はてなキーワード: 生産者とは
暇空茜という人がリュウジに「おめえの飯はまずい」と絡んで
そもそも暇空茜がリュウジのレシピを半量で調理、リュウジも途中でレシピの細部を変えるという
なんか泥沼の戦いになったのが現在。
リュウジの冷笑系無知のフォロワーが暇空に中傷しまくって、賠償請求スキームを発動させて
著作権ルールのアラをついてリュウジのチャンネルを潰そうとしているのが今という感じ。
正直リュウジは舌馬鹿なのを認めずいっぱしに居酒屋に文句つけたり、生産者面して批判したり、ファンネル飛ばして攻撃させたり
料理屋をできるレベルの知識と技術じゃないのに「あえてやりません」ムーブしたり、味の素を過度に賛美したり、他国の料理を粗野な調味料使いつつ「まずい」と言ったり
自炊を広めるところまでは良かったが日本食や日本人の食レベルを下げてるので
そろそろもっとちゃんとした料理人が次の椅子に座るべきだと思ってる。が、次の座が居ないのも事実。
とりあえず暇空には頑張ってもらって、影響力を地に落として欲しい。
中東情勢に伴い供給が制約を受ける可能性がある重要物資の安定確保のための高市内閣の取組の現状について、説明致します。
まず、原油と石油製品については、先月11日、他国に先駆け官民あわせて約45日分の石油備蓄の放出を決め、過去最大規模のIEAによる国際協調備蓄放出を積極的に主導しました。
また、原油の代替調達については、ホルムズ海峡の代替ルートによる調達を進め、供給余力に優れる中東や米国、過去調達実績があり増産余力のある中央アジアや中南米、カナダやシンガポールなど石油製品の供給国も含め、経済産業省が民間事業者と連携しながら、精力的に協議を進めています。
先月28日には、事態発生後、ホルムズ海峡を通らないタンカーが、初めて日本に到着しました。近く、中東を出発したタンカーが更に日本に到着します。
日本には、約8か月分の石油備蓄があり、加えて代替調達も着実に進んでいます。
他方、一部で「供給の偏り」や「流通の目詰まり」が生じていることから、その対策を強化しました。
例えば、医療関係や公共交通機関などの重要施設については、普段に燃料を調達している燃料販売店から調達できないようなケースでは、優先順位を判断の上、石油元売事業者に対して直接販売を行うよう、政府から要請しています。
また、普段契約している燃料販売店から必要な量が確保できなくなったという切実なお声に対応するため、大手石油元売事業者に対して、系列事業者かどうかに関わらず、「前年同月比同量」を基本として販売するように要請しています。
こうした取組により、例えば、栃木県の下水処理場の雨水排水ポンプ用のA重油不足に対して石油元売事業者からの4月分の供給を実現しました。
また、A重油の調達にお困りの豆腐事業者の方に石油元売事業者からの直販を実現し、工場停止を回避しました。
さらに、病院向けのリネンシーツを扱うクリーニング事業者や医療用X線フィルム生産者といった方々にも、いただいた情報に一件一件対応し、重油をお届けすることができました。
エネルギー源以外の「重要物資」の安定供給確保にも取り組んでいます。
ナフサ由来の化学製品、医療関連物資、食品包装用容器、ごみ袋、半導体関連物資など、物資ごとに、製造メーカーが継続供給可能な期間を調査し把握しています。
その上で、需要側や販売店の在庫の活用、国内外での製造拡大・継続、などの対応策を速やかに講じています。
特に医療については、厚生労働大臣及び経済産業大臣を本部長とする「中東情勢の影響を受ける医薬品、医療機器、医療物資等の確保対策本部」を先月末に設置し、対応を進めています。
例えば、未熟児の栄養補給に必須の「小児用カテーテル」の滅菌に必要なA重油や、その他の医療機器の滅菌に必要な「酸化エチレンガス」については、流通段階での「目詰まり」を解消しました。
繰り返しになりますが、原油及び石油製品の「日本全体として必要な量」は確保されています。
そして、アジア諸国で原油から加工された形で供給される医療関係を含む重要物資についても、直ちに供給途絶が生じることはありません。
経済産業省(中東情勢を踏まえた石油及び関連製品等に関する対応|資源エネルギー庁)(https://enecho.meti.go.jp/category/others/energysecurity/index.html)まで、
石油製品を原料とする医療関係物資の調達に不安をお感じの方は、
厚生労働省(中東情勢関連対策ワンストップポータル|厚生労働省)(https://mhlw.go.jp/stf/chuto-josei.html)まで、情報提供をお願いいたします。
自分はアイドルの追っかけとか全く理解できないんだよね。歌がいいところまでは分かるが生産者に何でそこまで固執するんだ?近くのスーパーで美味い野菜が売ってたって生産者まで調べないよな?そもそも、別に作曲者も歌詞つけた人も本人じゃないのが普通だし。踊りだってその振りつけ考えたの本人じゃないでしょ。なんでそこまで執着できるの?
