「超訳 芭蕉百句」(その3)
嵐山光三郎「超訳 芭蕉百句」の3回目。
1回目は芭蕉隠密説、2回目は俳句そのものと続けたが、3回目はまた芭蕉ファンの一部は目を背けるという衆道のことについて。
まずこの句から。
嵐山氏は、その句が詠まれた現地を訪れて解説されているとのことで、蟬の声がその多孔質の岩に吸い込まれると、まるで吸音材のように説明されているが、山寺を訪れる前の私のイメージは、岩はつるんとしたむしろ音を反響するものというもので、その反響の中に閑さを感じるという感覚かと思っていた。
ではあるけれど、行ってみると山寺の山は、むしろ土っぽい感じだったように記憶する。言われてみれば多孔質の岩だったかなという気がする。
それはともかく、本書によると、この句のキーは「蟬吟」なのだという。
蟬吟とは、芭蕉が伊賀上野で仕えていた藤堂良忠の俳号である。そして芭蕉と蟬吟は衆道の関係であったとする。
だから嵐山氏は、次のように鑑賞する。
その蟬吟と過ごしていた伊賀上野時代にはこんな句があるそうだ。
見ようによっては、下ネタというか、あまり人前で語ったり、文字にして公開するようなものではないように思うのだけれど、それがあっけらかんと残されているわけで、芭蕉の時代にはとりたてて騒ぐようなことではなかったのかもしれない。今でいうなら、女性とキスをしたことを句に詠みこむ程度のことだったのかもしれない。
衆道というのは、日本では有名なところでは平安時代の悪左府・藤原頼長とか長い歴史がある。
先ごろ、「見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ。国を捨てる人が出てくる」と言った総理大臣秘書官がいたが、藤原頼長なんて当時でいえば総理大臣である。世が世ならこの秘書官も夜の秘書になってたかもしれぬ。(そういえば映画「武士道残酷物語」では男色家の主人に弄ばれたあげく悲惨な最後を遂げる話もある)
「ファニーヒル」では、男色は自然に反することとしてそれを覗いてしまった主人公が忌み嫌うシーンが描かれている。
一方、近頃(というかけっこう昔から)、淡いBL(Boys Love)というのもあって、少女マンガの1ジャンルになっているらしい。萩尾望都「ポーの一族」もBLが下敷きになっている作品である。
北杜夫も「どくとるマンボウ青春記」か何かで、男ばかりの高校生活での恋人ごっこのことを書いているが、これなどは他愛ない遊びにすぎない。
ソフトタッチのBLと、ハードな男色とは、受ける印象が随分違う。
私は同性に性的に惹かれることはないのでよくわからないのだが、ソフト、ハード、どこまでやってるんだろう。
1回目は芭蕉隠密説、2回目は俳句そのものと続けたが、3回目はまた芭蕉ファンの一部は目を背けるという衆道のことについて。
まずこの句から。
閑さや岩にしみ入る蟬の声
「古池や……」についで広く知られている句である。山形県の立石寺は山岳仏教の古刹で、山寺と呼ばれ、根本中堂には「不滅の法燈」が開山以来千百余年をすぎた現在も、ともされている。
句意は読んでの通りで、山上の「奥の院」に至る道を登っていくと、そこかしこから蟬の鳴き声がして岩にしみいっていく。山寺の参道には、火山灰をふくむ軽石の岩があって、小さな穴があいている。蟬の声は多孔質の岩に吸いこまれていく。
山寺には私も行ったことがある。山形に仕事で行ったとき、大阪からの飛行機の便が1日2便ぐらいしかなく、仕事まで数時間の余裕があったところ、訪問先の人が空港まで迎えに来てくれて、車で山形の名所をいくつか案内してくれた。その一つが山寺だった。「古池や……」についで広く知られている句である。山形県の立石寺は山岳仏教の古刹で、山寺と呼ばれ、根本中堂には「不滅の法燈」が開山以来千百余年をすぎた現在も、ともされている。
句意は読んでの通りで、山上の「奥の院」に至る道を登っていくと、そこかしこから蟬の鳴き声がして岩にしみいっていく。山寺の参道には、火山灰をふくむ軽石の岩があって、小さな穴があいている。蟬の声は多孔質の岩に吸いこまれていく。
はじめに―「旅する者」も闘いである | |
第1章 伊賀の少年は江戸をめざす ―春やこし年や行けん小晦日(宗房) | |
1 春やこし年や行けん小晦日 2 七夕は夕辺の雨に逢八ぬかも 3 紅梅のつぼミやあかいこんぶくろ 兄分に梅をたのむや児桜 4 天秤*や京江戸かけて千代の春(*は金偏) 5 此梅に牛も初音と鳴つべし 6 猫の妻へついの崩より通ひけり 7 あら何ともなやきのふは過ぎてふくと汁 8 かびたんもつくばゝせけり君が春 9 実や月間口千金の通り町 10 阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍 | |
