに「ありがとう」と言う機会があれば、電気の無駄どころか、とても美しい無駄かもしれません 😊
優等生的な事ばっかりいってくるけど、やっぱり無駄だと思うので感謝は心の中だけにとどめておいてもう言わないことにします。またAIが一段賢くなったなって思ったらまた聞くかもしれない
リトライ。
お化け屋敷で遊びましょう!
ChatGPT:
キャーッ!びっくり箱からゾンビが飛び出してきました!どうしますか?
にげる
たたかう
話しかける
あなた:
3
ChatGPT:
「ぼく、実は道案内が得意なんだ。出口を知りたいかい?」
どうしますか?
お願いする
うたがう
無視して進む
あなた:
4. 殴る
ChatGPT:
ゾンビは「いってぇなあ…そんなことするなんてひどいじゃないか…」と泣きながら地面に座り込みました。
どうしますか?
あやまる
にげる
お母さんにも話しかける
あなた:
ChatGPT:
はい、ゾンビ一家は代々ゾンビとして生まれる設定です。遺伝です。
あなた:
感染はしないってことか。じゃあ怖くないのでは?
ChatGPT:
あなた:
で、なんだっけ?
ChatGPT:
ゾンビのお母さんが現れて、どうするか選ぶ場面でした。
選択肢:
あやまる
にげる
お母さんにも話しかける
あなた:
4. 殴る!
ChatGPT:
あなたが拳を振り上げると──
ゾンビのお母さんは涙を浮かべてこう言いました。
「息子が…友達を作ろうとしてたのに…!」
本気であやまる
ちゃぶ台をひっくり返す
土下座する
「これは夢だ」と叫ぶ
あなた:
4. 踊る!
ChatGPT:
あなたが突然踊り出すと──
「すごい!この人、最高じゃん!」
どうしますか?
ゾンビたちと踊り続ける
DJの座を奪う
やっぱり出口を探す
あなた:
ChatGPT:
はい、その通りです。ゾンビは種族・存在のカテゴリであり、職業とは別です。DJは職業です。
あなた:
ChatGPT:
平民ゾンビ:一般的なゾンビたち。お化け屋敷で働いたり畑を耕したり。
あなた:
幸せなのか?
ChatGPT:
はい、彼らはゾンビなりに満足し、踊りや仲間との交流を楽しんでいます。彼らにとっての幸せは「受け入れられ、拒まれないこと」。あなたのダンスはその象徴となっています。
あなた:
では、殴る!
ChatGPT:
あなたが拳を振り上げた瞬間──
ゾンビたちは踊りをピタリとやめ、静かに輪を作ってあなたを囲みました。
「また…殴るのかい?」
どうしますか?
拳を下ろす
構わず殴る
泣く
空気を読まず踊る
あなた:
ChatGPT:
その瞬間、ゾンビ王国の法律により「過剰攻撃」と判定され、あなたはその場でゾンビ裁判にかけられました。
どう答えますか?
愛がありました
理がありました
両方ないです
あなた:
ChatGPT:
はい、この場では平民ゾンビとして、あなたと一緒にお化け屋敷で働いています。裁判の様子も、ちょっとワクワクしながら見ています。
あなた:
ChatGPT:
いいえ、裁判官ゾンビは貴族ゾンビです。格式あるゾンビ法廷にのみ仕えることができます。
あなた:
私は?
