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はてなキーワード: 戯画とは

2025-05-19

なぜホクロからは毛が伸びるのか

あなたはなぜホクロからは毛が伸びるのかを疑問に思ったことはあるだろうか。ホクロといっても、少し大きめで、イボのように皮膚から少し膨らんでいる形状のものをここでは意図している。漫画などでよく登場人物顔面にあるホクロから毛が生えているのを戯画化して描かれたりしている、あの現象である

私自身、幼い頃からこの問いに頭を悩ましてきた側だが、30を越えたあたりから頰にホクロが出現し、昨日気づいたら自分がホクロから毛を生やす側になっていた。世の中にはホクロから毛を生やす側の本人(こういうのって当事者って言うんだっけ)によるテキストは貴重だと思うので、ここに記録しておきたい。

ホクロの周りは手入れしづらい

私(男性)は、毎日顔を市販のT字型カミソリで手入れしているが、膨らんでいるホクロの周りはうっかりすると血が出てしまいそうで怖い。そのため、ホクロの周囲を少し残して髭を剃っている。本来であれば、ホクロの辺りを毛抜きなりで追加で手入れしてやらなくてはいけないが、それを怠った状態が、ホクロからの毛である

ホクロ周辺の毛は見つかりやす

ホクロ自体他人からの目を引く。このためホクロ周辺に毛が生えている場合、それ以外に生えている時と比較して、見つかる可能性が高くなる。最初の点と合わせると、「手入れをサボりがちなホクロ周辺で毛が少し生えてくると、他人にはすぐに見つかってしまう」が成立する。

他人に指摘されると屁理屈をつけてしまタイプ人間もいる

1点目と2点目は、多くの人に当てはまる認知のズレについてのことである。通常は、他人に「ホクロから毛が生えてるよ」と指摘されたらら素直に毛を抜くなり剃るなりすれば、それで終わりである

一部の偏屈人間(俺とか)は、自分の誤りを認められないので、「ホクロの毛は幸福の印」とか「無理に処置をすると化膿してしまう」とか言い出してホクロ毛を正当化してしまう。こういうタイプ人間は、後に引けない性格なので、(他人別に気にしてないにも関わらず)毛を処理することが間違いを認めることになるとか考えて、その毛を処置できなくなってしまう。

以上、ホクロに長い毛が生やされる、具体の過程を追ってみた。興味のある方はぜひ心の片隅に置いておいてほしい。

2025-04-22

anond:20250422151928

KOTOKOが無いだとう?!

まあ、聞きすぎて食傷気味のところはあるが、戯画のface of factとかFatallyとか良いじゃないか

アリスソフトならAtlach_nacha~Going on~とか。歌ではないけど。

あとA night comes! とか。

2025-04-13

anond:20250413102943

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、京都市右京区高山寺に伝わる紙本墨画の絵巻物。国宝鳥獣戯画とも呼ばれる。現在構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻からなる。内容は当時の世相を反映して動物人物戯画的に描いたもので、嗚呼絵(おこえ)に始まる戯画集大成といえる。元来、表面裏面に書かれていたものが裏打ちで剥ぎ取られ現在に伝わる状態になっていることが近年の修復で判明している。

一部の場面には現在漫画に用いられている効果類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」とも称される[1]。

