はてなキーワード: 鉄砲とは
友人が最近トモコレを買ったらしく「トモコレで○○作っていい?」と聞かれたので、正直に「ちょっとやめてほしいかも、ごめんね」と言ったら、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をされた。
「そっか、わかったー」って言ってたけど「え、マジ?」「心狭すぎだろ」って心の声がダダ漏れ。
トモコレで自分をモチーフにしたキャラを作られたくないってそんなにおかしなこと…?自分のアバター的存在が自分の意思と関係なく友達作ったり恋人作ったりってすごく気持ち悪く思ってしまう。その友人は私に作っていいか確認してくれたけど、ほとんどの人は勝手に知り合いとか作ってるんだろうし、それがすごく嫌。
あとトモコレのコンセプトを全否定するみたいだけど、そもそもキャラクターや実在の人物を許可を取らずに勝手に作って、人間関係や恋愛模様を眺めるという楽しみ方が不謹慎に思えて苦手。
強い言葉を使うと悪趣味だなと感じる。あつ森とかぽこポケみたいなノリで流行らないでほしいとも思う。
あと今回から恋愛対象を選べるようになったみたいでそれは良いことだと思うんだけど、恋愛対象って他者が決めるものではなくない?ってモヤモヤする。
腐女子が版権キャラを作って男性キャラ同士をいちゃつかせてるのですら釈然としないものがあるのに、それが実在の人物ならなおさら。
まあトモコレの中のキャラクターはあくまで本人ではなくそっくりさんなんだと思うし「自意識過剰」「自他境界が曖昧」って言われたら否定できないけど。
むかしむかし、あるところに、ちいちゃくて、かわいい女の子がいました。それはもう、たれだって一目見ただけで、ほんわか心が和むような、そんな子でした。でも、たれよりもかれよりも、この子のおばあさんほど、この子をかわいがっているものはいませんでした。この子を見るたび、おばあさんは胸がいっぱいになって、なにもかもやりたくてやりたくて、いったい何をしていいのかわからなくなるくらいでした。それで、あるとき、おばあさんは赤いびろうどで、この子にずきんをこしらえてやりました。すると、それがまたこの子にぴったり似合って、もうほかのものは何もかぶらないと決めてしまいました。そこで、この子は赤ずきんちゃん、赤ずきんちゃんとばかり呼ばれるようになりました。ある日、おかあさんはこの子を呼んで言いました。「さあ、ちょっといらっしゃい、赤ずきんちゃん。ここにお菓子が一つと、ぶどう酒が一瓶あります。これをおばあさんのところへ持っていらっしゃい。おばあさんはご病気で弱っていらっしゃるけど、これをあげればきっと元気になるでしょう。それでは、あつくならないうちにお出かけなさい。それから、外へ出たら気をつけて、お行儀よくしてね。やたらに知らない横道へかけだしていったりなんかしないのよ。そんなことをして転びでもしたら、せっかくの瓶が壊れるし、おばあさんにあげるものがなくなってしまうからね。それから、おばあさんのお部屋に入ったら、まず『おはようございます』を言うのを忘れずにね。入るなり、いきなり部屋の中をきょろきょろ見回したりなんかしないでね。」「そんなこと、あたしちゃんとよくしてみせるよ」と、赤ずきんちゃんはおかあさんにそう言って、指切りしました。ところで、おばあさんのおうちは村から半道離れた森の中にありました。赤ずきんちゃんが森に入りかけますと、おおかみがひょっこり出てきました。でも、赤ずきんちゃんは、おおかみってどんな悪いけだものだか知りませんでしたから、別に怖いとも思いませんでした。「赤ずきんちゃん、こんにちは」と、おおかみは言いました。「ありがとう、おおかみちゃん。」「たいそう早くから、どちらへ。」「おばあちゃんのところへ行くのよ。」「前掛けの下に持ってるものは、何?」「お菓子とぶどう酒。おばあさん、ご病気で弱っているでしょう。それでお見舞いに持ってってあげようと思って、きのうおうちで焼いたの。これでおばあさん、しっかりなさるわ。」