はてなキーワード: 学校とは
相手の外見悪いだけでめっちゃ差別的態度とる人がまあまあいるじゃないですか。あれなんなの?
男でも弱そうな相手を舐めるやつとかいるけど、これは女にもいるんだよな。
外見悪い女をブスっていう男って「「「現代では」」」学校みたいな異常なコミュニティ以外ではあんま観測されにくくなってるけど、
外見悪い男女にクッソ塩対応したり、差別的な扱いする女店員めtttttttっちゃいるじゃん。一週間に一回は出くわすレベル。
ビアンとかルッキズムバリバリで、ホモは性欲に負けがちかつ好みが細分化されてるから、ブサ面への扱いはそれほど酷くないとかいう話も聞いたことがあって、
「国家権力」ではない権力は、文脈によって呼び方が変わります。
地方自治体の権力を言うなら 「地方権力」 でも通じますが、やや硬い・政治評論寄りの言い方です。より普通には 「地方行政権力」、「自治体権力」、「地方政府の権限」 などです。
企業・メディア・宗教団体・学校・地域社会などの力まで含めるなら、「社会的権力」 や 「民間権力」 のほうが近いです。
整理すると:
意味 言い方
学校でマイクロバスを持ってて、近場を動くときには免許持ってる顧問(教師ではない。副業で学校の監督をしてる人)が運行、遠出するときは提携している自動車学校からプロの運転手を派遣してもらっているのだそうだ。
母校(公立高校)のラグビー部はそれなりに強いラグビー部で、かなり遠征をこなしているし、毎年大会に出てる。
で、どうやって金を工面しているかというと、寄附の半強制徴収なんだよね。
俺別にラグビー部のOBでもなけりゃ、そもそもスポーツ嫌い人間なんだけど、毎年5000円が同窓会費1000円と共に回ってきて支払ってる。
こうやって集めた金がプールされ、そこから出されているらしい。
学校でマイクロバスを持ってて、近場を動くときには免許持ってる顧問(教師ではない。副業で学校の監督をしてる人)が運行、遠出するときは提携している自動車学校からプロの運転手を派遣してもらっているのだそうだ。
収支報告には「部活動補助金」って形でまるごと計上されているので、内どれぐらいがラグビー部に注がれているかは不明だけども、一応は他の部活にも補助が出ているはず。
どうしてこうなっているかというと、昔、保護者が運転して遠征中、追突事故を起こしてシートベルトをしてなかった子どもが路上に投げ出され2人死ぬという事故があったから。当時かなり報道されて叩かれた。検索すると出てくる。
合併で学校名が変わったのもこれが原因。で、当時金がないから悪いと言う話になって、OBから集金するようになったのだそうな。
だからまあしゃーないと思ってる。
あと、ラグビー部OBは大会に出場するとさらに追加で一万円とか集金が来るらしい。そこに荷物が載りきらないので、遠征の時は保護者の当番が自家用で荷物を運ぶのだとか。よーやるわ。
その人達を平均したら、まあお得かもなと思うんだけど
一定以上で可愛い場合、芸能関係・モデル・美人であることを生かした仕事に就いたほうが楽そうだと思った
そうすると周りも美人なので、ある程度仲間ができるし、困ったことの対策もできる、対等に話してくれる友もできる
もちろんそういう人って性格にクセがあるから大変だけど、孤立するよりは良いんじゃないかと思う
問題は、そういう仕事が嫌いとか、苦手とか、コミュ障とかいうケース
これはもうビジュアルが重荷になる
そして当然だが、ビジュアルで勝てる仕事を捨てたら、我々と条件は同じになるわけで、成功しても失敗しても周りから噂されることになる
理解ある彼君という手もあるが、一定以上美人だと成立しづらくなる
例えば100人から強く求められたとして、その100人からまともな1人を選ぶのは難しいし、99人の恨みを買うわけだ
幸せそうにしている美人でも話を聞くと大抵男関係で怖い目にあっている(一度や二度ではない)
あと面白いことに、明らかに得している美人でも、自分が得しているという自覚があまりない
だから自分では普通だと思ってるのに周りからは僻まれたりいじめられたりするので、過度に周りに攻撃的になってる人が多いと思う
要はまあ珍獣みたいなもんだね
北越高校に、蒲原鉄道が初めて営業に行ったのが15年前。営業の金子さんの前の営業さんや。
