はてなキーワード: 高蔵寺とは
反響がいただけたので、anond:20250322200443の続き。
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2025/3/22(2日目)
興奮であまり深く眠れず、6時前には起床。
ホテルのバイキングには開始時から待ち、カレーに和食と十分に食う。
コーヒーとトイレもちゃんと済まし、2日目は7時半前の愛知環状鉄道から。
路線は単線と複線がしょっちゅう切り替わり、複線用地もちゃんとわかる。
ひたすら高架で見晴らしもよい。
シャトル列車の走る名鉄との並走区間を越えて、都市部から一気に山に囲まれる田畑のギャップ。
ただ乗るのも飽きてきたので、今日はwikipedia見て、各駅や路線をより知ろうとする。
調べてた通り、一般道をしばし歩くことに。
入口ではまたもSuicaが使えないことを知り、ホーム階にあがっては中央線にどう繋がるのか不思議に思う。
ホームにはちょうど折り返しがやってくる。
時間があるので、それらを写真に撮っては、ホームそばまで複線で来るレールや名二環を見渡す。
乗れば、緑の看板が並走するほど都市部なのに、単行の気動車がすれ違いもしない頻度で走る不思議さ。
こちらもやはり見晴らしはよく、JCTの絡まりもこの距離で見られるのは嬉しい。
名鉄の上小田井駅が見えては、その先に接続用だったらしい立体が上下に分かれる。
ちなみに運賃は割高なので乗り通す客は少なく、どんどん入れ替わる。
階段から改札もなく中に入れば、ほぼバスな車体を転回所に撮り、両サイドのレールもよく見ておく。
あとはさすがバスであり、細かく停まる印象だが、ドームがあったりして一区画でも乗る人がいる。
これが見てみたかったのだ。
運転手がハンドルの両サイドにあるレバーを上下に振ると、側面下部からゴンゴンとガイドの収まった音がする。
そして運転手はハンドルをとり、教習所みたいなS字カーブで一般道へと入る。
名二環を越える下り道は長く、庄内川もあって遠くまで見渡せる。
ちなみに、本質的にバスなので、途中下車は車内を通るのがかなり面倒だった(他の客に倣い、中降りして前に回り込んでタッチする)。
専用区間だけでも連結バスにすればよいのにと思うが、特殊な規格だから改修もままならないのだろう。
名古屋の地下鉄は10分毎が多くてやる気がなく思ったが、名城線に乗る人数を見たら妥当か。
藤が丘は引き上げ線で入れ換える形で車庫にもつながっているようだ。
自動運転だし、元は万博用の見世物でもあったわけで、妥当な装飾か。
一方で、ジブリパークの案内が目立ち、乗客も若い女の人や外国人が多い。
ちなみに、リニアなので車体は浮いてるはずだが、浮遊感みたいなものは無かった。
でも新交通にしては明らかに速いし、それでいて静かなのはよい。
万博公園は有名だが、長久手古戦場にもアクセスできるのは近づいてから知る。
車庫は万博駅につながっている。
八草では12時前なので、申し訳なさで親へのメールをこなし、2度目の愛知環状鉄道。
尾張旭で緩急接続するイメージだったが、かなり昔から昼間は各停だけだったのね。
そしてすぐに尾張瀬戸は櫛形駅の平面移動で外に。
瀬戸物の街であり、少し歩いてみると川の両端に陶器屋が並んでいる。
ロードバイクも見かけ、自転車乗るにもいい暖かさとなってきたなあと思う。
脚が慣れてないが、また自転車で遠くに出かけたくなってくる。
折り返しては、尾張旭では折返線が両面に。
喜多山は高架化の途中で、追い抜きも無いのに2面4線が保たれている。
そして矢田川を越えて、再びの大曽根では、商店街のイベント紹介もあった。
と、そもそも名古屋城を見たことが無いのに気づき、名城線で近くに移動する。
地上に出れば、瀬戸線が走っていたお掘りが目の前に!
