宮本武蔵「五輪書」(大倉隆二訳・校訂)について。
およそ名の知られるナンバーワンの剣豪が残した、あまりに有名な書。
「五輪書」は通称(地、水、火、風、空の五巻からなることからだろう)とのことで、武蔵が付けた書名ではないようだ。訳者は「二天一流兵法書」と呼ぶのが本来だとする。
以前からその存在は知っていたけれど、あらためて読んでみようと思ったのは
NHK「英雄たちの選択」で宮本武蔵がとりあげられ興味をもったからである。
宮本武蔵は剣豪の中でも特別で、吉川英治の「宮本武蔵」ではほとんど神格化されているという感じがする。
実は吉川英治の本は読んでないのだけど、武蔵を描く映画・ドラマの多くが吉川英治の本にもとづいている。2003年の大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」もそうである。多くの人がそうしたものから武蔵のイメージを持っているのではないだろうか。
一方、そうした特別視・神格化への反発もあってのことだろうが、島原の乱に参陣したのは良いものの、投石に当たって歩けなくなり、戦線を離脱したという情けない話を紹介する本もある。
ちなみに、関ケ原では小説やドラマでは西軍側で戦ったとされているが、「英雄たちの選択」では、新資料によると関ケ原の戦いがあった時には、九州黒田家の下で黒田家家臣であった父とともに東軍として戦っているそうだ。そしてそこで九州細川家との縁もできたらしいと推測している。
番組では、剣の使い手というだけでなく、優れた絵が残されているとか、明石では都市計画や庭園設計を行っていたなどの事績が紹介されていた。
なお、「五輪書」には、「武士は文武二道といって、二つの道を嗜むことは道である」とあるから、武蔵も文をも知ることは武士として当然と考えていたようだ。
その武蔵が兵法としての二刀流を概説したものが「五輪書」である。
読んで驚いた。全編を通して、二天一流が説く兵法というのは、実に合理的なものだと思った。
小説やドラマでは、あまりにもストイックで、剣術に精神性が込められるかのように描かれていると思うけれど、「五輪書」にある兵法は、闘いに勝つことがその本義であるというアタリマエのことが書かれ、精神的なものは全く見られない。
またよく時代劇とかでも出てくる「○○流の奥義」などという言葉があるが、「五輪書」ではそうした意味での「奥義」などというものは無い。言葉として「奥」はあるのだけれど、「五輪書」でいう「奥」とは、難度が高い技で初心者には難しく、上達に応じて教えるものであり、闘いの場に応じて「口」(初歩)の技、「奥」の技を使い分けるだけのことであり、秘密の技とか必殺技という意味は全くない。
第四・風の巻では他流の批判が集められている。そこでは、刀の長さにこだわる、刀を強く振ることにこだわるという他流について、こだわることを批判し、そうしたこだわりは無意味とする。
またさまざまな技(太刀すじ)を誇る流派に対しては、そういうもので飾り立てて商売をしているにすぎないと言う。
ましては「奥義」とか「免許皆伝」とかいうものは、およそ武蔵の兵法からは遠いものだろう。
「五輪書」の第一・地の巻には、二刀流を名乗る意味について説明がある。
一 此一流二刀と名付る事。二刀といひ出す所、武士ハ将・卒ともニ、直ニ二刀を腰に付る役也。昔ハ太刀・刀と云、今ハ刀・脇差と云、武士たる者の此両腰を持事、こまかに書顕すに不及。我朝におゐて、しるもしらぬもこしにおふ事、武士の道也。此二の利をしらしめむために二刀一流と云也。鎧・長刀よりしてハ、外の物と云て、武道具之内也。
一流之道、初心之者におゐて、太刀・刀両手に持て道を仕ならふ事、實之所也。一命を捨るときハ、道具を残さす役に立度もの也。道具を役にたてす、腰に納て死する事、本意にあるへからす。然とも、両手に物を持事、左右ともに自由にハ叶かたし。太刀を片手にて取習せむため也。鑓・長刀、大道具ハ是非におよはす、刀・脇差におゐてハ、何も片手にて持道具也。太刀を両手にて持て悪敷事、馬上にてあしゝ、かけはしるときあしゝ、沼、ふけ、石原、さかしき道、人こミに悪し。左に弓・鑓をもち、其外何れの道具を持ても、ミな片手にて太刀をつかふ物なれハ、両手にて太刀を構事、実の道に非す。若、片手にてうちころしかたきときハ、両手にても打とむへし。手間の入事にても有へからす。先、片手にて太刀を振ならわせむために、二刀として太刀をかた手にて振覚る道也。人毎に始て取付時ハ、太刀重くて振廻しかたき物なれとも、萬始てとり付ときハ、弓もひきかたし、長刀も振かたし。何も其道具/\に馴てハ、弓も力強くなり、太刀も振つけぬれは、道の力を得て振よくなる也。