蒲原鉄道は、自社所有バス&自社運転手がメインのプランだけど、
少人数で顧問の先生が運転するプランならバンのレンタカーの手配のみ。
中人数で顧問の先生が運転するプランならマイクロバスのレンタカーの手配のみ。
これらは全部合法。厳密には、自社バスのときに運行計画書を出してないとか、手抜きはあった。
「中人数で顧問の先生が運転するプランならマイクロバスのレンタカーの手配のみ。」
は合法で、そこに運転手まで派遣したらあかんよって認識だったけど、
顧問の先生が事故を起こしたことがあって顧問には運転を任せられないとなったとき、
18までに1000-2000冊くらい読んでてそのあとはチョロチョロだけど
歳がバレるけどラノベはダーティーペアとかバンパイアハンターD、ラノベ/SFで神林長平
原書翻訳とり混ぜてSF・ファンタジーがアシモフ、クラーク、ハリポタ、LOTRなど
不登校は今時よくある、悲観的になりすぎないで見守ろうみたいなのを見て自分の見た悲しいケースを思い出した
特にいじめとかそういうのではなく単に面倒になって小学校時代に不登校開始
親は何も言わずに受け入れて、そのあとどこにも相談することなく本人の好きにさせてたら結局小学校中退のまま一切勉強もせず20歳に
で、20歳になると突然成人しましたね、税金納めてください年金払いましょうと言われてパニックになってた
この親はシンママなんだけど、子供がいると補助金も出るし、贅沢言わなければなんとか暮らせちゃうんだよね
悪い仲間とつるむとかでもなく引きこもってゲームしてるだけだったし
それが子供が成人したら扶養から外れて補助金によるプラスがゼロになって年金税金の請求来ていきなり収入が大幅に減る
そこで初めて慌て始める、このままじゃ生活できないぞって
社会復帰しようにもずーっと引きこもりしてたからバイトも出来ない、礼儀も知らない、小学校中退なので最低限の学力もない
別にこいつは生まれつきの障害があったわけでもないから、勉強すれば高校くらいは問題なく行けただろうし五体満足で体もしっかり動くのにちょっとした怠け心で不登校を始めて、そのままズルズル10年過ごした結果、20歳にして粗大ごみになっちゃった
一生金もなくて無課金でゲームするだけが唯一の暇つぶし、それも別に楽しいわけじゃなくて他にやることが無いから
不登校、学校に行かないなら代わりにどうやって生きていくのかを親が考えないとマジで詰む
本人は子供だから、この先がどうなるかもどうやって詰むかもわからない
親に愛情と金と知識と経験とコネがあればリカバリーできるかもしれないけど、それがないとどうしようもない
違法じゃない「白バス(自家用自動車)」とは、対価(運賃)を得ずに無償で、自社スタッフや関係者(ホテル、学校、スポーツチーム等)を送迎する行為です。
逆に、対価を得て送迎する「緑ナンバー」以外の車両(白ナンバー)は、道路運送法違反(白バス行為)となり、刑事罰の対象となります。
隣の芝は青い。その時のメンタルによっては、隣の芝はあまりにも青々しく見えて、喉から手が出るほど欲しい!と思ってしまう時がある。
それが、今である。
私は今学生の身で、ある資格を取るために「実習」を行っている。実習とは、目指す資格等によって内容は大きく変わるが、実際の現場へ行き、その場で己が目指す資格取得者がどう働いているかを知り、己はそこでの知識をめいっぱい吸収する、といったものである。
実習先で粗相のないように!!と耳にタコが1億個できるほど言われ、学校から実習先へと送り出される。
実習をしていて思うのだ。
と。
私はひとり暮らし…というか、ひとり暮らしをさせていただいている身で、実習もさせて頂いている身である。文句なんて言ったら首がすっ飛んでしまう。
でも、それでも思うのだ。
朝早くから実習へ行き、右も左も分からないまま情報と知識と人間に揉まれ、ヘロヘロになりながら帰ってきて、寝たいのを我慢してその日の実習記録を書き、分からないところは調べ、寝落ち…る前に風呂に入り飯を食い、明日の準備をして寝る。
これを、実習期間中は繰り返す。
ヘロヘロになりながら帰ってきても、ご飯がつくられてあったり、風呂が湧いていたり、日が経っても部屋が掃除されて綺麗なままだったり。
実家暮らしだと、実習「以外」の部分ってかなりメンタル的に楽なんじゃない!?
