はてなキーワード: 舐めるとは
プロフィールのテンションが見たことないくらい高くて、カウンセラーからの一言もつられて高かった。普通が「料理できます」程度のテンションなら「料理できまっせ!!!!!!!!!得意料理はなんか冷蔵庫にあったやつ丼!!!!」なレベルだ。
すっぴんでジョジョ立ちでイタリア観光している写真が面白かったからお見合いを申し込んだんだ。
対面も面白くて、トントンと真剣交際まで行けた…真剣交際後に初めて「手つないでいい?」と言った。元気な彼女のことだから「いいよ!」って言ってくれると思ったら急にモジモジし始めた。
「手、手ぇ…手つなぐの?」って顔真っ赤っかじゃないか!!!!ゑ!?いつも元気にお話してくれるのに手を繋いだだけで「恥ずかしい」って!しかも手を繋いだら「緊張していつも通りに話せない」って!Wow!
成婚退会後に色々聞いたら、仮交際は俺だけだって!?俺は入会してから二人目のお見合い!?今まで彼氏どころか男友達もいたことがない!?!?!?!?!?!?
「キスしてもいい?」と聞いたらあからさまに動揺して「初めてで緊張しちゃって」ってプルプルしているが!!!!!!!!Wow!普段あんなに元気でふざけがちな子で、うんちくをペラペラ言いながら大食いな君が!急にピュアをだすな!?ヱ!?
「恥ずかしから外でイチャイチャしたくない」に「俺は外でもハグしたい!」って言い続けていたら許してくれるようになった。「なんで許してくれるようになったの?」って聞いたら「してあげないのも可哀そうかなと思って」って~~~~~~!oh!
どうやら人生で可愛いと言われたことがあまりなかったようなので、たくさん言ってあげている。最初は「私は可愛いくない」と言っていたのに、最近は「可愛いだろ、私。そんな可愛い私からのお願いだぞ」というようになった。Wow!
力仕事を俺がやろうとしても、彼女は全部一人でこなしてしまっていた。開かない物も「やろうか?」と言うと「舐めるなーーーーーーーーーーーーーー!」と叫んで開けている。でも最近は「やって」って甘えてくれるようになった!Wow!
友人にどんな人と結婚したかって聞かれて、こんな感じで答えたら「お前の妄想はいい」「そんな子は結婚相談所にいない」って言われて信じてくれねぇ~~~!!!みろ!おい!みろ!Look!Look!Watch!Watch!この婚姻届の写真!!新婚旅行の写真!存在するんだよ!!!!!!!!!!
彼女はツンツンすることがあるのだが、どうやら小さいころいじめられていたらしく、男に警戒心があるらしい。仕事でも男と話す時は緊張してると。家族は幸せだったから結婚願望があり、気合を入れて結婚相談所に入会したようだ。俺以外にも数人お見合いしたのだが、俺だけが唯一家族のように気楽に話せた。って初夜の時に告白された。こんなの大事にしたいじゃん…。
とにかく使えない。アスペの癖に低IQのコミュ障で、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずで法人すら立ってない事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロ、CTFの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。大学生は大人なんだからIT目指すなら一つくらい社会に爪痕を残すようなとてつもない偉業をなして当然だろ、何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。今どきZ世代は大人びてるんだからIT目指す新卒にもなれば普通少年ジャンプの主役くらいのスペックあって当然なのに。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
結果の出ない努力は苦労や道楽ですらない。意味のある努力をした俺らがようやく意味のない辛酸も含めて舐めることができる権利を与えられているのに、無駄な努力しかせず時間を浪費した人間はエンジニアになる資格なんてない。それを解っちゃいない人事の奴らはバカしかいない。
昔のアニメというか昭和のドラマ・映画では令和レベルでは性犯罪のシーンが普通にいっぱいあった気がする