「おばあさんのおうちはどこさ、赤ずきんちゃん。」「これからまた八、九町歩いてね、森の奥の奥で、大きなかしの木が三本立っている下のおうちよ。おうちのまわりにくるみの生垣があるから、すぐわかるわ。」赤ずきんちゃんはこう教えました。おおかみは心の中で考えていました。「わかい、やわらかそうな小むすめ……こいつはあぶらがのって、おいしそうだ。ばあさまよりは、ずっと味がよかろう。ついでに両方いっしょに、ぱっくりやる工夫が肝心だ。」そこで、おおかみはしばらくのあいだ、赤ずきんちゃんとならんで歩きながら、道々こう話しました。「赤ずきんちゃん、まあ、そこらじゅうきれいに咲いている花をごらん。なんだって、ほうぼう眺めてみないんだろうな。ほら、小鳥があんなにいい声で歌をうたっているのに、赤ずきんちゃん、なんだかまるできいていないようだなあ。学校へ行くときのように、むやみとせっせこせっせこと歩いているんだなあ。そとは、森の中がこんなに明るくて楽しいのに。」そう言われて、赤ずきんちゃんはあおむいてみました。すると、お日さまの光が木と木の茂った中からもれて、そこでもここでもたのしそうにダンスしていて、どの木にもきれいな花がいっぱい咲いているのが目に入りました。そこで、「あたし、おばあさまに、元気で生き生きしたお花をさがして、花たばをこしらえて、持ってってあげようや。するとおばあさん、きっとお喜びになるわ。まだ朝は早いから、大丈夫、時間までに行かれるでしょう。」とこう思って、つい横道からその中へかけだしてはいって、森の中のいろいろの花をさがしました。そうして、一つ花をつむと、その先に、もっときれいなのがあるんじゃないか、という気がして、そのほうへかけて行きました。そうして、だんだん森の奥へ奥へと、さそわれて行きました。ところが、このあいだに、すきをねらって、おおかみはすたこらすたこら、おばあさんのおうちへかけていきました。そして、とんとん、戸をたたきました。「おや、どなた。」「赤ずきんちゃんよ。お菓子とぶどう酒を、お見舞いに持って来たのよ。あけてちょうだい。」「取っ手をおしておくれ。おばあさんはご病気で弱っていて、起きられないのだよ。」おおかみは取っ手をおしました。戸はぼんと開きました。おおかみはすぐとはいっていって、何も言わずに、いきなりおばあさんの寝ているところへ行って、あんぐり一口に、おばあさんを飲みこみました。それから、おばあさんの着物を着て、おばあさんのずきんをかぶって、おばあさんのお床にごろりと寝て、カーテンを引いておきました。赤ずきんちゃんは、でも、お花を集めるのに夢中で、森じゅうかけまわっていました。そうして、もう集めるだけ集めて、このうえ持ちきれないほどになったとき、おばあさんのことを思いだして、またいつもの道にもどりました。おばあさんのうちへ来てみると、戸が開いたままになっているので、へんだと思いながら、中へはいりました。すると、何かがいつもと変わってみえたので、「へんだわ、どうしたのでしょう。きょうはなんだか胸がわくわくして、気味の悪いこと。おばあさんのところへ来れば、いつだって楽しいのに。」と思いながら、大きな声で、「おはようございます。」と呼んでみました。でも、お返事はありませんでした。そこで、お床のところへいって、カーテンをあけてみました。すると、そこにおばあさんは横になっていましたが、ずきんをすっぽり目まで下げて、なんだかいつもと様子が変わっていました。「あら、おばあさん、なんて大きなお耳。」「おまえの声が、よくきこえるようにさ。」「あら、おばあさん、なんて大きなお目目。」「おまえのいるのが、よくみえるようにさ。」「あら、おばあさん、なんて大きなお手て。」「おまえが、よくつかめるようにさ。」「でも、おばあさん、まあ、なんて気味の悪い大きなお口だこと。」「おまえを食べるにいいようにさ。」こういうが早いか、おおかみはいきなり寝床から飛びだして、かわいそうに、赤ずきんちゃんを、ただ一口に、あんぐりやってしまいました。