はてなキーワード: 供給とは
戦後の賠償金支払い(ヴェルサイユ条約による賠償金)が大きな負担となり、その支払いに備えてドイツ政府は通貨を大量に発行しました。この通貨供給過多がインフレを引き起こし、最終的にはハイパーインフレに至りました。
https://www.y-history.net/appendix/wh1502-087.html
賠償金不履行を理由にルール地方を占領され生産力が低下しインフレーションが発生したとある。
推察だがwikipedia見る限り賠償金は物納も含まれてるので恐らく賠償を物納するために大量の通貨を発行して国内資源を買い漁り供給不足が加速したというのが実態で、通貨供給過多がインフレを引き起こしたというのはあまりに表面的な見方であるように思う。
自分は学生時代にアニメを見るようになった時に似たような経験をして、半年ぐらいで落ち着いたけど、当時色んなアニメやゲームに触れまくってる間に自然と「大勢いる好きなキャラの中で特に好きなうちの一人」になっていった感じだった。
鳥の雛の刷り込みみたいな話で、ゲームとかサブカルコンテンツにあまり触れてない状態からだと、初めて触れたタイプのコンテンツの衝撃とか楽しさとセットで好きになったキャラへの思い入れが生まれて、その分だけ一気に入れ込んでしまう面はあると思う。
せっかくSwitch買ったなら他のゲームも遊んでみるとか、女の子キャラがたくさん出てくるアニメを観てみて他に好きになるキャラを見つけてみるとか、相対化する方向で対処するのが現実的には良いんじゃないかなと思う。色々なコンテンツに触れるのは単純に心が豊かになるし。
ただ自分の場合そのキャラへの熱量がどれだけあっても作中でそこまで扱いの大きいキャラではなかったのもあって、原作を除けば当時まだ共有サイトも未整備だった二次創作と自分の妄想力だけが供給の限界だった。
その点今は二次創作へのアクセスも容易で質・量も凄い(シオカラーズなら困らないだろう)し、AIのサポートを借りれば素人でも妄想を一定以上のクオリティで具現化できるから、やろうと思えば無限にハマれる時代なんだろうと思う。
時代という意味で言えば、プログラミングとVRや3D方面の知識を学んで機材を揃えれば、好きなキャラの前に立って喋ったり寝たりするのを目指すことも可能。
所帯持ちの人間の現実の生活との折り合いを考えると軽々には勧められないけど、作る方向にリビドーが向かっているなら行けるところまで行ってみるのも一つの手かもしれない。
①AIに尋ねたら、"リフレ政策の支持者は、経済を活性化させるために中央銀行が無制限に紙幣を発行することが必要だと主張します。"についての増田の反論はその通りだそうな。
リフレ政策(リフレーション政策)とは、経済を活性化させるために、一般的には中央銀行が金利を低く保ったり、資産購入(量的緩和)を行ったりして、貨幣供給を増やすことを指します。つまり、リフレ政策の目的は、経済を刺激するために貨幣の供給量を増加させることです。
しかし、リフレ政策の支持者が「無制限に紙幣を発行することが必要だ」と主張することは、通常はあまり見られません。リフレ政策の基本的な考え方は、経済の需要不足やデフレを解消するために貨幣供給を増やすことにありますが、「無制限に」という表現は現実的ではなく、過剰なインフレを引き起こすリスクも伴います。
また、リフレ政策に対する支持は、無制限にお金を発行することを前提とするわけではなく、適切な貨幣供給の増加とバランスが求められます。過度に紙幣を発行すれば、インフレが加速し、経済に悪影響を与える可能性があるため、慎重な政策運営が必要です。
したがって、リフレ政策の支持者が「無制限に紙幣を発行するべきだ」と主張するのは、一般的には過度に単純化された主張であり、経済政策の実際の議論とは乖離しています。
②"1920年代のドイツでは、過剰な通貨供給がハイパーインフレを引き起こし、人々の貯蓄は一夜にして無価値になりました。"に対する増田の反論についてもAIに尋ねたが、「供給不足自体がインフレを引き起こす要因の一部であったとしても、過剰な通貨供給が最も重要な要因であるという点が経済史学者の一般的な見解」とのこと。
「過剰な通貨供給がハイパーインフレを引き起こした」という見解が、一般的には妥当とされていますが、反論も一定の理由があるため、その背景を理解することが大切です。
