はてなキーワード: ダニエルとは
この作品の本質は、自らが提示した問いの大きさを、自らの構造が裏切っているという一点に尽きる。そしてその裏切りの構造は、単なる脚本上の瑕疵ではなく、この作品が語ろうとしたテーマそのものと鏡合わせの関係にある。
本作の前半は、驚くほど誠実に世界の複雑さを構築している。
どちらも利他的な動機から出発している(メイベルは動物と自然のために、ジェリーは市民の生活のために)。どちらも自分が正しいと信じており、その確信ゆえに手段を選ばなくなる。メイベルは妨害・扇動・ルールの無視へ、ジェリーはイカサマと情報操作へ。この二人は対立者であると同時に、同じ構造を持つ鏡像である。
動物大評議会には種ごとの固有の利害、食物連鎖の緊張、歴史的な力関係がある。「池のルール」は「みんなと友達になろう」と「腹ペコなら食べる」を同居させており、この矛盾こそが生態系のリアリティとして機能している。
ここまでの設計は、「対立する正義の間でどう折り合いをつけるか」「共存とは何を犠牲にすることか」「自分が正しいと信じる者同士がぶつかったとき、何が起こるか」という、本質的に解決困難な問いを真正面から提示している。これらはすべて、ピクサーがかつて最高の形で応答してきた種類の問いであり、宮崎駿や高畑勲が生涯をかけて格闘してきた種類の問いでもある。
しかし後半、タイタスという「誰が見ても悪い存在」が物語の中心に据えられた瞬間、上記の問いはすべて棚上げされる。
タイタスは中身のないヴィランである。権力欲以外の動機を持たず、人間も非昆虫動物もすべて排除して世界を巣にしようとする。古典的ディズニーの「純粋悪」のロールをそのまま踏襲した存在であり、そこには観客が立ち止まって考えるべき複雑さが一切ない。
タイタスが共通の敵として立ち上がると、それまで多声的だった世界が単声化する。
物語が前半で丹念に構築した世界の複雑さは、後半でその複雑さごと消費されてしまう。そしてタイタスが退場した後、ジェリーが言う「一緒に考えよう」は、複雑な利害を調整した末の言葉ではなく、共通の敵と戦い終えた安堵の中から出てきた言葉に過ぎない。
その言葉の背後にあるべき重み、すなわち「敵がいない状態で、利害が衝突したまま、それでも隣にいることを選ぶ」という本来の困難さは、タイタスの存在によってすでに無化されている。
ここで最も重要なのは、この脚本上の構造が、作品自身が批判しようとしていたものと同型であるという点である。
タイタスは劇中で、「人間が諸悪の根源だ」と叫び、動物たちの多様な利害を単純化し、恐怖と怒りで一本化することで自らの権力を掌握しようとする。これはポピュリズムの古典的手法そのものであり、作品はこれを明確に否定的に描いている。
しかし脚本自体が、タイタスという「諸悪の根源」を設定することで、メイベルとジェリーの対立も動物社会の内部対立も一本化し、カタルシスのある結末に到達している。つまり、タイタスが劇中の動物たちに対してやっていることと、脚本が観客に対してやっていることは、構造的に同一なのである。
作品はこれをヴィランの手法として描きながら、自らもまたその手法に依存して物語を着地させている。この自己矛盾こそが、本作の核心にある裂け目である。
この裂け目は、おそらく本作が抱える二つの志向の間の未解決の緊張から生じている。
予測不能な展開、アナーキーなコメディ、ルーニー・テューンズ的な暴走、観客の予想を裏切り続ける快感。これらは物語を加速させ、エンターテインメントとしての爆発力を最大化する。この志向は「全員が一致団結して巨大な敵に立ち向かう」という、わかりやすいクライマックスを要求する。
このテーマを誠実に追求するなら、共通の敵は存在してはならない。本当に試されるのは、敵がいない平時において、利害が異なる者同士がそれでも同じ場所にいることを選べるかどうかである。しかしその場面はカタルシスに欠け、104分のファミリー映画のクライマックスとしては機能しにくい。
本作はこの二つの志向のうち、前者を選んだ。エンターテインメントとしての爆発力を選び、テーマの誠実さを犠牲にした。その選択の結果として、ピクサー近年作の中で最もアドレナリンを分泌させる映画が誕生し、同時にピクサーがかつて到達していたテーマの深度には届かない映画が誕生した。
しかし、以上すべてを踏まえた上で、最後に言わなければならないことがある。
この作品に対してここまでの批評が成立すること自体が、この作品の価値の証明である。