第2章 深川へ隠棲した本当の理由 ―夜ル竊二虫は月下の栗を穿ツ(桃青) | |
11 夜ル竊二虫は月下の栗を穿ッ 12 枯枝に烏のとまりたるや秋の暮 13 櫓の声波ヲうつて傷氷ル夜やなみだ 14 雪の朝獨リ干鮭を囓得タリ 15 藻にすだく白魚やとらば消ぬべき 16 芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 17 氷苦く偃鼠が咽をうるほせり 18 雪の魨左勝水無月の鯉 19 あさがほに我は食くふおとこ哉 20 世にふるもさらに宗祇のやどり哉 21 椹や花なき蝶の世捨て酒 22 馬ぼく〳〵我をゑに見る夏野哉 23 野ざらしを心に風のしむ身哉 24 猿をきく人すて子にあきのかぜいかに 25 道のべの木槿は馬にくはれけり 26 馬に寝て残夢月遠しちやのけぶり 27 明ぼのやしら魚しろきこと一寸 28 海くれて鴨の聲ほのかに白し 29 水とりや氷の僧のの音 30 辛崎の松は花より朧にて 31 菜畠に花見顔なる雀哉 32 命二ツの中に活たるさくらかな 33 山路来て何やらゆかしすみれ草 34 狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 35 白げしにはねもぐ蝶の形見哉 | |
第3章 古池とは何か ―古池や蛙飛こむ水の音(芭蕉) | |
36 古池や蛙飛こむ水の音 37 名月や池をめぐりて夜もすがら 38 ものひとつ我がよはかろきひさご哉 39 水寒く寝入かねたるかもめかな 40 初雪や水仙の葉のたはむまで 41 月はやし梢は雨を持ながら 42 寺に寝てまこと顔なる月見哉 43 塒せよわらほす宿の友すゞめ あきをこめたるくねの指杉 44 旅人と我名よばれん初しぐれ 45 星崎の闇を見よやと啼千鳥 | |
第4章 『笈の小文』は禁断の旅である ―冬の日や馬上に氷る影法師(芭蕉) | |
46 冬の日や馬上に氷る影法師 47 鷹一つ見付てうれしいらご崎 48 ふるさとや臍の緒に泣年の暮 49 蓑虫の音を聞に来よ草の庵 50 さまざまの事おもひ出す桜かな 51 よし野にて櫻見せうぞ檜の木笠 52 蛸壺やはかなき夢を夏の月 53 おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな 54 あの中に蒔絵書たし宿の月 55 棧橋やいのちをからむつたかづら 56 俤や姨ひとり泣月の友 57 吹とばす石はあさまの野分哉 | |
第5章 『ほそ道』紀行を決意する ―蛙のからに身を入るる声(芭蕉) | |
58 草の戸も住替る代ぞひなの家 59 行春や鳥啼魚の目は泪 60 あらたうと青葉若葉の日の光 61 暫時は滝に籠るや夏の初 62 野を横に馬牽むけよほとゝぎす 63 田一枚植てたち去る柳かな 64 風流の初やおくの田植うた 65 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 | |
第6章 「あやめふく日」仙台に入る ―あやめ草足に結ん草鞋の緒(芭蕉) | |
66 あやめ草足に結ん草鞋の緒 67 松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす 68 夏草や兵どもがゆめの跡 69 五月雨の降のこしてや光堂 70 蚤虱馬の尿する枕もと 71 涼しさを我宿にしてねまる也 72 閑さや岩にしみ入蝉の聲 73 五月雨をあつめて早し最上川 74 涼しさやほの三か月の羽黒山 75 雲の峰幾つ崩て月の山 76 暑き日を海にいれたり最上川 77 象潟や雨に西施がねぶの花 | |
第7章 幻視する内面の宇宙 ─荒海や佐渡によこたふ天河(芭蕉) | |
78 荒海や佐渡によこたふ天河 79 一家に遊女もねたり萩と月 80 わせの香や分入右は有磯海 81 塚も動け我泣聲は秋の風 82 むざんやな甲の下のきり〴〵す 83 石山の石より白し秋の風 84 山中や菊はたおらぬ湯の匂 85 浪の間や小貝にまじる萩の塵 86 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ | |
