「新聞記者が見た古代日本」

関口和哉「新聞記者が見た古代日本 発掘の現場から」について。
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タイトルにあるとおり著者は新聞記者。だから話題はあちこちにとぶ。ただ著者の新聞記者としての守備範囲はもっと広いようで、本書はそのうち古代、それも発掘関連に限定している。

まずとりあげられているのは高松塚古墳の壁画。カビが生えたとか、剥がして修復しているという報道は聞いたことがあるが、本書を読むと、文化財行政への不信感がわいてくる。
カビが生えるのも無理はないだろうと思っていたのだけれど、それは早くから関係者には知られていたようだ。しかしその事実を公表せず、それをどうするの議論も先送りになって、結局、剥がして修理となる。
著者も言うように「現地保存」がのぞましいが、それは第一選択肢であって、それが不可能ならば、剥がして修理・保存もしかたがない。その結論が出るまでに時間がかかりすぎのように思う。ラスコー洞窟壁画はすでに剥がして保存されており、見学者は洞窟をそっくりそのままレプリカにしたものを見るのだそうだ。またラスコーの技術は高松塚壁画でも参考にされているという。

はじめに―なぜ文化財を報じるのか
発掘現場から/文化財報道とは何か
 
第一章 古墳壁画の危機と文化財保存
1 高松塚古墳壁画を守る
壁画修復作業の終了/壁画発見三〇年劣化の発覚/石室解体
ラスコー洞窟壁画との共通性/修理の進行
2 キトラ古墳壁画を守る
朱雀の発見/「トラや!」/十二支像の寅/キトラ古墳壁画の剥ぎ取り
第三の壁画古墳を守るために
3 震災と文化財保存
阪神大震災の文化財調査/熊本地震による装飾古墳の被害
倉吉・白壁土蔵群の地震被害と保存修復/未指定文化財と震災被害
コラム① モノクロの飛鳥美人
 
第二章 世界遺産と陵墓問題
1 天皇陵古墳の限定公開
大山古墳の限定公開/仁徳天皇陵に誰が眠るか/天皇陵古墳の今後
2 飛鳥の陵墓
斉明天皇陵の数は?/最後の指定修正/天皇陵の証し八角形墳
壁画がなかったマルコ山古墳
3 陵墓の保存活用
古墳をかすめる道路/陵墓の活用/今城塚古墳の「はにコット」
コラム② 朝鮮王陵と百舌鳥・古市古墳群
 
第三章 国際社会のなかの古代日本
1 正倉院宝物の源流
ガラス器の輝き/「白瑠璃碗」のルーツ/サマルカンドの羊
シルクロードから来た伎楽/新羅との交易/古代日本の国際化
2 古代のペルシャと日本―ゾロアスター教をめぐって
イランのゾロアスター教/古代のペルシャと日本
ロックスターとゾロアスター教/日本のゾロアスター教徒
3 トルコ石考―ペルシャの輝き
正倉院宝物の宝石/トルコ石は宝石?/トルコ石の産地
4 韓国の前方後円墳
空白の六世紀/被葬者は?/韓国の形象埴輪
5 馬、鉄、須恵器
「河内の牧」の発掘/鉄器と倭の五王/陶邑窯跡群の消滅
コラム③ パルミラの悲劇
 
第四章 邪馬台国論争は決着するか
1 纒向遺跡の調査―邪馬台国か大和王権発祥の地か
緑の葉/布留0式/卑弥呼の宮殿か/今後の調査
2 纒向古墳群の調査―邪馬台国時代は古墳時代か
箸墓古墳の調査/ホケノ山古墳の調査/邪馬台国時代の古墳
3 遺跡の年代測定
桃の種の年代/年輪年代測定法/酸素同位体法
4 三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か
神原神社古墳の景初三年銘鏡/古代の鏡/鏡の科学分析
魔鏡現象/中国の三角縁神獣鏡
5 邪馬台国と歴史観
邪馬台国論争は金印で決着するか/なぜ九州説が熱いか/中国と日本の交流
コラム④ 古墳時代の始まり
 
