はてなキーワード: 日本海とは
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
[#改頁]
瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
ちょくちょく反日企業という単語を目にするんだけど、馬鹿な私にもわかるよう、具体的かつわかりやすく何が反日なのか教えて下さい。
ちなみに回答ははてな匿名ダイアリーに投稿するので、たくさんブックマークがもらえるようはいりょしてください。
■perplexity
「反日企業」は、はっきりした法律用語ではなく、かなり感情的であいまいなレッテルです。ざっくり言うと、「日本に不利益だ」と見なされた企業に対して、見る人がそう呼んでいるだけです。
まず大前提
単に「気に入らない」「外国寄りに見える」という感情で貼られた。
つまり、**“反日企業”というより“反日だと批判される企業”**のほうが実態に近いです。
何が「反日」と言われるのか
日本市場で稼いでいるのに、日本だけを露骨に軽視すると受け取られる。
同じ行動でも、「反日」と怒る人もいれば、「ただの企業判断」「表現の自由」と見る人もいます。
わかりやすい例え
「反日企業」は、野球で言うと正式なポジション名ではなく、観客が『あいつ敵側だろ』と叫んでいる状態に近いです。
だから、事実として確定した属性というより、政治・感情・不買運動が混ざった呼び名だと思うと理解しやすいです。
どう見分けるべきか
雑に「反日」と決めつける前に、次を確認するとかなり整理できます。
日本への批判と、日本への敵意を同じものとして扱っていないか。
ここを見ないと、本当に問題のある行動と、気に入らない相手へのレッテル貼りがごちゃ混ぜになります。
投稿でウケを狙うなら、断定しすぎず、こういう書き方が読みやすいです。
「『反日企業』は正式な分類ではなく、主にネット上のレッテルです。」
「実際は“日本に敵対している企業”というより、“そう受け取られて批判された企業”を指すことが多いです。」
「感情で雑に使われやすい言葉なので、個別の事実確認が大事です。」
必要なら次に、はてな匿名ダイアリー向けに、煽りすぎずブクマが付きやすい文章に整えてそのまま貼れる形で書きます。
■chatgpt
まず結論から言うと、「反日企業」という言葉はかなりあいまいで、人によって意味がバラバラです。
なので「これをしたら反日」と明確に決まっている基準はありません。ここを押さえておくと混乱しません。
■ざっくり一言でいうと
例:
👉 これがあると
ただし企業としては「現地の世論に合わせているだけ」の場合も多いです。
例:
👉 ユーザー視点だと
例:
その国の主張に寄った動き
👉 一部の人は
ここはかなり飛躍があります。
例:
👉 ネットでは
「失敗」→「悪意がある」→「反日だ」 と一気に話が飛びがち
正直これが一番多いです。
いつの間にか“そういうことになっている”
ここが一番大事です。
多くの場合、
国を敵視しているわけではない
にもかかわらず、
「気に入らない行動」=「反日」
と解釈されているケースがかなり多いです。
■例えるなら
くらい雑な分類です。
■はてな匿名ダイアリー用に一言でまとめるなら
「反日企業」とは、客観的な基準がある概念ではなく、“自分(または一部の人)にとって不快な企業行動に貼られるラベル”である。
多くの場合、それは政治・歴史・価格・サービスなど個別の不満が混ざり合って“反日”という便利な言葉に圧縮されたものにすぎない。
■ブクマを稼ぐコツ(おまけ)
「“反日かどうか”より“何が問題か”を分解した方が建設的では」
必要なら「実際に反日って言われがちな企業リストとその理由(真偽込み)」も整理できます。
■gemini