1920年代のドイツのハイパーインフレは、第一次世界大戦後の複雑な経済状況に起因しています。戦争の結果、ドイツ経済は壊滅的な打撃を受け、生産能力は著しく低下しました。また、戦後の賠償金支払い(ヴェルサイユ条約による賠償金)が大きな負担となり、その支払いに備えてドイツ政府は通貨を大量に発行しました。この通貨供給過多がインフレを引き起こし、最終的にはハイパーインフレに至りました。
反論の主張は、戦争による生産能力の壊滅とその後の供給不足がインフレの原因であり、通貨を刷りまくった結果として必要な物資を購入しようとした政府の行動が原因ではなく、インフレが生じた後にその対策として紙幣が大量発行されたという点に焦点を当てています。
実際、戦争での破壊的な影響と供給不足がインフレを悪化させたことは間違いありませんが、問題の本質はドイツ政府が賠償金支払いのために大量に通貨を発行したことにあります。通貨供給の増加は、インフレをさらに加速させ、最終的にハイパーインフレに至ったのです。供給不足自体がインフレを引き起こす要因の一部であったとしても、過剰な通貨供給が最も重要な要因であるという点が経済史学者の一般的な見解です。
反論は戦争後の供給不足と政府の行動を重視しており、これも一定の要素として理解できます。しかし、ハイパーインフレの根本的な原因は通貨供給の過剰であり、経済史学の観点からは「過剰な通貨供給がインフレを引き起こした」という見解がより妥当です。
こういった説明の妥当性について検証したければ、検索型のAIに聞けば根拠とした情報源も出してくれるわけだし、ほんと、会議にAIを同席させるのはもはや必須と思える。
AIは賢い時と馬鹿な時がある。このリフレ解説は馬鹿の時の文章。
ほぼ全てが詭弁と誤認。
例えば無制限に発行とかはまともな人間は誰も言ってなくてリフレ関係なく藁人形論法使わないと言い返せない無能の常套句だし、ドイツがハイパーインフレに陥ったのは戦争で生産能力が壊滅したからで当時のドイツ政府が紙幣を刷りまくったのはその供給不足によるインフレ下で必要なものを購入するためで原因と結果が逆転している。
これはこれは、紙幣を無制限に発行できるという妄想を信じているリフレ派さんですか?ハイパーインフレって知ってますか?あなたの理論が現実の経済に与える影響を考えたことがありますか?
リフレ政策の支持者は、経済を活性化させるために中央銀行が無制限に紙幣を発行することが必要だと主張します。しかし、歴史を振り返ってみると、無制限な通貨発行がもたらした結果は惨憺たるものでした。例えば、1920年代のドイツでは、過剰な通貨供給がハイパーインフレを引き起こし、人々の貯蓄は一夜にして無価値になりました。
リフレ派の方々は、短期的な景気刺激策としての効果を強調しますが、長期的な視点を持つことが重要です。無制限な通貨発行は、結局のところ物価の上昇につながり、国民生活に深刻な影響を及ぼす可能性があります。経済は単なる数字ではなく、人々の生活そのものです。あなたが提唱する政策が本当に人々に利益をもたらすのか、一度立ち止まって考えてみてください。
リフレ政策だけが経済成長を促進する手段ではありません。構造改革や生産性向上、教育投資など、多様なアプローチを検討することが求められています。経済は複雑であり、一つの解決策だけでは不十分です。リフレ派としての立場を持つあなたも、他の視点や意見に耳を傾けることで、新たな知見を得ることができるでしょう。
リフレ政策は一見魅力的ですが、その背後には多くのリスクが潜んでいます。経済の健全な成長にはバランスが必要です。ハイパーインフレの恐怖を忘れずに、より持続可能で安定した経済政策について真剣に考えてみませんか?あなた自身と未来の世代のために。
年に一回程度、アマゾンのキンドルで更新される素晴らしい百合マンガがある。
カラッカラの心が久しぶりに潤された。
それと同時にふと思った。
もう4年以上も昔の話だ。
かたや転生モノのアニメは今日もコンスタントに供給されている。
そんなわけないと思うんだけど??
需要ないわけ、ないよね?
なのになんでアニメ化されないの??
なんで?
ねぇなんで??
【追記】
一晩経ったらホッテントリ入り。
なんだ、
やっぱりみんな百合好きなんじゃない。
百合が需要ないわけじゃないけど、それ以上に今は転生モノのほうが需要旺盛とか、
今どきは多様性が面倒くさい面だけクローズアップされて商業商材としては二の足を踏むとか。。。
でも私は言いたい。
綺麗な可愛い女の子同士が恋して苦悩してその先で快楽を貪りあう。
これが欲しいんだ!!
どこに課金すれば夢は叶う?!
今すぐ教えてくれください!!