第五章 古代史の常識を疑う
1 元号の始まり―最初は大化?
新元号「令和」/日本初の元号/木簡とは/元号の始まりを木簡が明らかに
2 古代史最大の悪役―蘇我氏の真実は?
国内最大の方墳/蘇我四代/上の宮門・谷の宮門/蘇我氏の墓
大化改新の真実/蘇我氏とは何なのか
3 日本最初の貨幣/-富本銭は流通した?
富本銭の発見/富本銭の広がり/周防の鋳銭司
4 飛鳥の苑池と都城―都の景観は?
田園風景が広がる「日本の古里」/飛鳥京跡苑池は白錦後苑か
酒船石遺跡で営まれた祭祀/「飛鳥・藤原」の庭園/飛鳥の条坊道路
5 都の最終防衛線―高安城はどこに?
白村江の戦いと戦後/高安城の外郭線の発見/高安城のその後
6 由義寺塔跡の発見―道鏡は悪僧か?
塔跡の発見/道鏡の実像/由義寺と由義宮/下野薬師寺の瓦
コラム⑤ 捏造事件後の旧石器
ついでショッキングなのは震災などで失われる文化財の話。
熊本地震では、熊本城の石垣などが崩れたことは広く知られているが、このとき熊本にある装飾古墳も多数被害を受け、未だに玄室に入ることもできない状態のものもあるという。
 東古墳(玉名市)では、装飾のある石材が落下した。袈裟尾高塚古墳(菊池市)など被害が軽微に見えても実態が不明なものもあった。
 熊本地震による装飾古墳の被害は、国史跡を含む古墳や横穴墓一七件。被害調査はほぼ終えたが、復旧はほとんど進んでいない。微細なひびや崩落も含めれば、被災状況は千差万別で、被災前の状態の記録がないものもあり、どこまで修理すればよいのかというコンセンサスを得るのは難しい。
 文化庁は二〇一六年度、熊本県教育委員会と「大規模震災における古墳の石室及び横穴墓等の被災状況調査の方法に関する検討委員会」を設置、調査方法について協議した。さらに二〇一七年度には、「古墳壁画の保存活用に関する検討会」のなかに「装飾古墳ワーキンググループ」を設置し、検討を続けている。
 熊本地震による文化財被害は、熊本城(熊本市中央区)が最も注目されてきた。被災状況が一目でわかる建造物に対し、石室など土中にある埋蔵文化財はわかりにくく、国や県などの文化財指定を受けていない古墳への対応も含めれば、課題はまだ山積している。

さらにこれら指定文化財だけでなく、未指定の文化財も考えると相当な数の遺跡が被害を受けているだろう。
本書にも書かれているが、存在も知られないような遺跡が、知らぬ間に崩れてしまうということはいくらでもあるのだろう。だからといって知ってしまったら崩れてしまってもしかたがないと割り切ることは難しい。しかし調査能力は限られている、優先順位を付けざるを得ない。指定文化財でもまだ放置されたものも多いのだから。

人為的破壊もある。
日本では、明治の神仏分離→廃仏毀釈で多くの仏教文化財が破壊されたが、徹底しなかったおかげで(というか国民は神仏ともに信仰していただろう)、助かった。現代ではイデオロギーで破壊というのは、少なくとも国としてはやらない。だが経済優先での破壊は高度成長期になると多くなる。私もNHK大阪放送局の新築では、難波宮遺跡の保存問題があり、「文化が文化の足を引っ張る」と言っていた人もいるようだ。
高松塚は遺跡の重要性をあらためて印象付けたようだ。
 高松塚壁画の発見で、どんな小さな古墳でも大切だということになった。当時、「大きな古墳は大事、小さな古墳は大事ではない」という悪しき風潮があった。高度成長期に入って、開発優先の時代。 二〇メートル未満の古墳は、つぶして開発してもいいとされ、実際にブルドーザーでどんどんつぶされていた。それが小さな古墳でも大事だということが認識された。その象徴となったのが高松塚だった。

海外では悲惨な状態の遺跡もある。タリバンによるバーミヤン大仏の破壊、ISILによるパルミラ遺跡の破壊。本書では「パルミラの悲劇」と一節を設けて、それを守ろうとした学者の殺害を含めて書かれている。
今、ウクライナ戦争で、ウクライナ各地の文化的建造物や遺跡などもきっと破壊されているのだろう。

話は変わって、驚いたのはゾロアスター教が今も信者を持っているということ。日本にもインド系住民でゾロアスター教徒が神戸あたりにはいらっしゃるらしい。
ゾロアスター教といえば、歴史上の宗教でもはやごく一部に信者がいるかもしれないが、ほとんど絶えたものと思っていた。

「魔笛」のザラストロはゾロアスターからだと思うが、モーツァルトやシカネーダーがこの宗教を良く知っていたとは思えない。だいたい歌われる神はイシス、オシリスとエジプトの神である。
ニーチェはゾロアスター教についても知っていたとは思うけれど、「ツァラトゥストラ」にゾロアスター教を思わせるような話はなかったと思う。
メルヴィル「白鯨」にもゾロアスター教徒がいた。キリスト教徒からみて何か神秘的な存在として描かれていたように思う。

その信者の一人がロックバンド、クイーンのフレディ・マーキュリー(ファルーク・バルサラ)だそうだ。映画「ボヘミアン・ラプソディ」は私も見ているが、そんな感じは受けなった、というかゾロアスター教徒だったとは知らなかった(あまり敬虔な教徒ではなかったとか)。
なお、本書では、フレディの葬儀のニュースが「ゾロアスター教に則り火葬」と伝えたことに対し、ゾロアスター教では火葬は禁じられている、土葬も禁止で、正しい葬儀は鳥葬なのだという。日本を含め多くの国で鳥葬は禁止されているから、しかたなく火葬や土葬もあるかもしれないが、少なくとも「ゾロアスター教に則り火葬」は間違いだと指摘する。なおフレディが実際にどう葬られたかは未確認とのこと。