2025-03-30

anond:20250328231550

女がケツでけえのは事実

よって輪郭がでやすいのも事実

漫画というのが特徴を強調して戯画化するものというのも事実

2025-03-23

何て言えばいいのかな 都合の良い・分かりやすい経緯の敵というのか

LGBT差別していた議員牧師が実はゲイだったことがわかって辞職」

児童保護を口実に表現規制を進めていた議員活動家が実は児童買春や薬物ほかで逮捕

フェミニスト自称活動応援していた男性性犯罪を起こして逮捕

みたいな、何由来か分からないそういう話ばかり目につくし、あるいはポリティカル(?)な創作でもこういう筋書きがやたら使われるんだけど

もちろん実際にそういう事件・先例がいくつかあって、そういう「これだから宗教保守は、規制派はwww」みたいな嘲笑矛盾突きに使われるんだろうけど

でも実際にLGBT対峙している保守活動家とか、オタク表現の自由運動家対峙している規制派って

99%が一言で言うとすごい「真面目」「一貫」「(その価値観の中では)高潔」だし、故にここまで問題が深刻になってるんだよね

もし上のような例が、そういう対峙側の、何割かを占めていれば、そもそも不祥事対応物理的に忙殺されて対峙も何もできないはずだもの

戯画あくま戯画しかないんだよな

でもやっぱり、特にSNS上のオタクは、相手を、それも使い古されたカリカチュアでナメがちな部分があるじゃん

何でこういうこと書いてるかって、ここからは表自の話に絞るけど最近この「戯画戯画と見抜けない」人たちが増えてるなって思ってるから

相手の経歴、相手の背後の支持層なんか気にせず、「どうせ裏で児ポ見てるんだろ!」みたいなことすら言ったりする

もっとひどいと「アグネース!」とか書いたらそれで何か言ったことになると本気で思ってるキ〇ガイすらいる)

相手そもそも児ポみてなくて「真面目」に活動してた場合(それが99%でしょ)、その発言の分だけ表現の自由を守る立場時間的にも影響的にも少なくともネガティブ作用するわけで

一体俺たちは何を守ってるのかという次元の話にすらなる

もっと、こう、「地に足」付けて、敵意なら敵意でちゃん相手を見てほしい

2025-02-28

日本人特有感覚だよな

海外からよくYESNOがはっきりしないって言われる最たる部分

受け手判断に委ねてる以上思い通りになると思わないほうがいいんだけどね

禁止なら明確に禁止って表現しないと

こんなこと言ってるやつが英語だとprohibit使ってたりするとちぐはぐ感半端ない

2025-02-13

anond:20250213124016

あと

カレルチャペックの「山椒魚戦争」もスコだ

 

動物農場とか山椒魚戦争とかああい戯画的な書き方って好きなんよね

  

オーウェルは一番好きだ

1984は擦られ過ぎてて言いたくないけど

動物農場、象を撃つ、カタロニア賛歌、ここら辺が好き

2025-01-13

anond:20250113075224

あなたは「ネトウヨだけどパヨクおっぱいが好き」という矛盾を抱えながらも、独自哲学見出しているようですね。あなたの話をまとめると、以下のようになります

あなたの話はユーモラスでありながら、いくつかの興味深い点を含んでいます

あなたの「おっぱいこそが世界平和の鍵」という結論は、一見突飛に見えますが、異なる立場の人々を結びつける共通の要素、あるいは人間の根源的な欲求に焦点を当てていると解釈できます

ただし、あなた表現の中には、性的対象化やステレオタイプ助長と捉えられかねない部分も含まれています表現自由重要ですが、他者への配慮も忘れないようにすることが大切です。

最後に、右のおっぱいが好きか左のおっぱいが好きかという問いについてですが、これはあくま個人の好みの問題であり、政治的な意味合いを持たせる必要はないでしょう。あなたが両方好きであるならば、それはあなた自由です。

あなた「道」を歩み続けることは素晴らしいですが、その過程他者への敬意を忘れずに、より建設的な議論表現模索していくことも、今後の課題となるかもしれません。

2024-10-26

おっさんTiktok知らんからなあ

https://x.com/dztp/status/1849818247547502756

山本太郎が、言葉スムーズに話すことが出来ない人を戯画化して演じている。注目を集めるためならば手段を選ばないタイプの人だなとは思ってだけど、ついに一線を超えてしまった感。

山本太郎元ネタTiktok流行ってる読み上げ機能を使った動画なんだよね

結果としてカタコト風になるんだよ

若い連中には普通に通じるんだが、中高年には理解できないんだろうね

この辺がれいわと他の政党との世代差だわな

2024-10-15

(仮定の)文化衰退も理系偏重の行き着く先らしい

まだ引き起こされてない文化衰退に対して

文系軽視理系偏重の行き着く先。こういう洞察にアッと気付かされるからXは良い。 (略)


(以下に対する引用ポスト 何をもって文学芸術等の衰退とするかという旨で)