太刀の道と云事、はやく振に非す。第二水之巻にて知へし。太刀ハ廣き所にて振、わきさしハせはき所にてふる事、先、道の本意也。此一流におゐて、長きにても勝、短きにても勝故に依て、太刀の寸を定す。何にても勝事を得るこゝろ、一流の道也。太刀ひとつ持たるよりも二もちて能所、大勢を一人して戦時、又とり籠りものなとのときに能事有り。か様の儀、今委敷書顕すにおよはす。一をもつて万をしるへし。兵法之道おこなひ得てハ、ひとつもミへすと云事なし。能々吟味有るへき也。
一 この一流を二刀と名付けること。二刀と言いだすのは、武士は、武将も兵卒もともに直に腰に二刀を着ける役目だからである。昔は太刀:刀といい、今は刀・脇差といい、武士たる者がこの両腰(二刀)を持つ事は詳しく書き表すまでもない。わが国においては、その起源や理由を知る知らずにかかわらず、〔二刀を〕腰に帯びるのは武士の道である。この二刀の利(道理)を理解させるために二刀一流というのである。鑓・長刀など〔号・棒・ほか〕は、「外のもの」(周辺武術)といって、〔二刀とは別の〕武道具の内ではある。
わが一流では、初心者が太刀・刀を両手に持って稽古するのは事実である。戦いで一命を捨てるときには、持てる武器を残さず役に立てたいものである。武器を役に立てず、腰に納めたまま死ぬのは不本意であろう。しかしながら、両手にもの(刀・武器)を持つことは、左右ともに自由には叶いがたい。 太刀を片手で取り習わせるため 〔二刀を持たせるの〕である。 鍵・長刀などの大道具は仕方がないが、刀・脇差はいずれも片手で持つ武器である。太刀を両手で持つとよくないのは、馬上や、駆け走るときなどである。また、沼、湿田、石原、険しい道、人混みなどでもよくない。左手に弓や鍵を持ち、そのほかいずれの武器を持っていても、みな片手で太刀を使うことになるので、両手で太刀を構えるのは実の道ではない。もし片手で打ち殺しにくいときは、両手で打ちとめればよい。手間のいることではない。まず、片手で太刀を振り習わせるために、二刀にして、太刀を片手で振り覚えさせるのである。だれでも初めて取りかかるときは、太刀は重くて振り回しにくいものだが、何ごとも初めてのときは、弓も引きにくく、長刀も振りにくいものである。いずれもその道具に慣れてくれば、弓も力強くなり、太刀も振り慣れればその力がついて、振りやすくなるものである。
太刀の道(振り方)というのは、速く振るということではない。第二水の巻でわかるだろう。太刀は広いところで振り、脇差は狭いところで振ることは、まず道(太刀の道)の本義である。この一流では、長い太刀でも勝ち、短い脇差でも勝つことが目的であるので、太刀の寸法は定めない。いずれによっても勝ちを得るという精神が、わが一流の道である。 太刀を一つ持つよりも二つ持つのがよいところは、大勢を相手に一人で戦うとき、また立て籠もった者に対するなどのとき、よいことがある。このようなことは、いま詳しく書き表すまでもない。一事をもって万事を知るべきである。兵法の道を修得したならば、何一つ見えないということはない。よくよく吟味すべきである。
〔〕:原文にない語句を補填
():訳語の意味を補足説明
おいおいそんな簡単な話? 武士は二本さしているのだから、二刀を使うのはアタリマエであるといい、馬に乗るとき、左手に弓を持っているときは、片手で太刀を扱うしかないではないかと言う。
(もちろん片手でうまくいかなければ両手で太刀を持つことが禁じられるわけではない。)
子供の頃、片手で太刀を振るなんて力がないとできないことで、武蔵のマネなどするものではないと言われていたが、なんのことはない、武蔵は初心者のときから片手で太刀を振るえるように稽古しろという。それができないと実戦では困ったことになるというわけだ。
その太刀の長さについても、闘いの場に応じてふさわしいものを使えば良いといい、また普通は太刀と脇差を持つだろうが、場合によっては両手に太刀を持つと有利になる場合もあるとする。
こうした兵法とはおよそ精神性からは程遠い実用のものであろう。
二刀にも一刀にもこだわらない、道具にこだわらない、兵法自体にもこだわらない、そうしたものにこだわると勝機を失うというわけだ。
武士の精神性といえば、「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」(山本常朝『葉隠』)という有名な言葉があるけれど、もし武蔵がこれを聴いたらどう思っただろう。
地の巻には次のように書かれている。
夫兵法と云事、武家之法也。将たるものハとりわき此法をおこなひ、卒たる者も此道を知へき事なり。今世の間に、兵法之道、たしかにわきまへたると云武士なし。