「反日企業」という言葉、SNSや掲示板でよく見かけますよね。定義がふわっとしている割に、強い言葉なので混乱するのも無理はありません。
はてな匿名ダイアリー(増田)で「ブクマ(B!)」を稼ぐには、「感情的な正義感」と「冷静な分析」を混ぜつつ、少しシニカルな視点を入れるのがコツです。
最近よく見る「反日企業」というレッテル。結論から言うと、これには**「歴史・政治系」と「ビジネス・不祥事系」**の2パターンがある。
「あいつらは敵だ!」と叫ぶ前に、何がその怒りに火をつけているのか、具体例を挙げて整理してみた。
一番分かりやすいのがこれ。日本の感情を逆撫でするような行動をとった場合。
独島(竹島)支援: 韓国系の企業が「独島を守る活動」に寄付したり、広告を出したりすると、即座にリスト入りする。
旭日旗アレルギー: 商品のデザインが「旭日旗(サンバースト)」に見えるとして、韓国のSNSで炎上。それに対して企業が謝罪やデザイン変更をすると、今度は日本のネットユーザーから「屈したのか!」と反日認定される。
地図の表記: 公式サイトの地図で「日本海」を「東海」と書いていたり、北方領土が日本領になっていなかったりすると、秒で叩かれる。
技術流出: 日本の基幹技術を海外(特に中国や韓国)の企業に売却したり、提携したりする企業。
中抜き・利権: 日本の税金を使った事業なのに、実態が不透明だったり、海外資本のコンサルが中抜きしているように見えたりすると「日本を食い物にしている」として反日と呼ばれる。
CMの表現: 「日本は差別社会だ」と示唆するような広告(ナイキの差別問題のCMなど)を出すと、「日本を貶めている」と猛反発を食らう。
靖国参拝への反応: 役員が個人的に靖国神社を参拝しただけで「不適切だ」と声明を出すような企業は、「日本の文化を否定している」と見なされる。
なぜ「反日」と呼びたがるのか?
ここからがネットの深淵なんだけど、実は**「嫌いな企業にレッテルを貼りたいだけ」**というケースも少なくない。
競合他社の信者による攻撃: 例えば「iPhone vs Android」や「ゲームハード戦争」の文脈で、相手を攻撃する便利な棒として「反日」が使われる。
カスタマーサポートの不満: 対応が悪かった企業の資本を調べたら韓国系・中国系だった。よし、こいつは反日だ!……という飛躍。
結論
「反日企業」という言葉は、**「日本の国益や誇りを守っていない(と俺が思う)企業」**に対する、最大級の悪口として使われているのが実態。
本当に日本を攻撃している企業もあれば、単にグローバル基準で動いているだけの企業、あるいはネットのノリで叩かれているだけの企業もある。
「あの企業は反日だ!」という声を聞いたら、**「それは歴史の話? 政治の話? それともただの逆恨み?」**と一度フィルタリングしてみるのが、SNS時代を賢く生き抜くコツかもしれない。
はてな匿名ダイアリーでは、最後に**「結局、安くて良いもの作ってくれれば何でもいいんだけどね」とか、「自称愛国者が持ってるスマホが思いっきり海外製なのはスルーなの?」**みたいな皮肉を1行添えると、コメント欄が盛り上がってブクマが伸びやすくなります。
「東朝鮮」(ひがしちょうせん)という言葉は、正式な国名や地域名としては存在しません。主にネットスラングや皮肉・揶揄として使われる表現で、いくつかの文脈があります。
2ちゃんねるやSNSなどで、日本(特に在日韓国・朝鮮人の影響が強いとされる地域や全体)を「朝鮮の東側」みたいに貶める・自虐的に呼ぶ隠語。
みたいなペアで使われることが多いです。
例: 「もうここ東朝鮮やん」「東朝鮮も西朝鮮化してる」など。
地理的な意味(少数) 朝鮮半島の東側一帯を指す(東海岸側)。
「東朝鮮湾」(동조선만 / East Korea Bay / 東朝鮮湾):北朝鮮北東部の日本海に面した湾の正式名称(元山(ウォンサン)周辺)。