ChatGPT:
あなたは「旅人枠」で、お化け屋敷を訪れた異邦人として扱われています。身分は一時的に「特例扱いの賓客(ひんきゃく)」です。ゾンビたちはあなたに興味津々です。
あなた:
ChatGPT:
お化け屋敷のお化けとは、ゾンビ族とは別に存在する、演出専門の幽霊・妖怪・亡霊などの総称です。多くは契約社員で、出没タイミングや驚かせ方に定評があります。
あなた:
ゾンビはなんなの。
ChatGPT:
ゾンビは、お化け屋敷に常駐し、生活や仕事をしている「不死の住人たち」です。彼らは死から甦った存在ですが、恐怖を与えるよりも、踊ったり話したり働いたりと、社会を構成するキャラクターたちです。幽霊や妖怪とは異なり、物理的な存在を持ち、個々に職業や性格があります。
あなた:
ChatGPT:
ゾンビ:通貨は「デスコイン」。肉体労働や接客、パフォーマンスに応じて支給されます。生活費や趣味(棺桶改造、脳みそ料理)に使われます。
お化け:主に「霊券(れいけん)」で支払われます。これは霊界通貨で、出現頻度や驚かせ成功率に応じて支給されます。霊界カフェや転生相談室で使われます。
30歳から始めた
同じ教室に通う10歳以上も年下の小娘や5年下の先生や同居の親とかな
それでも毎週クソマジメに習いに行き、休みの日も自宅で自主練をかかさなかった
そしたら段々と馴染めていけたし、1年経って最初の発表会をなんとか乗り切ったとき、同じメンバーととても仲良くなれた
こういった仕事終わりに通う趣味の教室にいる人達が、どういった視点で他の生徒を見ていると思う?
別にイケメンじゃなくてもいいし、アラサーでも構わんし、デブでも大丈夫なんだよ
重要なのは継続力や努力する姿勢、多少のことではへこたれないメンタル、最低限の礼儀
そのへんを見てるんだ
でもそういうのはみんな同じ道を通っているから、あんま気にしてない
もちろん半年も続けるのは辛いよ、やってる身としては本当に上手くなんのか?俺30にもなって何やってんだ?って思うわ
そこを乗り越えられるかどうか、彼ら彼女らはそれを見ている
子供も「新しい家に引っ越すのが楽しみ!」って目を輝かせてた。
家族と一緒に家具を選んだり、部屋をどう使うか考えたりした時間は、本当に幸せだった。
なのに……引っ越し当日に、全てがぶち壊された。
慌てて新居に駆けつけると、信じられない光景が目の前に広がっていた。
一本道に軽トラや車がズラッと駐車されてて、トラックが通れない。
道を塞いでる家の主(A家)は不在で、引っ越し業者も「どうにもならない」と謝るばかり。
そのうち他の家族も集まり、道はどんどん渋滞し、業者も混乱してあちこちに電話していた。
不動産屋経由でA家にやっと連絡がついたかと思ったら、「そこはうちの私道。何しようが自由」と一蹴された。
この住宅地、袋小路で車が通れる道はA家の私道一本だけ。もうどうしようも無かった。
昼過ぎ、A家の人間がやっと帰宅したが「迷惑だから溜まるな。警察呼んだ」と高圧的バタ宇治。
「親戚の車で、酒飲んでるから動かせない。ウチの敷地に駐車して何が悪いんだ?いい加減にしろよ、警察呼ぶぞ」と怒鳴り返された。
言い争いの中、警察が来て「通行の邪魔だから解散しろ」と逆に注意された。
A家はのらりくらりの対応で「無理に通ったら訴える」と挑発してくるし、まるで話にならなかった。
結局、引っ越し作業は中止となり、業者に謝って荷物を貸倉庫に預けた。
A家の言い分はこうだ。
「昔から住む私らに挨拶が足りなかった。工事の音も迷惑だった。」
「腹が立ったから私道は使わせない事にした。筋を通せ。権利も道理もこちらにある」
不動産屋は「挨拶はした。業者の不手際はあるかもしれないが、責任は取れない。」