これで、したたかおなかをふくらませると、おおかみはまた寝床にもぐって、ながながと寝そべって休みました。やがて、ものすごい音を立てて、いびきをかきだしました。ちょうどそのとき、狩人が表を通りかかって、はてなと思って立ちどまりました。「ばあさんが、すごいいびきで寝ているが、へんだな。どれ、何か変わったことがあるんじゃないか、見てやらねばなるまい。」そこで、中へはいってみて、寝床のところへ行ってみますと、おおかみが横になっていました。「ちきしょう、このばちあたりめが、とうとう見つけたぞ。長いあいだ、きさまをさがしていたんだ。」そこで、狩人はすぐと鉄砲を向けました。とたんに、ふと、ことによると、おおかみのやつ、おばあさんをそのまま飲んでいるのかもしれないし、まだ中で、助かっているのかもしれないぞ、と思い付きました。そこで鉄砲を撃つことはやめにして、そのかわり、はさみをだして、眠っているおおかみのおなかを、じょきじょき切りはじめました。二はさみ入れると、もう赤いずきんがちらと見えました。もう二はさみ入れると、女の子が飛びだしてきて、「まあ、あたし、どんなにびっくりしたでしょう。おおかみのおなかの中の、それは暗かったらなかったわ。」と言いました。やがて、おばあさんも、まだ生きていて、はいだしてきました。もう、弱って虫の息になっていました。赤ずきんちゃんは、でも、さっそく、大きなごろた石を、えんやらえんやら運んできて、おおかみのおなかのなかにいっぱい、つめました。やがて目がさめて、おおかみが飛びだそうとしますと、石の重みでへたばりました。さあ、三人は大喜びです。狩人は、おおかみの毛皮をはいで、うちへ持って帰りました。おばあさんは、赤ずきんちゃんの持ってきたお菓子を食べて、ぶどう酒を飲みました。それで、すっかり元気を取り返しました。でも、赤ずきんちゃんは、(もうもう、二度と、森の中で横道に入って、かけまわったりなんかやめましょう。おかあさんがいけないと、おっしゃったのですものね。)と考えました。
狙い撃ちになんかしてない。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、で送りまくってるのにひっかかっただけ。
各種レビューサイトの評価が低いように、私も残念な気持ちになった。
まず第一に、失念術と称しながら、その内容は気晴らしの方法でしかなく、記憶術の逆関数ではない。
話の内容は失念という機能から外れ、いつの間にか不快の根源を絶つ方法の話に逸れていく。
そもそも話が違う。
第二に、失念術は記憶術より有益ながらも誰も唱えていない、などと冒頭でもったいぶりながら、終盤には結局は宗教であるなどと既知の概念に着地する。
こういった仕草を感じ取った人間に対して私は距離を置くことにしている。
『人の性質一ならされは其方法亦一ならさる』ゆえに『成るへく數多の種類を集めて其人の資性に適合せるものを用ふる方針を取らさるへからす』とはいうが、
要するに何もわかっていないので「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というに過ぎない。
ならばせめて、これを著述する己自身はどの方策を採用したのか書けばいいものを、そういった誠実さもない。
私はこういうのを「良かれの法」と呼んでいる。
現代でいえば、投資家がごもっともらしく述べる『ラテマネー』の概念がこれだ。
休憩時間の飲料を節約したからといって、それが資産形成において何だというのか。
いったい誰が、そんな種銭にもならない小銭で投資の世界を勝ち抜いたというのか。
説教のために強引にノウハウをひり出し、努力の余地を粉飾し、あたかも読者の努力不足かのように感じさせる。
ただそれだけのことである。
第四に、筆者の主義主張を含む命題をあたかも自明であるかのように論を進める点。
『人の人たる所以は全く高等の思想を有するに在れは』だの、『下等の体欲情欲』だの、
鳩が豆鉄砲を食ったんじゃない?