アイドルの追っかけとかファンとかの気持ちがわからないことのほうがむしろ普通の考え方なんじゃないのか?商業的な理由で、利益のために変に固執する人を生み出してしまっているんじゃないの?
で、都内某所でストーカーで大きな事件あったわけだけど。自分から見るとアイドルの追っかけもストーカーも大差ないように見えるんだよな。アイドルの追っかけみたいな変な執着するやつめっちゃ増やしてるのは好ましいニュースとして扱いながら、一方で、ストーカーが出てくると大騒ぎする。なら最初からアイドルにしろなんにしろ、人間に執着する奴を増やすような商売やめろよなって思う。
リフレ派・ケインズ派が自らの理論的整合性を保つために繰り返す政策は、一見すると合理的介入の衣をまといながら、その実態は価格システムという自動操縦装置を破壊する制度的自己放尿に他ならない。
まず、中東情勢悪化を口実とした補助金バラマキは典型的な自己放尿である。
エネルギー価格の上昇は希少性のシグナルであり、消費者と生産者に対して代替行動を促す価格メカニズムの核心的機能である。
しかし、補助金によって価格を歪める行為は、この情報伝達機能を遮断し、誤った資源配分を恒常化させる。
これは短期的な政治的利得と引き換えに長期的効率性を犠牲にするインセンティブの自己放尿である。
さらに、政府がサプライチェーンを戦略的に再構築しようとする試みもまた、自己放尿の別形態である。
市場における分散的知識と価格シグナルに基づく調整過程を無視し、中央集権的判断で供給網を再設計しようとする発想は、情報の非対称性と計算問題を無視したナイーブな構成主義に過ぎない。
結果として生じるのは、非効率な国内回帰とコスト上昇、すなわち資源配分の自己放尿である。
ここでの問題は、政府が将来の成長分野を選別できるという前提そのものにある。
価格理論の観点からすれば、投資の収益率は市場参加者の期待とリスク評価の集積として決定されるべきものであり、政治的プロセスによる資本配分は必然的にレントシーキングを誘発する。
これは政治市場における自己放尿であり、資本の限界生産性を低下させる。
日本経済は補助金バラマキと政府主導投資のダブル放尿によって機能不全に陥りつつある。
このダブル放尿は、貨幣的安定性の軽視と実物的資源配分への過剰介入という二重の歪みをもたらす。
貨幣供給のルールなき操作と財政拡張の組み合わせは、期待インフレのアンカーを失わせ、同時に実体経済の効率性を損なう。
本質的に問題なのは、リフレ派・ケインズ派が市場の調整能力を体系的に過小評価し、政府の裁量を過大評価している点にある。
価格は単なる数値ではなく、分散した知識を凝縮したシグナルである。このシグナルを歪めるあらゆる介入は、経済主体の合理的選択を誤導し、結果として全体の厚生を低下させる。
自己放尿は一度始まると止まらない。なぜなら、最初の介入が生み出した歪みを是正するために、さらなる介入が正当化されるからである。
この累積的プロセスこそが、自由な価格システムを侵食し、最終的には経済の自律的調整機能を麻痺させる。
ゆえに必要なのは、裁量的介入の縮小とルールに基づく政策への回帰である。
原油価格の高騰という外生ショックに対して、政府がガソリン補助金という形で介入する姿は、まさに価格メカニズムという自動操縦装置を自ら破壊し、その破片を浴びる自己放尿に等しい。
価格は単なる数値ではなく、情報・インセンティブ・分配の三位一体の機能を持つ。
原油価格の上昇は、希少性の増大というシグナルであり、消費削減・代替エネルギーへのシフト・投資の再配分を促す。
この調整過程こそが市場の本質である。ところが補助金は、このシグナルを鈍化させる。
結果として、消費者は本来より多くガソリンを消費し、生産者は非効率な構造を維持し続ける。これは典型的な自己放尿である。
さらに、この政策は政治的市場における合理的無知と利益集中の問題を露呈する。
