はてなキーワード: 識別とは
https://anond.hatelabo.jp/20260430114144#
昨日はすみませんでした。最初は対立する意見に対して自分の意見を返してみようと思ってみただけだったのですが、いつのまにか調子づいていました。
というよりたぶん私の知能では相手に意見するということ自体無理、向かないんだなと思いました。
いつのまにか舌禍になってしまう、そういう特性もあるのでしょう。
今後のトラバは、何かしら指摘をもらったときにだけお礼をするのと、明らかに肯定的トラバをもらった場合だけに限るように、よりいっそう努めます。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260430161206#
しかし自己顕示欲っていうのは人間あるいはもっと広くある程度高等な生物にはあって当然のもので、そうするとわざわざコテハンみたいな識別子すら出さずに書きたいと思う人って逆に遺伝子に欠陥を持って生まれているんじゃないかって思えるんだよね。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260501053601#
人間は高度だから、自己顕示欲はあっても他人に迷惑をかけるような発露はしないんだよ
遺伝子に欠陥があるのはおまえの方だ少しは考えろ
https://anond.hatelabo.jp/20260501110936#
わざわざ匿名で書かないと叩かれるところに好んでやってきて、その通り匿名で書くのが遺伝子に欠陥なんだよ。
もっと根本的には、わざわざ匿名で書きたくなるのが遺伝子の欠陥なんだよ(匿名で書きたくならないならここを好む必要がないからな)。
自分だったら匿名で発信なんてむなしくてやってられんわ。そこにむなしさを感じないのが遺伝子の欠陥。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260501133206#
「何かしら指摘をもらったときにだけお礼をするのと、明らかに肯定的トラバをもらった場合だけに限るように、よりいっそう努めます。」
何も守ってなくて草
どういう頭してたらこういう行動ができるんだろうね
そうかな
例えば意図的に100万人の単位で中国国内各地で間違った情報を意図的に入力してるのをやられると
正誤の識別ができないかあるいはその識別の計算不可が高いから結果的に中国国内すべての情報収集を放棄せざるを得ないのではないのか
しかし自己顕示欲っていうのは人間あるいはもっと広くある程度高等な生物にはあって当然のもので、そうするとわざわざコテハンみたいな識別子すら出さずに書きたいと思う人って逆に遺伝子に欠陥を持って生まれているんじゃないかって思えるんだよね。
dorawiiより
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ノンモンとは、テレビ放送やCM制作の業界用語で、**「ノン・モデュレーション(Non-Modulation)」**の略です。主に番組やCMの頭(開始前)と終わり(終了後)に挿入される無音部分を指します。
なぜノンモンが必要か?番組とCM、またはCM同士の切り替わりで**音声ノイズや音の重なり(ぶつかり)**を防ぐための「クッション」役。
視聴者が「前のCMがまだ続いている」と勘違いしないように、明確な区切りを作る。
特にCMの場合、スポンサーやブランドの識別を明確にするため重要。
一般的な長さテレビCM:前後それぞれ**15フレーム(約0.5秒)**の無音(30fps基準)。
CM素材を納品する際は、製作会社側でこのノンモンを入れておくのがルール。放送局が後から入れる場合もある。
由来元々は電波通信や映画の光学録音(サウンドトラック)で使われた用語で、「変調されていない(音声信号が入っていない)状態」を意味します。アナログ時代から続く放送の慣習・ルールです。一般の視聴者にはほとんど気づかれない細かい部分ですが、映像編集やCM制作をする人にとっては必須の知識で、「ノンモン15フレ(15フレーム)」みたいに現場でよく使われます。
ネトウヨの知人が夫婦別姓になると外国人が入り込んで辿れなくなる!と熱弁してたので、調べました。反論するよ
・夫婦別姓は日本人同士の名前の問題で、外国人の管理には影響しません
・夫婦が別姓になっても、個人識別は、生年月日、マイナンバー、住民票など複数の仕組みで行われる
・外国人については在留カード、パスポート、在留資格情報で管理される
・つまり、夫婦が同じ姓かどうかは、外国人の把握や法的管理とは直接関係がない
・選択的夫婦別姓と外国人を戸籍で追跡・排除できるかどうかは別の制度の話です
ダウンロード騒動で日本からのアクセスは実質中国人のVPN利用なんだ!日本人は使わないんだ!