鳩が豆鉄砲を食ったとは?
詳しくは、行政処分取消訴訟の専門の人が解説を書くだろうから各自読むと良いよ。
ここでは、「そらそうよ」という感情に最高裁が沿うためにどれぐらいアクロバティックなことをしているかの話だけするよ。
地方裁判所とか家庭裁判所で裁判して、気に入らなかったら控訴(もっかい!)ってして、
事実審と法律審というのがあって、最高裁判所は法律審しかしません。
と言うよりも、「この裁判で話題になってる事件の証拠とかの事実認定はねー、こう!」って決めるのは、高等裁判所がやったら取り消せないの。
地方裁判所がやった事実認定は高等裁判所がひっくり返せるんだけど、高等裁判所がやっちゃうと最高裁判所はその事実認定は取り消したりできないの。
はい、ココだけ覚えて帰ってください。
事実認定は高等裁判所がラストで、ここで決まったことは最高裁でもひっくり返せません。
地方裁判所で「まあ、建物に弾が跳弾で行くことは無いっしょ、なんか長々話してたけどそれは信用できんなあ、処分は取り消してね(所持許可取消の取消)」
高等裁判所で「ヒグマ貫通した弾は、他の人の銃床に当たったでしょ。跳弾で、隣にいた人にあたる危険もあったでしょ。狩猟の安全心得にも違反してるでしょ。取消は裁量の範囲内でしょ(所持許可取消は有効)」
通常、この流れが最高裁でひっくり返ることは無いです。
もっかい言いますね。高裁が事実認定したのって、(少なくともその事件においては)事実なんすよ。事実誤認はもう争えないんです。
なので、
という点についてはもう事実(として扱うしか無い)で、これを踏まえてさて法律はどうなっておりますか?という状況なわけです。
最高裁でも事実認定はすることもあるとか、差し戻しもあるよとか言われると思うんすけど、この場合出来ないんすよ。
不足があるんで別途調査して、追加で事実認定しますとか、なーんか事実認定からの建付け悪くない?変じゃない?もちょっと調べなおしてよ荒いよ差し戻しね、は、ある。
でもね、事実認定でガッチリ跳弾はしてる危険な可能性はあった猟銃使う人なら守ることも違反してた行政は許可取り消す裁量もあります、までは決まってるんすよ。
そして、法律審では、法律はどうなってますかの判断しかしないんすよ。
なので、「銃刀法の規定に、違反したら取消できるって書いてあるっていうけど、その法律解釈って変じゃね?」という形で解消するんすよ。
法律の解釈が誤っているので、結論はそうならんと思いますねー、法律を正しく解釈した上でやり直してもらえます?(差し戻し)なんすよ。
今回、「言ってることは分かる、事実を確認すると危なかったね、それからすると取消は妥当。でもね、ヒグマ駆除してんだよ?お願いしてやってもらっておいたらそこを鑑みないの変でしょ?ハンター萎縮するよ?ヒグマ狩ってるのは地域住民を守る為っていう趣旨にもそぐわないでしょ北海道公安委員会の判断は、フツーに考えたら明らかに変(社会通念上著しく妥当を欠き)なので裁量の乱用、違法」というのが出たのよね。
この勢いでオマエフツーに考えたらわかるやろ変ですって書かれるの相当ですわ。裁判官の全員一致だし。
というわけで、「駆除目的で撃ってんだから、例え明らかに判断に誤りがあって跳弾が生じても、結果として誰も死んでないのに猟銃取り上げんのはおかしいでしょ」という判例がこの世に生まれました。
先例が出来たからには、これは無視できないわけですよ。良かったですね。(個人的には良かったと思います)
(ただし、本人は子熊だし逃がすべきだって言ってんのに強く要請されて駆除してますよね、というのを入れてあるので無条件ではない)
鳥獣被害対策を防ぐための特別措置法としての鉄砲の使用の解釈に踏み込むことで、最高裁で結論出したのがクールでしたね。