第8章 こころざしは高くやさしい言葉で ―初しぐれ猿も小蓑をほしげ也(芭蕉) | |
87 初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 88 病鳫の夜さむに落て旅ね哉 89 うぐひすの笠おとしたる椿哉 90 行春を近江の人とおしみける 91 先たのむ椎の木も有夏木立 92 うき我をさびしがらせよかんこ鳥 93 鶯や餅に糞する縁の先 94 年〴〵や猿に着せたる猿の面 95 菊の香奈良には古き仏達 96 此道や行人なしに秋の暮 97 升買て分別かはる月見かな 98 秋の夜を打崩したる咄かな 99 秋深き隣は何をする人ぞ 100 旅に病で夢は枯野をかけ廻る | |
あとがき―「軽み」俳句をめざして |
ではあるけれど、行ってみると山寺の山は、むしろ土っぽい感じだったように記憶する。言われてみれば多孔質の岩だったかなという気がする。
それはともかく、本書によると、この句のキーは「蟬吟」なのだという。
蟬吟とは、芭蕉が伊賀上野で仕えていた藤堂良忠の俳号である。そして芭蕉と蟬吟は衆道の関係であったとする。
だから嵐山氏は、次のように鑑賞する。
初案は「山寺や石にしみつく蝉の聲」(書留)で、それが 「淋しさの岩にしみ込蟬の聲」(泊船集)となり、「さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ」をへてこの句になった。伊賀上野時代に寵愛された主君の蝉吟を思い出すと涙がとまらない。初五に「淋しさの」「さびしさや」が浮かんだが、そういった主観をおさえて「閑さや」とした。もとより蝉吟を追悼するために来たのである。
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句の主役は蟬である。
芭蕉は蝉の声のなかに、もうひとりの声を聞いている。それは主君藤堂良忠である。
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句の主役は蟬である。
芭蕉は蝉の声のなかに、もうひとりの声を聞いている。それは主君藤堂良忠である。
その蟬吟と過ごしていた伊賀上野時代にはこんな句があるそうだ。
左勝
3 紅梅のつぼミやあかいこんぶくろ 此男子
右
兄分に梅をたのむら児桜 虵也
(三十番俳諧合わせ『貝おほひ』松尾宗房撰)
左の俳人・此男子とは、女郎が男を誘う言葉「はよしなし(しなさい)」である。こんな俳号の人が実在したとは考えられない。芭蕉が創作した架空の俳人で、右(虵は蛇の俗字)もふざけた俳号である。
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判詞にはこうある。
左の「あかいこんぶくろ」は大坂ではやっている小唄の赤い小袋(小袋は睾丸の隠語だから、衆道を暗示している)。右は、梅の花を兄と慕う児桜(稚児)。「私も昔は衆道好き」(「われもむかしハ衆道好きの」と書いているから、趣向はいいが梅の発句としては弱いため、左を勝ちとする。
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引っ弾けは「ひっぴけ」、うんと飲めは「うんのめ」、大声で騒ぐのは「ほざけだいたる」、艶のある女は「しなもの」、色事は「ぬれかけ」、粋人は「通りもの」、無理よはわざと下品に「ぬりょ」といった具合で、遊里で使われる隠語がやたらと出てくる。『源氏物語』は「ひかるお源の物語」、紫式部は「かの紫」、西鶴が書いた「伊勢のお玉お杉のふたり連れ」(流しの三味線)も登場する。全編に猥雑な句と、享楽的な判詞があふれる。
小唄や流行語をふんだんに使って句を合わせ、しゃれた判詞を書き添えて、産土神の天神様に奉納した。貞門の約束ごとを無視して、思い切りふざけた衒学的発句合である。寛文軽薄体といったところで、芭蕉愛好家は無視をしている。あるいは嫌っている。
しかし、芭蕉の身になってみれば、野心を抱いた無名の新人が江戸でデビューするためには、田舎貞門のままでは通用しない。それまでの習作を捨て、オリジナルの表現を模索していた。それを痛々しいほど感じる。狂句を気取り、さかる猫、牛馬の糞、鶯の玉子、女乞食、扇引の遊戯、ひょうたん節、地獄踊、「ほの字」のほ、京女郎、鹿の交尾、大いかい物(六方詞で男根)、胎児を取上げる産婆、しっぽ(しっぽりとした濡れ場)、ちんどり足(千鳥足)、いきくび(生首)、などまるで見世物小屋を思わせる風俗があふれている。