本作が「志の低い作品には起こり得ない種類の失敗」を犯しているのは、志が高かったからである。チョン監督は世界の複雑さを見る目を確かに持っており、それを物語の前半に刻印する力も持っている。後半でその複雑さを手放したのは、能力の欠如ではなく選択の結果であり、その選択がもたらしたエンターテインメントとしての達成もまた本物である。
この作品の核心とは、つまるところ「複雑さを描く力と、複雑さを手放す誘惑の間で、後者に屈した作品」ということになる。そしてその屈し方の構造が、作品自身のテーマと鏡像関係にあるがゆえに、この映画は観た者に対して、映画自身が意図した以上のことを考えさせる。それは作品の欠陥であると同時に、奇妙な形での豊かさでもある。
完璧に設計されたテーマの着地を持つ凡庸な映画よりも、自らの問いに応答しきれなかった野心的な映画の方が、語るべきことが多い。『私がビーバーになる時』は、まさにそのような作品である。
わかったわかった。お前の言う通り、ダニエルカールマンのシステム1,2について調べた。
その上でもう一回言うわ。
お前の主張は、理性でもって野生を押さえつけようという、いかにも旧態依然とした啓蒙哲学に基づいている。
デカルトの心身二元論を、別概念を持ち出して語っているだけだわ。
言うまでもなく心身二元論は誤りであって、「人間が理性をもって野蛮さを我慢している」なんて話は、事実ではない。
お前がシステム2と呼んでいる理性も、結局はシステム1と同様の身体性のうちにある。
なぜなら「片方」なんてものは、大きな物語のうちにしか無いからだ。
どうやらカールマンの理論については、やはり脳科学的な事実さに欠けるという批判がやはりあるよだね。空想上の嘘、良く言っても分かりやすくするための過去の分類に過ぎないんだよ。
フェミいさんは知らんけどフェミニスト≒リベラルで、リベラルであろうとするほどリベラルの無力さに直面するから放っておいてもめっちゃ病むんだよね
元々マイノリティ当事者で人権とかに関心持った人も多くて、マイノリティや非差別属性の精神疾患の罹患率とか貧困率はそうでない側と比べて有意に高い
フェミニストはフェミニストでも、欧米のボディポジティブとかセルフラブとか謳ってる明るい感じの(言い換えれば、バックラッシュが激しくなる2010年代の)フェミニズムの空気の方が求めてるものには相応しそう
XGのCOCONAとかは自分の体を愛するために手術をしたタイプだけどそれも一種のセルフラブの形
みんな闘争していてアンハッピーな感じ(いやそれも必要なんだけど、多分増田が求めてるものではない)
フェミニストではくくれないけど親和性のある人としては、ひらりささんとか上坂あゆ美さんとかダニエル竹田さんとかかもしれない
「極悪でも、すごいことをしたら世界に褒められる」が表している思想は、かなり危険な考え方だとされます。
この考え方は、ざっくり言うと:
です。
つまり「どんな人間か」より「何を成し遂げたか」を世界は評価する、という考え。
歴史的には、
でも、
はっきり言うと、否定的です。
ユダヤ教では人は「何を成し遂げたか」ではなく「どう生きたか」で裁かれると考えます。
「人は外見を見るが、ハシェムは心を見る」 (サムエル記I 16:7)
つまり
たとえ
としても、
彼は
でもトーラーでは
高慢と残虐の象徴として描かれ、最終的には獣のように堕ちます(ダニエル書 4章)。
「極悪でもすごいことしたら世界に褒められる」
のほうが、神の前では偉大。
誰にも褒められなくても、です。
世界は「成果」を褒める。
トーラーは「義」を問う。
という話題を見て、チャッピーさんに名前の流行りを表にしてもらった。ちょっとおもろい
| 年代 | 国 | 男性名(代表例) | 女性名(代表例) | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1920 | 日本 | 一郎、二郎、三郎 | ハル、トメ、キヨ | 家制度・出生順反映 |
| 1920 | 米国 | ジョン、ウィリアム、ロバート | メアリー、ドロシー、ヘレン | 伝統名中心 |
| 1930 | 日本 | 勇、進、勝 | ミツ、フミ、チヨ | 国家観・道徳重視 |
| 1930 | 米国 | ジェームズ、チャールズ、ジョージ | ベティ、バーバラ、パトリシア | 愛称形普及 |
| 1940 | 日本 | 茂、昭、博 | 和子、幸子、弘子 | 「〜子」定着 |
| 1940 | 米国 | ロバート、リチャード、トーマス | リンダ、キャロル、サンドラ | ベビーブーム |
| 1950 | 日本 | 誠、隆、修 | 洋子、恵子、順子 | 安定志向 |
