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懐かしくもあり切なくもあり

神田川徳蔵物語
08 /30 2017
青山熊野神社での「八百喜代納石力持」には、
名の知れた力持ち力士が何人か参加しています。

ここではその中の一人、
東京都世田谷区羽根木を根城に勇名を馳せた
羽根木一派の羽根木政吉をご紹介します。

羽根木政吉、本名・細野
羽根木の漬物業者で、
漬物石を日常的に持ち上げていたため力が強かったそうです。

羽根木政吉です。

政吉羽根木

向かって右は青山八百喜代です。

羽根木政吉の名を刻んだ石は、都内4カ所9個
そのうち八百喜代と連名の石は、杉並区の大宮八幡神社1個あります。

img993.jpg
東京都杉並区大宮・大宮八幡神社

しかし、八百喜代同様、神田川徳蔵との石はいまのところ見つかっていません。
ちょっと残念。

こちらは八百喜代の納石力持での番付です。
右側にずらりと書かれているのは羽根木一派の力士名です。
政吉を筆頭に元吉、清造、角□、吉□□、長□6人も。

番付青山熊野

ずらりと並んだ羽根木一派の名前。
これを見ただけで八百喜代と羽根木政吉の結びつきが
いかに強かったかわかります。

左側赤矢印は、次回ご紹介する(浜)町秀太郎です。
濱町秀太郎は羽根木一派の名前の下にも、「年寄」として、
麹町生嶋(島)、羽根木政吉とともに記されています。

左端の2名は先にご紹介した野澤組の野澤(根岸)良雄野澤□三郎です。
その下は「世話人」で、原宿有志となっています。

こちら羽根木政吉濱町秀太郎連名の力石です。

CIMG3880 (2)
東京都杉並区高円寺南・氷川神社

「奉納 四拾貮貫 大正十五年 高円寺 大場通 井川新太郎 持之
 立会人 羽根木政吉 濱町秀太郎

下の写真は、政吉の地元の羽根木神社で発見された力石です。
無銘なので政吉の力石かどうかは不明。
ですが、羽根木一派のものである可能性は大です。

img931.jpg
東京都世田谷区羽根木・羽根木神社  

実ははるか昔、私はこの羽根木に住んでいました。
東松原駅前に、女優の馬淵晴子さんの邸宅があって…。
プールもあったような気がします。

これは羽根木神社の夜祭りに出掛けたときの私と子供たちです。
こんな時代もありました。

長男の手を引いて、二男をおんぶして…。
img777.jpgimg770.jpg

小さなアパートの空き地で子供を遊ばせていたら、
おばあさんに連れられた男の子がオズオズとやってきました。
「遊んでちょうだいね」
というおばあさんのうしろにいたのは外国の婦人。
こちらを心配そうに見ています。

近所のおばさんたちが、あれは蓮見さんといって、
あの女性はフランスから連れてきた人だと話していました。
ずっとあとになって、それはのちに東大総長になったフランス文学者の
蓮見重彦氏の奥さまとご子息だったことを知りました。

でも、あのときおばあさんに手を引かれてやってきたぼっちゃんは、
今年6月、40代の若さで亡くなられたとか。

ここに住んだのはわずかな期間だったけれど、印象は深い。
子育てをしながら、料理雑誌に「食べ物歳時記」を書き、
在宅で本の校正の仕事をしていました。
湯水のように散財する夫との暮らしに疲れ果てて、逃げるように静岡へ。

あのころは力石など名前すら知らなかった。

羽根木、

懐かしくもあり切なくもあり。

※参考文献/「石に挑んだ男達」高島愼助 岩田書院 2009
        /「東京の力石2」高島愼助 斎藤保夫 
         四日市大学論集 第25巻第2号 2013
※人物特定・文字解読/斎藤         

