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家事専業。犬と猫が好きです。(・∀・)ノ ツイッターアカウントは、画面の下の方です。
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言葉と本と、友達。
2012年04月11日 (水) | 編集 |
いろいろ悩み過ぎてしまって、どうにも手が出なくて、
どうしようもない時がある。


「もし、悩むことがあったら、本を読みなさい」、と言ってくれた人がいる。

高校2年生の時の、社会科の地理担当だった先生。
授業中にみんなに、何かの話のついでだったか、ぼそっと。

底で沈んでいる状態が続いている時、
この言葉を取り出す。

あまりにも疲れている時つらい時は、本を読むのが大変かもしれない。
だったら、
本棚や本があるところまで這っていって、自分の日記を読んでもいい。
難しい本でなくても、漫画でも絵本でも、広告チラシでも新聞でも。
私は、本が、活字が好きだから。


小学5,6年生の時だったか、母の母(祖母)が私に言った。
「ゆうこ、友だちは、良い友だちを持ちなさい」

30年以上経っているけれど、「う...ん」と返事をしたことも覚えている。
私はその時、一人も友達がいなかった。

大人になって、良い友だちに恵まれたと思う。
たくさんではないけれど何人か。
その言葉を私にくれた祖母に、感謝している。



カラ元気よりも、憂いの曲がいい
2011年03月31日 (木) | 編集 |
チャイコフスキーのピアノ曲集・「四季」より、『舟歌』を、
もしよかったら聴いてみて下さいませ・・。

高村光太郎の詩に「白く明るい悲しい死の床で」という部分が確かあったが、
それを思い出した。暗く明るい曲です。

アメリカの、1999年のコロンバイン高校銃乱射事件も思い浮かんだ。

(音に注意。)





3月21日(春分の日) 雨時々曇り
2011年03月21日 (月) | 編集 |
私は・・・薬のせいもあるかもしれないけれど、記憶力が落ちているときもあります。
例えば、肝心な「○○日は○時に病院の予約がある」ということを忘れている時がたまにありますが、逆に、自分には直接関係のないことを鮮明に覚えている時があります。
なぜか、覚えている。

今、突然災害に遭ってしまい、心構えもなく命を絶たれてしまったとしたら。
心残りだ。
不治の病になって治らないことが分かったとしたらやはり、
心残りだ。

私はこの世に生まれて40年経ちます。
母とは、40年一緒に過ごしたようなものです。
65歳の母の人生は、あっけなく短かった、と、だんだん感じるようになってきました。
肉親が死ぬと、そう思う人は多いのかもしれません。

母の死で、私は、人生は一度きりだということを思い知りました。
だから・・・
悔いがあっては、死んでも死にきれない・・・そんな風に思う時もあります。
もちろん、運命もあるけれど。

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月の明るさ
2011年03月18日 (金) | 編集 |
きのうは午後6時半頃~多分、10時くらいまで停電していた。
私はご飯を食べてしばらくして眠くなり、夫は消防の見回りに行き、
ひとりになり、「ちょっとだけ布団に横になろう」と思ったら・・
気がついたら朝なのかまだ夜なのか、という状況で、夫は帰ってきているようだった。

ガスは使えるが電気はダメなので、順序に苦労した。

今さっき、携帯のめざまし機能で起きたら、いつもよりもずっと寒かった。
被災地の人の寒さ、疲れは想像を絶する。温かいものすら、食べられない。

夜ご飯を食べて何もできないので、後回しになっていたことをひとつ、実行。
仏壇に置いてある、祖母が入っていた創価学会の「過去帳」に、近所の親戚のおじさん、
私の母方の伯父、母の名前と享年を、筆ペンで書き加えた。
ひとりで母に話しかけながら、よけいに寒さがこたえた。

停電中、夫が何か物を取りに外に少し出た。「月が明るい」
というので私も少し見てみた。
うぴしと散歩していた田舎道はこの世ではないみたいで、
別世界だった。
夜の昼間、みたいな。
月明かりが、確かにきれいだけど、寒くて怖くて寂しくて言葉にならず。



民主主義は、儚く脆(もろ)いものかもしれない---だからこそ、抵抗する時はする
2011年03月06日 (日) | 編集 |
おはようございます。個人的にいろいろあり気分が最悪です。(最悪って最悪でもないですが)
おまけに、風邪だか鼻炎だか鼻水。もう!びえーーん!(どうしよ笑える?(´・д・`) )

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」より、元気をもらえるエントリー。
素晴らしい記事です。
「革命」と「デモ」という言葉に抵抗を感じる方へのお返事

私の憂うつな気分など吹き飛ばすような、「そうなんだよ!それが言いたかった、私も!」
という部分を、上の記事より、一部転載させて頂きます。

==============================================

レスイラズさん。「絵に描いた餅」は本物の餅ではありません。それと同じく、日本の民主主義は言葉や制度としては一応存在しても、それがあまり尊重も実践もされず、絵に描いた餅であるその制度すら切り崩そうとする体制側の言動と、そういう切り崩しに無警戒にのってしまう市民側の言動もまた目立つというのが私の観察です。

私のブログは、最初から最後まで、そういう現象を拾い続けるブログといっても過言ではありません。すべての記事がその説明のために費やされているといってもいいでしょう。これだけ「実例」がそろっているのですから、私は、「日本は民主主義国ではない」と結論することになんのためらいも感じません。

==============================================(下線は私)

村野瀬さん、特に下線の部分、このようなことはなかなか続けられることではありません。
誰に何と言われようと続ける、こういう個人個人が集まれば、弱い束が集まれば、強くなる。
私も、ひ弱なへっぽこな個人です。しかし、村野瀬さんや秋原さんみたいな人がいることに、
勇気をもらえます。
(いつもありがとうございます。遅まきながら、リンクさせて頂きました。m(_ _)m)

ところで、「デモ」という言葉やデモをする人たちに対し、私は以前は”違和感”がありました。
そうです、「変な人」のように見ていました。偏見がありました。
しかし、あることを知ってからです。「日本って、自分の頭で”これっておかしくない?”と、引っかかったことを考えないと、一歩間違うと変な方向にガーっと進むかも」、と感じるようになったのが、
リンク先のブーゲンビリアさんのブログを見てからです。
デモを行うのは至極当たり前の行為だと気づいたのです。
抵抗して、抗議して何が悪いんだろう。よく考えれば政治家の演説に拡声器が使われているのに、抵抗のためにだって使っていいんだよ、と。
キャンプ座間の看板
私は無知でした。「知らないでいる」とは、こういうことなのだなと感じました。

ブーゲンビリアさんを知ったのは、ある一人のブロガーさん経由です。
この方との出会いが非常に大きかったと私は思っています。ぐいぐいと引き寄せられました。
(どなたかというのは、もしかしてバレていますか?(笑))

最近、まさに三寒四温で風邪を引く人が増えているような気がします。
皆様もどうか、お気をつけてくださいね。