はてなキーワード: 教員免許とは
文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え
https://anond.hatelabo.jp/20220114133403
の筆者です。三年後の現状を追記。
当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています。
当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。
・教職を取る
・ボランティアに参加する
・長期インターンで働く
・バイトをする
・心理学の本を読む
教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。
ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係のリハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから、強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで。
バイトは販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分の無能さを思い知った。
心理学の本を読むのも、コメントでアドバイスしてもらったことだ。アドラーや加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。
とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。
あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。
でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。
第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと。
研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。
ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。
これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。
文学研究が分かりやすく社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。
またバイトとインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死でメモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。
こんな俺なので、社会に出て企業勤めしたところであまり役に立てないように思う。
第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本は教員不足だから)。
学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。
第三に、やっぱり文学が好きだった。
文学ができることの一つに、「目に見えないものを表現できる」というのがあると思う。
俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。
だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活が台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情が存在している。焦り、恐怖、驕り、不安、自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。
こういった説明し尽くせない心持ちを表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか。
不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤や倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。
そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。
修士一年のときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。
博士課程からの奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。
でももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。
最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。
これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会的無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。
誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。
何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています。
俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。
これで何度目か。
二十歳の時に親がリストラされ、学費を払えないと言われ私立の大学を辞め、バイトで金を貯め+4で別の公立大学に再入学した。
教員免許を取って27歳から非正規で教員を始め、1年経つ頃に過重労働とパワハラでうつ病になり1年引きこもる。
その後寛解し非正規で様々な仕事するが結局教員に戻り10年くらい非正規で勤める。
採用試験は毎年受けて、模擬授業は得点開示でも高得点で休憩時間に他の受験者に質問攻めにされる事も有った。
実際に授業は生徒にも同僚にも評価されている実感が有る。
面接も論文も対策を重ねて目立った失点は無いハズだが、比重の大きい面接で毎度有り得ないくらいの低評価。
経験者は筆記試験が免除されるが、敢えて受けた年は8割以上の得点率だった(合格ラインは5割程度)
とにかく、受からない。
仲の良い管理職から「君の経歴だと余程じゃないと受からない」と聞いた事も有る。
酷い模擬授業をした新卒者が合格して、自治体の研究会で再会する事も多々。
自分と同じように前線で活躍する30代、40代で教員採用試験に落ち続ける人を数多く見てきた。
そうした人たちが教員を辞めたり気力を失って堕して行く姿も数多く見てきた。
自分はそうならないとどこかで思っていたが、もう自信が無い。
40代の非正規の教科主任が新卒者や再任用の爺さん婆さんのサポートをしている姿を見て、有り得ねーと思っていたが自分も近い内にそうなりそうだ。
俺は県が運営する児童自立支援施設で子ども達相手に生活指導の教師のようなことをやっている。
児童自立支援施設とは、まあぶっちゃけて言えば、家庭環境が悪くてまともに育ちそうにない(かつてやらかしてしまった)子達を公共施設に入れて育てる寮みたいなところだ。
俺は教員免許すら持ってない。県庁に入るときに地方上級を合格した行政職公務員だ。(いちおう教育学部出身なのだがゼロ免課程で、最初から役所狙いで教師になるつもりはなかったので実習に行かず免許も取らなかった)
そんな俺が子供たちからは「先生」とよばれて生活指導のようなことをしている。
施設は「~~学〇」という名前なのだが、学校ではないし、授業を持って教えるわけではないから、教員でなくてもよいらしい。
教員ですら人が足りてない現状で、「教育学部出身」というところに人事課から目をつけられたのかもしれない。
それが、普通の子供よりも困難な状況にある子達と生活を共にして、時には厳しく指導したりしてんの。
なんの資格があって人様の子供を諭したり叱りつけたりしてんだ俺。びっくりだよね。
親御さん、あなたの子供たちは教員免許すら持ってないおじさんに生活指導され育てられてますよ…って支援施設にいる子の親に、子の教育に関心のある親なんていないってね(泣笑
苦しかったら、逃げてもいいんだよ。
凄い専門職だったけど、子どもの障害が発覚したらきっぱり辞めて、専業主婦になったお母さんも大勢いるよ。
ただ…もう数年、踏ん張れるようなら、文部科学省の改革が功を奏すかもしれない。
それを待てるんだったら、待ってもらってもいいかも。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240913/k10014581031000.html
文部科学省は、高い専門性を持つ外部人材で教員免許がない人に「特別免許状」を出して、教員として採用することを自治体に促していて、この夏のパリオリンピック・パラリンピックをきっかけにアスリートを先生として採用しやすくなるよう新たな取り組みを始め、13日、全国に通知しました。
具体的には、競技団体などと協力し、教職に関心のあるアスリートのリストを作って、各教育委員会に提供するほか、必要な知識や技能を学べるよう、研修の教材を提供することにしています。
また、オリンピックやパラリンピック、デフリンピックへの出場経験があるアスリートが、先生となる場合は、本来決められた教員の定数とは別に、学校に配置できるようにしました。
教員免許がなくてもアスリートが先生になれるようにしてて、その中にはパラリンピックやデフリンピックの選手も含まれてる。
主さんみたいに健常者の先生が教えてくれるのもいいけど、パラリンピックの選手が特別支援教育にも携わってくれるのが期待できる。
同じ障害のある先輩と後輩として、実体験に基づいて、身の回りの自立の方法も教えてくれるんじゃないかと。
その頃には、主さんの負担も今よりはだいぶ減ってると思う。
・塁を「盗む」
・投手の癖を「盗む」
・モーションを盗む
と褒められるから?
甲子園出場。準々決勝まで進む。
2018年引退
中学校時代には学業成績で校内の上位に入っていて、富山第一高校では特別進学コースに所属していた。
幸山自身も、現役引退と大学受験を決めた直後の取材で、「勉強することは嫌いではない」と語っている
日本学生野球協会へ加盟する高校・大学野球部での指導に必要な学生野球資格の回復に向けて、2018年12月に講習会を受講した。
2019年4月からは、教員免許の取得に向けて國學院大學へ進学[27]。
日本プロ野球選手会によるNPB選手経験者へのセカンドキャリア施策の一環で、