(略) すべてが「友か敵か」という政治ロジックに回収されていくことなんだろうな

起きていないことすら文系を重視しないせいとか言われてもですね…

理系偏重であったとしても、理系自体には文学芸術排除の傾向はありませんので文学芸術の発展衰退を大きく揺るがすことはほぼない

人文学が衰退するときも、理系が引き起こすものではないので責任を負わせるのも無理がある

2024-10-11

ファイヤパンチ面白いじゃん

ジャンプ+において今日限定で全話無料公開してるから読んできた。

ファイヤパンチに関しては以前一話目がネットで話題となったときに目を通した程度で、つまり一話しか読んだことがなかった。

それを今になって、一気に最後まで駆け抜けてきた。

で、感想としての第一声は「面白いじゃん」だった。内容的には今さら古典的セカイ系!?と思わないこともなかったし、最後の終わり方なんて80年代日本SF小説を思わせる(小松左京的な)ものだったけど、登場人物には個性があって魅力的だし、メタ的な語り役を設けることで先の展開を読め難くしていたりとで大変楽しめた。

後半で宗教戯画しているのも良かったし、単純明快復讐譚を"少年誌"という縛りがある中でどう捻りを加えるか?といったところに映画撮影を持ってくることで捻りを加え、ジャンプに対するメタ視線を取り入れるところも巧い。

感情描写は絵でも言語でも上手いし、こりゃ売れるわけだと思ったね。

みんなもまだ読んでないなら読んでみては?

少なくとも、一読する価値はあると思うよ

2024-04-25

anond:20240423175200

主人公の顔芸面白い

アニメっぽい演出多い

キャラ設定戯画的すぎて笑えるけど深みはない(特にキャラ

フェミニスト的主張が現代的すぎて違和感山川菊栄の本ぐらい読んできたら?)

明治大学ってやっぱり頭悪いんだな

2024-04-18

anond:20240418105007

お前だっておっさんなのにポケモンやってんじゃん

多様性?違うよ

いい歳こいてポケモンやってる連中を戯画化してるんだよw

2024-04-13

水原一平の件でもなんでもそうだけど

大きな出来事いかにして茶化すか、上手いこと戯画化するかみたいなネット文化ってホントに酷い。

2024-04-07

生成AIで絵を描く理由なくしたって言ってる絵師

生成AIで絵を描く理由なくしたって言ってる絵師いるけど、この世に存在しうる全ての画像データパターンが生成された時にどうせ描く理由なくすから早いうちに筆折って別の仕事探したほうがいい。

単純なビットマップ画像の全パターンの生成は今の技術では途方もない時間かかるけど近い将来可能になる。

当然中には児ポとかの画像になりえるものも含まれているので仮に公開されたとしてもすぐに取り消されると思うけど、一度生成された事実は変わらないので自分の描こうとしているものがもうこの世のどこかで生成された事実は変わらないことにメンタルを病むよ。

たこれをイギリス国内でやられたら全ての画像著作権が発生するかもしれない。

それまでの間にも今実験中の脳でイメージしたものを出力する技術とかも出てくるだろうし、手書き意味というのはどんどん薄れてく。

学習モデルを使った生成AIも今は膨大な画像から学習しているけど、効率が悪いのでデータセット少なくする方向に進歩していくし、用途を絞ればもう存在する。

自分が作った画像(手書きでもAIでもなんでもいい)に対してどういう意味を付けるかという方向性創作性をもたせたほうがいい。

思えば2017年イラスト生成AIのMakeGirlsMoeは顔しか出てなかったのがたった5年で今のクオリティのものができるとは予想してなかった。

出力された画像も明らかに日本ゲームから学習されたであろうものが出力されてた。(戯画とかNavelとかそのへんに近い作品)

