これほど無駄に紙幅を費やした本に出会ったのははじめてだ。
序文(「序文」と「事典への序文」の2つある)は、大変面白い。
たとえば、「カルメン」についての批評が次のように紹介されている。
もしも魔王がオペラを書くとすれば、《カルメン》こそ、彼が書きたいと願うオペラであろう。
(1878年「ミュージック・トレード・レヴュー」―ロンドン)
カルメンとは快楽に生きる娘であり、ひどい悪女だ。男から男へと、何の躊躇もなく渡り歩く。この台本は、最悪の不道徳において表現されている。女工カルメンが本物のタバコを手にして舞台に出てほどなく、その悪魔のような心が姿を現す。〈ハバネラ〉には、官能性が充満しており、恥知らずの態度とあけすけな身振りによって、よりいっそう露骨なものになっていた。
(1884年「フィガロ」―ロンドンの演劇新聞)
いやぁ、この批評、ぴったりだ、
私がカルメンに期待するのはこれだよ。
序文が終わって、いよいよ個々の楽曲・作曲家の批評に入るといただけない。別に批判されている楽曲・作曲家を擁護したいとか、敬愛しているから不愉快というようなことではない。批評の文章が実に定型的で「エモーショナル」。そしてこれが延々と続く。紙幅を無駄に費やしたと言う所以である。
たとえばこんな具合。
ベートーヴェンの《交響曲第九番》は、長さがちょうど一時間と五分である。まさに、楽団員の筋肉と肺、さらに聴衆の根気を厳しい試練にさらす、恐ろしい時間である。(中略)最終楽章には混声合唱が加わる。この合唱がこの交響曲とどのような関わりを持つのか我々には理解できない。ここでもまた、ほかの部分と同様、明瞭な構想に欠けていることが明らかだ。
(1825年「ハーモニコン」―ロンドン)
「我々には理解できない」という楽曲批判のそのままに、批評文が何を言いたいのかわからない。
また、演奏会直前にプログラムが変更になったのに、それを知らず聴いてもない楽曲をこき下ろした評論も紹介されていた。
音楽評論もあてにならないものだ。
しかし、面白いことにも気づいた。批評にも音楽の時代性があるのだ。
ベルリオーズとか、シューマンとか、ロマン派時代の批判の常套句は、「和声学に反している」である。こんな具合。
リストとワーグナー楽派の音楽は、鞭打ちを好む性的倒錯者には何と抗いがたい課題であろうか! リストはレーナウ風の田舎酒場を本格的なオーケストラ作品で描き出した。この作品は始まると同時に、恐怖で背筋がぞくぞくし、歯が疼き出すほどの悪魔の不協和音を始める。コントラバスは二十四拍もの間、空虚なホ-ロの5度音程を演奏し、そこにまず嬰へ-嬰ハの5度が重ねられ、それからロ-嬰へとニ-イの5度が一緒に奏でられ、挙句の果てにはおぞましい5度構造ホ-ロ-嬰へ-ニ-イ-ホが浮かび上がる。リストは音楽の自然法則を単にひっくり返すにすぎない。独自のやり方で美を生み出すことができないものだから、意図的に醜を生み出すのだ。
(1873年 エドゥアルト・ハンスリック)
「連続1度」「連続5度」「並達1度」……、こういう語をちりばめれば批評文ができあがるわけだ。
次にワーグナーなど後期ロマン派の時代になると、今度は「調性の破壊」や「旋律の欠如」がやり玉にあげられる。
リヒャルト・ワーグナーの《トリスタン》や《ニーベルングの指環》、そして彼の教義である「無限旋律」といったものについて考えることにしよう。「無限旋律」とは、無理に昇格させて原理と呼ぶことになっている無形式のことであり、組織化された非音楽のことであり、五線紙に書きつけられた旋律恐怖症のことである。
(1865年 エドゥアルト・ハンスリック)
そしてさらに現代に下ると、「騒音」が常套句である。(この頃には12音技法はもはや「騒音」扱いではなくなっている。)
ヴァレーズの《ハイパープリズム》を聴くと、選挙の夜や、大小の動物園、それからボイラー室の破壊場面を思い浮かべてしまう。
(1924年 オリン・ダウンズ『ニューヨーク・タイムズ』)
※以下には不快な気持ちにさせる表現が含まれます。ご覧になる場合はボタンを押してください
黒板・磨りガラスをひっかく音、発砲スチロールでガラスを擦る音、そんなのばっかりで一曲作って、
防音室に評論家を閉じ込めて聞かせたらいい、あなたたちがおっしゃってるのはこういう曲でしょと。
・・・・・・自分で書いておいて申し訳ないが、想像しただけで気持ち悪くなってきた・・・・・・
こうして見ると、音楽の実験・冒険が続いてきたことと、それを受容(受忍?)してきた歴史が良く出ている。
訳者あとがきによると、原書は作曲家名のアルファベット順に並べられていたそうだが、訳本では年代順にしたという。訳者の慧眼であろう。
本書では、ベートーヴェンからショスタコーヴィチまで43人の作曲家がとりあげられているが、作曲家の「重要性」は悪口の量と正の相関があるようだ。本書での悪口ベージ数のベストテンを挙げておこう。
①シェーンベルク 38 ⑥ブラームス 18
②ワーグナー 37 ⑦ベートーヴェン 15
③シュトラウス 29 ⑧リスト 14
④ドビュッシー 27 ⑨チャイコフスキー 12
⑤ストラヴィンスキー 19 ⑩プロコフィエフ 11
それにしても同工異曲の空虚な装飾文が連なる。読む値打ちがあるのは序文の部分だけだけど、存在価値としては、十分なものがあるのではないだろうか。
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