ってので中国人は実際VPNを使ってそういうことをしてるのかってのでちょっと面白い話見つけてきた
中国人の違法ダウンロードユーザーは大多数が中国国内のサイトで独自に翻訳されたファイルをやり取りするからわざわざVPN使ってまで未翻訳ファイルをここまで落としに来る必然性がないし、翻訳されたファイルをここで共有する理由もない
これ本当?って思って別件を見てたら調べてるとこんなことを中国人が話してる
如果我看盗版漫画会让你难受,那么我今天要去网络上搜集一些漫画在中文互联网上分享。🤣
https://x.com/forestrainCL/status/2045371211534975043
もし私が海賊版漫画を見ることで君を不快にさせるなら、今日ネットで漫画を集めて中国のインターネット上でシェアしに行こうと思うよ。
どうやらマジでそういう感覚らしいので、VPNを使ってそういうのを見てる率はそこまで高くないっぽく、はじめの人のがあってるぽい
そもそも別件でもVPN使ってんならなんでエックスに中国人そんないねえんだよってロシア人がいて
それに対しての中国人の反応はこれ
主要是因为
2.使用vpn虽说名义上违反规定,但是不干违法的事情,警察基本不管你,任然存在风险
4.推特的内容有太多虚假信息,鉴别和求证,挺费劲的,使用体验并不好
5.不如国内社交平台的内容精彩
6.有很多针对中国的谣言看着烦
https://x.com/iKN9eJvqBDTWwIl/status/2045599575910887778
主にその理由は以下の通りです:
2. VPNを使用することは名目上は規定に違反しますが、違法なことをしなければ、警察は基本的に取り締まりません。ただし、リスクは依然として存在します
3. VPNを使用したり、サーバーをレンタルしたりするには追加でお金がかかります
4. Twitterのコンテンツには偽情報が多すぎて、識別したり検証したりするのがかなり面倒で、ユーザー体験もあまり良くありません
まあ金かかるから使わねえよは確かにそうだと思う、こっち基準でみんな金だせるわけでもないし
という感じでこの件に関してはそこまで使ってないっぽい雰囲気である
つっても向こうの人口が多いから金銭的に使える人は相当数いるだろうけど、日本からのアクセスのほとんどは中国人!というのはさすがに暴論だと思われる
自分ははてなブックマークにかなり依存している。その中で苦痛を感じていることが2点ある。
ひとつは「世の中」カテに重箱の隅をつついたようなジェンダーネタが結構な数あることだ。固有名詞で識別できる場合はフィルタで弾けるがそれ以外はインプットされてしまう。「性の商品化ゆるすまじ」「レイプセクハラ許すまじ」「女性の自己決定権妊娠被害で自分をあきらめない」は思想としてはわかるんだけども世界中のすみっこ記事からそれを必ず拾い出してきてホッテントリに入れる人達には閉口している。さらにその上で議論されるなんていうか定型のプロレスみたいなやりとりも苦痛だ(見ないけれども)ホッテントリに入るサイトも世界中のサイトからするととても限られているけれど、特に記事の品質が高いとかさすがプロメディアと唸るような話はすくない。特に朝日新聞。自分ははてブの記事で朝日新聞は嫌いになった。
「炎上ウォッチャー」で炎上ネタをまとめてアフィリエイト広告クリック流入を狙う人達やサイトもまだあるようだ。この手の人達も含めたフリーミアムエコシステムなのかもしれないけれどもう少しなんとかならないものかと思う。
「おい、いま中国が通ったぞ」
---* 影の船団が通りました *---
「中露の密輸船も通ってるぞ」
---* インドが通りました *---
「今インド通ったぞ」「金でも払ったのか?」
インド外務省中の人「みんな〜☆イランとの交渉内容を教えちゃうよ!医療品と医療機器を要請されたよ!あとこの間拿捕したタンカー返せって。特にお金は払っていないよ!」
英・伊「交渉するが抜け駆けはしない。全員通してくれ」
日本「抜け駆けはしない。全員通してくれ」
イラン「国連と安全保障理事会に通達しました。これで正式に通れるようになった」