ほんと令和の感覚からは、不適切にも程がある野蛮な時代だったんだよ。
イジメではなくプロレスごっこ。好きな女の子のスカートはめくるのもの、好きな子のリコーダーは舐めるものという感じに。
片思いの女の子の家の前をどうしてよいか分からなくてうろつくとか、令和じゃ普通にストーカー犯罪だし。
そして、レイプも恋愛手段の一つ、「告白行為の一種」と言っては過言だけど、
昭和のストーリーでは、「強引にでも身体を開かせればこの女は俺のもの」的な描写はありがちだったように記憶している。
そこが昭和の展開的には新しかったように思うし、そこに当時としては意味があったのではないかと思う。
オネアミス自体が、パワーなりテクノロジーなりを持つ宇宙軍が勝利するとかの単純で分かりやすいカタルシスのあるストーリーではないし。
シロツグの「告白」は失敗したわけだ。
リイクニに鈍器で殴られシロツグは気絶する。
ねるとん紅鯨団なら手を差し出して「よろしくお願いします」したら「ごめんなさい」されたようなものだ。
昭和のありがちな映画ドラマ漫画の展開なら、男主人公のヒロインへのレイプは成功し
ご都合展開的に二人は恋愛関係になるという令和的にはありえないストーリーになるのだろうが
淡々とした
いや、ねーんだろうけどさ、残念でならないよ。
夢を売る仕事がある。まあなんでもいい。側から見て「楽しんでやってそう」と見える仕事だ。
普通じゃ到底手の届かない仕事でもいいし、まあ普通の人でも何かしらのチャンスだったり、好きが高じてでもいいがそういう仕事をしている人に
「楽しそうだね」
と声をかけようものならきっと口を揃えてこう返すだろう
「いやいや、それがそうでもなくて…」
聞けば楽しそうに見えるのはほんの一部でその実、辛いことばかりだと。
中には親の仇かのように「楽しそうに見えるだと?舐めるんじゃねえ!」とまで言われてしまい、いかにその仕事が辛く苦しいものであるか、楽しそうなのはほんの表面的なものでしかないと説かれることもあるだろう。
おいおいおい、楽しそうに見える仕事が楽しくないんだったら一体なんの意味があるんだ。
夢を売っておきながら辛さを力説されたらどうすりゃいいんだ。
仕事ってのは大抵は辛くて楽しくないもんだろう、でも生きるためにやらなくちゃならないことだ。
そんな仕事をさ、楽しそうにやっている人たちが、本人たちが楽しいと感じてなかったらもうおしまいじゃないか。
極端に遡れば自然と立ち向かう必要があって生きることすら難しい時代だってあっただろう。それに比べれば今はまだまだマシだろ。より快適に、楽に生きることができるようになってるはずだ。
それなのになんでか大半の人間は自分自身の首を絞めながら必死に生きているんだ。いや生きなくちゃならないんだ。もっと上手いこと出来なかったのかよ。
でもきっとこうも思うだろう
「楽しく仕事やって生きてる奴もそりゃいるよ」
映画、ドラマ、アニメをいくら沢山見ても演技を評価できるようにはならない。
例えば赤ワインとかウイスキーってさ、飲み慣れないと味わかんないと思うのよ。
最初にたっかいの飲んでも「高いのは違うなー!」とかならない。
色んな種類とか色んな価格のを飲んで、ようやくわかってくるもんじゃない?
で、これを演技に当てはめると「食べる/飲む」は「(真剣に)演技指導される/する」なんだよ。
「舐める」ぐらいが「演技指導されてるのを見る」とかそういう感じ。
演技見るのって、食べ物とか飲み物見てるだけなのとマジで一緒。
とはいえ。
どういう人かというと、B級もB級の映画とか、駆け出し役者が多い舞台とかで「下手くそな演技をたくさーん見つつ、役者一人ひとりの批評をしてる人」。
見てるだけじゃダメなんよね。
一人ひとりを比べて、どこがどう違うか、しっかり頭を使ってないとわかるようにならない。
好きな曲をただ聞き続けてるだけじゃ演奏できるようにならないのと似てる。
ちなみに演技の勉強をあるていど真剣にやったことがあると全部経験する。
演技はグループワークだから、演技指導されるだけじゃなくて他の人への指摘もするし、自分以外の演技は全部教材だから真剣に見てその人がどうしたら良くなるか、何がダメかを考える。
週1で1〜2年ぐらい真剣にやれば、あるていどわかるようになるんじゃないかな。
んなことしなくても評価できるって?
