「超訳 芭蕉百句」(その2)

隠密であったかどうかは歴史的・文学史的には瑣末なことである。
まず取り上げる句は「春やこし年や行けん小晦日」。
恥ずかしながら、本書が最初に掲げ、そして年代がはっきりしている句のうち最も古いとされるこの句を知らなかった。
「春やこし」は、「春はもう来てしまったのだろうか」という詠嘆。「年や行けん」は「年は新年をむかえてしまったのだろうか」という驚き。 小晦日は大晦日の前日で十二月三十日。この年は十二月二十九日が暦の上の立春であったという。そこから、新春の気分を感じ暮れの心情を詠んだ。
この句には二つの和歌の下敷きがあり、ひとつは 『古今集』巻頭の「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」 で、これを俳諧式に五七五とまとめた。さらに『伊勢物語』の「君や来し我や行きけむおもほえず夢かうつつかねてかさめてか」のイメージを重ねた貞門俳諧の技巧が見られる。
はじめに―「旅する者」も闘いである | |
第1章 伊賀の少年は江戸をめざす ―春やこし年や行けん小晦日(宗房) | |
1 春やこし年や行けん小晦日 2 七夕は夕辺の雨に逢八ぬかも 3 紅梅のつぼミやあかいこんぶくろ 兄分に梅をたのむや児桜 4 天秤*や京江戸かけて千代の春(*は金偏) 5 此梅に牛も初音と鳴つべし 6 猫の妻へついの崩より通ひけり 7 あら何ともなやきのふは過ぎてふくと汁 8 かびたんもつくばゝせけり君が春 9 実や月間口千金の通り町 10 阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍 | |
第2章 深川へ隠棲した本当の理由 ―夜ル竊二虫は月下の栗を穿ツ(桃青) | |
11 夜ル竊二虫は月下の栗を穿ッ 12 枯枝に烏のとまりたるや秋の暮 13 櫓の声波ヲうつて傷氷ル夜やなみだ 14 雪の朝獨リ干鮭を囓得タリ 15 藻にすだく白魚やとらば消ぬべき 16 芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 17 氷苦く偃鼠が咽をうるほせり 18 雪の魨左勝水無月の鯉 19 あさがほに我は食くふおとこ哉 20 世にふるもさらに宗祇のやどり哉 21 椹や花なき蝶の世捨て酒 22 馬ぼく〳〵我をゑに見る夏野哉 23 野ざらしを心に風のしむ身哉 24 猿をきく人すて子にあきのかぜいかに 25 道のべの木槿は馬にくはれけり 26 馬に寝て残夢月遠しちやのけぶり 27 明ぼのやしら魚しろきこと一寸 28 海くれて鴨の聲ほのかに白し 29 水とりや氷の僧のの音 30 辛崎の松は花より朧にて 31 菜畠に花見顔なる雀哉 32 命二ツの中に活たるさくらかな 33 山路来て何やらゆかしすみれ草 34 狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 35 白げしにはねもぐ蝶の形見哉 | |
第3章 古池とは何か ―古池や蛙飛こむ水の音(芭蕉) | |
36 古池や蛙飛こむ水の音 37 名月や池をめぐりて夜もすがら 38 ものひとつ我がよはかろきひさご哉 39 水寒く寝入かねたるかもめかな 40 初雪や水仙の葉のたはむまで 41 月はやし梢は雨を持ながら 42 寺に寝てまこと顔なる月見哉 43 塒せよわらほす宿の友すゞめ あきをこめたるくねの指杉 44 旅人と我名よばれん初しぐれ 45 星崎の闇を見よやと啼千鳥 | |
第4章 『笈の小文』は禁断の旅である ―冬の日や馬上に氷る影法師(芭蕉) | |
46 冬の日や馬上に氷る影法師 47 鷹一つ見付てうれしいらご崎 48 ふるさとや臍の緒に泣年の暮 49 蓑虫の音を聞に来よ草の庵 50 さまざまの事おもひ出す桜かな 51 よし野にて櫻見せうぞ檜の木笠 52 蛸壺やはかなき夢を夏の月 53 おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな 54 あの中に蒔絵書たし宿の月 55 棧橋やいのちをからむつたかづら 56 俤や姨ひとり泣月の友 57 吹とばす石はあさまの野分哉 | |
第5章 『ほそ道』紀行を決意する ―蛙のからに身を入るる声(芭蕉) | |