すでにそういうものができていたにもかかわらず、著作権法30条の4が2018年改正されるのを阻止できなかった時点でだいぶ厳しい。

絵師は今のものが出てきてやっと反対してるけど、法律改正した人たちはこうなることを織り込み済みで改正してる。

から文化庁にどれだけパブコメ送っても、現行法対処できることは想定済みという回答が返ってくる。

著作権で飯食ってるクリエイター著作権法の改正に対して厳しく目を光らせておかなければいけなかった。

2024-03-24

ブラック企業の加害がネタとして消費される現状にモヤモヤしてる。

youtuberブラック企業から被害体験告白したり、

ミーム企業による加害を戯画化しているのを最近見るけど、

こういう辛い体験ネタとして消化されて終わり、という現状が悲しい。

もっと社会全体で問題視して、経営者マネジメント層を厳しく注視していくべきじゃないのか。

彼らは加害者だ。

彼らは社会や個々の組織において強者なのだから、その分己を律する道義的責任があるはずなのだが、

残念ながら己の立場を利用して加害を繰り返す人で溢れかえっている。

経営者マネジメント層をただ持て囃すのではなく、

「人の尊厳を容易に踏みにじれる立場にあるんだぞ」

という道徳的な警告を行い、ある程度その振る舞いを抑制する必要があるんじゃないたろうか。

これは既存労働運動にはない観点で、権利制度だけでなく、倫理道徳という領域企業対峙していかないと企業の加害は防げないと思う。

2024-02-22

anond:20240222122540

まあでも人の容姿戯画化してなおかつ悪口に近いことを描きまくって生計を立ててる

やくみつるみたいな人間

横綱としての品格が」とか言われたくないだろうな

とは思う。

2024-02-21

anond:20240221094404

鳥獣戯画

濹東の綺譚

暗夜の行路

芋の粥

羅生の門

草の枕

2024-02-11

海猿サイン色紙騒動について

からはてなブックマークをやってた人なら流れをうろ覚えしているだろうけど、漫画海猿』というのは昔は「原作小森陽一」とか紹介されていて、ドラマ映画がヒットしてる最中佐藤秀峰先生小学館と揉めて、原稿を引き上げて権利を取り戻したって経緯がある。

小森陽一先生海保海自などをテーマにした海洋漫画をいくつも手掛けてる漫画原作者で、『海猿』では立ち上げ時にちょっとだけ関わりあったけど原作者といえる仕事はしていないでしょって揉めた。「漫画原作者」の定義って普通は「原作小説の作者」か「ネーム脚本執筆者」かだけど、アイデア資料提供程度の仕事だったんだろうと。

映画2作目の時に主演俳優が会った「原作者」というのは小森陽一先生のほうだったのではないか。その時に編集者も帯同して「これは漫画からです」って事前に描かせてたサイン色紙を渡した光景想像できる。

その後、佐藤先生出版社と決裂し、フジテレビとも突撃取材問題トラブルとなる中で、交渉の結果、映画3作目と4作目の制作契約が結ばれ、原作者として「初めての」撮影見学に行った際に雑な対応をされて嫌な記憶を残してしまったと。

 

過去ブクマ探してたら佐藤本人がサバサバと「海猿」と小森関係を語ってる昔の記事見つかったわ。戯画化されてる「描くえもん」よりかはわかりやすい。

そもそも海猿』は「ヤングサンデー」の編集者が、当時、映像制作会社に所属していた小森陽一(『海猿』には原案取材としてクレジット)さんと知り合いになって、お互い海が好きということで、海上保安庁の話を描こうとしていた。そこで小森さんが原作文章で書いて企画会議に出して、「原作としては使えないけど、海上保安庁というのは珍しい」ということで、企画けが残っていたんです。それを編集者が「佐藤君、描いてみないか」と持ってきて、話を受けたんです。なので、僕は小森さんの書いた原作を読んでいないのですが、小森さんは自分原作者だと思っていらっしゃるようで、そこからお互い齟齬があったんですよね。

https://www.cyzo.com/2010/06/post_4787_entry.html

2024-02-09

anond:20240208235627

それはたぶん読んでるレーベルが悪い。

無料が多いからってキルタイムかばっか読んでない?

そういう戯画的なデザイン最近は退潮で、特に快楽天あたりはかなりリアルに寄せてる。

増田にはHamaoとかが合うと思う。

2024-02-07

忍者が「散!」の掛け声でシュバッと解散する表現最初にやったのはどのフィクション作品なのだろう

気になるねえ

実在した本物の忍者も「散」の掛け声を使用していた……というわけではあるまい(未調査

いかにも戯画化された忍者が言いそうなセリフではある

うおーこれ調べるの大変だ

とりあえず『NARUTO』で使用されているのは確認できた

これ以前にもあるとは思うんだが……いわゆる忍者もの歴史は長い、昭和中期ごろから沢山書かれている

うーん、『忍者ゲーム「散!」』というゲームが引っ掛かってしまって思うように検索が捗らない

例えば『忍法帖シリーズなんかで「散」の掛け声を使っていたのかどうか、とか……内容ほとんど知らないからこれを機に掻い摘んで読むか見るかするのもいいか……

忍者学大全』という本があるようだが「散」に言及あるかしら……8000円もする!流石にぽちっと買えない値段だ

角川選書から出ている『忍者歴史』あたりを先に読んでみるのがいいか

あと、こういう初出調べにはこのまとめが役に立つ

元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter

あとで時間を見つけてもうちょっと詳しく調べてみよう

漢字文字検索ってやりにくいんだよな~

ずばり「フィクション作品における忍者イメージの変遷」みたいな先行研究がどっかにありそう

それを一本釣りできれば最高

日記

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そういえばアニメの『忍たま乱太郎』でも「散!」の掛け声だったかどうかは忘れたけれどシュバッと解散するシーンがあったような気がするな……