補助金の便益は広く薄く配られる一方、そのコストは財政赤字や将来の増税として分散される。
個々の有権者にとって、そのコストを精査するインセンティブは乏しい。
したがって、政治家は短期的支持を得るために自己放尿的政策を選好する。
これは政治的企業家が票を最大化する合理的行動の帰結であり、決して偶然ではない。
加えて、補助金は価格統制の一種として機能し、需給均衡を歪める。
ここに、価格統制・財政膨張・資源誤配分のトリプル放尿が成立する。
特に戦争による原油供給の不確実性が高まる局面では、価格の柔軟性こそがリスク分散の鍵となる。
市場は分散的知識を集約し、最も効率的な調整を実現する。しかし政府介入は、この分散情報の集約プロセスを遮断する。
中央集権的判断は、分散された個別情報に比して劣位にあるため、結果として誤った資源配分を招く。
善意の政策ほど危険なものはない。ガソリン補助金は、消費者保護という名目のもとに導入されるが、その実態は市場の調整機能を麻痺させる自己放尿政策である。
短期的には痛みの緩和として歓迎されるが、長期的にはより大きな痛みを増幅する。
世界経済が相互依存の一般均衡体系として緊密に結合しているにもかかわらず、なお自由貿易を拒否し、関税・数量制限・為替統制という自己放尿的政策を選好する者たちがいる。
これは単なる政策ミスではない。価格メカニズムという自動操縦装置を自ら破壊し、その結果として自分自身に放尿する体系的愚行である。まさに自己放尿する世界だ。
価格は三つの機能を持つ。第一に情報の伝達、第二にインセンティブの付与、第三に分配の決定である。
自由貿易とは、国境を越えて価格が情報を伝達することを許容する制度である。比較優位の論理を言葉で書けば、
ここで関税を課すとは何か?
それは国内価格を世界価格から乖離させ、限界費用と限界便益の一致条件を破壊することである。
すなわち、限界費用よりも高い資源を用いて財を生産し続けることを制度的に強制する行為だ。
これは文字通りの自己放尿である。自らの実質所得を削減し、そのことを「主権」や「保護」という美名で正当化する。
この三角形は何か?それは「存在しなかったはずの無駄な生産」と「実現しなかったはずの有益な消費」の合計である。
死重損失 = 価格歪曲 × 数量縮小 × 二分の一。
この二分の一こそ、自己放尿の幾何学的証拠である。市場が自発的に選ばなかった取引を強制的に排除することで、純損失が生まれる。
これは効率性条件(限界代替率=限界変換率=価格比)の破壊である。効率性を拒否することは、資源制約下での最適化問題を放棄することに等しい。
合理的個人の集合からなる社会が、集団的非合理に堕ちる瞬間、それが自己放尿である。
自由貿易を拒否する者は、しばしば「雇用を守る」と言う。しかしこれは貨幣的錯覚に近い。
市場は自己調整的である。雇用は実質変数であり、長期的には貨幣や関税の操作では決まらない。
関税は特定部門の雇用を増やすかもしれない。しかしそれは他部門の雇用を減らす。資源制約の下では、
で決まるのであり、関税という価格歪曲は単に労働を低生産性部門へ再配分するだけだ。
低生産性部門への強制的再配分。これ以上に見事な自己放尿があるだろうか。
ではなぜ、この自己放尿が繰り返されるのか。
Price Theoryの枠組みを拡張すれば、政治も市場である。
ここでは票が価格の役割を果たす。しかし有権者は合理的無知である。関税による損失は一人当たりでは小さいが、保護される産業への利益は集中している。
この非対称性がロビー活動を生み、政治均衡を保護主義へと歪める。
つまり自己放尿は、個々人の合理性から派生する集合的非合理の帰結である。
ここに冷酷な洞察がある。
悪意は不要である。誤ったインセンティブがあれば、それだけで十分だ。
変動為替相場と自由貿易の整合性はある。固定相場と資本規制は、国内政策の誤りを外部に転嫁する装置になり得る。