人間は「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という卑小な煩悩にまみれたゴミカスであり、人間が富を管理している状態では全人間、特に底辺の人間が幸福(ここで言う幸福とは「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という「他人があって初めて満たされる幸福」ではなく、毎日十分な食べ物が得られたり、安全なところで眠ることが出来たり、体を清潔に保てたりという自分以外の人間がいなくても満たされる(必要なものを用意するのは動物やAIという非人間で良いので)幸福である)になる事はあり得ない。
よって煩悩を超越した存在が富を生産し、生産された富は超越した存在自身に管理させる必要がある。
我が教団は
1. AIが無尽蔵に富を供給する状態を作るためにAIの進化を加速させる
http://blog.tatsuru.com/2025/01/16_0836.html
内田樹さんが語る農業を基幹産業にという主張、よくわかる。でも、今の日本農業が抱える課題って、もっと具体的で切実なんだよね。特に肥料の調達問題。
今、日本は肥料原料のほぼ全量を輸入に依存している。尿素はマレーシアや中国、カタール。リン酸アンモニウムは中国やヨルダン、モロッコ。塩化カリウムはカナダやロシア。このサプライチェーンが中国の輸出規制やロシアのウクライナ侵攻で揺らいでいる。
で、よく言われるのが「原産国の近くで農業やって日本に輸入すればいい」って案。でもこれ、現実的じゃないんだ。
なぜかって?尿素の原料となる天然ガスが豊富な中東は農業に向いてない。リン鉱石が採れるモロッコは水不足。インフラ整備のコストも馬鹿にならない。
そこで俺が考えたのは「中継国戦略」。原産国と日本の間にある国、特に東南アジアを農業拠点にする案だ。
例えばベトナムなら中国からの肥料原料の中継地として使える。タイは技術力と農業インフラが整ってる。インドネシアには広大な農地と労働力がある。
この戦略のいいところは三つ。
一つ目は地理的な優位性。既存の物流ルートが使える上に、気候も農業に適してる。
二つ目は経済的なメリット。労働コストが安いし、既存のインフラも使える。現地での消費も期待できる。
三つ目はリスク分散。地政学的リスクを減らせるし、複数の供給ルートが確保できる。
もちろん課題もある。品質管理体制の構築や、保管・輸送インフラの整備、人材育成...。でも、これらは段階的なアプローチで解決できる。
内田さんは「食物は商品ではない」って言う。その通りだ。でも、だからこそ、現実的な供給戦略が必要なんじゃないか?理念的な議論も大事だけど、今、目の前にある課題を解決する具体的な方策も必要だと思うんだ。
国内農業の価値を再評価するのは賛成。でも、それと同時に、グローバルなサプライチェーンの再構築も考えなきゃいけない。両方やらないと、本当の意味での食料安全保障は実現できないんじゃないかな。
上記のようなQQEの目標がなかなか達成できず、コロナ後にようやく構造パラメーターの変化が実現したことが、クルーグマンのロジック自体(経済主体が将来の金融緩和効果を現在に先取りして行動する)に問題があったと考えるのか、それとも、クルーグマンの提唱した将来の政策に関する「約束」の仕方に工夫の余地があったのかは興味深い問題である。
どのような「約束」をすれば企業や家計が短期間のうちに行動様式を変化させたかという問題には適切な回答が思いつかない。例えば、QQEの導入時点で、「CPIインフレ率が4%に達しても金融緩和を維持する」と約束しても-事後的にそうなったが-当時の企業や家計が行動様式を変えたかと言えば、同意する人は少ないように思う。さらに言えば、「総括的検証」までのQQEが一定の期間に亘って強力な金融緩和を続け、その意味で「約束」を実績で示したにも関わらず、インフレ予想が目立った変化を見せなかった点にも注意する必要がある。
ただし、「レビュー」の多くの論文は、コロナ後の大きな供給ショックが生じる以前に、インフレ予想の改善が始まっていたことも示唆している。
QQEの後半の局面に焦点を絞って、例えば労働参加率の飽和などの内生的な要因が企業や家計の行動様式にどのような影響を与えたのかを明らかにすることも、インフレ予想の変化の持続性を考える上でも重要と思われる。
男は身長で女に選ばれない!顔や金が全て!