昔の日本統治時代には「東朝鮮」という呼び方で元山(現在の咸鏡南道キムチェク市・元山市あたり)を指す案内書も存在しました(例: 『東朝鮮 一名元山案内』1910年刊)。
「世界では日本を東朝鮮と呼んでいる」みたいなネタ投稿(Yahoo!知恵袋とかでたまに見るやつ)は完全に皮肉・荒らし系のデマです。国際的にそんな呼び方は一切ありません。
要するに、今ネットで「東朝鮮」と言ったらほぼ100%「日本をディスるスラング」として解釈されます。
本気で国や地域の名前として使ってる人はほぼいないですね。何か特定の文脈(在日ネタ? 中国の西朝鮮との対比? それとも湾のこと?)で聞いてるなら、もう少し詳しく教えてください〜。
これは俺個人の推測だが、彼らは「アジア主義」に囚われてるんだと思う
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E4%B8%BB%E7%BE%A9
この思想に染まりきってる人々にとって中国は連帯するべき仲間であり、欧米列強に対抗するための友邦なんだよ
そういう思想で今の世界情勢を見れば彼らの思考がある程度再現できると思う
自衛隊の増強に抵抗するのも、日本が米帝の尖兵として侵略戦争に加担させられると認識してるから
今の自衛隊に徴兵した若者を何万人も受け入れる余裕はないしそもそも自民党は検討すらしてないといくら説明しても彼らが全く理解しないのは、徴兵されたら即座にアメリカに送られて小銃持たされて突撃する訓練をさせられると思ってるから
台湾有事に対する想像力が全くないのも、高市首相の存立事態発言にブチ切れてるもの全部アジア主義への傾倒で説明がつく
こないだ高市首相の存立事態発言で中国を激怒した件は、言うなればかつて鳩山由紀夫が普天間基地問題を引っかき回して対米関係を悪化させたのと同じように感じているわけ
中国と台湾の関係を、アメリカ本土とハワイ諸島くらいにしか認識してないし、そもそも中国を友邦だと思ってるから占領されても彼らの中では何も問題はないんだよ
GFSという米国の気象モデルを見るに、首都圏は土曜日昼くらいから雪がちらつき始め、夜中に本降り。日曜朝にはいったん止むが、日曜夕方からまた雪が降り始め、夜中まで降り続く見込みだ。
降水量は20〜30mmと多くはないが、上空、地上ともに気温がかなり低いのでこれがそのまま積雪になる。東京都心2桁積雪は確実で、大雪警報どころか気象庁が不要不急なんたらと言い出すレベル
また、今回急ごしらえの選挙戦となったのと、土曜日も雪になるため、期日前投票もかなり減る。
投票率はまさかの40%割れもあるとみる。投票所に行きたくても大雪ならどうしようもない
こうなると有利なのは中道、共産といった組織票を持つ政党。大多数の支持者や党員は金曜日までに期日前投票を済ませるだろう
気象庁が使っている別の気象モデルでは土日大雪の見込みはなく、首都圏は雪がちらつく程度の予報になっているが、おそらくモデルを忖度している。他モデルが土日大雪で揃ってきたからだ
総選挙当日の朝、「さあ新しい日本を作るために投票に行こう!…と思ったら雪で家から出られません、サーセン」というポストが大量発生する
Google マップへの 西竹志織 さんの投稿を表示
上司に休日に連れて来てもらってます。山形牛のステーキはまるで夢を見ているかのような食感で、とても上品な味わいです。噛みしめるごとに肉汁が広がって、お肉の味わいが非常に奥深いです。山形牛ならではのコクの深さをとことん堪能できて、幸せな気分になれます。サービスドリンクの山葡萄ジュースは、ほとばしる果汁の新鮮さが何とも言えない官能的な気持ちにさせてくれて、二人の大切な時間を鮮やかに彩ります。お湯の美肌効果も実感できて、至れり尽くせりです。
