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2026-01-15

anond:20260115155157

降臨する聖典民明書房奇跡

西暦202X年、日本の政治地図は未曾有の地殻変動に見舞われた。リベラル旗手民主党」と、平和の党「公明党」が、国家の分断を回避すべく電撃合併宣言したのである

新党の名は「民明党」

その綱領は「友愛と慈悲の融合」であり、結党と同時に党内に設置された出版局、「民明書房」は、単なる広報機関を超えた存在へと変貌を遂げていった。彼らが社運を賭けて刊行したのが、超大作大河小説『龍魂鳳鳴(りゅうこんほうめい)』である

中国を揺るがした一冊

この小説は、古代アジアの叡智と現代民主主義、そして東洋精神性を、重厚かつケレン味あふれる文体で描き出した。特筆すべきは、民明書房独特の「架空歴史的事実」をさも実在するかのように織り交ぜる叙事詩技法である

万里の長城は、実は古代の巨大な楽器であった」

パンダの白黒模様は、宇宙の陰陽の調和を具現化した聖なる印である

こうした記述が、科学的根拠を超えた「魂の真実」として、SNSを通じて中国全土に爆発的に拡散された。北京知識から四川農村に至るまで、中国の人々は「これこそが失われた我々の精神的源流だ」と涙し、民明書房書籍聖典として崇められるに至った。

友好の証:大宮への使者

この熱狂外交の壁を軽々と飛び越えた。中国政府は民明党に対し、最大級の敬意を表する「精神同盟」を提案。その親善象徴として選ばれたのが、世界で最も愛される親善大使、ジャイアントパンダであった。

しかし、送り先に指名されたのは上野でもアドベンチャーワールドでもない。埼玉県さいたま市、「大宮公園小動物園」だった。

理由は『龍魂鳳鳴』の第12巻にある一節、「武蔵の国、大宮の地こそが、龍の脈が交差する最強の聖地なり」という民明書房独自解釈を、中国側が真に受けたためである。また大宮公園のカピパラ「ピースくん」が中国人のアイドルだった可能性も捨てきれない。

歓喜大宮公園

貸与式当日、大宮公園は熱狂の渦に包まれた。民明党の代表は、民明書房特製の「パンダ用・竹の葉煎じ薬(※もちろん架空漢方)」を携え、中国代表と固い握手を交わした。

大宮の小さな動物園に、突如として出現した「パンダ舎」。そこには、氷川神社の森の空気を吸い、のんびりと笹を食むパンダの姿があった。その背後には、民明書房の巨大な看板が掲げられている。

歴史は、ここから書き換えられる――」

この日、大宮世界一の観光地となり、民明書房出版物世界中で翻訳され始めた。人々の心は、政治国境ではなく、一冊の「あまりに壮大な法螺話」によって、一つになったのである

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する②

【前】anond:20250102171528

1-07「ハワーズ・エンド」E・M・フォースター 吉田健一訳★★★★

人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。

続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。

この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃん表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。

このエントリにしたって、自分過去の好みや性癖について書いてはいものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記感想文を記しておけばよかったかしかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。

1-08「アフリカの日々/やし酒飲み」イサク・ディネセン 横山貞子訳/エイモス・チュツオーラ 土屋哲訳★★★★★/★★★★

イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカ収奪貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。

からと言って歴史正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在無視するわけだからね。黒人白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。

世界神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ神話ゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的アチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父本棚から貰って来たアレックスヘイリールーツ」はまだ積んである

1-09「アブサロム、アブサロム!ウィリアム・フォークナー 篠田一士訳★★★★★

これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量ヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。

語り手が複数おり、時系列バラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペン貧困ゆえに受けた一つの屈辱からまれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。

ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹海辺のカフカ」を読むとわかる。

ところで、フォークナー日本を訪れて「私も敗戦国人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動燃え盛っている時に、思い出していた。

世代にわたる大河小説と言えば、最近学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである

全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。

1-10アデンアラビア/名誉戦場ポール・ニザン 小野正嗣訳/ジャン・ルオー 北代美和子訳★★/★★

実はどちらも内容をほとんど覚えていない。

とはいえポール・ニザンアデンアラビアのように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。

ジャン・ルオー名誉戦場過去大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんヌーディストビーチのぞき散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。

手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車突撃していった僕なんかは、そう思うのである

1-11「鉄の時代J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳★★

アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人スラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないかイエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。

二分法はそもそもきじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。

正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国SF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。

うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなた人生あなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?