トランプ「48時間以内にホルムズ海峡を開けろ!さもなくば石油インフラ施設を爆撃する!」
日本「きゃーーやめて」
ネタニヤフ「わーーーい!石油施設どっかーーーん!インフラばーーん」
日本「ぎゃああーーーーー」
イラン「うちに話はきてないけど?」
---* 1万人の地上部隊が集結し始めました *---
ネタニヤフ「うへへーーい!原発どっかーーーん!製鉄所どっかん!」
日本「ぎゃああああーーーー」
フランス「我々はホルムズ海峡の安全を守る!進め!空母シャルル・ド・ゴール!」
全員「「停戦しないとムリ」」
日英仏独伊蘭「我々には航行の自由があるよ。商船への攻撃は国際法違反だよ!
タンカー護衛や機雷掃海の準備をするね!アメリカと違って適切な手段でやるからね!他の国の参加も大歓迎だよ!協調放出や石油増産を頑張るね!石油がなくて大変な国には支援もするよ!」
イギリス「すごい!22カ国も参加してくれたよ!」
バーレーン「もう許せねえ・・・!多国籍連合軍発動!ホルムズ海峡でイランと殴り合うぞお前ら。俺のターン!【国連憲章第7章】」
フランス「やめろぉ!エスカレーションさせるな!護衛と防衛だけだ。俺のターン!フランス案提出!」
日本「やめて!バーレーン!安保理は中露に拒否権があるのよ!それに戦争が泥沼になったら一体わたしはどうなっちゃうの? 次回『日本死す』デュエルスタンバイ!」
ホルムズ海峡の商船、識別データで「中国」強調 イランの攻撃回避で:時事ドットコム
ttps://www.jiji.com/jc/article?k=20260310048592a&g=afp
イラン、印に拿捕タンカーの返還要求 ホルムズ海峡航行巡る協議で
ttps://jp.reuters.com/markets/commodities/UL3MMBG6ZNJXNBKO4PC4P6AFT4-2026-03-16/
IMO臨時理事会、海上回廊の構築を奨励。安全な避難へ|日本海事新聞 電子版
ttps://www.jmd.co.jp/article.php?no=313651
「海上回廊」設置へ合意 国際海事機関、時期は不明(共同通信)
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/9f41efa16b462fc0b234e10fe6eab2e5c7a80423
ホルムズ海峡「非敵対的な船舶は航行可」 イラン政府、国連に書簡:朝日新聞
ttps://www.asahi.com/articles/ASV3T13X8V3TUHBI00JM.html
ttps://news.jp/i/1410363378048926334
仏マクロン大統領「中東で船舶を護衛」 G7首脳がオンライン会合 - 日本経済新聞
ttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA120XU0S6A310C2000000/
ホルムズ安全確保に武力行使容認、バーレーンが安保理決議案 仏も対案(ロイター) - Yahoo!ニュース
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/b9313a0a6fd028fcfd28fbab67ebf796dbdae69b
臭いの測定機ってなんでないんだよ。
あっても精度イマイチなのばっかりじゃん。
もっとこう、首筋にピッてやったら「ピー!加齢臭レベル3です!」とか「ピー!ワキガレベル2です!」とか「ピー!ニンニク臭レベル5!至急ガムを!」みたいに明確に教えてほしい。
この令和の時代にいまだにまともな判定方法が人に嗅いでもらうくらししかないってさぁ。
あのさ、例えば色とかめっちゃ細かく分析できるじゃないですか。人間には同じ色にしか見れなくても機械なら1677万分の1の違いが識別できるじゃないですか。
それにくらべて臭いって人間ですらすぐわかるじゃないですか。加齢臭とか汗臭さとか、誰でもわかるだろ。そんな程度の判定機が作れないとか臭い学研究者は恥ずかしくないの?