上司に休日に連れて来てもらってます。オーシャンビューの部屋は、夢か現実かわからなくなるほど官能的で、頬をつねって夢ではないことを何度も確認しました。沈んでいく夕陽は、この世のものとは思えないほど美しくて、私たちの愛のように燃えてました。目に映る景色全てが私たちを祝福しているように感じられました。ラウンジのお抹茶は、心のお清めのような神々しい味わいで、二人の距離をグッと縮めてくれました。こんなに濃厚な時間を過ごせたのは初めてで、お抹茶の濃さぐらい二人の濃い時間がゆっくり流れていきました。
上司に休日に連れて来てもらってます。卓球で二人の愛をぶつけ合って、お互いの愛を確かめ合いました。一球ごとにジンジン感じられて、非常にエキサイティングでした。こんなの初めてです。日本海の夕陽を眺めながら、どこまでも果てしなく続く大海原は、まるで二人の心を現しているようで、感動的な景色でした。二人の大切な時間を、一秒ずつスローモーションのように感じながら、沈む夕陽をずっと見つめてました。映画の主人公になったかのような、ドラマチックなひと時が、永遠のように流れていきました。
石川県の地震保険料が相対的に低く設定されている理由は、主に「将来的に大きな地震が発生するリスク」が、太平洋側の地域(南関東や東海など)に比べて低いと評価されてきたからです。
地震保険料は、過去のデータや最新の地震学に基づき、損害保険料率算出機構が「今後、その地域でどの程度の被害が発生しうるか」を予測して算出しています。
地震保険料は、都道府県ごとに1等〜3等の「等区分」に分けられており、石川県は長らく最も安い「1等地」に分類されています。
| ランク | 保険料 | 主な該当地域 |
|---|---|---|
| 3等地 | 最も高い | 東京都、神奈川県、千葉県、静岡県 など |
| 2等地 | 中間 | 愛知県、大阪府、京都府 など |
| 1等地 | 最も安い | 石川県、岩手県、富山県、長崎県 など |
地震保険料は数年に一度改定されますが、直近の地震だけですぐに跳ね上がるわけではなく、長期的な発生確率が重視されます。
主な理由は以下の通りです。
日本で最も巨大な地震(南海トラフ巨大地震や首都直下地震)が想定されているのは、太平洋側のプレート境界付近です。石川県などの日本海側は、これら「海溝型地震」のリスクが太平洋側に比べて相対的に低いと判断されてきました。
地震保険料は主に「海溝型地震」の影響を強く反映します。石川県周辺にも活断層は存在しますが、数千年に一度といった頻度のものが多く、30年〜50年スパンでのリスク計算では、太平洋側ほど高額な料率にはなりにくい仕組みになっています。
2024年1月の能登半島地震を受けて、将来的に石川県の保険料が上がる可能性はあります。
地震保険制度は「営利目的ではない」ため、大きな地震が起きて支払いが増えたからといって、即座にその地域の加入者から回収するような仕組みにはなっていません。しかし、最新の知見(新たな断層の発見や地震発生確率の更新)が反映されれば、次回の料率改定でランクが引き上げられる可能性は十分に考えられます。
まあ実際これだけ天候悪いと体にも心にも悪い
燃料費かかりまくるのはもとより、二酸化炭素を大量に排出するため環境にも良くない
雪を掘ったり落としたり。ついでに命も落とします
良いこと一つも無いだろ
肥ってる人が「冬は暑くないからいい」とかその程度じゃあないか?
ふゆ、なくなれ。と思う
ちなみに日本海側・東北に限らず、「僻地」や「中途半端な田舎」はこれからどんどん切り捨てられるよね
人口は激減して久しく、その辺にへばりついて暮らしている僅かな人々に対してインフラ整備するコストがね
ご存知の様に、インフラの老朽化を修繕するのには天文学的な金額と時間がかかるわけで
それを糞ド田舎とかまで出来るかってぇと
そんな体力、日本には無い。地方の公共事業にくべる金なんぞ無い
ミサイルを買わないといけないしな
あと、老人を養わないといけないしな(これは嘘。普通に切り捨てまくるよ!)