だいたい勘違い。
初めにこのことを書かなければならないと思った。
なぜなら本書において三宅香帆は信じられない前提を置いている。
若者は、自分が面白いと思う物や好きと感じることが自分では分からないという前提だ。
だから初めに書く。
私は自分の好きなものや、自分の嫌いなものを確かに自分で判断することが出来る。
その上でこの本は面白くないと感じるし、筆者のことは嫌いだ。
私は23歳の男だ。地元の友人は結婚ないし婚約をしている中で、そろそろ若者としての賞味期限切れを感じつつあるが、若者という立場で文章を書く。
本書で述べられる考察とは何か。
それは既に存在している正解を探す行為であり、そこから与えられる「報われた」という感情が報酬となって流行を見せているという主張が展開された。
変な家、あなたの番です等で正解のある内容を考えることでほっとして安心できる。これが若者の思考であり令和でウケる要素があると書かれた。
そこには正解を当てたという「意味」があり、これがあるからこそ物語を楽しむ時間が無意味であることの恐怖を和らげることが出来る。
だからこそ答えがある場所に、成果が得られそうな場所に集まる。
そうして物語を楽しむという行為が報われるという行為に奪われていくという話だ。
この流れを聞いてどういった印象を受けるだろうか。
何が良いのかも判断が付かず、それらしいものに絡めとられていく様子が私には浮かんだ。
私はこの主張に否を突き付けたい。
確かに若者が好みそうなコンテンツ、作品が計算して作られることはあるだろう。
だがそこに乗っかるのはあくまで自分たちが楽しいから、自分たちが良いと感じるからのはずだ。
ネガティブな感情に追いやられ、そればかりしか楽しめなくなる集団が多数派かのような内容を押し付ける行為は認められない。
一読した部分では分からないことや読み取り難い部分があり、作品に再度触れながら仮説を立てたり根拠を探したりした。
が、それでいい。何故か?
答えを探し求める過程で作品世界への理解が深まり、これまでの自分では気が付かなかった領域が見えたからだ。
そうして感じ取った部分を基に、またもう一度その作品が好きになる。
時間をかけて丁寧に読み、初めに探していた部分とは違った側面がいくつも見えてくる。
この物語は、もしかしたらこういうことを描きたかったんじゃないか。
改めて考察を終えた後作品を振り返ると、それまでとは全く違う姿が見える時がある。
そんな瞬間が楽しくて、考察をする。
人が考察をするのってそういう部分を求めてるからなんじゃないのか?
コンテンツが語らなかった部分を積極的に読み取ろうとすることで、自分の中で新しい物が芽生える。
受動的な視聴とは違う。
自ら生み出す創作とも違う。
それでも自分の行動が挟まる(ように見える)余地があって、自分の手で何かが変わった体感が得られる。
この能動性に考察との共通項があるからこそ、二つが同時発生的に消費者の中で存在感を放つようになったのではないか。
そこには、コンテンツが溢れるようになった時代も関係しているのかもしれない。
ただそこにあるものを消費する営みに疲れ、一歩積極的な行動に価値を感じるようになった。
そんな背景がもしかしたらあるのかもしれない。
ここまで書いたことと、本書で主張されたことは、どちらが正しいのかは分からない。
著者に課せられたハードルはそんな低い物ではないはずだ。
根拠のない持論を重ねること。
何かの作品に対して向けるなら好きにすればいいが、現実に人間に向けるなら話は別だ。
「若者」達に向かって、生き方や接し方を説く。より上の世代に向けて「若者」との接し方を示す。
分析する力も、説得する力もまるで足りてない。
自身のツイートで若者を救いたいと言っていたが、別にあなたは必要とされてない。
彼女がこの本でやっているのは、勝手に問題意識を植え付けることだけ。
ネガティブな像を作り、最終的に自分の提示する方向性に誘導する。
高級感のある情報商材屋だ。イラストをアイコンにしたビジネスブルーバッジがよくやっている。
もっと根本的にだ。仮に考察の目的が正解当てゲームに主眼を置いた物だったとしよう。
ドラマの正解当てばかりに躍起になってるやつ、見たことあるか?
もっと言えば、そもそも考察でそんなに正解に辿り着いているか??