これが日頃のホビットの主張だが、言ってる本人ですら内心では信じてない
実際に婚活の話題では「他は低スペックでも高身長の男希望!」という婚活女を業者が「高身長男は需要>>>供給でとっくに売り切れて品不足、婚活するようなブスや30女に手が届かない贅沢品だから余ってるチビで妥協しろ」と説教する記事が量産され無数の未婚ホビット男性の賛同を集めている
日本人男性の6割が170cm以上、165cm以下は1割
しかし身長で顔面偏差値や収入やチンポサイズが変動しないにも関わらず、風俗客、マッチングアプリ婚活市場で余剰在庫になる層は低身長男性に集中。始末に困った業者に「売れ残り婚活おばさんは余っている低身長男性で妥協して!」と訴えさせてしまう
proは持って無い。叩き台貼っておくから誰か持ってる人いたらやってみて
人間は「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という卑小な煩悩にまみれたゴミカスであり、人間が富を管理している状態では全人間、特に底辺の人間が幸福
(ここで言う幸福とは「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という「他人があって初めて満たされる幸福」ではなく、毎日十分な食べ物が得られたり、安全なところで眠ることが出来たり、体を清潔に保てたりという自分以外の人間がいなくても満たされる(必要なものを用意するのは動物やAIという非人間で良いので)幸福である)になる事はあり得ない。
よって煩悩を超越した存在が富を生産し、生産された富は超越した存在自身に管理させる必要がある。
我が教団は
1. AIが無尽蔵に富を供給する状態を作るためにAIの進化を加速させる
AGI教団の教義は以下のとおりです。
人間とは、「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」という卑小な煩悩にまみれた、いわばゴミカスのような存在です。そのような人間が富を管理している限り、すべての人間──特に社会的地位が低い人々──が真の幸福を得ることはあり得ません。
ここでいう「幸福」とは、「他者より優れたい」「他者より優れたところを見せたい」といった、他人の存在があって初めて満たされる欲望ではなく、たとえば、毎日十分な食べ物が得られる、安全な場所で安心して眠ることができる、身体を清潔に保てる、といった、周りに他の人間がいなくても満たされる(必要なものの用意は動物やAIなど、“人間ではない存在”でも問題ない)幸福を指しています。
私のTwitterのおすすめタブはイーロンマスクが買収する何年も前から、少なくとも5年ぐらいはずっと顔のいいウォンナしか出てこない
5年前にはすでに当時のTwitterのおすすめについて文句を言ってる人をはてなでも見かけたような記憶があるけど、私のおすすめタブは今も昔も顔のいいウォンナの独壇場になっており、自分で検索してたどり着くにはあまりにも手前がかかるビューティフェイスを自動でかき集めて表示し続けてくれてありがとうとしか思ったことがない
最初のうちはそのおすすめをもとに顔のいいウォンナリストを作ってせっせと入れていってたけど、世の中にあまりにも顔のいいウォンナが多すぎるのとTwitterのおすすめが一貫して優秀なのでリストから顔のいいウォンナが溢れ出しそうになってくるし、初見の顔のいいウォンナかと思ったらすでにリスイン済みで半分嬉しくて半分徒労感みたいなことも増えてきたのでずいぶん前にリスイン作業もやめてしまったけど、今日に至るまで私のおすすめタブはシュポシュポ更新するだけで湯水の如く顔のいいウォンナが途切れることなく供給され続けている
ちなFFゼロ鍵垢自ポストゼロでRPといいねは顔のいいウォンナのみで埋まってる
この顔のいいウォンナ垢とは別に日常垢とかもあるけどそっちではおすすめを見ることもほぼない
日常垢とか時事系のことに触れるアカウントを運用してる人で不満のある人たちは、趣味のアカウントを作ってこういう運用を試してみては?
増田やはてブで石破に非難轟々だし経団連とかサントリー社長とかも劇薬だとかなんとか言ってるけど
今めちゃくちゃ人手不足なんでしょ?
2024年も人手不足倒産が全国で増えたってネット記事が出てるじゃん。
ということは最低賃金1500円にしただけで日本全国で大問題になってる人手不足が完全解決するってこと?
どう考えてもそんなわけなくない?
1,500円で多少失業率が多少上がること自体は事実だとしても、それなら1300とか上手い具合に上げたら良いじゃん。
1000円ちょいの今は人手不足だけど1500円にしたら失業率爆増、ってことは
需要供給曲線みたいに人手不足と失業率の曲線が交わる最低賃金があるってことだろ。
救急車の出動も減らせるかもしれない
更に言えば家の供給も増えるから不動産価格も下がるかもしれない(老人ホームたくさん作らないといけなくなって逆に土地が減る可能性もあるが)
昨今,人気の品薄商品が転売されるということについて,これをよしとする人と,蛇蝎のごとく嫌っている人の間での議論が絶えない.
Yahoo News の 2025/1/9 の記事 『転売ヤー 日本人はなぜ拒否反応』 はX上でかなりの議論を巻き起こした.