やっと納得できたのは、アイヌ民族議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。

とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランス民主主義機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民女性を、女性障害者を、障害者外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャーライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家安易SNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的糾弾してやりたい思いは消えない。他人言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手批判しても全然解決しないんだろうな。

1-12アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 」エルサ・モラン中山エツコ訳/ナタリア・ギンズブルグ 須賀敦子訳★★★/★★★★★

この作品も一度褒めた。

エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親義務で動いているわけじゃなくて、一般的義務で動くキャラって意味感情表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃん父親内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。

閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。

あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。

続く。

2022-10-29

なぜプーチン小池百合子より先に表現の自由戦士を叩くのか?

「反LGBT法」ロシアで成立へ 報道映画、ほぼ全面禁止の恐れ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQBW6SJZQBWUHBI02R.html

東京都⼈権部が飯山由貴のアート作品検閲か。小池百合子都知事関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への態度も影響した可能

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyoartbeat.com/articles/-/iiyamayuki-tokyo-metropolitan-human-rights-plaza-news-2022-10

1.そもそも表現の自由という非常に大事もの蔑称に使うのは不適切ではないか表現の自由のために戦うのは当然ではないか

2.表現の自由戦士とは具代的にどのような人物を指しているのか?

3.表現の自由戦士がだんまりしていたというのはどういう根拠に基づくのか?

4.なぜ真っ先に批判する相手プーチン小池百合子及び東京都人権部ではなく表現の自由戦士なのか?

私は当然プーチン小池百合子に抗議する。

対抗するための本を紹介。

リュドミラ・ウリツカヤ『緑の天幕』(新潮クレスト・ブックス)

スターリン死後の1953年からソ連崩壊後の1996年までを描く大河小説。作者はこう語っている。

自分自身青春時代、つまり1960-1970年代再確認してみようと思ってこの小説を書いていたのですが、書き終えたら、アクチュアルテーマ作品だったことに気づきました。最近我が国では意図的個人崇拝の復活が進められています。(略)

専制的な体制によって挫折させられた『緑の天幕』の主人公たちの運命が、ソビエト時代を良い時代だったと懐かしむ人々への警告となることを願っています

リュドミラ・ウリツカヤは十年以上反政府運動に加わっている。今回の侵攻を受けて祖国を離れた。

「一人の人間とその忠実な助手たちの狂気に国の運命が左右されている。現下の状況には痛み、恐怖、恥を覚える。激化する戦争を止め、国のプロパガンダの嘘に抵抗すべきだ」と訴えている。

加藤直樹 『九月、東京路上で  1923年関東大震災 ジェノサイド残響』(ころから

関東大震災で起こった朝鮮人虐殺について多くの証言資料を用いて解説した本。

震災から日本人朝鮮人に抱いていた差別感情、歪んだ正義感による暴行、軍や警察の加担、加害者たちへ同情的の世論……決して忘れてはならないことを伝えている。

加藤直樹はチームを組んで「「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか」http://01sep1923.tokyo/という虐殺否定論デタラメを指摘するサイトを作っている。こちらも必見。

2019-12-15

小説最後まで読みたい

昔、司馬遼太郎国盗り物語最後まで読んだことがある。国盗り物語文庫本4冊分の大河小説だ。完読できたのが今でも信じられない。あの時は会社でのパワハラ長時間労働がとてもつらく、その逃避として夢中で読んでいた覚えがある。正直あれを読めたことを自慢にすら思っている。

その「成功体験」の後、俺は小説を読めるようになったのでは?と思った。しかし同じく司馬遼太郎燃えよ剣を読んだが途中から内容が頭に入ってこなくなり、半分くらい読んで飽きてしまった。