| 1950 | 米国 | マイケル、デイビッド、テリー | スーザン、デボラ、カレン | 定番名+愛称名 |
| 1960 | 日本 | 浩、明、宏 | 由美子、久美子 | 漢字多様化 |
| 1960 | 米国 | マイケル、ジェームズ、テリー | リサ、ミシェル、キンバリー | 音の新しさ |
| 1970 | 日本 | 健、剛、直樹 | 恵、真由美 | 読みやすさ |
| 1970 | 米国 | ジェイソン、クリストファー、テリー | ジェニファー、エイミー、メリッサ | 響き重視 |
| 1980 | 日本 | 大輔、翔、達也 | 愛、彩、美穂 | 個性志向 |
| 1980 | 米国 | マシュー、ジョシュア、ダニエル | ジェシカ、アシュリー、アマンダ | 多音節名 |
| 1990 | 日本 | 拓也、亮、悠 | 美咲、奈々 | 軽快な音 |
| 1990 | 米国 | ジェイコブ、マイケル、イーサン | エミリー、ハンナ、サマンサ | 伝統回帰 |
| 2000 | 日本 | 颯太、陸、悠斗 | さくら、結衣 | 自然語感 |
| 2000 | 米国 | ジェイコブ、ウィリアム、ノア | エミリー、マディソン、エマ | 聖書名再評価 |
| 2010 | 日本 | 蓮、蒼、陽翔 | 凛、結菜 | 一文字・中性化 |
| 2010 | 米国 | ノア、リアム、メイソン | エマ、オリビア、ソフィア | 短名流行 |
| 2020 | 日本 | 碧、凪、湊 | 紬、澪、ひまり | 意味重視 |
| 2020 | 米国 | リアム、ノア、オリバー | オリビア、エマ、エイバ | 国際性重視 |
藤井一至「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」
横山祐典「地球46億年 気候大変動 炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来」
藤井一至「ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」
主婦の友インフォス情報社「事故物件サイト・大島てるの絶対に借りてはいけない物件」(再読)
上遠野浩平「恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-」★
菅沼 悠介「地磁気逆転と「チバニアン」 地球の磁場は、なぜ逆転するのか」
ヴィンチェンツォ・ヴェヌート「生きものたちの「かわいくない」世界 動物行動学で読み解く、進化と性淘汰」
いがらしみきお「ぼのぼの人生相談 「自分をしまっちゃうのをやめないとさ」」
ちょめ「室外機室 ちょめ短編集」
特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」於・国立科学博物館。
昨年に引き続いて阿部勤也を読んでいる。歴史系の本は雑学が増えて楽しいし、現代で当然とされていることが全く通用しない世界をイメージできるので、自分の価値観が相対化できる(時折正しいかどうかだけが自分の判断軸になり、どう感じているかをおざなりにしがちなので大事)。他には地学や土壌が気になってたようだ。
なお、昨年までやっていた星印の評価はやめにした。同率二位とか三位とかを考えるのが面倒だったからだ。……とか思ってたけどやっぱり直感でやることにした。
乙一「The Book ~jojo’s bizarre adventure 4th another day~」
志村史夫「古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧」
コタニヨーコ「夏が、僕らの世界を見ていた」
熊倉献「春と盆暗」
「フリクリ」
特別展「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」於・三井記念美術館
久し振りに芥川賞を読んで面白いと感じた。自分の好みは、語り手が男性で、非常に知的であるか(丸谷才一をこの年読んだのはそのため)、怒りや暴力性などを抱えている作品にハマることが多い。もちろん例外も多数ある。というか読書の趣味は例外だらけだ。
あとは、高校生以来で「百年の孤独」を再読したが、当時と比べて複雑なストーリーを理解する能力が向上していたとわかったのは嬉しい。
「ジョジョ」や「フリクリ」など、すでに知っている物を手に取ったのはファン心理かもしれないし、これは外れないだろうというある種の安心(または怠惰さ)かもしれない。面白かったけれどね。