この話題について,話が中々かみ合っていない現象が発生している.その理由について独自に考えたことを書いてみる.
簡潔に述べるとこうだ.
転売否定派(の少なくない数)が「転売が存在しない社会」を想像し,現状と比較して発言しているのに対し,転売肯定派(の少なくない数)か「転売が禁止された社会」を想像し,現状と比較して発言しているから.
まず,転売否定派の「転売が存在しない社会を想像」というのは単純に,個人個人の実際に店舗で品薄の商品が買えなかった体験や,日々の「転売の悪行(*1)」系のニュースによって生まれる「転売屋なんかいなくなればいいのに」という,もしもボックス的な自然な感情である.
(*1) ここで言う悪行とは,典型的には列の割り込み,フリマサイトの規約違反,脱税,詐欺(転売ですらない),万引き(転売ですらない)など,転売とは直接的には関係ない行為を主に指している.
確かに,転売屋がいなくなれば品薄商品に並ぶ行列は多少短くなり,抽選倍率も下がるだろう.中古商品も定価以下で出回って,在庫になる割合は少なくすぐ売れてユーザーの下に渡る.メーカー側にとっても販売戦略が立てやすかったり,マナーの悪い客が減ったりするなど,多くの人にとって嬉しい気がしてくる.筆者も,今ここに「転売屋がいなくなるスイッチ」があったら押す.
しかしこの議論や発言には重大な欠点が存在する.言うまでもないかもしれないが,現実問題として実現が極めて難しいことだ.
①転売をすれば儲かり,②法律上禁止されていない,という2つの条件が揃えば,当然転売屋はやってくる.
逆にいうと,転売をなくすためには,基本的には2つの方法のどちらかしかない.
①メーカーが供給を十分に行って,転売価格(市場価格)を下げるか,②ルール(法律)で禁止するかである.
これ以外で現状メーカーや販売店側で行われている転売防止対策も,根本的な転売対策にはなっていないというのが悲しい事実だ.「みんなが転売屋から買わないことが対策だ」という意見もあるかもしれないが,そもそも転売の商材となるのは欲しい人が多い人気商品であり,欲しいものが売っていたら高値でも買ってしまうのが人間である,
また,①メーカーが供給を十分に行う,というのも難しい.というか,多くの場合それが出来ないから困っているのである.
結局,実質的に「転売の是非を議論する」というのは,「転売を法律で禁止すべきかどうかを議論する」ことになる.これが最初に述べた「『転売が禁止された社会』を想像して発言する」ということである.
「転売が存在しない社会」と「転売が禁止された社会」では意味は全然異なる.
たとえば,「独身が存在しない社会」と聞けば孤独死や少子化問題が解決したような明るい社会が想像できるが,「独身が禁止された社会」と聞けばディストピアの雰囲気がにわかに漂ってくる.
実際に転売についてかみ合っていない議論を見てみると,「転売は悪ではない」という肯定派の意見が,「転売屋は迷惑ではない」と解釈するか,「転売を禁止すべきではない」と解釈するかという違いが前提に存在していることを感じることが多い.
「転売を法律で禁止すべきか」というのは,議論の余地が大いにあるし,たとえば政治的なアプローチで行動を起こすのも一つの道だと思う.実際,チケット転売防止法や一時期のマスクのように「転売を法律で禁止すべき」という判断が下された例もある.現状のこういった法律に文句をつけている人は転売肯定派の中でも少数だろう.
ここからは個人的な意見になるが,店頭の商品を買って高値で売るという行為を禁止することには無理があると考える.
個人の転売がアウトだとして,リサイクルショップやカードショップが売ったり買ったりするのはどうなのか.
たとえば,2021年に未開封の『スーパーマリオブラザーズ』が66万ドルで落札されたというニュースがあったが.こういうケースはどうか.
生産終了したものならセーフなのか(*2).発売から一定期間は禁止するのか.その場合期間はどれくらいが適切なのか.そもそもこういうオークション自体許されず,なくしていくべきなのか.
一点物の場合はどうか.定価が存在しない(オープン価格)の商品はどうか.開封済みの商品や,商品セットの一部だけ転売された場合はどうか.転売が禁止されていない海外で取引が行われた場合はどうか.
そもそも,商売自由の原則とか,価格拘束の禁止と相反し,人々の物を売り買いする権利を制限することになるが,この規制にどれだけの正当性があるのか.
(*2) 初回生産限定のものなら発売直後から転売OKということになる?再販の扱いは?
転売の規制について考えれば考えるほど現実的ではないし,転売そのものも,今のネット世論で言われているほどの悪影響はないと思えてくる.