コメント

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おはようございます

今は、羽根木といえば「梅園」ですね。
毎年賑やかだそうです。
20年ほど前、会社の人が羽根木に住んでいて、
そんな話を聞きました。

若いころ、というか、よほどの事がなければ、
「力石」は興味がないでしょうね。

私も、姫のブログから知った次第ですから。
多分にどこかの神社などで見ていたかもしれません。

羽根木暮らし

one0522さま、コメントありがとうございます。

羽根木公園はよく行きました。
凧揚げ、花見、雪合戦。いいところでした。

ただ住まいが表通りから引っ込んだところだったせいか、空き巣が多くて怖かったです。とてもおかしなことがありました。息子が近所の子供たちと一緒に道路に駐車中の車に泥を塗って、持ち主のお兄ちゃんからこっぴどく叱られて。ひたすら謝りましたが、しばらくしたらそのお兄ちゃん、窃盗常習犯で弟と共に捕まって、驚いたのなんの。
そのおにいちゃん、子供たちに「これからは悪いことをしてはいけないよ」なんて言ってたんですよ。

小学生の集団かっぱらいにも遭いました。
ノックされてドアをあけたら3年生ぐらいの男の子が5人ほどいて。「水を飲ませてください」というので台所へ行ったらそのすきに土足のまま部屋へなだれ込んで手当たり次第盗んでいったのです。
ランドセルをカタカタ鳴らしながら逃げる彼らを見て、都会の子供はこんなことしか考えられないのかとやたら哀しくなりましたね。

でも駅近くにあった親切なふとん屋さんは、今でも忘れられません。
で、実は政吉の本名の「細野」、記憶にあるんです。
大家さんの名前だったか…。

No title

羽根木にも住んでいたなんて。
それが力石で繋がるなんて思いもしなかったでしょう。
当時のエピソードも楽しいような怖いような。
しかし背中におんぶスタイルは、実に懐かしい。

No title

弥五郎丸さま、コメントありがとうございます。

歴史などというものは、越し方を振り返る歳になって興味が湧くもの、かも。
おんぶスタイル、そういえば今はあまり見ないですね。多くなったのはお父さんが抱っこ紐で抱っこしている姿。いいですね、羨ましい。

先日、勤務先で小学校PTAの100人ほどの集会があったのですが、オズオズと事務室に入ってきたのは若いお母さん。抱っこ紐の中で赤ちゃんが大泣きしていました。「授乳したい」と恥かしそうに言うので隅の椅子を勧めました。でも出入りする人が気になるのか、すぐ部屋を出て行きました。

でもすぐ戻ってきたので、とっさに空いている和室へ連れて行きました。抱っこ紐から解放された赤ちゃん、火が付いたように泣いていたのにケロリ。畳の上をご機嫌でハイハイです。しばらくしたら事務室に笑顔のお母さんが顔を出しました。胸では赤ちゃんがスヤスヤ。みなさんからの「ウルサイ。泣かすな」の視線にも耐えていたのでしょう、

母乳を与える母親がどんなに肩身の狭い思いをしているか改めて思い知りました。一か月後にもう一度予定されていたので、役員に予め和室を予約するよう伝えましたが、子育て中のみなさんでもあまり気づいていなかったようでした。
出来る限り、若いお母さんたちを応援してあげたい。

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ありがとうございました

さっそく丁寧なご説明をありがとうございました。
日本にも同じ遊び、まして通りやんせの起源が
江戸時代だったとは驚きました。
今回のトピックに関してはさきほどの情報で充分です。
いずれラジオのネタにも使用したく考えております。
ロンドン橋おちた、という遊びも私は全く知らなくて
想像するにほとんどタイと同じ遊びに思え、これと関連付けて
魔女ブログのトピックとしては十分だと考えております。
お忙しい折ありがとうございました。
今夜は日本に足を向けて寝られません。

雨宮清子(ちから姫)

昔の若者たちが力くらべに使った「力石(ちからいし)」の歴史・民俗調査をしています。この消えゆく文化遺産のことをぜひ、知ってください。

ーーー主な著作と入選歴

「東海道ぶらぶら旅日記ー静岡二十二宿」「お母さんの歩いた山道」
「おかあさんは今、山登りに夢中」
「静岡の力石」
週刊金曜日ルポルタージュ大賞 
新日本文学賞 浦安文学賞