志村史夫「古代日本の超技術〈新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧」
篠田謙一「新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックス No.1255) 」
アシュリー・ウォード「ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」 動物のひみつ 争い・裏切り・協力・繁栄の謎を追う」
「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて 公式図録」
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展 JACKSON POLLOCK[図録]」
丸谷才一「横しぐれ」★★★
「特別展 慶珊寺と富岡八幡宮の名宝―『大般若経』が語る中世東国史―」於・金沢文庫。
また、この月は数年前に行けなかった美術展の図録を買って楽しんだ。たまたま行けなかったり、コロナ禍で自粛してしまったりしたもので、ずっと喉の小骨のように行けなかった後悔にさいなまれていたのだが、すっきりした。
丸谷才一「樹影譚」
ハンフリー・カーペンター「J. R. R. トールキン 或る伝記」
J. R. R. トールキン「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」
A. A. ミルン「クマのプーさん Anniversary Edition」
A. A. ミルン「クマ横丁にたった家 Anniversary Edition」
エーリヒ・ケストナー、池内紀訳「飛ぶ教室」★★★
児童文学が多い。「飛ぶ教室」は男子校を卒業して二十年余りの自分にはとても良く刺さった(小さい頃にもらったのだがパラパラめくっただけだった。たぶん自分の中の男性性を求める心が強く目覚めていなかったんだろう。あるいは、一生付き合っていきたいという友人に出会う前だったからかもしれない)。また、今まで触れてこなかったトールキンの作品に触れて楽しかった。これは十二月の洋書による再読の遠因となる。
スタインベックは障害観が少々古いが、無駄な場面がなく、悲劇としての構成が美しい。
J. R. R. トールキン「終わらざりし物語(上)」★★★
湊一樹「「モディ化」するインド ――大国幻想が生み出した権威主義」★
J. R. R. トールキン著、クリストファー・トールキン編「ベレンとルーシエン」
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史。
うろこの家・展望ギャラリー、山手八番館、北野外国人倶楽部、坂の上の異人館。
湊川神社宝物殿
いつもの月と比べて大変に少ない。今月は休みの日に読まなかったのと、「終わらざりし物語」が上下巻それぞれ五百ページ超えと大変に長かったためである。四月までの分を加えれば平均して月十冊は読めているし、味わわずに読み飛ばすよりははるかにましである。というか、三月四月と十五冊読んでるじゃないか。プラスマイナスなし。
年始から神道をはじめとした日本の信仰について読んでいる。記紀に記載のない神々や、民間の信仰、仏教との混交などの知識が増え、日本神話についての解像度が上がった気がする。
なお、「クィンティ」はファミコンゲームで、これをスイッチでプレイした。祖父の家に合ったもので子どもの頃はクリアできないなりに楽しんでいた。スイッチの巻き戻し機能を利用してやっとクリアした。
余談だが昨年はクリアしないなりに「パリア」をプレイしたのだった(結局こういうクエストものや箱庭・スローライフものはそこまで好きじゃないというか飽きるとわかった。スローライフと言いながら結局採取や労働をしており、仕事で疲れて帰ってきてやるモチベーションが湧かない)。「Neo Atlas」は二〇二二~二〇二三にプレイしたが結局飽きている。世界を探検するのが好きなのはcivilizationで分かっているのだが、通知がひっきりなしに来るので、これもリアルな仕事と似ていて疲れた。
飯島吉晴「竈神と厠神 異界と此の世の境」
ダニエル・T・マックス「眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎」★★★
成澤勝嗣「もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
狩野博幸「もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