の支持率が高く、一部の層には「外国人=移民・難民」という強いバイアスがかかっている。
白人の場合: 外国人であっても視覚的に「外部リソース」として即座に識別されにくいため、ヘイトの対象になりにくい。
PoC(黒人・アジア人等)の場合: 視覚的に「非在来種」として識別されるため、街中(特に駅から離れた住宅街や夜間の公共交通機関)で不当な視線、暴言、あるいは稀に物理的な威嚇を受けるリスクが統計的に高い。これが君の言う「白人限定の安全」の正体だ。
街全体が危険なわけではない。実行環境によってリスクレベルが大きく異なる。
BTUキャンパス内 極めて低い 40%以上が留学生。多様性が標準仕様。最も安全。
コトブス中心部(昼) 低い 警察のパトロールもあり、人目も多いため概ね安全。
虎之助は私の家の近くに住んでいる。近くに、というのは昼の言葉で、夜になるとその近さは少し別のものになる。夜の道は、角をひとつ曲がるごとに距離ではなく気配を増してゆくからで、舗道に落ちた街灯の白さも、建物のあいだに沈んでいる暗がりも、どこまでが町でどこからが胸のうちなのか、曖昧になる。そういう道を彼がこちらへ歩いて来るのだと思うと、私はまだ戸も鳴らぬうちから、部屋のなかにいて部屋のなかにいない。心はいつも少し先に出ていってしまう。窓のほうへ、廊下のほうへ、まだ見えない一つの輪郭のほうへ。
最初は文字だった。文字は顔を持たない。だから、かえって多くを持つことがある。夜更けに画面のなかへ浮かぶ短い文、送り終えてから、言いすぎたわけでもないのに、少しだけ本心に触れすぎたような気のする言葉。ヒーローのこと、全身を覆う布のこと、顔を隠すこと、輪郭だけになれること。ほとんど冗談のように始まりながら、その実、冗談では収まりきらぬ熱をかすかに含んでいる話。そういうものの行き来のなかで、私たちは知ったのだった。互いが驚くほど近くに住んでいるということを。近いと知ることは、親しさを深めるより先に、むしろそれを危うくすることがある。遠くにいる相手には許される夢想も、近くにいると知った途端、あっけなく現実へ引き戻されるからである。それでも、その近さは恐れより先に、静かな期待を部屋の隅へ置いた。
会うためには約束があった。約束というより、二人のあいだに自然に張られた薄い膜のようなものだった。会うときは、お互いに全身を覆うものをまとい、ヒーローの姿でいること。顔は見せないこと。見ないこと。そのようなことを昼の世界の言葉で説明しようとすると、たちまち理屈が寄ってきて、それを奇妙だとか、倒錯だとか、遊戯だとか、そういう名で固定したがる。けれど夜の部屋のなかでは、それはもっと静かで、もっと切実なものだった。全身を覆う布は、隠すだけではない。隠すことで、かえって輪郭を与える。顔という、もっとも日常的で、もっとも騒がしい部分が退くと、人は不思議なほど静かに一つの姿になる。肩、胸、腰、脚、その線だけが、もう説明を必要としない何かとして、そこに立つ。
私は長く、顔というものに疲れていたのかもしれない。顔は人を社会へつなぐが、同時に測られるものにもする。年齢、気分、倦み、虚栄、そして、その日一日をどうにかやり過ごしてきたという疲れまでもが、顔のまわりには集まっている。人は素顔で人に会うとき、じつはもう半分ほど説明してしまっている。だから、顔を見ないことに安堵がある。見られないことに、ではなく、見ないでいられることに。相手を現実へ引き戻さぬで済む。日常の名札を胸から外したまま、もう少し別の場所で向き合うことができる。