3 紅梅のつぼミやあかいこんぶくろ 此男子
右
兄分に梅をたのむら児桜 虵也
(三十番俳諧合わせ『貝おほひ』松尾宗房撰)
左の俳人・此男子とは、女郎が男を誘う言葉「はよしなし(しなさい)」である。こんな俳号の人が実在したとは考えられない。芭蕉が創作した架空の俳人で、右(虵は蛇の俗字)もふざけた俳号である。
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判詞にはこうある。
左の「あかいこんぶくろ」は大坂ではやっている小唄の赤い小袋(小袋は睾丸の隠語だから、衆道を暗示している)。右は、梅の花を兄と慕う児桜(稚児)。「私も昔は衆道好き」(「われもむかしハ衆道好きの」と書いているから、趣向はいいが梅の発句としては弱いため、左を勝ちとする。
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引っ弾けは「ひっぴけ」、うんと飲めは「うんのめ」、大声で騒ぐのは「ほざけだいたる」、艶のある女は「しなもの」、色事は「ぬれかけ」、粋人は「通りもの」、無理よはわざと下品に「ぬりょ」といった具合で、遊里で使われる隠語がやたらと出てくる。『源氏物語』は「ひかるお源の物語」、紫式部は「かの紫」、西鶴が書いた「伊勢のお玉お杉のふたり連れ」(流しの三味線)も登場する。全編に猥雑な句と、享楽的な判詞があふれる。
小唄や流行語をふんだんに使って句を合わせ、しゃれた判詞を書き添えて、産土神の天神様に奉納した。貞門の約束ごとを無視して、思い切りふざけた衒学的発句合である。寛文軽薄体といったところで、芭蕉愛好家は無視をしている。あるいは嫌っている。
しかし、芭蕉の身になってみれば、野心を抱いた無名の新人が江戸でデビューするためには、田舎貞門のままでは通用しない。それまでの習作を捨て、オリジナルの表現を模索していた。それを痛々しいほど感じる。狂句を気取り、さかる猫、牛馬の糞、鶯の玉子、女乞食、扇引の遊戯、ひょうたん節、地獄踊、「ほの字」のほ、京女郎、鹿の交尾、大いかい物(六方詞で男根)、胎児を取上げる産婆、しっぽ(しっぽりとした濡れ場)、ちんどり足(千鳥足)、いきくび(生首)、などまるで見世物小屋を思わせる風俗があふれている。
見ようによっては、下ネタというか、あまり人前で語ったり、文字にして公開するようなものではないように思うのだけれど、それがあっけらかんと残されているわけで、芭蕉の時代にはとりたてて騒ぐようなことではなかったのかもしれない。今でいうなら、女性とキスをしたことを句に詠みこむ程度のことだったのかもしれない。
衆道というのは、日本では有名なところでは平安時代の悪左府・藤原頼長とか長い歴史がある。
先ごろ、「見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ。国を捨てる人が出てくる」と言った総理大臣秘書官がいたが、藤原頼長なんて当時でいえば総理大臣である。世が世ならこの秘書官も夜の秘書になってたかもしれぬ。(そういえば映画「武士道残酷物語」では男色家の主人に弄ばれたあげく悲惨な最後を遂げる話もある)
「ファニーヒル」では、男色は自然に反することとしてそれを覗いてしまった主人公が忌み嫌うシーンが描かれている。
私が読んだ翻訳ではそのシーンがあったが、Wikipediaによると、男性同性愛シーンは海賊版で挿入されたもので、クレランドが書いたものではないとか。なお女性の同性愛は小説のはじめのほうで主人公が手ほどきをうけるシーンがあったと思う。こちらは忌み嫌われていないようだ。
映画「イミテーション・ゲーム」でも描かれている。
一方、近頃(というかけっこう昔から)、淡いBL(Boys Love)というのもあって、少女マンガの1ジャンルになっているらしい。萩尾望都「ポーの一族」もBLが下敷きになっている作品である。
北杜夫も「どくとるマンボウ青春記」か何かで、男ばかりの高校生活での恋人ごっこのことを書いているが、これなどは他愛ない遊びにすぎない。
ソフトタッチのBLと、ハードな男色とは、受ける印象が随分違う。
話題になった「大奥」(NHKのドラマ)でも、主人公の部屋子玉栄(後の桂昌院)が他の大奥勤め(男)にやられる設定があった。これなどはBLとか同性愛とかいう範疇ではないだろう。
私は同性に性的に惹かれることはないのでよくわからないのだが、ソフト、ハード、どこまでやってるんだろう。