先、道を顕して有ハ、佛法として人をたすくる道、又、儒道として文の道を糺し、醫者と云て諸病を治する道、或哥道者とて和歌之ミちををしへ、或ハ数寄者、弓法者、其外、諸藝諸能迄も思々に稽古し、心々にすくもの也。兵法之道にハすく人まれ也。
先、武士ハ文武二道と云て、二の道を嗜事是道也。たとひ此道不器用なりとも、武士たるものハおのれ/\か分才ほとは、兵之法をハ勤へき事也。大形武士の思心をはかるに、武士ハ只死と云道を嗜事と覚ほとの儀なり。死道におゐてハ、武士計に限らす、出家にても女にても百姓巳下に至まて、きりをしりはちをおもひ死所を思ひ切事ハ、その差別なきもの也。
武士の兵法をおこなふ道ハ、何事におゐても人にすくるゝ所を本とし、或一身之切合に勝、或数人之戦に勝、主君之ため我身のため名をあけ、身をもたてんとおもふ、これ兵法の徳を以てなり。又世の間に、兵法之道を習ても、實之とき役ニハ立間敷とおもふ心有へし。其儀におひてハ、何ときにても役に立様に稽古し、萬事に至り役に立様にをしゆる事、是兵法之実の道也。
そもそも兵法というのは、武家の法である。武将たるものはとりわけこの法を修行し、兵卒たるものもこの道を知るべきである。〔しかし、〕いま世の中に兵法の道をたしかにわきまえているという武士はいない。
まず「道」として知られるものには、仏法という人を救う道があり、また儒道といって学問の道を糺し、医者といって諸病を治す道があり、あるいは歌道者といって和歌の道を教え、あるいは数寄者(風流人・茶人)、弓術者、そのほかさまざまな芸能・技芸まで思いおもいに稽古し、それぞれに愛好している。が、兵法の道には、これを好む人は稀である。
まず、武士は文武二道といって、二つの道を嗜むことは道である。たとえこの道に才能がなくても、武士たるものはそれぞれの身の程に応じて、兵法の道を修行すべきである。だいたい武士の考えていることを推測すると、武士はただ「死」という道を嗜むこと(死を覚悟すること)、という程度に考えているようだ。が、死を覚悟するということにおいては、武士に限らず、 出家 (僧侶)でも女でも、百姓以下にいたるまで、義理を知り、恥を思い、死を覚悟するということにおいては、その差別はないのである。
武士が兵法を修行する道は、何事においても人に優れるということが本義であり、あるいは一対一の切合いに勝ち、あるいは数人の戦いに勝ち、主君のため・わが身のために名をあげ、立身もしようと思うこと、これこそ兵法の徳によってできるのである。また世の中には、兵法の道を習っても、実際のときの役には立たないだろうという考えもあろう。そのことについては、いつでも役に立つように稽古し、いかなる事態にも役に立つように教えること、これが兵法の実の道なのである。
死を覚悟することでは、武士に限らず百姓も同じ、僧侶でも女子でもその差別はないと言い切っている。
こう見てくると二刀流とは実用・実戦向きということになるわけだ(ただし二刀にこだわってはならないが)。
それで思った。剣道(スポーツ競技)については詳しくないのだけれど、二刀流は禁止されているのだろうか。ネットで調べると、二刀を持つことを禁じているわけではなく、剣道の大会などで、二刀流の選手はときおり出てくるらしい。
ただし剣道での二刀流にはいろんな制約があるそうだ。長さ制限とか、相手の太刀を受けるときには二刀をクロスさせて受けなければならないとか。武蔵ならきっとそれでは二刀流の意味がないと言いそうだ。
ただ逆に言えばそういう制約がなければ二刀流が有利になるということなのかもしれない。
吉川英治も「五輪書」は読んでいると思うのだけれど、どうして精神性の高い武蔵像になったのだろうか、不思議なことである。
もっとも徹底した合理主義は、それはそれでストイックな武蔵に通ずるところもあるような気もする。闘いにのぞんでどうやったら勝てるか、さまざまな工夫を考える武蔵。
卑怯者よばわりされても、12歳の吉岡源次郎を切り捨てる。(これって史実?)
もっとも飛び道具を使わない闘いというのはやっぱり本当の戦さではない。
というか、「五輪書」が書かれた時代は、既に鉄砲が戦争の主力であり、剣術は戦争の道具としては重視されなくなっており、それゆえに「今世の間に、兵法之道、たしかにわきまへたると云武士なし」と書くことになったのだろうと、訳者は推定している。
「五輪書」も江戸初期にはそれほど珍重されず、原本や確かな写本が失われることにもなるだろうという。
皮肉なことに、「武士道」、「剣術」が再評価される「葉隠」の時代になって、武蔵も再評価されることになる。
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