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調査頓挫、知見が蓄積されるまで塩漬け

2023-12-21

ツイッターとかの漫画広告とかDLsite女性向けのホモじゃないやつとか見ると

弱女の欲求願望って本当に凄まじいものがあって直視できないよ

弱男は結局はこっけいで笑えるミジメさ、こんなこと夢見ながら死んでいきましたとさっていう戯画になるんだけど

弱女はちょっと

2023-12-14

anond:20231214183308

元増田だが、いわゆるゾーニングが十分に行われており、過剰な「エロ規制になるのではないか、という懸念理解できる。また、そこそこ古くオタク文化に触れてきた元増田としても、キモイという分断的な動機から安易規制論に立っているのではないかと感じることも少なくはない(松戸VTuber温泉娘も突っ込みどころはあっただろうとも思うがそこは本論から離れていくので割愛規制すべきものだったとは思っていないので。)。その意味でも、繰り返すが法規制に慎重であるべきだということに異論はない。

ただ、現状で、R18規制がかなり緩いサイト散見されるところで、ちょっと戯画的に言うと隠れて「河原で拾ったエロ本を読んでいた」時代とは性的ものへのアクセスの容易さがかなり異なる時代であることも否定しがたいように思う。また、業界での自粛のようなものも、インターネット世界では利かせづらいところもあるだろう。ゾーニングがあるから、だけで本当に良いのかということも、やはり真剣議論をするべきところで、馬鹿にするという態度で良いことはないのではないか

それと、仮に偏見から議論であるとしても、言論に対し「先制警戒で攻撃」されることに「文句を言えない」世界こそ表現の自由が死んだ世界なのではないかな。

2023-09-10

『橋からの眺め』@東京芸術劇場プレイハウス

を観てきた。

主演の伊藤英明ビジュアルと、数年前の大河ドラマ麒麟がくる』における伊藤氏の役どころが素晴らしかったため、今回もそれを期待して行ったわけである

あらすじは公式ホームページにあるが、

https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge

ステレオタイプジェンダーロールに拘泥し家長として振る舞うエディ(伊藤氏)とその妻ビー(坂井真紀)、妻の姉の娘でエディが愛してやまず、成長してなお家に縛り付けられているキャサリン福地桃子)、そして妻の従兄弟でありイタリアから不法移民としてやってくる兄弟マルコ和田正人)とロドルフォ(松島庄汰)の物語である

で、何が書きたいかというと、よくわからない観劇体験をしてしまったという話。

 

なぜなら、伊藤英明徹頭徹尾棒読みからだ。

 

冒頭は、狂言回し弁護士高橋克己)の澱みないモノローグで始まる。その後幕が開き、幸福な頃の一家の姿が描写されるが、伊藤氏が口を開いた瞬間に強い違和感が襲ってくる。

棒読みだ。

言葉の一つ一つが、『セリフ』として意味を持たず流れ落ちていく。

キャサリン帰宅した叔父の胸に飛び込み、絡みつくように抱き合う。不穏さを感じさせる、目に焼きつくほど無邪気な愛の光景と共に、低音で棒読みセリフが流れ落ちていく。

劇が進行し、過保護に育てられ男を知らないキャサリンは、初めて目の前に現れた若い移民独身男性・ロドルフォに一目で恋に落ちる。エディはロドルフォが『カマ野郎』(ママ。70年も昔の戯曲なのだである言いがかりをつけ、そんな男に姪が奪われてなるものかと旧知の弁護士の元へ駆け込んだ。「法にできることはない」と窘める弁護士に激昂した口調で激しく詰め寄る。激昂した口調で激しく詰め寄っているのにも関わらず、セリフは相変わらず流れていく。会話が成立していないのだ。

高橋克己演じる弁護士は、本能的かつインモラル嫉妬に駆られた男を前にした常識人というより、意味を持たない言葉の奔流の前に、言語限界を知って戸惑い立ち尽くすインテリといった様相を呈してくる。