ただ、くっついてる意見を読むとわかる通り、クマの被害増えてんだからもうちょっと考えなさいよ、みたいな話が出ている通り、実は杓子定規と言うよりも世の中の状況に応じて裁判官は判断してることが多いっすね。
取消か維持かの二択も変じゃね?そもそも銃刀法には依頼されてクマ狩りするとか想定されて無いっしょ、みたいな意見がついてるのも、それはそう、という感じで大変に味わい深いです。
詳しい人が解説してくれると思うのでそっち読むのが良いと思うよ。
日本に草原はほとんど無いのに騎兵が活躍できたのが不思議だなあ
・・・・・・と、ふと思ったが、自分は昔の日本の合戦とかの知識が全然ないのだった
きっと幾重にも前提が違っているのだろう
・下馬して戦った
・弓を使う
とか、ここらへんか?知らんけど
でもそういえば武田騎馬隊は有名だなあ
これは突撃してたんじゃないのか
まあ草原無くても田畑とか街道とか民家あるような場所は走りやすいわな
時代劇とか全然見ないからフィクションでどういう描写してるかすら知らんことに気付いた
それを言ったら関ヶ原が戦場になった時どういう場所……どのくらい開拓されていてどのくらい人が住んでいて……のような話に興味があるな
昔の日本で馬が走れる程度……戦場になる程度にはある程度平らで障害物がない……地形とはどのような場所(広さ)だったのか、のようなポイントが今回の関心だな そこら中にありふれていたのかそうでないのか
言い換えると「馬の兵隊が活躍するにはある程度平らな場所が必要なんじゃないの?」という素朴な疑問か さらに言うとその前提が正しかった時、その広さとはどの程度?昔の日本ではありふれた地理条件だったの?なんか自分の素朴な感覚だとそんな場所あんまり無さそうな気がするのだけど、ということでもある
あるいは「騎兵は起伏が激しい地形でも強力だよ」という話なのか
なんか……なんか本を読むか
こういうときはいっそ子供向けの学習漫画とかがいいかもしれない
---
古戦場一覧とかみてみるか~
勘として「田畑に出来るような平らな場所は開墾されつくしていたので、戦場として都合がよかった」という話な気もする
---
そもそも「騎兵の戦術とは?」についても知らないな なにか思い込みをしているからずれた問いが出てくるのだ
自分がどのような思い込みをしていたのか、を言語化する過程もまた楽しい おそらく「騎兵とは鎧を着こみ突撃するもの」という思い込みがある 実際は弓騎兵だったのだろう……となると、武田の騎馬軍団は何?これは突撃したんじゃないの?だからこそ長篠の戦いで鉄砲に苦戦したのでは?あるいは突撃していない?フィクションの誇張された情報の悪影響?という所に戻る
槍衾という戦術を聞きかじるに近寄ってくる騎兵対策だったんじゃないの、という思いがあるが なんか……聞きかじりの断片の知識同士で齟齬があるなあ なにかエンタメ系ではなく史実に忠実な系の情報源を……
ゲーム脳だがファイアーエムブレムの射程2の弓兵みたいな感じなのかなあ、射手側の機動力が実は重要、みたいな
……今自分は無意識に「戦列」をイメージしたな?ここにも思い込みがあるかも
なんてこった、知っているつもりだった部分も多くが誤りだったり思い込みだったりで、思った以上にほとんど何も知らないのか
---
調べものするときの芋づる連鎖が大変だけどそれがまた楽しいねんな
---
「合戦」の日本史-城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル (中公新書ラクレ 758) 新書 – 2022/3/9
とか……
これでもまだ発展的な気がする もっと基礎の基礎な感じの内容を……