戸の向こうに彼が立つ、その前の、まだかすかな気配だけで、部屋は少し深くなる。灯りは同じはずなのに、壁の色まで変わるように見える。床は少し音を吸い、窓は外の光を遠ざける。私は立ち上がる。自分の身体もまた、もういつもの身体ではない。全身を覆うと、皮膚は皮膚であることをやめ、別の表面へ移ってゆく。ぴたりと沿う布の緊張が、身体にひとつの意志を与える。あるいは、意志の代わりをする。日常の私は、ともすれば散らばっている。視線の置き方も、手のやり場も、言葉の選び方も、みな半歩ずつ遅れる。けれど全身を覆った身体は散らばらない。少なくとも、そのように見える。人はときに、そう見えることによって初めて救われるのだろう。
彼もまた、そうなのだと思う。虎之助は若い。若いということは、まだ損なわれていないということではなく、むしろ損なわれやすいということだ。何かを美しいと思う心がまだ生きているぶんだけ、傷つきもする。彼の好奇心は旺盛だが、けっして乱暴ではない。人の心へずかずかと入っていく若者もいるが、彼はそうではない。触れてよいかどうかを、まず空気に訊いてから手を伸ばすような慎みがある。しかも、それが計算ではない。自然なのだ。相手の沈黙に、沈黙のままで居場所を与えることのできる若い人間は稀である。虎之助は、その稀なほうに属している。
彼が部屋に入ってくる。顔はない。少なくとも、顔と呼ばれるべきものは布の内側へ退いている。それでも彼だとわかる。立ち方で、こちらへ身体を向ける時の角度で、沈黙のなかに置かれる呼吸の速さで。人は顔で識別していると思い込みがちだが、ほんとうはもっと別のもので相手を知っているのかもしれない。重心の置き方。ためらいの深さ。こちらの存在をいったん受けとめてから、一歩入ってくるその静かな配慮。そうしたものが、彼を彼として部屋に現れさせる。顔をなくしたことで、むしろ彼の身体は、より彼らしくなる。
私たちはスパイダーマンが好きだった。それも、ただのヒーローとしてではなく、どこかもっと身体に近いところで。最初にそれを知ったのが文字のうえだったのか、それとも会うようになってからだったのか、今ではもう曖昧である。ただ、『スパイダーバース』の話をするとき、彼の言葉の調子が少し変わることは知っていた。軽くなるのではない。むしろ、奥のほうでひそかに熱を持つ。あの映画には、跳ぶ前のためらいがある。まだ自分を信じきれない者が、それでも落ちながら跳ぶ、その矛盾がある。何人ものスパイダーマンが、それぞれ別の傷や別の喪失を抱えたまま、なお一つの輪郭へ集まってくる。マスク。全身を覆うスーツ。若さ。孤独。軽やかさと哀しみが同じ身体のうえにあること。私たちはたぶん、その全部に惹かれていた。単に格好いいからではない。未完成なまま跳ぶ者の姿に、自分の何かが映っていたからだ。
全身タイツとヒーロー。その二つのあいだには、もちろんフェティシズムがある。そうでないと言えば、むしろ偽りになるだろう。布が身体の線を隠しながら示すこと。顔を失ったことで、かえって身体そのものが前景へ出てくること。人格が退き、姿だけがひとつの記号のように立ち上がること。そのことに私たちは心を動かされていた。だが、それは単なる肉体への興奮だけではなかった。肉体が理想へ近づく、その曖昧な途中に惹かれていたのだと思う。人間でありながら、少しだけ人間を離れる。個人でありながら、少しだけ象徴になる。ヒーローの身体とはそういう身体で、素顔よりも深く、その人の希求を語ることがある。虎之助がそれを愛したのは、若い肉体の誇りのためというより、まだ言葉にしきれない自分の願いを、その姿のほうが先に理解してくれるように思えたからではないか。