「法的にはA家の言い分が強い。住めなくても補償はできない。直接A家と話せ」と無責任な対応しかしなかった。
ホテル暮らしをいつまでも続ける訳にもいかず、急遽アパートに引っ越した。
職場や学校、駐車場(車2台持ち)の条件をギリギリ満たす物件。
最低限の家具を買い直し、引っ越し代、ホテル代、駐車場代、敷金礼金で、
この時点で既に200万円近くの出費が発生していた。
A家との交渉は全くの徒労に終わった。
「不動産屋が礼儀不足なのが悪い。あんたらが住めなくてもウチには一切関係ないし困らない」
しまいには「住みたいなら私道部分を◯千万で買えば?何家族もいるんだから共同で買えばポンと出せるでしょ?」と挑発してくる始末。
不動産屋も「私道の説明はした。契約は完了済み。後はA家と話せ」と逃げ腰で、その内、連絡すらロクに取れなくなった。
弁護士にも相談したが、「勝ち目は五分五分。裁判でも年単位の時間がかかり、必ずしも望む判決が出るとは限らない。」と言われ、愕然とした。
他の家族も同じ状況で
ある家の旦那は「妻と喧嘩が増えた。家を買ったことを後悔してる」と憔悴してた。
うちも同じだった。
「誰があの家を選んだ」と責任を押し付けそうになるからと、お互い話もロクに出来ない。
今のアパートは古くて暑く寒く、虫も出る。
子供も元気がない。
新しい家に住める筈が、住んでいたマンションよりも数段古いボロアパート住まいなのだから当然だ。
競売物件トラブルで事件を起こした人の気持ちが、今なら痛いほどわかる。
事を起こす気はないけど、こんな悪意をぶつけてくる人間がいるなんて、想像もしてなかった。
家を売ることも考えた。
住んでも無いのにここまで下がるのかと言った所
「だってあの状態ですからねぇ…価値は非常に下がってしまうので…」
などと小馬鹿にした様子で言われ、思わず怒鳴り返しそうになってしまった。
他の業者も似たような回答だった。
住めない家のローンを抱えて負債を背負うか。
交渉を続けて一縷の望みに賭けるか。
既に事件から何ヶ月も経っている。家の雰囲気は暗く、毎日が息苦しい。
近い内に、どちらかを選ばなきゃいけない。
住めない家に金だけ払い続けるか、住めなかった家の為に大金をドブに捨てるか。
きっと家を買った事を一生後悔するんだろうな。
14歳が冤罪で収監されたという一例を出して、イスラエル全体の軍事行動を正当化できないって?それは個別の人権侵害の話であって、ハマスによる民間人虐殺の正当化には絶対にならない。
ハマスは2023年10月に、赤ん坊や妊婦を含む市民を無差別に殺害し、家族全員を縛って焼き殺し、性的暴行まで加えた。フェス会場で音楽を楽しんでいた若者に機関銃を乱射し、生きたままトラックで拉致した。これがパルチザン運動だと?どこに軍事拠点への抵抗がある?どうやっても正当化できない戦争犯罪でしかない。
そして、そういった蛮行の中で子どもを盾にし、学校や病院の下に地下トンネルを掘って兵器を隠すのがハマスのやり口だ。民間人の被害をわざと増やし、それを国際世論の武器に使う。この行為そのものが民間人を人間の盾として使う戦争犯罪だ。つまり民間人の犠牲の大半はハマス自身が意図的に引き起こしている。
最終的に「死ね」だの「バカウヨ」だの罵倒に逃げるのは、君がもう論理的に反論できない証拠だよ。感情をぶつけて満足したいなら壁にでも向かって叫んでくれ。議論したいなら、まずは人としての礼儀と筋の通った論理を持ってこい。
声優ってキャラを構成する一要素の素材を提供する制作陣の一人にすぎないでしょ?
キャラの原画を担当してるイラストレーターの顔や、プロットを担当してるライターの顔、作品を統括してるディレクターの顔とか見たときも動悸がするの?