2017年から高卒の元選手に限って実施している入学試験に合格したもので、この試験による入学者は幸山が初めてとされる[28]。
金銭に困窮?
(合鍵を持っていたり、内部事情、レジ状況等知っていたのだろうけど)
神奈川県警青葉署は17日、横浜市青葉区の飲食店に侵入して約600円を盗んだとして、建造物侵入と窃盗の疑いで、千葉県松戸市、高校非常勤講師
幸山一大容疑者(28)を逮捕した。容疑者は富山第一高から、2015年に育成ドラフト1位でソフトバンクへ入団した元選手。18年に退団した。
逮捕容疑は今年3月22日午前3時ごろから午後3時ごろの間に、横浜市青葉区の飲食店に侵入し、現金約600円を盗んだ疑い。「間違いありません」と容疑を認めているという。
署によると、当時店に従業員はおらず、出入り口から入ったとみられる。幸山容疑者は昨年3月までこの店でアルバイトとして勤務していた。
アメリカでは、2001~05年の5年間に、約250人の女性教師が、性的不品行を理由に教員免許を剥奪されている。彼女たちは生徒に手を出したのだ(ちなみに、この数字は、生徒に手を出した男性教師の数の9倍にのぼっている)。
『性欲の科学』 オギ・オーガス サイ・ガダム著 坂東智子訳 309ページより
本の注釈のURLは事切れていたのでInternet Archiveで
https://web.archive.org/web/20240000000000*/https://www.zimbio.com/The+50+Most+Infamous+Female+Teacher+Sex+Scandals/articles/7hrWhfmeIcL/50+Most+Infamous+Female+Teacher+Sex+Scandals
YouTuber住職のオンラインサロンでいくら課題を提出しても「仏教の勉強」にはならん(もちろん趣味として聞く分にはよかろうが)。そのくらいなら、いっそ、大学の仏教学科にでも入ってもらってきちんと仏教を学んでもらうのがいい。
大学の仏教学科で仏教を学ぶと何が手に入るか? オンラインサロンなんかでは得られない仏教の体系的な知識と、オンラインサロンでのお気持ち作文なんかではないきちんとしたレポートを執筆したり調査をしたりする技術と、そして、大卒資格が手に入る。簿記や会計士や医療事務と違ってすぐに就職に直結するわけではないが、高卒から見ればステップアップには違いない。
っていうか、教員免許も取れるんだな、仏教学科って。まあでも、宗教の免許なんて取っても使い道がないかもしれんけども……学芸員や司書も、取ってもあんま使えないし……ただ、坊さんのオンラインサロンよりは遥かにマシだろう(最近では教師のなり手が少ないから、たいていの自治体では教員採用試験で年齢による足切りは撤廃されてることを伝えておく)。
https://www.let.ryukoku.ac.jp/support/bs.html
https://www.otani.ac.jp/career_support/nab3mq0000001222.html
佛教大学なら通信教育課程もあるぞ。だいたい100万円積めば仏教の勉強ができて大卒資格も手に入るらしい。
https://tsushin.bukkyo-u.ac.jp/course/faculty/bukkyo/
https://tsushin.bukkyo-u.ac.jp/expenses/
坊さんのオンラインサロンなんて今すぐやめさせろ。いや趣味で坊主のYouTubeを聞いてる分にはいいし、好きなYouTuberのファンクラブに入るのもアリだが、それはなんも成長に寄与しないから、成長のために聞くというのはやめさせろ。要するにあんたの奥さんは就職をしたいという気持ちはあるが実際に働くのは怖いから二の足を踏んで勉強に逃避しているんだろう。それは無駄だ。だってオンラインサロンなんていくら聞いても勉強にならないんだから。
したがって、
みんなだったら、どうやって妻にこのことを伝える?アドバイスが欲しいんだ。
できれば、妻の気持ちも尊重しつつ、就職に向けた実践的な勉強もして欲しいと思ってる。
どうすればいいだろう?
という問いへの答えは、以下のような内容を伝えることだろう。
低賃金なのはどうかと思うけど、これって大半は旦那がいてその収入に頼れる既婚女性が小遣い稼ぎ程度でやってるんじゃないの?
こういうの、労働ダンピングってやつだよね
シルバー人材センターとかでも起きてる現象。
昔どっかの教授(さえぼうさんと訴訟になった人だっけ?)がこういうのを『セレブバイト』と揶揄していて、その人の他の発言はともかく、それに関しては正しいと思った
スキルのある人材が、家庭に主な稼ぎ手が他にいて食うに困らないのをいいことに安請け合いして低賃金で働くから、
自分の収入だけで生きていかなきゃいけない人達が巻き込まれて迷惑するんだよね
図書館職員、7割以上が非正規「生活できないほど低賃金」 待遇改善求め、関係団体が集会
https://www.bengo4.com/c_5/n_17635/
日図協では、学校図書館職員を対象に、2023年11月から2024年1月までウェブで調査したところ、893人から回答を得た。回答者のうち、女性が9割以上を占めており、年齢も40代と50代が多かった。
8割以上の人が司書資格を持ち、教員免許を持つ人も3割いた。しかし、正規雇用は2割を切っており、回答者の6割が、配偶者など自分以外の収入源が主な世帯の収入源であると回答している。