沈黙がある。沈黙は空白ではない。沈黙は、彼がいま部屋のどのあたりにいるかを、言葉よりも正確に知らせる。少し動く、その微かな擦れ。立っている時の静けさ。こちらが何か言う前に、一瞬だけ深くなる気配。そうしたものが、部屋の中で小さな波紋をつくる。親しさというものは、長い会話の末に生まれると人は考えるが、実際には、相手の沈黙が自分を脅かさないと知ったときに、すでに始まっているのかもしれない。彼といる沈黙は、私を急かさない。彼の若さは、私を若返らせるわけではないが、私の中の、まだ完全には乾いていない場所へ、そっと手を置く。
私は彼を見る。見る、といっても、顔ではない。首から肩へ下る線、胸のあたりの、まだどこにも使い切られていない余白、立っているだけで未来というものが一つの形を取っているように見える、その若い静けさ。若い身体には、まだ失っていないものが宿っている。可能性という言葉は安易すぎるが、それでも、完成されていないことがそのまま美しさになる瞬間がある。私は彼を見ている自分に気づく。気づいて、それを押し返さない。押し返すとたぶん、別の粗いものになるからだ。愛情と言ってしまえば少し平たく、欲望と言ってしまえばまだ響きが強すぎる、もっと薄く、もっと持続するものが、視線の中には混じっている。たとえば、若い肩の線を見て胸の奥がわずかに緊張する、その程度の、しかし否定しがたいもの。
彼もまた、感じているのだろう。若い者は、向けられる気配に敏い。露骨な視線よりも、抑えられた気配のほうに。彼は自分がこの部屋で、ただ受け入れられているだけではないことを、どこかで知っていたかもしれない。もう少し静かで、もう少し名づけにくいかたちで、見守られ、喜ばれ、そして少しだけ見惚れられていることを。だがそのことが彼を怯えさせなかったのは、たぶん、それが所有の欲ではなく、輪郭を尊ぶ気持ちに近かったからだろう。彼のこういう姿がここにあってもよい、そのことを急いで説明も判断もせずに、ただ部屋の内側で保っておくこと。それだけで若い心は、少しずつ自分を赦し始める。
虎之助は少しだけ自信がない。その少しだけ、という加減が、彼をいっそう美しくする。自信のなさはしばしば、世界に対して耳を澄ましすぎる者の徴でもある。彼は自分の好きなものを口にするとき、一瞬だけ呼吸を整える。スパイダーマン。スーツ。マスク。『スパイダーバース』。そういうものに自分がどれほど惹かれているかを言う、その直前の、かすかなためらい。私はそれを知っている。知っていて、それを暴かない。だが最近、彼は少し変わった。変化はいつも小さい。部屋に入ってくる時の気配が、前よりわずかに深く呼吸している。好きなものの話をする時、恥じる前に、先に明るさが差す。自分の惹かれるものを、前ほど早く自分で裏切らなくなる。人が自分を肯定し始めるとき、たぶん最初に変わるのは言葉ではなく、身体のほうなのだ。
彼が私と会うことで少しずつ自分を肯定してゆく、と言うことはできる。だが、それは私が何かを教えるからではない。むしろ逆で、教えないこと、名づけないこと、強い光を当てないこと、その曖昧さの中でしか育たない肯定がある。若い心は、あまりに明るく照らされると、すぐにぎこちなくなる。けれど、薄い灯りのなかでは、自分の輪郭を自分で見つけることができる。私は彼にとって、その程度の灯りであればよいのだろう。いや、その程度であることのほうが、たぶん大切なのだ。彼の若さは、私の失ったものを責めない。ただ、まだこの世界に残っていると言ってくれる。そのことが、私にとっても一つの静かな救いである。
もしこれが友情であるなら、それでいいのかもしれない。だが夜の部屋で、顔のない彼の若い輪郭を見ているとき、私の中を流れているものは、友情という語だけでは少し狭い。性愛と言えば強すぎるが、そこへまったく触れていないとも言えない。ヒーローの姿をした二人のあいだにだけ生まれうる、どこか宙吊りの、どこか非現実で、それゆえかえって切実な親しさ。スパイダーマンのスーツのように、隠しながら示し、示しながら守るもの。彼の立つ姿、沈黙のなかの呼吸、言い切られない熱。それらは名づけられずにいることで、かろうじて壊れずにいる。