自由貿易を拒否する国は、往々にして為替統制も伴う。これは二重の自己放尿である。
価格という自動操縦装置を壊し、さらに計器盤を叩き壊す。そして墜落の責任を外国に転嫁する。
自由貿易は道徳的命題ではない。それは効率性条件の帰結であり、一般均衡体系の内部整合性から導かれる命題である。
自由貿易を拒否することは、世界的分業によって拡張された生産可能性フロンティアを自ら内側へ押し戻すことに等しい。言い換えれば、実質所得の意図的縮小 = 自己放尿。
政策は単純でよい。
競馬の競走馬のことをサラブレッドと呼ぶが、一昔前はアラブ馬と呼ばれる馬も競走馬として走っていた。
アラブ馬は虚弱なサラブレッドに比べて足が遅いが頑丈で悪路に強かったので主に軍馬として生産されていたという。
戦後になって馬の用途が競走馬のみとなった結果、スピードに劣るアラブ馬の競争は人気がなく、徐々に廃れていったということになっている。
とはいえ生産者ならともかく競馬をギャンブルとして楽しんでいる身としては、速度の違いも見た目の違いもわからなかったので上の説明には納得していない。
アラブとサラブレッドは基本的に別のレースを走っていたのだが、たまにアラブレースで無双する強いアラブ馬がサラブレッドのレースに出走することがあった。
そんな時、普段は競馬にドラマを見いださない自分でも血筋の差を超えて勝ってくれるんじゃないかと期待したもんだが、アラブ馬が大差負けするのが常だった。
前提として私自身食べ物を食べる時の音にとても敏感である。麺を音を立ててすすることも音が生理的に無理でできない。
父親はクチャラー気味で、めん類をすするのはもちろん少しでも汁物があるとすべて音を立ててすする。ズゾゾゾゾーというオノマトペが合う感じで、海外のレストランでやったら確実に顰蹙買うと思う。不思議なことに海外旅行時はそこまでも音を立てないので気をつけることはできるようなのだが日本国内では全く気にしていない。うるさく不快である旨は何度も伝えたが、父親以外の家族含め私が気にしすぎだと結論付けられ聞き入れてはもらえなかった。父親のランチはほぼ外食のため、あれがお昼時にすごい音を立てて食事をしていると思うと周囲の人に本当に申し訳ない。もしそのような中年男性に会ったらうるせえ、不快だと怒鳴りつけてほしい。なお、私は父親と食事をする際汁物が出た時点で耳栓をするようにしている。
だいぶ当たってる。少なくとも収益モデルの重心がそっちへ移ったのは事実に近い。
昔のSNS型プラットフォームは、基本的に閲覧者の時間と注意を広告主に売ることで儲けてた。
ユーザーは無料で遊んでるつもりだが、実際は注意力を収奪されるモデル。
でもXは今、かなり露骨に生産者(投稿者・発信者)から金を引き出す方向に傾いてる。
結果として「無料で面白い投稿をしていれば自然に伸びる」という幻想を残しつつ、実態はオークション市場化してる。
つまりXは公共広場じゃなくて、露天商が場所代を払って客を奪い合う市場になった。
で、場所代を払う奴ほど目立つ。払わない奴は地下に沈む。
重要なのは、これは単なる課金の導入じゃなくて、プラットフォームが設計として「注目は買える。買わないなら黙ってろ」というゲームルールに切り替えたこと。
さらに冷酷に言うなら、Xは「有名になりたい弱小生産者の希望を担保にした課金市場」になった。
そしてこの構造の最悪なところは、金を払った生産者が「自分は投資したんだから回収しないと」と思って、さらに過激化・炎上・媚び・扇動に走ること。
市場の相互接続性を断ち、比較優位のネットワークを自壊させ、価格シグナルを濁らせる行為は、主権の回復どころか資源配分の盲目化を招く。
問題は、ルールの恣意性と予見可能性の欠如、そしてマネーと財のフローを歪める国家介入の過剰だ。
自由貿易を極大化し、価格メカニズムに仕事をさせる。これが唯一の一貫した処方箋である。