稲垣栄洋「生き物の死にざま」
小泉悠、高橋杉雄、太田啓之、マライ・メントライン「ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」」
小塩 真司「「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学」
綾辻行人「どんどん橋、落ちた」
櫻井武「SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか」
安田峰俊「民族がわかれば中国がわかる 帝国化する大国の実像」
「ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」於・クレヴィアベース東京
軽めの本が多め。
この後読む皇族の本も含め、学問の世界の厳しさに触れる本が多かった。知識を蓄えるのではなく、同じ問題にずっと取り組み続け、微細な差異や違和感に疑問を持つ才能がないと、研究者としてやっていくのは難しい(これはうまくできなかった自分を慰めている側面もある)。
脳科学については、著者の主張や意見のウエイトが大きく、前々から気になっていた意識や心の哲学についてはそこまで突っ込めなかった。ジャンル全体の概観をつかむだけなら、おそらくウィキペディアを拾い読みしたほうが早いか。
タルムード的な視点から見ると、「SNSをやるべきか」という問題は、言葉の力と責任に関わるテーマです。
アラキン 15bにはこう書かれています:
SNSはまさに「言葉を世界に放つ」場であり、その一言が思いもよらぬ影響を持つ可能性があります。
したがって、使う人がその力を理解していなければ、危険にもなりうるのです。
つまり、話すよりも黙ることの方が徳になる場面も多い。
SNSでは、すぐに反応したくなったり、自分の考えを共有したくなったりしますが、
タルムード的には「語る前に三度考えよ(Berakhot 33a)」という態度が勧められます。
一方で、タルムードは「良き目的のために世俗の道具を用いる」ことも肯定します。
もしあなたがSNSを通じて、善意・知恵・励まし・感謝などを広める意図を持つなら、それは「世界をよりよくする mitzvah(善行)」にもなりえます。
タルムード的に言えば:
SNSをすること自体は善でも悪でもない。しかし、その使い方に魂を込められるなら、それは善行になる。逆に、感情や虚栄に流されるなら、沈黙の方が徳である。
https://x.com/daniel_0831/status/1956033306044326237
この日本保守党百田代表の「戦後80年談話」が、日本人から全く支持されていない石破反日左翼首相の極めて偏った「80年談話」を出す前に発表した事は、我が日本国にとってとても意味のある談話だったと未来永劫語り継がれ歴史に刻まれる事でしょう。
この文章を一切の脚色をする事なく、また切り取られる事なく正確に多国語に翻訳し広められる事を心から願います。
この百田代表の談話が、老若男女問わず多くの国民の目に触れ、今までの教えが如何に偏った間違ったものであったかに気付くきっかけになるよう切に願います。
このような談話を発表出来る政治家は残念ながら今の日本の政治家には百田代表以外1人も存在しません。
【参政党の闇が深すぎ・・】元公設秘書の自●|武田邦彦が暴露(ダニエル社長の週刊ニュース)
https://www.youtube.com/watch?v=wkgH5uVx8vc
(ダイジェスト)
――僕が前に、神谷さんから聞いたのは「武田先生にお願いをしたら、神谷さんあなたは出ないんですかって言われて、あなた出ないんだったら私も出ません、みたいに言われたから仕方なく出た」みたいなことを神谷さんがどっかで言ってたんですけど。これは事実ですか?
【武田邦彦】
嘘だと思いますね。彼(神谷宗幣)はもう「嘘」と「本当」がこう入りまじってますからね。
僕が付き合うような人っていうのはそう簡単に嘘の言わない人ばっかなんですよ。普通はそうです。ほとんどの場合、嘘ですから、彼(神谷宗幣)は。
まあ、本当のことってはめったに言わないじゃないですか。
もうほとんど嘘だからね。ただ日本人の場合ほとんど嘘を言う人がいないっていう風に思ってるので。今でも参政党になってる人もいるしかわいそうだと思いますね。
――参政党といえば、なんとなく「DIYで、みんなでつくる政党」みたいなイメージを最初から掲げていたと思うんですけど、それって最初からあったんですか? それとも、実は最初からなかったんですか?