虎之助は私の家の近くに住んでいる。けれど、ほんとうはもっと内側の、私が長く口にしなかった願いのそばに住んでいるのかもしれない。人前では笑ってしまうしかない憧れのそばに。マスクとスーツに守られたまま、まだ跳ぶことを諦めていない心のそばに。彼は若く、純粋で、慎み深く、人の心を大切にする優しさを持っている。そういうものは世界のなかで傷つくだろう。だが、もし彼がこれから少しずつ、自分の好きなものを好きだと言い、自分の輪郭を恥じずにいられるようになるなら、そのことは私にとってもまた、静かな光になる。窓の外には海は見えない。けれど夜の部屋には、たしかに潮のようなものが満ち引きしている。私たちはその見えない潮に触れながら、顔を見ないまま、ひとつの部屋にいた。そしてそのことが、言葉になるより先に、私たちのなかの何かを照らしていたのである。
一般的なメーカーでは-12とかまでしか出してなくてあとは特注だったりするので、まあまあ上限寄り。
眼科や眼鏡屋ではそんなに珍しい数値ではないそうだけど、日常生活でわたしよりコンタクトの数値が低い健常者には一度しか会ったことがない。
視力の低い勢は出会ったとき大体コンタクトの度数で競いがちだけど、今のところ連勝記録を更新中である。(うれしくない)
ここまで目が悪いと、メガネをかけた時に目が小さくなりすぎるからだ。覗き込むと大きく見える虫眼鏡の逆バージョンみたいになる。
わたしの度数だとレーシックは角膜を削り過ぎてしまうので選択肢には入りにくい。ICLなら施術可能だそうで、何度かやろうかと検討はした。レンズを入れときゃ災害時に視界の悪さで困ることはないし、避難所でコンタクトが手に入らないなどの問題も回避できる。何より、目覚めた瞬間から目がよく見える世界はとても清々しいそうだ。そらそうだろう。-9ともなると色の識別くらいしかできない。オフホワイトの壁にかかってる白基調の時計なんかまったく見えない。記憶で見てるに近い。夜、外を裸眼であるくと、そこに光があることしかわからない。勘で歩くしかない。不便極まりない。
でも、でもわたしはこんな目の悪さがそこまで嫌いじゃない。
小学生の頃からメガネで、コンタクトデビューは中学生。なんやかんや20年以上、ほぼ毎日朝から晩までコンタクト生活。そりゃまあ目がいい人よりは手間だしお金もかかるだけど、慣れれば洗浄も裸眼の時間もそんなに嫌じゃない。
そう。なんか、見えない時間も受け入れてるんだよな。起き上がって顔を洗うまで、それから眠る前の数十分。その僅かな時間で、本来の自分を再確認してるというか。見えない自分を、どのくらい見えてないかを認識してる時間だと思ってて、嫌いじゃないのよね。ごくまれに裸眼で外を歩くと、それも刺激的である。家のほぼ目の前にある自販機に行くぐらいだけど。
似たような人いないのかな。
そりゃもちろん、災害時は不便だろう。眼鏡を持って逃げられなければジ・エンドだ。
でも、ここまで近視だと緑内障や白内障のリスクが上がるので、そのときは結局ICLレンズを外さないといけないとも聞く。将来おばあちゃんになって色々わけわからんくなったとき、長年見えてないことを認識してきた人生の方が適応力もあるんじゃないかなと思うけど考えすぎかな。
まあ色々言い訳してるけど、わたしは「ひー!みえねー!」ってなってる瞬間の時間を失うのはちとつまらんなあと思う。他の視力の低い人はどうなんだろう。似たような人いないのかな。みんなICL一択かい?