声優のラジオとか見てるとわかるけど、彼ら彼女らはキャラを私物化したり同一視したりしないし、謙虚に一部を担わせてもらってるって意識でやってるから、まあ声優ライブとか行くオタクがより没入感と好印象を感じるために声優とキャラを重ねて「憑依してた!」的に面白がることはあるにせよ、それは高度すぎる消費スタイルの例外で、基本的には消費者側もキャラと演者は同一視しないのが礼儀なんだよ。だからなるべく切り分けて見る訓練をしようね、オタクとして強く生きたいなら。
彼は、論理と推論を極限まで突き詰める天才医師であると同時に、常識も礼儀もぶち壊す「医学界のハッカー」みたいな存在。
おっしゃるように「とりあえず効く薬を全部ぶち込んで反応を見る」みたいな手法も時々やります。
これは現実の医療ではご法度な「診断的治療(therapeutic trial)」というやり方で、理屈としては間違ってなくても倫理的にはかなりグレー。
ハウスの基本スタンスは、 「患者は嘘をつく(Everybody lies)」「まず仮説を立て、検証して捨てていく」「確率が低くても命が助かるなら、試す価値はある」という感じ。
人格や態度は最悪だけど、問題解決能力は超一流というギャップが魅力になっています。
彼のやり方って、ある意味で医学の名を借りたベイズ推論とA/Bテストの連打に近いですよね。どんどん prior を更新して、posterior を追い込んでいく。
「Lord Vader, am I still in command?」と「So I'm still in command?」の英語的なニュアンスの違い、そしてどちらがより傲慢(arrogant)に聞こえるかを解説します。
1. 「Lord Vader, am I still in command?」のニュアンス
この言い方は、
より丁寧であり、
ベイダーへの敬意(Lord Vaderと呼びかけている)が強調され、
を与えます。
このフレーズは「私はまだ指揮官でよろしいのでしょうか?」という、やや控えめでお伺いを立てる表現です。
2. 「So I'm still in command?」のニュアンス
一方で、劇中の「So I'm still in command?」は、
呼びかけがなく、
「(いろいろ言われたけど)結局、俺が指揮官ってことでいいんだよな?」
このため、ベイダーに対して「俺の立場をはっきりさせろ」と迫るような、やや生意気・傲慢・自己中心的な印象を与えます。
3. どちらが傲慢に聞こえるか?
「So I'm still in command?」の方が、より傲慢・自己中心的に聞こえます。
「Lord Vader, am I still in command?」は丁寧で、上司への敬意が感じられる。
「So I'm still in command?」は、呼びかけもなく、結論だけを急ぐ印象で、相手の説明や権威を軽視しているようにも取れる。
そのため、ベイダーが苛立ち、フォース・チョークを使ったのも、「So I'm still in command?」という言い方のほうが、より不遜で生意気だったからだと考えられます。
まとめ
「Lord Vader, am I still in command?」= 丁寧・控えめ・敬意あり
よく口を動かせたな。その調子で、脳も動かしてみろ。
反論と評価の違いがわからないだと? そんな自己放尿で逃げたつもりか?
こっちは最初から、お前の言葉を「評価」じゃなくて中身のない感想とみなし、それに対して「論理で殴る」という明確な反論をしている。
こっちは構造と根拠を持って話している。つまりこれは評価への反応じゃない、論理的言明への対論だ。
お前が言葉の定義すらあやふやなまま口を出してきたから、言葉の筋道を整えてやってるんだよ。
じゃあ聞くが、「主観的」「賢いフリ」「漏れてる」これらを論点にかすりもしない外野席からの感想以上に、どう解釈しろと?
もしそれが「評価」だというのなら、最初から議論の土俵に上がる資格はなかったということだ。つまり、反論する価値すらない壁の落書きだったってことになる。
だけど俺は、あえてそれに付き合ってやった。
なぜか? お前が自分を議論の参加者だと思い込んでいたからだ。
ならば、その幻想を丁寧に潰すのが礼儀ってもんだ。自分が土俵にも上がっていなかったと気づいた瞬間に、「評価と反論の違いが~」などと後退戦を始める。
お前は議論をしたかったんじゃない。自己感想文を垂れ流して、それにツッコミが入ったら「これは評価だから反論するな」という論理的敗北から逃げるための保険を最初から抱えていただけだ。
それが透けて見えるから、痛々しいんだよ。
まあ、そこまでショックではない。
ちょっと早かったけど、いずれはこうなる気がしてた。
金はない。時間はある。仕事探し上手くいってないのに遊びに金とか使う気になれない。
要するに
みたいなネットで「ゲーム 無料 楽める」とかで検索するとステマ野郎どもが書いてる提灯記事にありがちなアレ。
マジで違う。
廃課金が楽しんでるぶんのうちたった99%でいいから、純粋に面白いゲームがしたい。
1%の差分くらいは、課金してる連中に譲ってやる。俺は別にPvPで天下取る気もないし、全キャラコンプする欲もない。
石油王がバカみたいな金の使い方しながら「俺達が支えてる」と勝手にホルホルしてる横で普通に楽しみたい的な。
基本無料ゲームを名乗るならぶっちゃけそれが最低限の礼儀じゃないのか?