【武田邦彦】
参政党というのは、もともと吉野さんとか、あとはもう亡くなられた平岡さんとか、ああいった方々が中心になって作られたものなんですけど、結論から言えば、最初から言っていたことは、ほとんど全部が嘘でしたね。
【武田邦彦】
はい、全部嘘でした。たとえば、自分たちの力でやるとか、他の団体のお金は使わず、自前でやるとか。そういったことは、すべて嘘でした。
僕が言ってきたことは、ただ一つ。「言ったことと、やったことを一致させてくれ」という、それだけなんですよ。武田が何を言われようと、僕が参政党の中でやってきたことといえば、ただ一生懸命、選挙運動をして、参政党を応援してきたという、それだけです。
それから、「民主的にやってくれ」とも言いました。これは、参政党の内部でどう決めるかは別として、政党助成金を受け取る以上、民主的な仕組みにしなければならない。これは法律的な話なんです。
つまり、独裁的な運営が良いという場合もあるかもしれない。でも、その場合は政党助成金は受け取れない。共産党が助成金を受け取っていないのも、そういう理由ですよね。
でも今の参政党って、党首を決める選挙もないし、全然民主的じゃないのに、政党助成金は受け取っている。それって本当に大丈夫なんでしょうか。
僕としては、法律的な議論はいろいろあるにせよ、ああいった体制のまま助成金をもらうのは、やっぱりおかしいと思うんです。だから、党のボード会議でも、「助成金を受け取る以上は、ちゃんと党首を選挙で選ぶとか、民主的な仕組みにしないといけない」と何度も言いました。
でも参政党は、もう最初から党首を変えられない仕組みになっている。それが最大の問題ですね。
【武田邦彦】
いま党の中にいる人たちの話を聞くと、もう全部「嘘のほう」を信じている。そういう状態なんです。だから、仕方ないといえば、仕方ない。
というのも、あれだけ頻繁に嘘をつく人って、普通あまりいませんよね。だから、見抜けないというのも分かる気はします。
でも、もう今の参政党に残っている人たちって、ほとんどが完全に信者になってしまっている。「何を言われても、それを信じる」という人しか、もう残っていないんですよ。
――それは、かなり危うい状況ですね。
【武田邦彦】
そうですね。客観的に参政党を見ながら、「よくなったらいいな」と思っている人は、もうほとんど残っていない。そんな状態になってしまった。
――変えようにも、もう手がないということですか?
【武田邦彦】
そう、変えようと思っても無理なんです。もう変える手段すらないんですよ。
(3)神谷宗幣はその時、その時、嘘をつくだけ
【武田邦彦】
今から考えれば、簡単なことなんですよ。別に、その時その時に嘘をつくだけのことだから。そんなのに真面目に相手していたら、まずいんです。
【武田邦彦】
パワハラの内容は、怒鳴り散らす、すぐクビにする、説明しない――もう、こういう感じなんですよ。
典型的な、「こんなパワハラあるのか」と思うほどのパワハラです。
それに、セクハラもありました。もう、そこら辺の女性にすぐ手をつける。
断わったら、「お前、公認しないぞ」だとか、そういう言葉になるんです。
だから当然、「これは危ないな、(自殺も)起こりうるな」と思って、僕も頑張ったんですけどね。
でも本部というか、その人たちが、党員とか公認候補の女性たちにまで手を出してしまう。
僕、「よくいるな」と思って。
――それ、誰の愛人なんですか?
【武田邦彦】
その人が、同じ会議に平然と座っている。
それがね、非常に不思議でね。
いや、どうなってんのかな。
――その人と神谷さんが愛人関係だというのは、もう明確なんですか? 噂とかじゃなく?
【武田邦彦】
もっと細かく言ってくれる人もいました。どういう生活をしているかとか。
それでね、今の質問は良くてね。
僕が「愛人」というと、「何でそんな噂を聞いたんですか」と聞かれるけど、そうじゃない。
僕は公的に聞いているんですよ。そういうことって、普通は言いませんよね。
みんなが公的に聞いているって、何でかっていうと――街頭演説でやってるんですよ。
そう、そんな感じなんです。
たとえば席なんかは、参政党の首脳部の会議で「誰それは神谷さんの愛人ですよ」と普通に言っているんです。普通なんです。
――それはもう、神谷さん本人が公表しているということですか? 内部的に?
【武田邦彦】
内部的というか、いや、街頭演説で「愛人がいて何が悪い」って言っているんですから。
――でも、「誰が愛人だ」とまではさすがに言っていないですよね?
【武田邦彦】
言っているかもしれませんね。かもしれないです。
それで、僕もこれちゃんと公的に聞いたんですけど、東京にいる時は「愛人の家から参議院会館に通っている」っていうのを、ちゃんと言っているんです。普通に、こう。
考えられないですよね。
――その矢先というか、そういう文脈の中で、あの元公設秘書の方の自殺が起きた。
【武田邦彦】