58 草の戸も住替る代ぞひなの家 59 行春や鳥啼魚の目は泪 60 あらたうと青葉若葉の日の光 61 暫時は滝に籠るや夏の初 62 野を横に馬牽むけよほとゝぎす 63 田一枚植てたち去る柳かな 64 風流の初やおくの田植うた 65 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 | |
第6章 「あやめふく日」仙台に入る ―あやめ草足に結ん草鞋の緒(芭蕉) | |
66 あやめ草足に結ん草鞋の緒 67 松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす 68 夏草や兵どもがゆめの跡 69 五月雨の降のこしてや光堂 70 蚤虱馬の尿する枕もと 71 涼しさを我宿にしてねまる也 72 閑さや岩にしみ入蝉の聲 73 五月雨をあつめて早し最上川 74 涼しさやほの三か月の羽黒山 75 雲の峰幾つ崩て月の山 76 暑き日を海にいれたり最上川 77 象潟や雨に西施がねぶの花 | |
第7章 幻視する内面の宇宙 ─荒海や佐渡によこたふ天河(芭蕉) | |
78 荒海や佐渡によこたふ天河 79 一家に遊女もねたり萩と月 80 わせの香や分入右は有磯海 81 塚も動け我泣聲は秋の風 82 むざんやな甲の下のきり〴〵す 83 石山の石より白し秋の風 84 山中や菊はたおらぬ湯の匂 85 浪の間や小貝にまじる萩の塵 86 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ | |
第8章 こころざしは高くやさしい言葉で ―初しぐれ猿も小蓑をほしげ也(芭蕉) | |
87 初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 88 病鳫の夜さむに落て旅ね哉 89 うぐひすの笠おとしたる椿哉 90 行春を近江の人とおしみける 91 先たのむ椎の木も有夏木立 92 うき我をさびしがらせよかんこ鳥 93 鶯や餅に糞する縁の先 94 年〴〵や猿に着せたる猿の面 95 菊の香奈良には古き仏達 96 此道や行人なしに秋の暮 97 升買て分別かはる月見かな 98 秋の夜を打崩したる咄かな 99 秋深き隣は何をする人ぞ 100 旅に病で夢は枯野をかけ廻る | |
あとがき―「軽み」俳句をめざして |
一方、ネットでこの句を検索すると、類型的でつまらない句と評価する意見も見られる。そもそも古今集の歌にしてから、暮れに立春を迎えたことで感情が動かされるのかという意見もあるだろうし、それを踏まえるのは、ただ古典の素養をひけらかしているだけにも見えなくもない。
私のように古典文学の素養が乏しい者は、その技巧に感心しながら、素養がなければ鑑賞が成り立たないというのも困ると思うけれど、本歌取りは作者が狙ってやっていることだから、やはり本歌を知った上で鑑賞することが正しい態度なのだろう。
もっとも知らないことで、その世界から門前払いを食らうようでは不愉快になるのだが。
そうした古典の素養に加えて、「はじめに」によると、詠まれている場所・土地について、嵐山氏はすべて現地を訪れた上で検証したとのことである。
(はじめに)
ろくに俳句のことも、芭蕉のことも知らず、せいぜいが学校の国語や日本史の授業で教えられる程度の知識しかない私が思っていたのは、芭蕉は、それまでの諧謔的な言葉遊び(俳諧)を、情景描写とそれによる感興を表現する芸術に高めた、というような理解だった。
前述の本歌取りの技巧のようなものは、俳諧を少し上品にした程度のもので、芭蕉においても、この種の句がしばらく続く。
宗房 寛文五年『野は雪に』 百韻
侍大将藤堂新七郎家の家臣は二十名ほどで、最下位奉公人宗房であっても、若君良忠(蝉吟)に仕えたことで道が開けた。和歌をたしなむ新七郎家には、謡曲、『源氏』をはじめ古典書物が揃っていた。それは宝の山で、蝉吟と付合をすれば、みるみる腕が上がっていく。
貞門の俳諧は、機智滑稽をねらった言語遊戯である。俳諧には和歌では得られない解放感があり、卑俗な笑いが許される。『源氏』や謡曲のイメージを重ねれば、言葉が化学反応して自分でも予測できない小宇宙が現われるのだ。これが「言葉の魔法」でもうひとつの「人格」を獲得できる。