みんながみんなそうだとは言えないかもしれないけど、実家暮らしだったらなあ…と思いながら、今日も実習に行くのだ。行かねばならぬのだ。戦地へ。
もちろん全員ではない。
ただ、少なくとも私はそうだった。
十五歳で負けていれば、私はたぶん助かった。
十八歳まで勝ってしまったから、負け方を知らないまま大人になった。
私はどこで間違えたのだろう。
若い頃の私は、自分が間違えることより、他人に合わせて間違えることを恐れていた。その恐れはたしかに私を東大まで連れていった。けれど同じ恐れが、私を社会から少しずつ遠ざけた。
私は今、四十七歳になる。
前の会社は、私から見れば理不尽な理由で私を遠ざけ、最後には私の居場所を消した。前の前の会社も、その前の会社も似たようなものだった。
今でも半分くらいはそう思っている。
ただ、半分はもう思っていない。
これから書くのは、その「半分」の話だ。
先日、ある雑誌に頼まれて大学新入生向けの短いエッセイを書くことになった。
私は引き受けた。
引き受けながら、ふざけるなと思っていた。
社会人として何かを成し遂げたわけでもない私に、なぜそんな依頼が来るのか。たぶん編集者は、私の経歴の一行目しか見ていなかったのだろう。
一行目だけは綺麗だ。
二行目以降は読まないほうがいい。
私は二日間、机の前に座った。
何も書けなかった。
「夢を持て」とも「努力は裏切らない」とも書けなかった。
書けば嘘になる。
私は夢を持っていなかった。
努力は私を裏切らなかったが、努力以外のすべてが私を裏切った。
これは雑誌には載らない。
たぶん誰にも届かない。
けれど、もし、たまたま、これから大学に入る誰かが読んでくれるなら、一つだけ伝えたいことがある。
素直になれ。
よりにもよって私が言うことか。
私はずっと素直ではなかった。
性格も悪かった。
懺悔だ。
懺悔は聞かなくてもいい。
ただ、もし君が今、自分の周りを少し愚かに感じているなら、その先に何が待っているかを、私という見本を通して少しだけ覗いてみてほしい。
第一部 正解者だった頃
地名は伏せておく。
妹が一人いた。
家は古かったが、貧しくはなかった。
私はわかっていた。
手を挙げた。
当てられて答えを言った。
正解だった。
先生が褒めてくれた。
私は嬉しかった。
書きながら本当にそう思う。
あの瞬間以上の幸福は、その後の私の人生にもう一度も訪れなかった。
二番のときもあったが、すぐに一番に戻った。
周りもそう扱った。
先生も、親戚も、近所のおばさんも。
中学校のとき、母が近所の人にそう言われているのを二回か三回聞いたことがある。
母は嬉しそうに笑っていた。
否定はしなかった。
私は、否定しなかった母を嫌いにはなれなかった。
中学まではまだ良かった。
授業はつまらなかったが、それは皆そうだった。
班活動もそれなりに楽しんでいた。
私はクラスで浮いていなかった。
背は普通だった。
顔は、まあ、普通だった。
私が入ったのは、県内で一番偏差値が高いとされる公立高校だった。
OBに地元選出の国会議員と県知事がいる、というのが地元の自慢だった。
今思えば、それも大した自慢ではない。
けれど当時は、その校門をくぐることに確かな誇りを持っていた。
入ってみると、勉強はやはり私が一番だった。
自分が一番ではないことが、十五歳の私には許せなかった。
期末試験で一番を取った。
決まる過程で、私は反対した。
もう新鮮味がない。
準備期間は二週間しかない。
私は別の案を提案した。
模擬店で何か食べ物を出すほうが客の回転が早く、利益も出やすい。
これは数字で示した。
前年度の各クラスの売上データを、わざわざ生徒会から借りてきていた。
却下した中心は、クラスで人気のあった明るくてうるさい男子だった。
彼は私の数字を見もせずに言った。
私は食い下がった。
「楽しさを論じているんじゃない。準備期間と利益の話をしているんだ」
誰かが小さく「うわ」と言った。
私はその「うわ」の意味が今ならわかる。
当時はわからなかった。
担任が温和な顔で言った。
「みんなで決めたんだから、それでいこう」
私は黙った。
黙ったが、心の中では「これは間違いだ」と思っていた。
当日の朝になっても暗幕が一部つけられず、外から中が見える状態のまま開店した。
客は数えるほどしか来なかった。
打ち上げの席で、誰も私に「お前の言う通りだったな」とは言わなかった。
クラスの全員が笑った。
私は笑えなかった。
笑えない、というのは笑顔の筋肉が動かないという意味ではない。
心が笑い方を覚えていない、という意味だ。
彼らは間違えたあと、間違えたまま、楽しそうに次へ進んでいた。