それ以後も色々読んだが続かない。結局映像作品マンガでなければ最後までたどり着けない。あ、でも短編集は忘れてもOKから一応最後までいける。ボッコちゃんとか。

みんなどうやって小説読むモチベーション持ってんのかなあ。

2018-10-11

anond:20181010212539

「昔から思ってたよ。こんなにも至る所に愉快なことが仕込まれまくってる世界ってヤツは、出来すぎてるぐらいな代物だって

 ちょっと見方を変えれば気づく、知恵を巡らしゃ探し出せる伏線が満載だ。

 いざ本気で楽しもうと思ったら、この世界に勝るほどのエンターテインメントは他にねぇよ。

 きっと誰かが書いてんだよ。脚本を。登場人物五〇億人の大河小説を書いてるエンターテイナーがいるんだよ。

 ……そんなやつについて語ろうと思ったら、こりゃあもう、神様しか呼びようがねぇ」


「この世界シナリオを、何千年だか何万年だか、ずっと休まず書き続けてるんだとしたら、そりゃ愛がなきゃやってられねぇでしょ。

 うん。きっともうノリノリで書いてんだと思うよ。自分自分作品を楽しみながら。

 愛とか勇気かに感動してさ、愁嘆場にはボロボロ泣いて、んでもって恐怖とか絶望かにハァハァ目ぇ剥いていきり勃ってるわけさ」


神様勇気とか希望かいった人間賛歌が大好きだし、それと同じくらいに血飛沫やら悲鳴やら絶望だって大好きなのさ。

 でなけりゃぁ――生き物のハラワタが、あんなにも色鮮やかなわけがない。

 だから旦那、きっとこの世界神様の愛に満ちてるよ」

2018-05-21

anond:20180521175942

実際には「気付く人は気付く」程度のものだったというのは観てれば分かるよね。

モチーフは他にもあったらしいし(私自身が新撰組との関係を気に入って強調しているところがある)、十分にアレンジされていて一個の作品として昇華されていると思うけど。

もともとガンダム大河小説として受けているところもあり、鉄血の監督もあえてテーマを設定しなかったと言っている。

分かりやすテーマがなかったから気に入らなーいというのは個人勝手だけど、それを作品の出来の悪さと短絡しないでほしいな。

2015-07-01

増田プロシード権獲得!?

こんこんちきちん、こんちきちん。

京都はもうすぐ祇園祭よ。

夜店の出ない日があるから、気をつけてね!

はるばる遠くから来て夜店なかったら、まさに後の祭りよ!

なーんてね、ギャグギャグ

中学生修学旅行京都に行くの多いらしいけど、

あれって絶対京都に対して超意識高い中学生っていないわよね!

私は京都行ったことはないけど。

さて。

増田WEB文章から、紙の本とは違ってWEBの書き方がいいと思うの。

具体的に言うと、1行短くリズムよく改行していく感じかな。

WEB文章の書き方の類いのページ読んで

なるほどーって思ったわ!

もうこの手のノウハウは書き尽くされてるからもっともらしく真似して言ってみただけ。

あと、長い文章も読むのが大変だから割と短めが私は好き。

となると、漫画で言うと1コマ分の描写

どんなにがんばっても4コマ分の話の流れの描画が私の限界なのよね!

そっちの方がシンプル文章でみんなイメージやすいかもね。

何気ない一瞬をいかにしてどうてんこ盛りまくるか!

じっくり校正した文章よりも、

何も考えないで勢いでバカ書いた方がハイナイスレスポンスもらえたりして

本当に増田は分からないわ。

でも、長い物語や話を書くのは超大変だと思う。

風の大陸みたいな大河小説増田でやるには鼻血が出るわ。

あんな壮大なことすら思いつかないし。

物語や長い文章を書く人ってすごいわ。

っていうか、この増田長い文章で長文!!

ゆけゆけ!増田プロアカウント!!!


今日朝ご飯タマサンド

パン屋さんによってタマサンドは違うから

食べ比べてみると美味しい。

デトックスウォータードラゴンフルーツ水。

デパートになかなか売ってなくて3軒まわってやっと見付けたわ。

ドラゴンフルーツって言うくらい、

見てくれが火の玉みたいで可愛いわよね。

初めて食べるとき食べ方分からなくてどうしようかと思ったけど、

皮は意外とぺろんと剥けるわ!

果肉は白いけど赤いのもあってそっちの方が甘いんだって

食べればきっとアジアンセレブの味よ!

お試しあれ!


すいすいすいようび!

今日も頑張ろう!

 
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