俳諧は理屈ではない。言語遊戯と断定してしまうと身も蓋もないが、密室に集まって、虚空からひとかけの物語をつむぐ秘儀である。古典文学の教養は、知る者のみが共有する手品の種のようなものだ。
嵐山氏は、こうした俳諧を否定はされていないようだ。いわゆる蕉風のみが価値あるものということではない、これはこれで鑑賞する値打ちがあるということだろう。
それが、情景描写という形をとるようになったとき、浅薄な私の理解では、その描写は「写生」だと思っていた。ところが、実際には、芭蕉は情景を見ているわけではないのだという。
これは悪いことではなく、旅行記も俳席も、別世界を幻視するところに妙があり、晩年の芭蕉は作意を嫌った。芭蕉のいう作意は、作り手の仕掛けが見えすいてしまうことである。句が上達すると、技巧が先行して純粋の感動が消えてしまう。子どもの句が新鮮なのは、無駄な仕掛けがなく、直截な目があるためだ。芭蕉が作意を嫌ったのは、自分が作意の人であったからだ。人は悟るため吟じるのではない。芭蕉は求道的になろうとすると破綻しはじめる。枯淡静寂を求めつつも、風狂のなかに身をおく。
『貝おほひ』は、素の芭蕉がむきだしで出てくる。ぎらぎらしている。
悶着、言葉遊び、相反する理念との格闘、そこに素の芭蕉がいる。失意と不安が芭蕉のなかでくすぶっている。五十一歳で没するまでこの本性は変っていない。たえず前衛であろうとする意志。図太い神経と貪欲な精神と、時代に対応する力。この原型があったから、芭蕉は進化しつづけた。
これで解かれる句は多い。
蕉風開眼の句といわれる「古池や蛙飛びこむ水の音」では、蛇足的に次のように問いかける。
この句が詠まれたのは深川であるから、私はたびたび、芭蕉庵を訪れ、隅田川や小名木川沿いを歩いて、蛙をさがした。清澄庭園には「古池や……」の句碑が立ち、池には蛙がいる。春の一日を清澄庭園ですごし、蛙が飛び込む音を聴こうとしたが、聴こえなかった。
蛙はいるのに飛び込む音はしない。蛙は池の上から音をたてて飛び込まない。池の端より這うようにスルッと水中に入っていく。
蛙が池に飛び込むのは、ヘビなどの天敵や人間に襲われそうになったときだけである。絶体絶命のときだけ、ジャンプして水中に飛ぶのである。それも音をたてずにするりと水中にもぐりこむ。
ということは、芭蕉が聴いた音は幻聴ではなかろうか。あるいは聴きもしなかったのに、観念として「飛び込む音」を創作してしまった。世界的に有名な「古池や……」は、写生ではなく、フィクションであったことに気がついた。
多くの人が「蛙が飛び込む音を聴いた」と錯覚しているのは、まず、芭蕉の句が先入観として入っているためと思われる。それほどに蛙の句は日本人の頭にしみこんでしまった。事実よりも虚構が先行した。
この句はあまりにも有名になったためか、
天保になると「古池やその後とびこむ鮭なし」と川柳にからかわれた
との余談も紹介されている。
これも読みようによっては、この句に並ぶような秀句が生まれなかったともとれるけど。
もう一つ、写生とは言えない例を紹介しておこう。
なんと大きい句だろう。十七音のなかに、天と海と島が入っている。芭蕉の句のなかでも、きわだって勇壮で、奥ゆきがある。『ほそ道』の出雲崎での吟であるが、もうひとつの旅中の俳文「銀河の序」にも出てくる。
……出雲崎に泊まる。 佐渡島までは海上十八里。青々とした波をへだてて、東西三十五里にわたって島が横たわっている。金が採れる宝島であるのに、大罪朝敵で多くの罪人(順徳天皇、日蓮上人、 日野資朝、文覚上人など)が配流され、おそろしい気がして、しばらく物思いにふけっていると、日が沈んだ。月はほの暗く、銀河が中空に浮かび、星がきらきらと輝き、沖より波の音が聞こえてきて、胸がしめつけられ、悲しみがこみあげて、ああ、どうにも眠れない。
しかし、『旅日記』によると、この日は雨で佐渡は見えなかった。晴れていても、荒海のときは出雲崎からは佐渡は見えない。芭蕉が幻視した風景である。
『ほそ道』の句は俳諧の歌仙を巻く配列になっており、ここは「恋の旬」の出番となっている。七夕の夜に、牽牛星と織女星が会う物語が句の背景にある。
なお、この句の「よこたふ」は文法的には破格であるという指摘がある(本書では触れていない)。