私は一人だけ間違えていなかった。
間違えていないのに、その輪の中にいなかった。
そして結論を出した。
人に合わせると間違える。
多数派は正しさを選ばない。
この結論は、十六歳の私にとってほとんど真理として体に入った。
そして最悪のことに、それは半分は事実だった。
これが後で書くことのすべての始まりだ。
似たような出来事はその後何度もあった。
一つだけ、もう一つ書いておく。
班員は四人。
私はすぐに気づいた。
私は班員にそれを伝えた。
「だから、別の角度で攻めたほうがいい。例えば、水質と水生昆虫の種数の相関を上流と下流で比較するとか、もう少しオリジナリティのある切り口がいる」
班員の三人は、ぼんやりと私を見ていた。
一人の女子が言った。
「先生は最低ラインの話をしているだけだ。発表会で評価されるためには、もう一段必要なんだ」
そこで私は致命的なことを言った。
今でも覚えている。
そのとき私は、自分が何かまずいことを言ったことには気づいていた。
けれど何がまずいのか、正確にはわからなかった。
今ならわかる。
ただ、四人で何かを一緒にやる時間そのものを、彼女たちなりに大切にしようとしていた。
発表会の評価は、可もなく不可もなくだった。
私はその後、班の打ち合わせにあまり出なくなった。
彼女たちも私を呼ばなくなった。
私たちは最後まで、お互いの名前をフルネームで言えるような関係にはならなかった。
その夏、私は塾の自習室にこもって一人で勉強するようになった。
そのほうが効率が良かった。
私の偏差値は上がった。
この時期に、もう一つ私の中で固まったことがある。
「言い方」という言葉が嫌いになった。
正しいことを言うと、決まって誰かが「言い方がきつい」「言い方を考えろ」と言った。
私には、それが奇妙な反論に見えた。
内容が正しければ、それでいいではないか。
なぜ正しい内容を、わざわざ柔らかく包まなければならないのか。
それは内容より装飾のほうが大事だと言っているに等しい。
知性に対する侮辱ではないのか。
私はそう考えた。
内容が正しければ、いずれ理解される。
これは私の中で信仰になった。
ここで君に一つだけ言わせてほしい。
「言い方」は装飾ではない。
内容を相手に届けるための、内容の一部だ。
ただの独り言だ。
三十年遅かった。
君はこれを、十八歳のうちに知ってほしい。
東京大学の合格発表は、その時代はまだ本郷キャンパスの掲示板に紙が貼り出された。
私は二月の終わりに東京へ出て、安いビジネスホテルに泊まり、当日、本郷に向かった。
三月十日だった。
寒い日だった。
これは嘘ではない。
本当のことだ。
「やった」とは思った。
けれど、それだけだった。
模試の判定はずっとAだった。
直前の本番形式の演習でも、合格者平均より上を取り続けていた。
落ちる理由がなかった。
掲示板の前では、合格した人たちが抱き合ったり、泣いたり、家族に電話したりしていた。
私は誰にも電話しなかった。
けれど誰の声を聞きたいとも思わなかった。
私は一人で本郷の門を出て、近くの蕎麦屋に入り、かけそばを食べた。
蕎麦はぬるかった。
それでも最後まで食べた。
この四年間、誰と過ごすんだろう。
喜びではなく、空白に近い感情だった。
私はこれから、知らない街で知らない四年間を過ごす。
誰も私を「すごい」と言わない。
少しだけ怖かった。
けれど私は、その怖さをその日のうちに押し込めた。
「いや、俺はやってきた。一人でやってきた。これからも一人でやればいい」
そう自分に言い聞かせた。
これは合格した日に、十八歳の私が自分自身に与えた呪いだった。
その呪いに私は気づかなかった。
二十年以上、気づかなかった。
「男のほうが迷惑行為や暴力沙汰が多い」という話なら、まあ統計的にも一定程度はそうです。粗暴犯や暴力事件で男性比率が高いのは事実ですから。
でも、そこから
まで行くと、一気に雑になるんですよ。
陰口、仲間外れ、SNSでの集団叩き、店や他人の晒し、感情ベースの同調圧力、関係性を使った攻撃とか、そういう“非物理的な攻撃性”まで含めたら話は全然変わる。
結局、人って「自分が被害を受けやすいタイプの迷惑」に敏感なんですよ。
駅員なら怒鳴る酔っ払い男性が印象に残るし、学校や職場なら別タイプのトラブルが目立つ。
あと、「男の方が感情的」って言いながら、元の文章自体かなり感情で書かれてるんですよね。
「早く淘汰されてほしい」
「男はクソ」
みたいな表現って、冷静な分析というより、嫌悪感を一般論に昇華してる状態じゃないですか。
ではなく、
のほうなんですよ。