本書の嫌いな部分はこういう所だ。
自分の言いたいことのために、もっと当たり前のことをいくつも無視している。
娯楽に触れる上で最も嫌われるのは「つまらない」ことのはずだ。
報われるだとか、最適化だとか、くだらないことをごちゃごちゃ語るんじゃなくて、シンプルに面白くないことはしたくない。誰だって楽しいことが好きなはずだ。
失敗したくないだとか、何を言っているんだ。
寂しいならお友達が周りに沢山いるだろ。
他人をわざわざ付き合わせるな。
この本は一時が万事そんな調子だ。
根拠になっていない根拠に著者の妄想が乗っかり、あなたはそう思うのかもしれませんね以上に見どころがない話が続く。
さっき書いた考察という行為に対する私の主張も、別に特段の根拠がある訳ではない。
少なくとも私と私の周りにいる人間は物語を愛するために考察をする。
だったら本を書く前に、そんなことをしなくてよいと直接声をかけるべきではないか。
声をかけた結果の対話でもあれば、この本はもっとマシな内容になっただろう。
やけに人気そうな割に話すことが薄いなと思ったし、Kindle Unlimitedで読んだ『好きを言語化する技術』は途中で投げた。
読みづらい上にnoteで書けよみたいな話ばかりで。
正直批判する側に相当アレなやつが多いし、いちゃもんばかりつけられているように見えた(例えば飯田一史のやり方は気に喰わない)。
実際彼女の著書を最後まで読み切った訳ではないから、一冊しっかり読み切ろうと手に取ってみればこのザマだ。
全く言語化について考えたことがない人間には役立つ部分もあるからだ。
そういう悩みを抱えた人間。
これは対象が明確だ。
そういった人々にとって助けになる可能性はある。
noteやYoutubeで探せばもっと分かりやすく深い内容の物があると思うが、それでも本の価値は0ではない。
誰のことを書いている。
様々な作品に、自分の主張を通すために無理やりな解釈を加え続ける。
これでいいと本当に思ったのだろうか。
内容を磨きあげるためにベストを尽くしたのだろうか。
これでいいと思ったのなら、読者を舐めている。
彼女を擁護する者の中に、彼女と同様に「若者」を舐めている者がいないか。
最近三宅香帆の文章を添削するというnoteが話題になった(https://note.com/kyunkyun_p_d/n/n9cc45ed3d74b)。
私の立場を示すなら、必要な指摘と的外れな指摘が混在していると思っている。
確かに三宅香帆の文章は読みづらいと思うが、それはターゲット層の違いもある。
1-の章立てで指摘されてた表現群はちゃんと狙いがあるし、修正前の方が素晴らしい内容だと感じた。
一方で2-、3-の章での指摘な重要な物もある。
彼女の文章は、読み手がおかしな部分を見逃したり、言いたいことを察したりする必要がある部分がそれなりにある。
例えばこれだ。
https://x.com/tsurezure_lab/status/1989617763934244949?s=20
このツイートに載っている表は『考察する若者たち』の冒頭で出てくる。
この表を持って
『そう、ドラマや映画の「ただの感想」よりも「考察」のほうが、いまや人気なのです。』(Kindle 3ページ目から引用)と主張する。
いやそれは違和感ない??
ショートと通常の合計では考察動画の方が多いかもしれないが、じゃあ考察の方が人気なんですねとスッと飲み込むのはやや難しくないか。
別に大したことじゃないかもしれないが、パッと見で違和感ある主張を並べる理由もない。
一つ二つならまだしも全ての章で強引な主張に溢れている。
これ、本当に本を読まない人間向きの本か?
結構な人数が無意識に、本を読まない人間は論理的思考力に欠ける馬鹿だと考えてないか?
本を読まなくとも、論理展開のおかしさに気付ける人は少なくない。
そんな中で適当な内容ばかり書いてある本を目にすれば、むしろ価値がない物として認識される。
雑に作られた形の壊れた文章を、三宅さんはそういうライターだからで済ませるのは、三宅香帆を一番馬鹿にしてるだろ。
アティチュードばかり頭にあって、目の前の良し悪しについて考えることを放棄してないか?(これは彼女の属性だけで飛びついて批判してそうな側にも言える話ではあるが)
何年も書いてる人間がちゃんと考えれば、もっといい内容を書けるに違いない。
彼女周りの人間及びファンダムは、三宅香帆を過度に低く見積っているように見える。
人を舐めるな。
過去に発売された本達は、彼女の名前が残り続けるにふさわしい内容だったのか?
全くそうは思わない。
三宅香帆本人もだが、彼女を過剰に持ち上げようとする人々の方がより嫌悪感がある。
チェックする人間は何を考えているのか?