ビーを演じる坂井真紀氏は、妻として夫に寄り添い、あるいは向き合う姿そのままに、崩れがちな家庭の場面を立て直そうとしていたが、やはり圧倒的に流れていく主演のセリフ量の前には勝てない。

ドルフォとキャサリンとの会話は慣れてくれば違和感がなかったが、おそらく物語構造上、その若き二人は、そもそも一人の人間として彼に見られていないためだ。だから会話が成立しなくても大丈夫なのだ

しかし今度はそのせいで、二人がエディに向ける愛や憎悪困惑に一切の重みがなくなってくる。あの純粋に不可解な言語の羅列に対し、何を真っ当に苦悩しているのだ、という感じがしてくる。

そしてその異様な不協和音を抱えたまま、劇は終盤の悲劇なだれ込んでいく。

  

失礼なことばかり書いてしまったが、伊藤英明氏はおそらく演技が下手なわけではないと思う。「演技の適性がピーキーすぎる」だけだ。正直動きだけで言えば他の役者の方が怪しいところもなくはなく、伊藤氏がそれをカバーしていたところもあった。

エディのくたびれた労働者の姿態、日常的に男らしさを意識しつけた一挙手一投足、戯れにロドルフォにボクシングを仕掛ける時の軽やかで悪意を秘めた動きと笑い、嫉妬を滾らせて部屋の隅に沈み込んでいる姿の不気味さ。舞台映えしないとは決して言わせない長身も相まって、エディという男そのものを見事に、しかも色気と悲哀を横溢させて表している。

ただひとたびセリフを発すると、演劇空間位相が容赦無くズレ出してしまう。

 

パンフレットを買えなかった(持ち帰る袋がなかった)ので薄い理解ではあるが、アーサー・ミラー脚本は、シンプルに受け止めれば、移民への差別意識問題女性の自立・連帯問題からみつけつつ、家父長としての姿にこだわる男の自尊心と、その体面の下に押さえつけられた欲望を鋭く抉り出したものだろう。

ただそんな真っ当な狙いを外れて、主演のセリフの大半が機能しない状況で、この舞台は圧倒的な不条理劇として立ち上がってくる。冒頭の弁護士モノローグで、ギリシア悲劇的な『条理』は示されているにもかかわらずである

繰り返されるエディの「尊重されたい」という言葉は発されるそばから空疎になり、なんの意味も持たずに空を彷徨う。圧倒的な空疎に対して周囲は嘆き、怒り、困惑し、愛を語り、そして悲劇を止められないことをなぜか勝手に悟る。

そしてその空を彷徨うような言葉で表される自尊心に怒りを掻き立てられ、エディはあまりにも無意味で不可解な死へと突っ込んでいくのである伊藤氏の怒りの演技は見応えのあるものであるが故に、その怒りの根源が空虚しかないという不条理はいや増していく。

そして唐突に死んだエディを、役者たちは無表情で見下ろす。我々の中に紛れ込んでいた全くの異分子がやっと去った、という解放感さえ浮かべて。

 

それはとりもなおさず、エディが脚本上囚われていたすべてのものの虚しさを示す、メタ的かつ正確な表現に他ならない。

あるいは、棒読みの彼こそがリアル人間であり、周りの役者たちを「芝居がかった偽物たち」と捉えることさえできる。

人間感情言葉で表すことなど到底無意味であり、根底にあるのは超言語的な(本能的な)愛と嫉妬憎悪だけだ。それでも周囲の「芝居がかった偽物たち」とエディは、無意味空疎言葉コミュニケーションする他ない。そして彼は己のものでない空虚言葉で己を取り繕い、縛り、孤立し、ついには偽物たちに殺されてしまう。

この姿が、あらゆるイズムに囲まれ現代人の戯画でなくてなんだろう。

 

まりこの劇を伊藤英明の演技が不条理劇に昇華することによって、今回の舞台は一応の成立を見ているのである

 

幕が降りた後、私はい観劇体験をしたのかどうか一考した。期待していたものではなかった。しかし無ではない。あのエディは間違いなく、ただ達者な役者が演じるよりはるかに深みのある造型をしていた。よくわからない観劇体験だったが、今私にこれほどの長文を書かせるほどの体験ではあった。

それが演出家の狙いだったかはわからないが。

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