ただの愚痴。
職業差別のようで申し訳ないのだが、自分は社会人になって、教員という職業を持つ人間に対してマイナスイメージを持つようになってしまった。
詳細は伏せるが自分がお世話になっているスポーツ系の社会人サークルに所属している知り合いの教員はどなたも癖が強く、周囲から妙に浮いてしまう特徴がある。思いつくままに列挙する。
→例えば試合の後疲れて少しみんながダラけているとき、2☓歳くらいの小学校教師が「お前ら、とっとと動けぇ!」と罵倒混じりで叫ぶ。
本人は「仕事のクセで〜」と言ってるのだが、異常な行為に周りが引いていることに気付いていない。
試合中も他人への非難や半ば指示に近い提案をされることが多く、自分もその人にはとても気を遣いながらプレーしている。
そもそも、仕事ですらない対人コミュニーケーションにおいて、人に何かを強制・命令するということに違和感が拭えない。
「あの人のプレーは雑だ」「あの人はうまいけど一緒にやりたくない」など、他人のプレーや言動を当たり前のように批評する。
後は「〇〇ちゃん、〇〇に言い寄られて嫌いになったらしいですよ」などと他人のネガキャンもしないで欲しい。
これに関しては、もうなんというか、「普通言わんだろ」としか言いようが無い。
それなりに勉強がてきなければ教員にはなれないと思う。社会的地位、イメージ、高い仕事だ。教員というだけで立派に見える。それはわかる。
だが、「私昔から勉強はできたんですよね」とか、「地元の中では一番の高校へ〜」とか言わんでくれ。シンプルに痛々しい。
褒めて欲しそうだから褒めてやってるが、一般的な社会人の運動系サークルで学歴自慢なんて普通はしないんだよボケが。
優秀か否かなんて、「どこを基準に置くか」でどうとでも変わるだろうが。
勝てるフィールドを基準に選んでイキるなんて謙虚さの対極だろう。
申し訳ないが、自分は教員をそんなに頭の良い人間と思っていない。
自分は学生時代、理学の専攻だったので「アカデミックな研究や技術の世界について行けなかった人が目指すもの」というのが実態としてあった。
ただ、理学の人間が教員免許を取るには卒業に必要な単位に加えて追加での単位取得や実習が必要。
実際、教員免許はあるが民間で技術者をやっている知人は頭の回転が早く、尊敬できる人が多い。
・上記の問題に本人達が一切気付かない、もしくは気付いていても全く気にしない。
サークルで問題を起こしたり、主催に注意を受けても翌週しれっとやってくるのが彼らで、あまり反省しないというか、異常にメンタルが強い。
あと一切練習に来ないのに試合だけ出たがる人、若者が多い中にオッサン(どっかの中学の教頭らしい)が話割って入ってきたり。
なんなら関わりたくねえんだ、俺は。
ただの愚痴。
職業差別のようで申し訳ないのだが、自分は社会人になって、教員という職業を持つ人間に対してマイナスイメージを持つようになってしまった。
詳細は伏せるが自分がお世話になっているスポーツ系の社会人サークルに所属している知り合いの教員はどなたも癖が強く、周囲から妙に浮いてしまう特徴がある。思いつくままに列挙する。
→例えば試合の後疲れて少しみんながダラけているとき、2☓歳くらいの小学校教師が「お前ら、とっとと動けぇ!」と罵倒混じりで叫ぶ。
本人は「仕事のクセで〜」と言ってるのだが、異常な行為に周りが引いていることに気付いていない。
試合中も他人への非難や半ば指示に近い提案をされることが多く、自分もその人にはとても気を遣いながらプレーしている。
そもそも、仕事ですらない対人コミュニーケーションにおいて、人に何かを強制・命令するということに違和感が拭えない。
「あの人のプレーは雑だ」「あの人はうまいけど一緒にやりたくない」など、他人のプレーや言動を当たり前のように批評する。
後は「〇〇ちゃん、〇〇に言い寄られて嫌いになったらしいですよ」などと他人のネガキャンもしないで欲しい。
これに関しては、もうなんというか、「普通言わんだろ」としか言いようが無い。
それなりに勉強がてきなければ教員にはなれないと思う。社会的地位、イメージ、高い仕事だ。教員というだけで立派に見える。それはわかる。
だが、「私昔から勉強はできたんですよね」とか、「地元の中では一番の高校へ〜」とか言わんでくれ。シンプルに痛々しい。
褒めて欲しそうだから褒めてやってるが、一般的な社会人の運動系サークルで学歴自慢なんて普通はしないんだよボケが。
優秀か否かなんて、「どこを基準に置くか」でどうとでも変わるだろうが。
勝てるフィールドを基準に選んでイキるなんて謙虚さの対極だろう。
申し訳ないが、自分は教員をそんなに頭の良い人間と思っていない。
自分は学生時代、理学の専攻だったので「アカデミックな研究や技術の世界について行けなかった人が目指すもの」というのが実態としてあった。
ただ、理学の人間が教員免許を取るには卒業に必要な単位に加えて追加での単位取得や実習が必要。
実際、教員免許はあるが民間で技術者をやっている知人は頭の回転が早く、尊敬できる人が多い。
・上記の問題に本人達が一切気付かない、もしくは気付いていても全く気にしない。
サークルで問題を起こしたり、主催に注意を受けても翌週しれっとやってくるのが彼らで、あまり反省しないというか、異常にメンタルが強い。
あと一切練習に来ないのに試合だけ出たがる人、若者が多い中にオッサン(どっかの中学の教頭らしい)が話割って入ってきたり。
なんなら関わりたくねえんだ、俺は。