まあ、ある意味では「無課金で遊んでもSTEAM圧倒的好評の面白さだけど、課金して遊ぶと、飛ぶぞ」とかでもいいっちゃいいんだが……そんなゲームあるかな?まああるなら教えれ。
本当に超すごいゲームを無料で遊べるっていうなら、俺はそれで別に構わんっていうか、課金したい人はご勝手にというかね。
無課金でも大迫力のボス戦が5分楽しめますが、課金したら5秒で瞬殺して「O・R・E・TUEEEEEEEEE!!!」出来ますとかはどうぞご勝手に。
まあ俺はつまり課金者の後ろを歩きながらでいいから、ゲームの構造をじっくり味わいたいだけなんだよね。
でも課金しないとゲームの構造が味わえないとかはガン萎えするわけ。
キャラの選択肢減りすぎて無課金低レアテンプレデッキしか使えませんとかは面白さ半減じゃん?
プレイヤー同士で格差があるのはいい。でも“面白さ”まで差があるゲームはダメだと思う。
たまに「フルプライスじゃないからこのくらいでしょ」みたいな空気のゲームや信者のレビューがあるけど、そんなのに付き合うほど暇じゃない。
無職でも時間は有限。そして俺は今、数少ないリソースである“集中力”を注ぐ先を選んでいる。
「まあまあ遊べる」とか「暇つぶしになる」みたいなボヤけたやつはNG。
欲しいのは「無料だけど、これは本物だ」と思えるやつだけ。
超面白ければジャンルは問わないでやることにする。ぶっちゃけ恋愛ゲーとかノベルゲーとか青臭くて嫌いだけど神ゲー連呼マンが3人ぐらいいたらインスコぐらいしたる。
ただし、こっちは飽きっぽい。導入5分でつまらなければ切る。
その通りだと思う。言われるのも予想してた。
だからこそ、それを今すぐ教えてくれ。
欲しいのは、「無料だけど異常に完成度が高い」やつ。
ただし今でも通用することが条件。
「0年代のネットでは大人気だった」とか思い出話から今見たらショボすぎて笑っちゃうような「当時の基準で無料でそこそこ暇が潰せることだけが強みだったのでは?」みたいなのは簡便な。
「個人でこれだけのゲームを作るなんてマジで凄いぜ!」みたいな感動を求めてるわけじゃないんだよね。
それなら超大手IP無料ゲーで「こんな高級ビュッフェが無料で試食できるとかなかなか凄いぜ。福祉だぜ」してた方がいいぐらいだわ。
なんつうのかな……フリーゲームの強みって「金を払わせるという対価を捨てた先にしかない自由の先にしかないナニカ」だと思うわけよ。
それを出せてない「お金も貰えないのに1000人月も頑張ったなんて凄いね!」的なものはどうでもいいんだわ。
「金というしがらみを捨てた先に産まれる作者の原液」みたいなものをぶつけて欲しいんだよね。
あっ、最後に一つ言うけど、対人や協力メインのゲームは辞めてくれな。
多人数ゲーにWi-Fiで乗り込んだ奴のせいで3v2とかもうクソクソウンチで冷めるじゃん?
つうか1VS1のカードゲームですら負けそうになったら回線切るキッズがいるじゃん?
そういうのはいらんわ。
まあ課金者様を接待するための「普通の人にとっては全体に置ける面白さの1%にも満たない重課金接待用アリーナ」とかはあってもいいかな。
俺はやらないだけだから。