売り出したいものがあるなら、付け入る隙を減らすように粗は取り除いておくべきだ。
クオリティの低い物が注目を集めれば批判が集まるのは当たり前だ。
彼女に連なる様々な動きが、本を売り出すために仕掛けるプロジェクトだとするなら、シンプルに全ての能力の限界が近いとしか思えない。
本を出版する人間達は、もっと面白くて、真摯な発信が出来るはずだ。
どうしても自然に差し込む方法が思いつかなかったので、趣旨とは外れる部分を書く。
何故か後半は自分語りになってしまったので本当に読まなくていい。
野村克也、日本歴代二位の通算本塁打数を誇る名打者、かつ名捕手として野球の戦術戦略に様々な形を導入した人物でもある。
彼の特徴はと問われて何を答えるかは人それぞれだが、野球の実績以外にも目を見張る点がある。
正しい数字かは不明だが150冊以上の本が出版され、30冊以上が文庫化されているらしい。
通算150本塁打以上を記録した選手は歴代で180人しかいないし、シーズン30本以上打った選手は今年のプロ野球では2人しかいない。
文筆家としても名選手だったと言えるだろう。
強いて言うなら、楽天の監督を辞めた後の時期の本は面白いかもしれない。
大体のルーキーはストレートに魅力があってプロに入ってくるのに田中将大はスライダーにこそ価値があった。
そんな投手は稲尾和久以来だった、みたいな話はめっちゃ面白い。
逆に言えばそれ以外はあまり見どころがない。
ほとんどの本で話が使いまわされていて、見たことがあるからだ。
そんなに人間新しい話が書ける訳がない。
しかも現場から離れていった彼の野球理論は、今読めば正直古かったり間違っていたりすることも多い。
当時でも検証不能であったが故にまかり通っていたが、今から見ればそれはおかしいと言いたくなる話が沢山ある。
それでも本は売れた。それは詳しい内容以上に彼の人間性に惹かれ、言葉を読みたい。
私もその一人だ。内容の是非とは違う所に読む価値を感じていた。
翻って、三宅香帆はどうだ。
連載をこなし出版をこなし、メディア出演も大量も盛りだくさん。
今回の本を読んでとてもそうは思えなかった。
それでも彼女の本は売れる。それは三宅香帆という名前そのものにファンがいるからだ。
とても既視感を覚える。
ノムさんの本に、今はそんなことないなんて言い続けても野暮だろう。
しかしこの2人には大きな違いがある。
それは年齢だ。
現場で戦う人間は自分たちで新しいことを探すし、話しを聞いたとしても大真面目に捉え続けることは少なかったのではないか。
彼女は違う。今まさにど真ん中で社会に変化を与えようとする側だ。
だからこそ、本の内容が稚拙なのが気に入らない。これでいいとは言いたくない。
本から完全に離れた自分の主張を書くなら、寄り添うのはもういいと社会に対して思っている。
それは社会に余裕がある時の振る舞いだ。
今はそんなものは無い。
むしろ人は1人では生きていけない。
だけどいつか人は支えて、人を引っ張り上げる側に行かないといけない。
今の生活はクソだ。
だから今の社会はゴミだなんて話で終わらせようとするのはもっとクソだ。
でもいつまでも弱いままでいることは出来ない。
腹を括って、自分は強くなって自分は勝ちに行くんだと言い切らないといけない。
三宅香帆の本は優しい。
弱いことを肯定する成分が強い内容だ。
そういう部分が共感を呼んでいることも有ると思う。
でもそれはもう遅いと思う。嫌々ながらも諦めて頑張らないといけない。
ノムさんは、プロ野球選手になってから文字通り血の滲む努力を繰り返して成功したという。
それが答えだろう。
ノムさんも三宅香帆も、精神面でもメッセージが強く受け取られている。
金を残すのは三流、仕事を残すのは二流、人を残すのが一流。
考察する若者たちも、読者の感想は最終章への言及がとても多い。
2人とも人を感化しているし、読者は受け取ったメッセージを抱えて行動しようとしている。
私は団塊ジュニア世代なので今まで散々な目に合ってきたし世の中を恨んでいるけど
子供の頃、新聞の折り込みのオモチャのチラシを見るのがそれはそれは楽しくて、毎日舐めるように読んでいたのはよい思い出だ。
買い物に行くとどの店もクリスマス一色でキラキラしていて、中でも玩具屋はひときわ眩しく輝いてた。
クリスマスが終わるまでは正月の気配はなくて、25日から突然年末になる感じだった。
短期間で売り場をガラッと変えるのめちゃくちゃ大変だったやろな。
クリスマスが薄く感じるのは加齢のせいだろうか。
思ったことない。多分アセクシャルとかそういうやつなのかもしれないが、自分にとっては当たり前すぎてマイノリティと言われてもそんな気がしない。
別に性的なことにトラウマがあるわけでもないし、性欲は普通にあるからオナニーもする。
しいて言えばちょっと潔癖症。本当にちょっと。飲み物の回し飲みくらいなら仲のいい相手なら嫌じゃないが、ディープキスなんかは唾液の回し飲みみたいなもんじゃないか?性器を舐めることは男女どちらでも「ばっちい〜」と思ってしまってAVでもそういうシーンは飛ばしている。
生物の本能とは言うが、本能としての性欲って自分にもあるような「ただ性的な刺激が得られれば満足する」ものなんじゃないかと思う。一人で充分事足りるし、他の誰かが必要だと思ったことはない。