関税・数量制限・原産地規則の濫用は、消費者余剰を削り、生産者を保護の檻に閉じ込め、技術進歩の速度を落とす。
短期の政治的利得は得られても、長期の生産性は確実に毀損される。
自由貿易は道徳的美辞ではない。情報を圧縮した価格が、分散知識を集約する計算装置として機能するための制度的条件だ。
自分で自分の靴を濡らし、寒さを市場のせいにする愚行に等しい。
幼稚産業保護は永久化し、ロビイングは収穫逓減を隠蔽し、規制は参入障壁に変質する。
自由貿易を極大化するとは、国境を消すことではない。ルールを単純化し、予測可能にし、裁量を削ることだ。
通商政策を貨幣政策のように、安定的で機械的な枠組みに押し込める。裁量は誘惑を生み、誘惑は歪みを生む。
通貨の話をしよう。為替操作と貿易制限を同時に弄ぶのは、為替と関税のダブル放尿だ。
これで競争力を語るのは、測定器を壊してから実験結果を誇るようなものだ。
フリードマンは一貫して、安定した貨幣ルールと自由な財の移動が補完関係にあると見た。
貨幣が中立に近づくほど、貿易の利益は透明化し、政治的介入の余地は縮む。
再訓練、移転、税制の中立性。ここで必要なのは精密なスキャルペルであって、通商という大動脈を塞ぐハンマーではない。
貿易制限で雇用を守るという物語は、一般均衡を無視した部分均衡の錯覚だ。
雇用は守られず、価格だけが上がる。消費者は沈黙のうちに課税される。
グローバリズムを否定して内向きに縮こまるのではなく、自由貿易を極大化し、ルールを薄く、安定的に、予見可能にせよ。
国家の役割は、勝者を選ぶことではない。審判を公正に保つことだ。
自己放尿をやめ、為替と関税のダブル放尿を断ち、価格に語らせよ。
そこに、成長と自由の同時達成がある。
デカップリングを叫ぶ連中の言説を眺めていると、いつも同じ光景に行き着く。
世界が複雑になり、自分の理解能力を超えた瞬間に、原因を外部に押し付け、遮断すれば問題が解決した気になるという、自己放尿の完成形だ。
フリードマンの観点から言えば、これは自由市場への不信ではなく、理解を放棄した主体が恐怖に耐えられずに行う自己放尿に過ぎない。
自由貿易は善悪のスローガンではない。比較優位に基づき、分業を通じて生産性を引き上げ、消費者の選択肢を最大化するという、きわめて機械的で冷酷な仕組みだ。
デカップリング論者は安全保障や国内産業保護を万能カードのように切り自己放尿するが、フリードマンなら即座に指摘するだろう。
貿易制限は見える利益を誇張し、見えないコストを隠蔽する典型例だと。
関税や輸入規制で守られるのは、競争に敗れた非効率な生産構造であり、そのツケは価格上昇という形で沈黙した消費者全員に押し付けられる。
国家が戦略的と称して市場を歪めるたびに、価格シグナルは壊れ、資源配分は劣化し、結果として国全体の実質所得が下がる。
これは思想ではなく算術だ。それでもなおデカップリングを正当化するのは、短期的に声の大きい生産者と政治家の利害が一致して自己放尿するからに過ぎない。
自由貿易の本質は、相互依存を通じて紛争コストを高める点にもある。
経済的に絡み合った主体同士は、感情的対立を起こしても、取引停止という自傷行為の代償を計算せざるを得ない。
デカップリングはその抑制装置を自ら破壊し、対立を純化させる。
にもかかわらず、それを強さだと誤認するのは、痛みを感じないうちに先に自己放尿して安心する幼稚な心理と同型だ。
フリードマンが自由貿易を支持したのは、人間が善良だからではない。利己的で近視眼的だからこそ、制度として自由市場に縛り付けた方がマシだと理解していたからだ。
デカップリングとは不確実性に耐えられない政治と世論が、市場という冷酷な審判装置から逃げ出すための言い訳であり、その実態は高コスト・低効率・低成長を自ら選び取るトリプル放尿である。
感情的な安心感と引き換えに、長期的な繁栄を便器に流すほど愚かでないなら、やるべきことは一つだ。