その他、古代史研究の面白いところ(新聞記事になるところ?)をいろいろ紹介しているが、研究の現状とか解釈のことは措いて、裏話的なものが興味深い。

おやおやと思ったのは「邪馬台国論争は金印で決着するか」である。この金印とは「親魏倭王」の印のことで、卑弥呼が送られた封号を持った印が出れば決定的な証拠、というわけだが、これが九州と近畿では扱いが異なる。九州で発見されれは邪馬台国九州説の根拠たりえるが、近畿で発見されてもそれは九州から近畿へ運ばれたものだろうと解釈され(東遷説)、決定的な証拠とは言えない、と九州説の人たちは言うのだそうだ。

私としては纏向遺跡の規模が圧倒的に大きいこと、祭祀関係や日本内交易ももとより国際性を示す出土物が多数あることなど、邪馬台国であるかどうかはともかく、ここが当時の日本の中心であったことは疑えないと思っている。


最後に道鏡のこと。私は八尾で7年間仕事をしていたから取り上げておく。
本書では、八尾市で由義寺塔跡が見つかったこと、そしてそれがかなり壮大なものであることから、西京と言われるにふさわしい場所だったらしいとする。
称徳天皇がもっと長生きしていれば八尾が奈良とならぶ都として栄えたかもしれない。

なお、著者は道鏡が悪僧だったとは考えていないようだ。

IMG20230110213322-crop.jpg 最後に、本書最後の「コラム⑤ 捏造事件後の旧石器」を全文転載する。
コラム⑥ 捏造事件後の旧石器
 二〇〇〇年に発覚した旧石器捏造事件は、考古学や埋蔵文化財行政に大きな問題を突きつけた。たった一人の調査担当者が四半世紀にわたって数千年前の縄文時代の石器を数十万年前の前・中期旧石器時代の地層に埋め、日本列島に前・中期旧石器時代の人々がいたことが定説となってしまった。捏造は言語道断だが、多くの専門家がそれを見抜けず、成果を行政が街おこしにまで使ってしまったところに、最大の問題点がある。 専門家や報道機関などのチェック機能が働いていれば、捏造が長年放置されることにはならなかったはずだ。二〇年余りたった今でも完全な解決にはいたっていないように思える。
 二〇〇三年、日本考古学協会の前・中期旧石器問題調査研究特別委員会は、大部の「前・中期旧石器問題の検証」を刊行し、事件を総括した。だが、前・中期旧石器時代の研究は白紙に戻り、この時代の研究は腫物に触るかのような状況になってしまった。
 それゆえ、島根県出雲市の砂原遺跡で、約一二万年前の中期旧石器時代の地層から、国内最古の石器二〇点が見つかったと学術発掘調査団が発表したとき、捏造事件を乗り越えることになる勇気ある発表だと喝采した。研究者の中には慎重論もあったが、私は地層などに基づく年代決定の経緯などを取材し、「日本の旧石器時代研究を再構築する第一歩になる」と確信した。成果は二〇〇九年九月三〇日の読売新聞一面で報じた。
 だが、翌年五月二三日、東京・国士舘大学で開かれた日本考古学協会の総会で驚くべきことが起きた。調査団の代表が、 出土した火山灰層の年代の認識が変わったことを理由に、石器の年代を「七万年前~一二万七〇〇〇年前」と変更し、「最古」ではなく、「最古級」と修正したのだ。 中期旧石器時代ではあるが、「一二万年前」より「七万年前」に近いニュアンスだった。
 発表後、数人の報道陣が代表を囲んで 「どういうことなんですか?」「今後検証するんですか?」と口々に尋ねると、「火山灰層の同定が難しく、よりよい資料が見つかったので修正した。私は多忙なので、検証は地元の方にしてもらいたい」との話だった。代表のつれない態度にも驚いたが、訂正された数字は、翌日の読売新聞に掲載した。
 調査団は二〇一三年、地層の再検討で年代を約一一万~約一二年前と再修正、石器を「日本最古」と結論付けた。結局、元に戻ったわけである。しかし、こう何度も修正が続くと、さらなる修正の懸念もある。新聞記事として紹介するには躊躇せざるを得なかった。
 専門家の主張を報道機関がすぐに検証することは難しい。それでも「考古学的な発見」が真実なのか、学問的な正確性を担保しながら、報道する作業が求められる。砂原遺跡のケースは、それがいかに難しいかを示す典型的な例となった。
この大スキャンダルは私もショックだった。スクープの記録「発掘捏造」という本も読んだ。
そしてかつての捏造事件がいまだに尾を引いていることに残念な気持ちがわいてくる。
それにしても、砂原遺跡で発見の石器が、結局11万~12万年前のものとしたとのこと、この年代だと作ったのは新人なのか、それともそれ以前の人類なのか。

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