ブラタモリで見たやつだ。これは嬉しい。
さらに、この歴史的建物は何かと思って調べたら、市役所なのか!これまた豪華。
横丁なる食事処から天守閣へと近づき、有料区画に入るか悩むが、耐震性で天守閣に入れない代わりに500円とリーズナブルなので入ってみる。
(昨日もだが、乗り鉄なのか観光なのか旅の目的が定まってないな。)
中は有料区域ながら、まるで普通の公園みたいな人の多さに出店の多さ。
石積を積み直すコツコツさを傍らに、出店には縁日な遊びやゴザもあり、早咲きながらも桜らしきがありですっかり花見みたい。
さる軍団まで来てた。
たしかに入れないことを確認しては、エレベーターまで付いてたことを知る。
手ぬぐいとか渋い品目のショップを見ては、現在のメインである本丸御殿にも入る。
十何人かまとめてずつの入りでしばし並び、荷物は建物にぶつけぬようロッカーまで準備する念の入れよう。
カメラは可だったので何枚か撮ったが、金箔に描かれたふすま絵やら、立体に作られた装飾やらで、造詣ないゆえ理解はできずもひたすらすごいって感じで過ごす。
その解説で、「こけら」って木くずのことを言うから、「こけら落とし」になることを知る。
あと、太い松の切り株の輪切りに大谷のサインが書かれてたのが印象的。
そして御殿を外から一枚撮っては北側(開かずの門)から出て、水の張るお掘や大きな石。
武将と握手会してるなど皆が楽しむ様子も見て、名古屋城をあとにする。
料金は均一の後払いなのね。
しかし、ほどなく桜通大津からは普通レーンとなり、普通のバスと変わらなくなる。
晩飯を豪華にするべく昼間はパンひとつで我慢してたが、耐えきれずおにぎりに手を出す。
改札上には、コンサートらしきでノンストップの臨時列車が出る旨の案内。
そっか、デフォルトが少ないのは、フレキシブルに便数を増やすからなのね。
おにぎりを慌てて食って乗れば、近鉄としばし並走しつつ、両方の車両区を上から見下ろせる。
ノンストップとうたっているが、港湾部までは60km/hくらいでわりとゆっくり。
工場から港湾へと移り変わり、名港トリトンもこんなところから見れるだなんて。
野跡手前で降りる車庫線。
そして、金城ふ頭に着くが、キッチンカーが出るほどの人の並び。
反対側にはレゴランドで、原色のブロックが付いたような建物にモールまである。
と一通り見ては、まさかこんなに人が多いとは思ってなかったが、せっかくなのでリニア鉄道館にも若者たちの間を抜けて近づく。
わりと平たい建物には、券売機の横にある案内によると、記念車両が並んでいるようである。
外にも、N700のA改造車が3両分置いてあり、これは中に入らずとも見られる。
トリトンを撮り直しては、日陰となったベンチでここまでの日記を書き出す。
そうして場に馴染んでの帰りはイベントと逆方向だが、他の会場があるのでそれなりに混む。
それでも名古屋駅には明るいうちに帰れて、帰りも行程を復習できた。
「のぞみ」は18時前の発。
終わってみると、あっという間だった。
昨日と違って、道中で知識も追ったので飽きも無かった(ようやく楽しみ方がわかってきた頃に、旅は終わるものだ)。
パンと炭酸と切符を買っては、改めて謎のフリークエンシーに驚きつつ、すぐの新幹線に乗り込む。
眠気に耐えつつここまでの日記を打ち直して、暗闇でもあるので目を閉じる。
静岡通過から寝て、小田原で案内放送が入っては、パンフで名古屋城のことを復習。
そしてここで、こうやって毎回、旅日記を文字データに起こしているのだから、増田に投げて反応もらいたいなと思い
(占いにも「自分の得意分野を活かして、他の人にはできない価値を人に提供することで、大きな満足感が得られるでしょう」とあったのだ)、
昨日書いた分から個人情報を消したバージョンを作り、地下鉄内で調整を加え、最寄り駅に着いては送信。
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
桂離宮 | 1663年 | 京都 |
慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
角屋 | 1787年 | 京都 |
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
http://www.asahi.com/articles/ASH9Z3D16H9ZOBJB006.html
まず、現在の小牧図書館が老朽化と手狭になっている問題は事実です。
そういうこともあり新図書館建設自体は早急に行なわなければならない事項ではあります。
しかし東西に長い市の形状と後述する交通アクセスの不便さ(+駐車場の少なさ)もあり
小牧中心部から離れた人たちなどは周辺自治体の図書館を利用している場合も多かった印象です。
ツタヤ図書館計画が出てきた当初は武雄市の問題もそこまで明るみに出ていなかったこともあり、
「図書館が立派になってちょっとおしゃれになるならそれもアリじゃない」程度の感想でした。
しかし、ここ数ヶ月で武雄市の問題がメディアで取り上げられるようになると「こりゃまずいな」と思うようになりました。
初期のころから反対運動を行ない住民投票までこぎ着けた方たちには感謝しています。
小牧駅前再開発の問題はもう何十年も定まらず、何とかしたい市の思惑は分からなくも無いです。
名鉄小牧線は元々本数が少なく地下鉄接続計画も進まず、接続後も名駅や栄などの繁華街に直通で行けるわけでもなく
もたもたしているうちにピーチライナーも廃線となり何とか持ちこたえていた駅前周辺が一気に寂れていきました。
鉄道を利用するにも西側は岩倉(名鉄犬山線)、東側は春日井や高蔵寺(JR中央線)の方が便利なので流れるのが実情です。
もっとも東名名神中央道が接続する自動車交通の要衝でありほとんどの住民は自動車を利用しますし
逆に自動車で移動するとなると古い区画が多く残り、狭い道も多い小牧市中心部は近づきにくいので不便な場所です。
そういった現実もあり、「駅前の賑わい創出」はツタヤ図書館ができた程度では難しいだろうなぁと言うのが実感です。
過去にも市役所の新庁舎を建てるとかいろいろ計画は上がりましたがいずれも頓挫。
近くの第三セクター商業施設「ラピオ」もテナントを揃えるのに苦労しているのが実情です。
車で移動する住民としては近づきにくく駐車場も有料でテナントも微妙なラピオよりは
駐車場も無料で広くテナントも魅力的な周辺の大型商業施設に行くのは当然です。
持て余した土地を何とか活用したい小牧市の長年の思いもあるでしょうし
前述の老朽化・蔵書の限界の問題は待ってはくれず、新図書館建設それ自体は賛成です。
おわり。